「占い」依存にならない為に。
「易」の4番目は、「山水蒙」。その原典の中に、「初筮は告ぐ。再三すれば瀆る」とある。「はじめの占いは、答えを教えてくれるが、2度3度と占いを繰り返すようであれば、占いの神聖さが汚れる。」今の言葉にすると、こんな感じか。神社の「おみくじ」で、「吉」が出るまで引く人がいると、巫女さんに聞いた事がある。巫女さんは、嘆いていた。曰く、「凶」にも意味はあると。前職が、IT系だった私からすれば、2度目からは、「占い」ではなく「数学」。箱の中から、「凶」のおみくじが一つ減れば、次に引く時、「吉」がでる確率は当然あがる。「吉」が出るまで引くとすれば、当然、確率はどんどんあがる。もはや、「偶然」ではなく、「必然」的に、「吉」が出る。占いは、「偶然」をつないで、人生を渡っていく方法である。「おみくじ」の意味が無くなってしまう。対面のお客さんで、同じ事を、繰り返し、日を開けずに「占う」事を希望する人もいる。何度も同じ事を占えば、いずれは、良いカードが出るだろう。つまり、「確率」だ。「数学的」なロジカル思考の延長に、「カン」・「神意」が働く余地は無い。" Don't Feel, Think !! "「感じるな、考えろ!!」といったところか。科学は、この姿勢が大事だ。同じ事を占うのに、「占い師」をはしごする人もいる。お金はかかるが、3人迄なら、悪くない方法だ。3人共、同じようなカードが出たら、ほぼ間違いないからだ。確信してもいいだろう。「占い師」も、百発百中という訳ではない。調子の悪い時もある。また、タロットのリーディングは、状況によって異なってくる。暗示するキーワードをつないで、無理の無いストーリーに
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