周易古占例 (39)中州先生神明の占

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天元春日  周易古占例 20 (39)中州先生神明の占
本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。
【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(20)】

ー真勢中州について
真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。
『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、
「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」
と記されています。

ー真勢中州とその一門の占例
(39)中州先生神明の占 この占例は『周易本筮指南』所収の「占験諸例」の最後を飾る占例です。これだけの内容を全て的中させるのは人間業ではありません。

(39)天明七年先生和泉(いずみ)貝塚(かいづか)に在りし時門人、病人を筮して噬嗑名(ぜいこう)の无妄(むもう)に之(ゆく)を得たり。門人占之曰(これをせんしていわく)、離(り)を熱(ねつ)とし震(しん)を進(すすむ)とす。この病は熱(ねつ)あるの症(しょう)にして上逆(じょうぎゃく)甚なるべし。
変卦(へんか)乾(けん)を首(かしら)とし、また実(じつ)とす。
これ頭(づ)へ上逆(じょうぎゃく)して心胸(しんきょう)を塞(ふさ)ぎたるの象ありという。
その人のいわく然。病症みな的中せりという。
門人、先生に問いていわく病症(びょうしょう)すでに占(せん)し得たり。
ねがわくはこの卦をもってこの人の吉凶を占せばいかん。
先生いわく、易は不測(ふしぎ)の妙あり。一卦をもって万象に触るべし。
こころみにこれを占せん。まず今までの事をいわんに、この人元来身分よく財ありし人なり。
しかるに今は身上不如意にて零落(れいらく)なるべし。【これは噬嗑の生卦にて断ず。否の九五初へ下りて噬嗑となる。もと九五の人、今初へ下る。これ身上不如意にて零落するの象なり。】
この人商売の望みあり。しかれども親族肯(うけが)わず、その望み任意(いのまま)にならざるならん。【大伝にいわく、日中に市をなし、天下の民を致し、天下の貨を聚め、交易して退き、各々その所を得たり。けだしこれを噬嗑に取る。とこれ噬嗑は市の卦にして売買の象あり。これ望み叶いがたきは、初の応なきをもってなり。また九五より初へ下る人なれば世人の肯(うけが)わざるも理なり。】
この後とても正直にすれば右の望みも叶い後(のち)よろしかるべし。【変卦の无妄は、天に随いて動くなり。これ正直の卦象なり。】今をいえばこの人、これへ来たるは人のために調和(あいさつ)にゆくならん。
和議整う意あり。【噬嗑は震と震と互いに進み合いて、争うの象あり。四の陽爻(ようこう)中に隔たりて人の争論を挨拶する象なり。无妄に之(ゆく)はこの人挨拶して和すべきの象なり。】
この人兄弟あり。ここへくるは長子(ちょうし)ならん。【内卦をその占う人とす。震を長男とすればなり。】また兄弟に盲人(もうじん)あらん。【噬嗑の離を乾にて塞ぐ。これ目を塞ぐの象。乾を天とし、空とし、虚とす。盲目の象】兄弟の中に女あらん。容貌は美なるべし。【離を中女とし、また文明とす。ゆえに女にして美ならんという。】これ、女図(はか)らざるに横難(おうなん)に遇うて死したるならん。その離は天災ならん。風吹いて大木を倒しその木に撃たれて死たるならん。【これは変卦の无妄を災とし、乾を天とし震を木とす。天災に遇うは天より風をもって木を倒し、その木に撃たれたるなるべし。不意の難に遇うは三より上に至りて互卦は姤なり。姤は遇なり。不意に一陰下に生ず。太平の世、小人下に生ずるの象なり。木独倒るる者にあらず。天風をもって木を吹き倒したるの象なり。】その大木は世に多き物にして松なるべし。【前に大木ならんというは震を木とし、進とし、乾を天とす。これ震の木、乾天を望むの象。これ大木とする義なり。また世に多き木というは初より五に至りて互卦益の卦なり。益は沢山なるの義あり。また松なりとは震を公とし木とす。木へんに公の字は松なり。沢山世にありて人用に益ある木なれば互卦に松の象あり。また乾を赤とし堅とす。松皮赤区して堅剛なり。无妄の外卦乾にして震木の外を包むの象なり。】この女家にいてその棟(むなぎ)へ松倒れて死たるならん。
その家は表(おもて)広く、奥狭き座敷なるべし。
その奥の間と口の間の上に棟(むなぎ)ありてその棟(むなぎ)の上へ松倒れて下におされて死沙らん。【表口広く奥の狭き屋敷とは噬嗑の画象なり。互卦、二より四に至り艮(ごん)とす。艮(ごん)を家とす。震木、艮土を克(こく)す。家を破るの象。また三より五に至りて坎(かん)とす。艮土、坎水を克す。棟を破るの象。上卦離を火とす。坎水、離火を克す。離を中女とす。これ坎の棟中女を克伐するの象。離を心とす。変卦乾を空とす。これ離の心火、変じて無となり天に帰するの象にしてすなわち中女死するの象】
その時は秋、八月の早朝ならん。その日は庚辛(かのえ・かのと)の日ならん。【変卦无妄を災とす。また乾は金なり。西方に位す。時に取れば秋なり。風は八月に吹くものなれば秋にしては八月ならんという。また乾を金とすれば十干に取りては庚辛の日とす。また噬嗑は日、東方に出るの象。ゆえに早朝とす。また中爻変じて乾となれば仲秋にてしては八月の象とす。】
その人驚駭(きょうがい)していわく、しかり。
宝暦十四年八月二日辛巳の日早朝に大風吹き、松の大木倒れて棟(むなぎ)折れ、表に近き奥の間にて女弟(じょてい)死したり。その天災すでに二十四年に及べり。【宝暦十四年甲申年より天明七年丁未年にいたる】
かつ、わが身の盛衰、商売の素望(そぼう)より即今(そくこん)人のために調和にゆくこと、及び弟に盲人あることまで先生の言、毫釐(ごうりん)も違うことなし。
まことに易は往(おう)を知り来(らい)を知る、神明不測にしてその占もまた奇妙なりとその人及び門人みな嘆美(たんび)せざるはなし。
しかるにこの占、ことごとく法ありて互卦(ごか)生克(せいこく)の活用までも細密(さいみつ)、のこる所なし。実に左伝(さでん)に載する所の周史(しゅうし)史蘇(しそ)卜楚邱(ぼくそきゅう)にも愧(はじ)ざるの妙占なり。この占に心を用いて万事に活用せばこの一條にても占法たりぬべし。
※出典 谷川順祐(竜山)『周易本筮指南』
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