周易古占例 大島中堂 青島陥落の時期を占う/高島嘉右衛門 遣清大使の任を占う 

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天元春日  周易古占例 38
本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。
今回は大島中堂、高島嘉右衛門の占例です。

(13)青島陥落の時期を占う
【得卦 剥之旅】
          【大島中堂の占】
 青島の陥落は時間の問題で、もはやこれを既定の事実と同視してよい。
されどその陥落はいつ頃なるか、いまだ俄かに予測し難きものがある、
 ゆえにその期日について一占を試むるもまた全く無要のことではあるまい、よってこれを筮したがその卦は剥が変じて旅となった。
 そこで卦象を案ずるに、剥はもと観、否等より来るところの消長卦の一で今や一陽が上に止まって居るけれども、まさに剥落して坤とならむとする所の象である、
 ゆえにこれを名づけて剥と言ふたもので、剥とは上九の一陽が剥落消尽するの義である、
 されば早晩陥落すべき青島の独軍とその意義を同じふして居るばかりでなく、上九の一陽が坤地の一端に偏在して居るのは、
 即ち独軍が青島の要塞に籠閉(ろうへい)するの象(かたち)で、下の四陰がこれに逼迫しつつあるのは、すなわち我が皇軍の兵衆が彼を膠州(こうしゅう)の一角に駆逐窘蹙(くんしゅく)せしめつつある所の現状である、
 しかのみならず、剥の裏面は夬で、夬とは下の五陽が上六の一陰を決去することを言ふたものであるが、五陽はすなはち独軍に当たる、
 かくの如く剥の表裏を対観する所において、わが皇軍が海陸両方面より彼を挟撃して、一はこれを決去しまた一はこれを剥落せしむる所の象(かたち)が備はって居る、
 これによって之を観れば、得卦剥の卦象は事実とよく符合して居ると言ふてよい、
 しからばいつ頃になって陥落するかといふに、剥は陰暦九月にあたる所の卦であるが、今はすなはち八月の下旬でまさに九月とならむとする時であるから、卦(か)象(しょう)と時節ともまたよく一致して居る、
 して見れば、青島の陥落するのは陰暦九月以後十月までの間であると言ふてよいが、これはすなわち剥の一陽が剥落し去って無陽純陰の坤となる消長の理に外ならぬ、
 しかしてその陥落は丙丁の日(すなわち陽暦十一月六七日以後十二月の十六七日までの中)の正午十二時頃であると言はねばならぬ、
 けだし之(し)卦(か)旅はすなはちこの象(かたち)を示すもので、離は南方に位して丙丁を配して正午の時刻に当たるが上に、旅の内卦、艮を山とし家とし門とし防守とし、外卦離を火とし、電とし焼くとし日章旗として、剥の旅に之くはすなはち青島の要塞が剥にて陥落し、わが内卦坤の皇軍が艮山を越えて外卦に易位し謙の象(かたち)となって之を占領すると同時に、あらかじめ坤の裏面に包蔵せし離の日章旗を取り出し、高くこれを艮山の上に掲揚する所の象(かたち)を現はして居る、
 ゆえにその陥落が丙丁の日にあたるべきことを知る、
 本占は余が同年十月十六日揲筮(ちょうぜい)したるものにて、坤の裏面に日章旗を包蔵すると言ひしは消長(しょうちょう)帰命法(きめいほう)を用いたのであったが、消長帰命法のことは五段論式必中占法の中に詳説して居る、
 しかるにその後十一月七日に至り果たして青島は陥落したのであるが、その時刻は明け方未明の頃であって、本占の正午の時刻とは符合せなかったのであるが、
 これは余があまりに離の象を用ひ過ぎた誤りであった、
 何となれば剥落して坤となればまた忽ち復となるのが当然の道理で、復はすなはち夜半正子の刻に当たるから、之卦旅は丑寅にあたる艮山の上に離の日が出る明け方の象(かたち)と見ねばならぬはずである、
 しかるにこれを正午と断じたのは余が誤断であったが、ここにその顛末を明らかにして篤志家の参考に備ふることとする。


(14)遣清大使の任を占う   
【得卦  師五爻】
          【高島嘉右衛門の占】
 本年一月以来、余寒を熱海温泉に避く。時に朝鮮京城事変に関し、まさに清廷に向って談判する所あらんとすと朝野轟然、大に大使の任命に注目し、談判の如何を論弁して天下の人心一に此に傾向せり。
 予もまた国家の重事なれば杞憂のあまりその使命の任を占うて地水師の五爻を得たり。
爻にいわく、
 六五田有禽。利執言无咎。長子帥師。弟子輿尸貞凶。
(かりにきんあり。げんをとるにりあり。とがなし。ちょうし、しをひきい、ていししかばねをになう)
と。象にいわく、
長子帥師、以中行也弟子輿尸使不當也
(ちょうし、しをひきゆるは、ちゅうこうをもってなり。ていし、しかばねをになうはつかいあたらざるなり)と。
 占していわく、「田有禽」(かりにきんあり)とは禽鳥来たりて我良田の禾稼を害するなり。今朝鮮の事たるや、清国の兵商来りて我良民を残害す。
 征てこれを詰責するに何の不可かあらんや。
 ゆえに「利執言」(げんをとるにりあり)というなり。
 「利執言」とは清廷向て談判するに口実充分なるをいうなり。
 「長子帥師」とはすなわち長州の一男子、よくこの事に当てこれを処理すべきをいうなり。
 今や長子、弟子の文字使任の当否を簡別せり。
 按ずるに我廟堂中老練政事家の聞こえあるもの、けだし伊藤伯その人か。
 伯はすなわち長州出身の一男子なり。すなわち今回の談判たるや「帥師」の文字より見るときは表面に平和を粧うといえども底意もっぱら時宜戦争に訴うるの覚悟せざるべからず。
 いわゆる我に和戦の両備ありの決意あるにあらざれば到底平和を維持すべからざるなり。
 今それ日清の関係たる、実に大過の時なれば一歩を過たばまさに破裂に至らんとするの勢あり。
 よくこれを弥縫して両国を不幸厄難に陥らしめざる者は遣清大使のその人を得るに在るのみ。
 伊藤伯にしてこの大任に当たり玉わば必ずやよくその中を得て局を俎豆の間に結ばんこと、疑うべからざるなり。
ゆえに曰く、
「以中行也」と。
 これを賛美するの辞なり。
(中行は易のたっとぶ所にしてよく中正を守てその宜を得るをいうなり)
 しかるに、もし他次官などのこれに任ずるあらば恐らく「使不當也」のおそれあらんか。
 一の使の字、即ち民命の生死、国家の安危の繋がる所にしてその当たると否らずとは、吉凶実に霄壌のみならざるなり。
 今卦を得ることかくのごとし。聖人戒を垂るること深し。詳説するに可ならず。
 爻を推し、辞を覔めば吉凶知るべきなりと。
 その後いくばくもなくして果たして伊藤伯大使の任命ありたり。

※文章は読みやすくするため、適宜加削変更しています。

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