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内科医に聞いて分かった「平熱」と「微熱」の基準! 正確な体温が測れない「NG行為」4つも解説

内科医に聞いて分かった「平熱」と「微熱」の基準! 正確な体温が測れない「NG行為」4つも解説 徐々に暖かい気候の日が増えてきているものの、朝晩の寒暖差などもあり、依然として新型コロナウイルスやインフルエンザ、風邪などにかかる人が多い状況が続いています。体調の変化を感じて「少し熱っぽいかも…」と思ったとき、体温計を使う人は多いと思いますが、「平熱」と「微熱」について「基準は何度?」「体温を測るたびに数値が違うんだけど…」といった疑問を持っている人もいるのではないでしょうか。 「平熱」と「微熱」、そして体温を正しく測るためのポイントについて、内科医・糖尿病専門医の市原由美江さんが解説します。 日本人の平均体温は36.89度  一般的に、「平熱」は36.0度以上37.0度未満、「微熱」は37.0度以上38.0度未満のことをいいます。感染症法に基づく届け出基準では、37.5度以上を「発熱」、38.0度以上を「高熱」と定義しています。 「平熱が低い/高い」という表現は日常的によく耳にしますが、平熱の高さに違いがあることは事実です。日本人の平均体温は36.89度とされていますが、平熱は個人差が大きく、35度台の人もいれば37度台前半の人もいます。  近年では、がんにかかっている人や肥満の人は体温が高い傾向にあること、また人種では黒人女性の体温が高いことが研究結果で明らかになっています。  体温は、年齢を重ねるにつれて下がってきます。そのため、子どもは平熱が高く、逆に高齢者は平熱が低くなります。1日の中でも変化しており、朝に低く、夕方に高くなるのも特徴です。さらに、暑い季節は高く、寒い季
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№41 速報!再び1ドル150円突破

みなさん どうもこんにちは タイラです。約10日ぶりにブログになりますが、もう少し後に何か書くつもりにしていたのですが、伝えしておいたほうがいいかと思い速報で出したいと思います。ただ、ご興味のない方はスルーしていただいて結構です。以前に出した1ドル150円突破というブログとほぼ同じタイトルですが、中身は違ってきます。以前出した1ドル150円突破というブログは、32年ぶりの円安水準になりますので世間でも大騒ぎしましが、まだ緩やかに円安になりましたので、読みやすくそこまで経済に打撃を与えるであったり、急激に景気が変わるということはなかったのですが、今回に関しては、あれから1ドル141円まで円高になり、1年足らずで1ドル150円を突破しましたので、少し円安になるスピードが速いのかなと思いました。だからといって今の時点で何か慌てないといけないかというとそうでもなく、一つの基準として見て頂いたらいいのではないでしょうか。ただ、日本は輸入大国ですので、食糧や物資のほとんどを輸入に頼っています。そして、その輸入の際の決済がほとんどがドル決済になっていますので、円高円安などの為替に大きく左右されます。今回のように円安になるということは、以前は1ドルを買うのに100円で買えていたものが、1ドルを買うのに150円かかるということですので、ドルがそれだけ値上がりしたということです。ドルが値上がりするということは、ドル決済している輸入物価は全てあがっていますので、つまり国内の物価も上がってくるということです。時間差としては、商品が並ぶスーパーやホームセンター、飲食店などの全ての物価が上がるのがだいたい
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基準の違いを無視すると危険!!! ~日記#165~

皆様、こんばんは☆ 最近、姪とテレビ電話でこんなお話をしました。私「この前、一緒にお部屋を片付けたけど、まだきれい?」姪「うん、きれい!!」そう言って姪は自分の部屋を見せてくれました。私の基準で言うと、片付けたときよりきれいではありません。でも、姪の基準だと、机の上はきれいだし、私と片付ける前に比べたらきれいなので、満面の笑みです。こういうことって会社でも学校でもあると思います。その仕事が簡単なのかどうか。給食を食べるスピード。全てにおいて、自分と自分以外は違います。それが頭の片隅にあるかないかで、その方への接し方も変わる。私はそう思います。ちなみに私は姪の机がきれいに保てていることを褒めました。そうすると姪は「他もきれいにして写真を送るね♪」と言ってくれました。姪の基準を否定しなくてよかったです♪では、今日の話はこれでおしまい。 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 今日も皆様が素敵な夢を見られますように♡
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「占い認定」をいただくことができました。

いつもお読みくださいまして、ありがとうございます。ココナラ様で、長年コツコツと頑張ってきましたが、この度、下記の3出品で「占い認定」をいただきました。ーーーーーーーーーーーーー 1日間だけ!行方不明の【犬、猫】を探します  https://coconala.com/services/567456 ペットの【気持ち】を伝えます  https://coconala.com/services/33885 ペットも!人も!遠隔ヒーリングを送ります  https://coconala.com/services/33471 ーーーーーーーーーーーーーなかなかいただけないと思っていた認定制度は、ココナラさん独自の評価や基準で認められる制度であり、お客様に信頼されている事、占い師側の仕事に対する姿勢が大事である。と・・私は思いました。これからも、ペットのため、飼い主様のためにコツコツと頑張っていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。
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基準が明確になってきた

いつもご覧くださりありがとうございます☆これからzoom会議コロナから遠方の仲間との情報交換とか簡単にできるようになって本当にありがたい♡今日も学びになるといいな。こんにちは、さくらです❀自分の周りをシンプルに整えたいとずっと考えたり、選んだり、捨てたりしてきて。だんだん整ってきた感じがします。特に生活面で使うものはいろいろ試してきた結果決まってきました。私の思想とアレルギーがあり肌が弱いという中での使用感を見極めて今があります。効果の出ている人を見本に情報を集めています。案件のような情報をつかまないように初めから全信用しないで小さくテストから始めます。そこで合わないものは捨てます。これからも変わるかもしれませんが基準はコストもあまりかからない効果のある使い心地良い日々の買い物時に迷わない いつも同じ効果 安心感のある どこでも手に入るリスクのないものを選んでいます。明確な基準を持つことで日々の生活に迷わなくなってきたと思います。大切にしたものも大切にできるしあわせが手に入りました♡今日も人生最高の一日でした!ではまた!
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【【あなたの映画選びの基準≪スキャンダル経験役者編≫~無料掲載ver~】】

どもどもどもども~~~☆映画好きのみなさまあああああああああああああああああああ!!【GW☆2023☆】いかがお過ごしでしょうかああ~!!☆☆、、、、、、、ん?{あ、ハ~~~イwのっけからウザいテンションでごめんなさいね~w)さてさて、本日のココナラ映画ブログはですね、過去にいくつか載せてもらった話題の【あなたの映画選びの基準シリーズ】が『こういう基準で映画選びも悪くないな』と、【(私なりの毎日の映画ライフ)】を過ごしてきて、またふと感じたことを載せさせていただきます☆☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆▼≪参考≫{◎過去の【映画選びの基準シリーズ記事】【あなたの映画選びの基準≪制作国編≫~無料掲載ver~】https://coconala.com/blogs/2544771/229918【あなたの映画選びの基準≪ホラーあるある編≫~無料掲載ver~】https://coconala.com/blogs/2544771/230255【あなたの映画選びの基準≪本編上映時間編≫~無料掲載ver~】https://coconala.com/blogs/2544771/231250【あなたの映画選びの基準≪レビュー評価点数編≫~無料掲載ver~】https://coconala.com/blogs/2544771/232804★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ではでは《今回注目する映画選び基準ポイント》はですね、【過去に1回でも世を騒がした役者は】【(※今まで以上に※)☆より演技に磨きがかかり☆《グッとくる☆☆》】ということで
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格言

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。                                        普通と言われる人生を送る人間なんて、                一人としていやしない。 いたらお目にかかりたいものだ。 アインシュタイン梅個性(大物):https://coconala.com/blogs/2722005/228651 松個性(城) :https://coconala.com/blogs/2722005/228889 桜個性(人) :https://coconala.com/blogs/2722005/228829 リズム意味 :https://coconala.com/blogs/2722005/215858 1000円クーポン:https://coconala.com/invite/B5QXX3
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正しいか、間違っているかの判断基準を変えるとラク~になる

自分が苦めている思考の1つとして、「正しいか、間違っているか」という判断基準によるものが大きいです。例えば、・時間は守らないといけない・ご飯を残してはいけない・親の言うことは聞かないといけない・毎日お風呂に入らないといけない・学校に、仕事を休んではいけない・ものは大事にしないといけない挙げればキリがありません。たしかに、ある程度のことは守らなければならないこともあるでしょう。でも、あまりにこだわるとどうなるでしょう?まず、人に厳しくなって、いつも守れているかどうか監視して、ハラハラ、イライラしてしまいます。自分に対しても「わたしはちゃんとできていない、ダメな人間だ」という気持ちが出てきます。そうやっていくと、だんだん生きづらくなってしまい、人間関係も嫌になってしまうでしょう。わたしもそのような時期がありました。そこでわたしがとった方法は「許します」と唱えること。そして、他の人が子供であっても自分自身の投影であるとみる。そして、他の人がやっていることではなく、とにかく自分自身の内側を視るということを続けていきました。そして分かったこと。正しい、間違っているか、ではなく波動が高いか低いかで判断する、分かりやすく言えば(その人が)楽しいか楽しくないか、心地良いか心地悪いか、良い気分か悪い気分かで判断をした方が良い、ということです。すべてをこの基準にすることはできませんが、常にこの意識に持っていくと、自分も楽になります。お互いに波動が上がって良い状態になっていくのです。これこそ、WINーWINの関係と言えるでしょう。今、誰かを批判したくなって苦しくなっている人は試してみてください。
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【あなたの映画選びの基準≪本編上映時間編≫~無料掲載ver~】

ども☆毎度おなじみw私のココナラ映画ブログをご覧いただき誠にありがとうございます☆☆過去のブログ投稿より、あなたの映画選びの基準①≪制作国編≫②≪ホラーあるある編≫につづきまして、前回②の最後で予告した通り、映画選びの基準話題はまだまだ分析できているのでさっそくシリーズ化にさせてw今回は≪本編上映時間編≫といたします☆☆▼以前の私のココナラブログ投稿(映画選びの基準シリーズ)を見ていない方はこちら≪制作国編≫https://coconala.com/blogs/2544771/229918≪ホラーあるある編≫https://coconala.com/blogs/2544771/230255☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ではでは、さっそく今回は≪本編上映時間編≫ですが、突然ですが映画好きのみなさんは、【サブスク利用にしても】【レンタル店利用にしても】【映画館利用にしても】▽鑑賞後に・・・『この映画、表紙デザイン(=例:チラシやDVDジャケット)はすごく迫力あるわりには本編中身がう~む。。。』と感じたことはありますでしょうか。【《おそらくこれは大半のかたがあるかと思われます。》】ここで私は主観目線ではありますけど、過去、映画1000作品以上も洋画・邦画問わず見てきましたら、【≫本編上映時間のある共通部分≪】をなんとな~~~くではありますけどw見つけてしまったわけです。どういうことかというと・・・まず、ポイントとなるのは、◆上映時間注目箇所【「90分※以上」あるかないか】で《【面白さの感情】が変わる》といった部分が感じたわけです。▼解説上記内容
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【あなたの映画選びの基準≪制作国編≫~無料掲載ver~】

ども☆今回もココナラ個人映画ブログを閲覧いただき誠にありがとうございます☆毎回毎回、《誰が私のブログを見ているか》、そして投稿するたびに《必ず初見さんは1名いらっしゃるので》、☆しっかりと全員名前を把握しております☆から☆感謝感謝の毎日です☆なんならいつもいつも、いいねのみもwなんですしwたまには☆メッセージを送ってきてくれても大歓迎です☆(※今後の活動のためになる内容であれば不評コメントも全然お受けしますのでよろしくお願いしまーすw)★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆さてさて、今回はですね、突然ですが映画好きのみなさんは、【「映画選びの基準」】は《どんな部分をメイン》として決めているでしょうか。一般的なのは【《予告》】【《テレビやネット情報》】【《人からのクチコミ》】という部分があるかと思いますし、少しふみこんだ部分になると【《好きな俳優や女優》】【《好きな監督》】という部分もあるかと思います。▼そんななかで私はさらにふみこんだ目線として・・・みなさんは【《◎制作国》】に注目したことはありますでしょうか。【洋画好き】のみなさんは特になんですが、私はこうこれまでに1000作品以上も《洋画&邦画を全ジャンル均等に見てきましたら》、なんとな~くではあるけど、『【この国が作る映画は】【こんな傾向があるなあ】』といった【≪◎共通部分≫】を感じることがあるのです。つまりはこうです。【参 考】▼≪出品者主観目線による映画制作国の傾向≫《アメリカ》の【コメディ映画】は【下ネタ(=お下品要素)《強めw》】《フランス》の【コメディ映画】は【アメリカにくらべたら下ネタ要素をおさえぎみ
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基準

おはようございます*^^*娘たちから、楽しい~や、時には相談だったりメッセージが届きます。今回は亀と泳いできたみたい♬昨日お話していて感じたこと・・・・自分の中の基準や物差しが苦しみを生んでいるのだなあと・・・結婚していることが正解だと基準にしていると結婚していないということが苦しみになるでしょうし、母子とはこういうものという基準があればそうなれないと苦しくなります。パートナーがいることやこういう形が愛されているという基準もまた同じ。例えば、このサラさんもここでお電話することを続けさせていただいていますが、その中から一日この人数と知らず知らずに基準を作っていた・・・それに気がついた時緩みが自然に起きたのを感じたことがありました。こんな風に私たちは日常の中で無意識に様々な基準を作って過ごしているようです。いのちの表現はそのような基準なんて超えて起きてきています。基準通りにいくこともあればまたそうならないこともある。求めているときはその結果に一喜一憂して苦しみが生まれます。基準がなければ自由・・・そしてどのような表現が現れてきてもただその現れと共に存在していられる。苦しいな~って気づいたら何か基準を作ってしまっているかもしれません。基準はあって無いもの。それぞれに違いがありますからこれまた幻想。その基準に気づけるだけでも不思議と苦しみはす~っと緩みます。いのちの表現と共に・・・それが一番楽ですね^^
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日記「ピンチへ挑戦」

【不合格】先日俺の合成写真を販売してる「PIXTA」に販売申請出したらほとんど全部不合格になってしまい全く販売できなかった。ヒィィッ!!∑(;Д;ノ)ノでも俺は今までと全く同じ審査基準で作り今回も普通に合格するはずなのにそれが全部不合格だった。そして俺はものすごい理不尽さを感じてしまい「PIXTA」に何でかダメか聞こうとメールを出してみようと思った。しかし企業の事だからまた審査基準の内容なんて教えず審査に通らなかったと一点張りの回答だけだと感じた。そこで契約書をよく読むといきなり審査基準が変わる時があり今までのNGになる時もあるのでそれを了承しろと書いてある!(# ゚Д゚)プンスコもしかしたらいきなり今までの物が審査に通らなかった理由は基準が変わったからだと思った。でもこのままじゃ俺の気もおさまらないから試しにどこが悪いのかメールを出して聞くことにした。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【解決】もしメールの返事が審査基準に通らないだけの一点張りの回答だったら販売サイトを変えようとも思た。そうしないとこれから先販売したくて合成写真を提出しても全部審査基準に満たない物となりもう販売できなくなる。( ゚皿゚)キーッそしてメールを出して数日待つと「PIXTA」から回答が来て今回審査する人が違った為ほとんどNGになった書いてある。なのでさっそく俺は「PIXTA」のサイトを見てみるとなんと!全部販売開始になってて凄くホッとしてしまった。°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°「PIXTA」の審査は人がやっていることを知ってたがまさかに人が違うだけで審査基準も変わるなんて怖い。でもまさか「PIXTA
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普通や基準でくくれない自分の時間、ときめく?

こんにちは皆様。二日続けて晴れ、こんな日には洗濯をしなきゃ、シーツやベットパットなどの大物も洗っている。テレビで芸人さんがシーツは普通毎日洗うもんやろと言っているのを聞いて、いやー毎日洗っとったら大変やでと思う。私はせいぜい週一だ、それも梅雨時期は出来ない、毎日シーツ洗うってどんだけすごいのよ、ド.ン.ダ.ケー。普通の人は毎日洗っているのかな?そもそも普通って、標準的って何?シーツ洗いを毎日するのは良い事なのは解っている。だけど誰もが出来る訳じゃない事は、普通じゃないんじゃ無いかな、標準って言葉も何処を基準にしているのか判らない。言葉には曖昧な部分が沢山なのです、そんな曖昧さを内包しながら私達は言葉を使ってる。曖昧さは時に優しさになって、時には刃になる、そこに基準が有る限り基準外は受け付けない。中学生くらいの時、母は私をちょっとだけいい学校に入れて、結婚させるのが良いと思っていたみたいで、本を読むより勉強しなが口癖だった。父は自分のしたい事を自由にしろとは言ったものの、ある日本音を言ってくれた。「俺はな、お前に普通に結婚して、子供産んで生活して貰うのが一番やと思っている。」そうなんだー、でも普通にって何?結婚しなきゃいけないの?子供が出来なかったらどうするの??????????私は結婚して、子供も4人産んで、生活している(今は離婚して娘2人と生活しているにだが)。それだけ言うと普通かも知れないが、生きてきた時間は人とは違う時間、その中に普通の入り込む余地は無かった。近所の奥さんやPTAで出会った人たちも、実に多種多様で、皆標準や、普通では括るのは無理だ。人はもともと多種多様で、
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「時間がなくて何もできない!」そんな人に読んで欲しい

「とにかく時間がなくて…やらなきゃいけないことで一日がいっぱい。なにもできないんですよ」引き受ける基準、ハードルはあるのか?その選択を疑ったことは?やらなきゃいけないことをリストアップして眺めてみよう。そして本当に自分が負うべきものなのか問うてみよう。今日はそんな一日に。人生において大切なものは限られているこれまでの人生を客観視、ちょっと距離を置いてみると…「しなければならない」と思っていたことの多くがそれほど重要じゃなかったりすることに気付いたり。時間がないのは自分のキャパシティ、器があふれちゃってるんですよね。それは本当に自分が背負うべきものなのか?この機会に向き合ってみよう。他人の責任も背負い込むと本来の自分が見えなくなる強みを最大限活用する理論、ウェルスダイナミクスの自己分析テストはこのようにグラフで結果が出ます。左側は分かりやすく自分の特性を表していますね。一方、右側のようにさまざまなタイプの要素を満遍なく持つ四角いタイプ。これは良し悪しではないんですが、自分本来の特性、タイプじゃないところもカバーし、自分を見失ってしまっているケースもあります。自分の役割、ポジションを明確にし、それ以外のことについて自分にも他人にもNoを言えること。これは貴重な自分の人生の時間に集中する上でとても大切なことです。こちらのサービスで、自分本来の「人生のポジション」とも言えるタイプが明らかになります。
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なぜ人間は悩むのか?

どうもー!!しば☆いぬです╰(*´︶`*)╯♡今回は「なぜ人間は悩むのか?」というテーマです。あなたはなぜ人間は物事を判断する時に悩むと思いますか?それはズバリ、、、「基準が決まっていないから」です!!大半の人がこれに当てはまると思います!洋服を買う時とか迷いません??それは基準が決まっていないからなんです!!「10,000円までの洋服なら買うー!」とか「この洋服と相性の良いものを買うー!」とか決めずに、なんとなく買い物に行くからです。悩む時間って、楽しいんですけど時間をかなり使うこともあるのでもったいないことも多いです、、、、何事にも基準を設けると「不要なことに時間を割くことがなくなる」のでオススメですよー(≧∀≦)しば☆いぬ
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「美しさ」という基準

いつもご覧くださり、ありがとうございます。怖い夢を見て、現実ではなかったときの安堵感を今朝は味わった。こんにちは、さくらです。今日は「美しさ」という基準について話していきたいと思います。いま。私、前田裕二さんの「メモの魔力」を読んでいて。前田さんの事を調べに調べてます(笑)ファン、ってレベルじゃないんだけどこの人好き、魅力的っていう人って調べると思うんです私もそんな感じで、調べれば調べるほど好きになる感覚を前田さんに感じています。前田さんに魅力を感じたのは「美しさ」の基準が高いと思ったからです。文章のリズム本の丁装句読点の位置本の美しさにこだわっていて、美しい世界観のものに言われるのと雑多なものに言われるのでは吸収力が違うと思う、ということをおっしゃっていました。それは私も感じていて。モノにも、コトにも美しさを求めていきたいと常に思っています。自分はまだまだなのでお恥ずかしい限りなのですが前田さんのこのメッセージを聞いて私もしっかりした基準を持ち整えていこうと思いました。そして私は前田さんをますます好きになりました。このメッセージは私の携帯もメモにしっかりと記入されています。これをファクト抽象化転用現実の自分の世界に転用していきたいです。いいメッセージを受け取ることのできた日曜日(仕事中です(笑))今日も人生最高の一日。ではまた!
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当たり前の基準を上げる

おはようございます。コージィ高橋です。 本日のマインドセットは「当たり前の基準を上げる」です。 内容は「人生のクオリティを高めていく絶対的な視点。   自分が望む「基準」を経験している人と、同じ空気を吸う。 同じ物を食べる。相互やり取りをするなどで、ミラーニューロンを受ける。 この濃度が高まるほど、より深く大きく、より早くミラーニューロンされていく。」というものです。 このマインドセットが書いてあるカードを読んで、改めて、ミラーニューロンの意味をウィキペディアで調べてみました。   「ミラーニューロンとは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。   他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。」   知らず知らずに、日々接している方と同じような口調や言葉遣いや所作になっている自分に気づくことがあります。   どのようなコミュニティに身を置くか? 日々どのような人たちと接するか?   本当に大切なことです。私たちは、接する人達と同じような人間になっていくからです。 同時に、「ここ!」と決めたコミュニティに腰を据えて、3年・10年スパンでご縁を続けて、深めて、心から満足いく生活に入るまでは、「やり続ける」ことも大切です。   マインドセットは色々とありますが、「当たり前の基準を上げる」はキモ中のキモのマインドセットです。今日も書きたいように書いてしまいました(^-^; 仙台は曇り空ですが、心の天気は晴れにして 今日もいい一日をお
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ワインの世界の一つの基準「パーカーポイント」ってこんな事。

皆さんこんにちは皆さん新倉(シンクラ)です。今日はワインの世界の「パーカーポイント」について少し書いていきたいと思います。 ワインの帝王と呼ばれたプロフェッショナルで、最も影響力のあるワイン評論家ロバート・パーカーという人がいます。 ロバート・M・パーカー・Jr.は、世界で最も影響力があると言われるワインの評論家の先駆者です 。 パーカーポイントという100点満点の評価法を考案し、ワイン界にひとつの指標をもたらしました。 近年、ワイン評価という分野において世界で最も影響力のある人物であると言われています。 ワイン好きな方や贈り物にワインを買おうとしたときなどに「パーカーポイント(PP)」や「ワインアドヴォケイト(WA)」という言葉を目にしたことがあるのではないでしょうか? パーカーポイント(PP) ワインを100点満点で評価した際の得点のことであり、ロバート・パーカー氏がその評価方法を考案した。 ワインアドヴォケイト(WA) パーカーポイントでワインを評価してまとめた、ロバート・パーカー氏によって創刊されたワイン評価誌。 パーカーポイントやワインアドヴォケイトでの点数は、ワインの価格さえ左右する存在です。 100点満点方式でわかりやすい「パーカーポイント」によってワインを評価したロバート・パーカー氏。 彼が創刊したニュースレターの名前が、「ワインアドヴォケイト」です。このワイン評価誌の特徴は、なんといってもスポンサーを付けずに赤裸々な評価をすること。 その独立性と、パーカー氏の正確なワイン評価で厚い信頼を得ています。 ワインの世界にも、事実に基づき、権威に屈することのない、消費
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無の場所

最初は全てが無だった。 現代の人間が感じ取っているような現実は何も起きていなかった。 そこには基準や価値観が存在していない。優劣も、美しさも醜さも、比較も善悪も存在することはなかった。 暴言、暴力、無能、犯罪、不倫、ニートといった、 現代にとって非道徳的な行為。 優しさ、立派、偉業、貢献、奉仕といった、 現代にとって道徳的且つ殊勝な行為。 元々はそんな分離視点を作って物事を見ることもなかった。 基準や価値観がなければ感情や判断も生まれない。 ただそこに現象が生じて在るというだけだった。 いつしか命が基準や価値観を抱くようになり、 感情や比較や判断が生まれるようになり、 道徳的、非道徳的、幸運、不運、 好ましい結果、好ましくない結果という時間を作り始める。 その積み重ねによって多様な基準や価値観が分離しながら誕生して、 次の世代に受け継がれていき、今が形作られている。 しかし、皮肉にも、その基準や価値観に固執したり、 それらを振り回したりすればするほど、その反作用として、 自身の視界に非道徳的だと感じられる現象が発生する傾向が強まる。 その基準や価値観から外れるものを認めない視点が、 「やっぱりそれは意に沿わない」と改めて確信的に感じさせられて、 淘汰したくなるような現象を招いて繋いでいる。 これは自ら形成した基準や価値観によって起きている 自滅行為と言っても言い過ぎではないが、 全てが無だった時の感覚や世界との一体感が深まれば。 自身が楽に緩まって生きられるだけでなく、 誰かを緩めて存在させてあげられる範囲が広がる作用や、 その質も高まる作用が生じたり。 人が非道徳的だと感じて
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【潜在的な体力】

日常的スピリチュアル、安田です。 潜在的な体力というのは 持って生まれた体力であり この体力の強さが 気力、忍耐力になります。 持って生まれた体力なので 自分ではどうにもできないのですが どのくらいの体力があるかどうかの 把握が必要なのです。 体力の把握といっても 何かの測りがあるのではないので 自分の限界基準が どこまでなのかの 把握になります。 気力、忍耐力というのは 後天的に育てることもできますが 潜在的な体力が弱いと ある程度までしか育てられないのです。 基準高く歩める人は 潜在的な体力が強いのです。 いくら、身体を鍛えて がっちりした人でも 潜在的な体力が弱いと 基準高く歩むことはできないのです。 逆に、細い身体であったとしても 潜在的な体力が強い人もいます。 潜在的な体力の強さによって 基準高く歩むことができるのです。 潜在的な体力の 一つの目安は よく寝れるということです。 寝るというと 身体を休めるので 体力を使わないような 印象がありますが 寝るための体力が強いと 睡眠の質が上がります。 睡眠の質が上がることで 気力が出てきて より活発に歩めるのです。 質が良い睡眠というのは 長さではなく、濃さなのです。 熟睡することができれば 短時間の睡眠でも 活発に歩むことができます。 潜在的な体力が 全くない人はいませんが どれだけの体力があるかなのです。 基準高く歩める 体力がある人は 他の人も 同じような基準で歩めると 思い込んでしまうのですが 潜在的な体力の違いによって 限界基準が違います。 なので 自分のペースで歩み 努力することが必要なのです。 自分のペースで
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【刺激によって悟ることができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 起こる出来事というのは 刺激ではあるのですが その刺激があまりにも 強すぎることもあります。 刺激が与えられるのは 悟らないといけないことがあるので 時として、強烈なことが 与えられることがあります。 悟りの境地というのは 誰でも、本心基準では 求めているのですが 同時に悟ることに対しての 恐怖も感じています。 悟ることで 今までの自我が壊れることに 恐怖を感じているので 無意識に悟ることを 避けようとしてしまうのです。 使命が大きい人は それだけ悟らないと いけないことがあり 悟るための刺激が 強烈な場合があります。 悟りの境地というと 安定した境地のような 印象がありますが 感性が強くなることで より敏感になり より葛藤が強くなります。 悟ることで 歩みやすくなり 努力がしやすくなり 基準高く歩むことができます。 時代が進むことで 悟りの境地を求める人が 増えてきますが 悟るために刺激が与えられ 何を悟らないといけないのかが 教えられます。 悟りというのは 自分次元のことではなく より大きな次元のことの 悟りが求められてきます。 より大きな使命が 与えられていても 悟るのに時間がかかってしまい 悟るまでに 必要な経験、体験が 与えられるのです。 全ての刺激というのは 良くも悪くも 必要なことなのです。 感じたくない感情を 感じるというのも 一つの刺激であり その刺激によって 今までの自我を壊すことができ 新しい自我を芽生えさせることが できるようになります。 時代の転換期というのは 強制的にリセットされることもあり 今まで当たり前にできてい
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【自然に悟れる時代の恩恵】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の恩恵によって 自然に悟れるようになり 基準高く歩むことが できるようになります。 悟りの境地というのは 霊的に何かが見える 聞こえる、感じるという 境地ではなく できなかったことが できるようになる 境地のことをいいます。 というと、何となく 大したことではないように 思うことがありますが 現実的に、何かが できるようになることで 前に進むことができるのです。 いくら霊的に敏感でも 現実的に歩めなければ 意味がないのです。 霊的に鈍感でも 現実的に歩めて 基準高く歩めれば 悟りの境地に至っています。 これからより 悟るしかない時代になりますが 悟りを求めてくる人が増えてきます。 知識だけでは 限界を感じているので 悟りを求めてくるのですが 悟れるように導ける 指導者が少ないのです。 悟れるように導くには まず自分が悟っていなければ 導くことはできません。 悟りの境地というのは 特別な人だけが 至る境地ではなく 誰でも至れる境地なのです。 どんなに多くのことを学んで 知っていることが多くても 悟りの境地に至っていなければ 限界を感じるのです。 知識を学ぶことは 必要なのですが 悟りの境地に至れなければ 行き詰まるようになります。 時代の恩恵によって 心霊基準が上がり 本質を求めるようになり 本来の基準を求めています。 我知らず求めているので 自然に悟りの境地に 至ることができるのです。 悟りの境地に至ることで 基準高く歩むことができ より投入する歩みが できるようになります。 ありとあらゆる分野の 基準が上がっているので 基準高く歩むことが
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【必要なことに違和感を感じる】

日常的スピリチュアル、安田です。 違和感を感じることは 反射的に避けたくなりますが 必要なことに違和感を感じるのです。 感じる境地というのは 良くも悪くも 教えてくれます。 都合が良いように 教えてくれることもあれば 都合が悪いように 教えてくれることもあるのです。 大抵、必要なことというのは 自分の思い、願いと 一致しないことがあります。 違和感によって 必要なことを 教えてくれるのですが 違和感を受け入れることが 簡単ではないのです。 違和感を受け入れることが できるようになるには 心理的な余裕さが必要なのです。 心理的な余裕さは 努力を積み重ねている 実績によって感じることが できるようになります。 違和感を感じることは 「自分には無理」と 反射的に拒否してしまうのですが 逆に言えば 違和感を感じることは できることでもあるのです。 全くできないことであれば 違和感を感じることすら できないのです。 例えば、野球が得意な人が サッカーが全くできなくても 違和感はありません。 サッカーを勧められることはないのですが もし、勧められたとしても 全くできないことであれば 何も感じないのです。 感じている境地というのは ごまかすことができないのです。 誰かに何かを頼むことで その反応がどうであるかで できることなのかが分かるのです。 反射的に拒否することは できることなのです。 あるいは 自分で反射的に 拒否してしまうことも できることなのです。 違和感というのは 感じたくないので 反射的に拒否してしまうのです。 そして、必要なことほど より拒否してしまうので 前に進めなくなって
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【言い訳ができなくなる思考】

日常的スピリチュアル、安田です。 言い訳というのは 無意識に、反射的に してしまうのですが より大きな目的を基準にして 目標設定を大きくすることで 言い訳する思考が できなくなります。 本気で大きなことを 目指そうとしたら 言い訳している時間が 無駄に感じるのです。 言い訳することで 思考が停止し それ以上のことが できなくなります。 自分次元の意識では 視野が狭くなるので いくらでも言い訳したくなるし その言い訳によって 前に進めなくなります。 より大きなことを 目指すとなれば その基準に合った 歩みが必要なのです。 大きなことを 目指しているのに 基準低く歩んでいては 矛盾が生じてしまうのです。 目指すことと 歩みの基準は 正比例しないと 苦しくなるのです。 大きなことを 目指すことができないのは 今の歩みの基準を 維持したいからなのです。 言い訳というのは 今の基準よりも 高くできないので 言い訳をするのです。 今の基準よりも 低いことであれば 簡単にできるので 言い訳はしないのです。 より大きなことを 目指していく意識であれば 大抵のことは小さく見えます。 例えば、世界規模 地球規模、宇宙規模の 意識がある人は 国の規模が 小さく見えてしまうのです。 現実的に何かができなくても 意識だけは小さく見えるのです。 それが現実の環境であれば より小さく見えてしまうのです。 意識を大きくすることで 現実を小さく見ることができ 現実の歩みを簡単に こなすことができるのです。 現実の歩みを 簡単にこなすことで 心理的な余裕ができるので ちょっと基準が高いことでも 受け入れることがで
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【不安を活かす思考】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちの感情というのは コントロールができそうで できないのです。 感じないようにしようとしても 感じている境地を 避けることはできないのです。 感じたくない感情は 誰でも避けたくなるのですが 避けることができないので 活かしていければいいのです。 感情というのは 外からの刺激によって 湧き上がってくるし 内からも ふと湧き上がってきます。 この感情に振り回されてしまうと やるべきことができなくなり 前に進むことができなくなります。 大抵の問題というのは 感情の問題なのです。 感情の問題によって できることをできなくして 前に進めなくしてしまうのです。 知識や技能というのは 努力をすれば 身につけられるのですが 努力ができない 続けられないので 身につけることが できなくなるのです。 不安も、誰も感じたくないのですが 「不安に思うな」と諭しても 思いを消すことはできません。 とくに今の時代は 転換時期であるので ありとあらゆることが 混沌としていくのです。 現実的に「不安を感じるな」 ということの方が簡単ではないのです。 長期視点で見れば 希望と可能性を感じますが 現実を見れば見るほど 不安が大きくなっていきます。 不安を感じているのであれば 活かす思考をしていくのですが 不安を感じているからこそ より努力の必要性を 感じることができます。 無駄に傲慢になるよりは 不安を感じていた方が より努力ができるのです。 どんなに努力をしても 基準高く歩んでいても 不安を感じている人もいます。 傍から見たら 不安に感じる必要がなくても 不安を感じているの
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【拡大よりも密度を意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 今からの時代に求められるのは 拡大ではなく、密度を濃くすることが 求められてきます。 密度というのは 中身を濃くすることであり 中身を濃くすることで あり方の土台ができ 時代の恩恵に合わせる歩みが できるようになります。 現実的に、個人で 拡大していくのには 限度があります。 いくら拡大することができても 中身が無ければ長く続けることが できなくなってしまうのです。 私たちの歩みには 長期視点が必要であり 長期視点から濃く 深い歩みができるのです。 密度、濃さ、深さが 求められるというのは 本物が求められている ということです。 本物になるというのは 完全完璧になることではなく 歩む基準を上げることであり 自分ができていることを 教えることをいいます。 できていることというのは 一度でも経験、体験したことであれば できていることなのです。 あるいは ごく小さなことでも 続けることができていれば 教えることができます。 今は表面的に教えられる 時代ではないのです。 表面的に教えようとしても 何となく負債を感じてしまい その負債の波動で 中身がないことが バレてしまうのです。 基準高く歩むといっても 超人的な歩みはできないので 何か一つでも継続ができていれば 基準高く歩めています。 あるいは、投入する歩み 最善を尽くす歩みが できていればいいのです。 努力を続けることができれば 自然に密度、濃さ、深さができ 何をするにしても あり方の土台ができます。 あり方の土台によって テクニックやスキルを 用いることができるのです。 表面的なことばかりを 求め
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【霊的突破の感覚】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊的に突破する感覚で 歩んでいくことで 今の転換時代を 突破することができます。 転換時代は 混沌とするので 何となくぼやかされたり 外からの影響を 強く感じることがあります。 そして、自分の軸を 見失いやすいのです。 なので 常に気を張ることは できないにしても 自分軸で歩む意識が 必要なのです。 霊的突破の感覚で歩むというのは 即断、即決、即実行の勢いと 前倒しの感覚で歩むことをいいます。 今の時代の波動に合わせるには スピード感覚が必要なのです。 何をするにしても 早め早めの歩みができれば 勢い的に歩むことができ 霊的突破の感覚で歩めるのです。 今の時代で遅いのは 失格なのであり 先延ばしというのは 話しになりません。 自分のペースでの スピード感覚でいいのですが 早め早めの歩みができると 波動に合わせることができるのです。 「波動」と聞いただけでも 何となくでも速さを感じます。 早め早めの歩みをすることで 波動に合わせている感覚で 歩めていることが感じられるのです。 この世の私たちには 時間、空間の制限があるので 完全に早くは歩めないのですが スピード感覚で歩めると 霊的な突破ができるのです。 即断、即決、即実行というのは リズムでもあるのです。 リズムに合わせることで 前倒しの歩みができ 先を歩んでいる感覚が できるのです。 私たちは、霊的に 振り回されては いけないのです。 霊的に振り回されない 歩みをしていくことで 今の時代の波動に 合わせることができます。 時代の恩恵によって 可能性は大きくなっていますが 時代の波動に合わせられ
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【他責にすると思考が停止する】

日常的スピリチュアル、安田です。 他責にしたい思いは 誰でもあるのですが 他責にしてしまうと 思考が停止してしまうのです。 自己責任にすることで 見えてくることがあり 気づきや悟りの境地に 至ることができます。 自己責任というのは 重荷を背負うことではなく 自分の軸を基準にして 見ることをいいます。 自分軸が確立していれば 自己責任で物事を 見ることができるのです。 自己責任で見ることで 出来ることが見えてきて 悟りの境地に至れるのです。 ただ、私たちには 他責にする癖があります。 無意識に、反射的に 「あいつが悪い、こいつが悪い」と 反応してしまうのです。 実際に、誰が悪いかどうかは どうでもいいことなのです。 他責にしないで 自己責任にすることで 自分が出来ることが 見えてくるのです。 私たちの思考は 停止すること 停止させることを 願っています。 なぜなら 思考をするのは 過酷な労働だからです。 できる限り 思考をしないことを 願っているので 他責にしたくなるのです。 ですが、他責にしてしまうと 何も思考することができなくなり 何もできなくなってしまうのです。 思考を停止させないためには 何をするにしても 自己責任だと考えることが 必要なのです。 より大きな目的のために 歩むというのは 大きな目的をも 自己責任だと 考えることをいいます。 現実的には 大したことはできないのですが 大きな視野で考えることで 大きな発想ができるのです。 自己責任の全うは 出来ることに 最善を尽くすことなので 現実的には 当たり前のことを するだけなのです。 ただ、どのような意識 考え方で歩ん
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【表面的なことで判断してはいけない】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちには 表面的なことしか見えないので 表面的なことで 判断してしまうのですが 表面的なことだけでは 本質が見えなくなるのです。 今は本質を見る時代であり 本質を見ることで 時代の波動に合わせることができ 本質に合わせた歩みができます。 本質というのは 分かるようで 分かりにくいのですが ネックになっていることを 意識していくことで 見えてきたり 分かるようになり 悟れるようになるのです。 深い境地を意識することで 本質が分かるようになります。 深い境地を意識していくには 感じている境地を把握して 感じている境地を軸にして歩むことで より深い境地を 理解することができます。 時代の流れは 本質になっていくので 本物しか通用しない 時代になっていきます。 本物になるしかない 時代になっていくので 歩みやすい人と 歩みにくくなる人に 二極化されていきます。 本物になるといっても 完全完璧でなくていいのですが 正直であるということです。 とくに自分で自分を偽らず ありのままの自分を 受け入れることで 正直でいることができるのです。 ありのままの自分を 受け入れることで 自分の本質を悟ることができ 使命を悟ることができるのです。 使命のままに歩むことが 最も正直な歩みになるのですが 使命を悟ることを 拒否してしまう人もいます。 使命を優先させることを 拒否してしまうと 正直な歩みができなくなり 本質的な歩みが できなくなってしまうのです。 今の時代の恩恵の 波動に合わせることで 本質的な歩みが しやすくなるのですが 時代の恩恵に合わせるには 恩恵の基
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【時代の波動に合わせる感覚】

日常的スピリチュアル、安田です。 波動というのは 感覚的に感じることであり 波動を感じることで 時代に合わせることができます。 時代の波動というのは 常に変化していて 私たちはその波動の影響を 受けているのです。 波動の影響によって 必然的に導かれたり そうせざるを得ないように 導かれることがあります。 感覚的にでも 波動に合わせることができれば 楽に歩むことができ 努力することができるのです。 感覚的に合わせていくには 見えない境地を 意識していくことで 合わせることができます。 波動は見えないのですが 感じることができるのです。 波動を感じることで 時代の流れが変わったことが 分かるようになり 時代に合わせた歩みができます。 見えない境地が 価値視されていくので 「波動」ということを 意識することが必要なのです。 意識をしていくことで 感覚的に分かるようになるのです。 波動の意識が必要なのは 時代の流れ、変化を 知るためであり 波動は、この世と 霊的世界の中間にあるので 霊的世界に連結されていくのです。 波動の変化というのは 霊的世界の変化の 影響でもあるのです。 霊的世界が変化しているのに この世の私たちが 変化しないでいられるはずは ないということです。 波動というのは 奇跡的なことを 起こすのではなく 現実の環境を導くのです。 私たちの歩みは たかが知れていますが 霊的な協助によって 環境が導かれていきます。 何をするにしても 霊的な協助がなければ 導かれないのです。 ごく小さな 当たり前のことでも 霊的な協助によって 導かれているのです。 時代の波動を、感覚的にでも
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【与えられることの違いを理解する】

日常的スピリチュアル、安田です。 人それぞれで 与えられていることが違うのは 使命の違いであるからです。 使命の違いを理解しないと 無駄に他の人と比べてしまい 自分の使命を全うすることに 集中、投入することができなくなります。 環境、状況というのは 良くも悪くも与えられています。 環境の良し悪しは 私たちの解釈の違い 捉え方の違いなのですが どんな環境であっても 導かれて与えられているのです。 その与えられている環境の中に 使命があるのです。 使命というのは 現実の使命と 未来の使命があります。 現実の使命を全うしながら 未来の使命を全うする準備を することができるのです。 なので どんな環境であったとしても 集中し、投入する歩みをすることで 現実の使命の全うと 未来の準備ができるのです。 現実の歩みというのは 厳しいのですが その厳しさの中で 成長することができるのです。 今の時代の厳しさというのは 恵まれた環境の中での 厳しさなのです。 いくらでも妥協することができ 流されてしまう環境の中で 基準を立てる、上げることで 使命を全うすることができるのです。 生きていくだけであれば 無理して頑張る必要はないし 努力をする必要はありません。 ただ、生きていくだけであれば 何も目指すこともないので 何の生きがいも感じられないので 空しさばかりを感じるようになります。 過去の時代では 「豊かになる」という 何となくでも 目標があったのですが 今の成熟時代では 豊かになることを 目標にすることができないのです。 外的な環境が 成熟しているので 内的な成熟を求める 時代になったのです。
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【自分次元の願いだけでは空しくなる】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の恩恵によって 次元が上がり より大きな目的を 実現させる次元に 上がっていきます。 今の時代で、自分次元の願い 意識だけでは空しくなってしまうのです。 時代の恩恵に合わせる 波動に合わせることで 心霊が満たされるのです。 より大きな目的は 漠然としていてもいいのですが 大きなことを目指している感覚で 歩んでいくことで 時代の波動と恩恵を 感じることができるのです。 大抵、空しさを感じている人は 受け身でいて、自分次元のことしか 考えていないのです。 受けることしか考えていないし 自分次元の小さなことしか 目指そうとしていないのです。 過去の時代では それでも良かったのです。 受け身でいても 自分次元の意識でも 通用していたのですが 今の時代では 通用しないのです。 なぜなら 環境が変化することで 人の心理も変化しているので 過去の時代の感覚では 空しさを感じるのです。 外的な環境が恵まれた今の時代は 内的な境地を満たすことを 我知らず求めるようになるので 空しさを感じるのです。 より大きな視野、次元を 目指していくことで 内的な境地を満たすことができ 何をするにしても より大きな目的と 一致させる歩みができるのです。 現実的な歩みというのは 大したことはできないのですが 現実的な歩みが 全てに連結されています。 なので、意識を大きく広くしても 空しさを感じないのです。 目の前のことに 最善を尽くすことが 全てに連結されていくので 真剣に投入する歩みができるのです。 何をするにしても 馬鹿みたいに 真剣に投入してみてください。 私たちには、
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【できる範囲の幅を広げる】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは できる範囲でしか 歩めないのですが できる範囲の幅を 広げていく意識が 必要なのです。 人の心も身体も 最初は限界に感じていたことも 続けていくことで 慣れてくるのです。 身体であれば 最初は腕立て伏せ10回が 限界であったとしても 続けていくことで 身体が慣れてきて 簡単にできるようになるのです。 限界基準というのは 最初は苦しいのですが 続けていくことで 慣れてくるのです。 その慣れたときに 負荷をかけていかないと 基準を上げることが できなくなるのです。 できる範囲の幅を 広げていくことで 基準を上げる歩みが できるようになるのです。 ただ、限界基準は 非常に苦しく感じるので その苦しさを感じたくないので できる基準の幅を 広げたくないのです。 投入する歩みというのは 限界を感じる歩みを 積み重ねることをいいます。 理屈的には 簡単そうなのですが 実際は簡単ではないのです。 できる範囲の幅は 一気に広げないで 少しずつ広げていくことを 意識してください。 一気に広げて 挫折をしてしまったら 元も子もないので 「ちょっと無理をする」という 幅の広げ方でいいのです。 負荷をかけても 挫折しないためには 習慣の力と体質にする 必要があります。 習慣は3週間で身につき 3ヶ月続けることで 体質になっていきます。 体質というのは 良くも悪くも 変えるのが大変なのです。 努力をする 体質にしてしまえば 多少負荷をかけたとしても 体質的に挫折ができなくなります。 挫折ができない体質から できる範囲の幅を より広げていくことが できるようになる
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【全てを知っているという勘違いの危険性】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちがどんなに学んでも 知っていることはごく一部の ことだけなのです。 現実的に全てのことを 学ぶことができないので 全てのことを知ることはできません。 なので どんなに学んだとしても 常に学ぶ姿勢が必要ですし 教えるときも ごく一部のことを 教えていることを 忘れないでください。 「これだけを知っていれば  全てが上手くいく」 という教えはありません。 なので 常に学び続けていくことが 必要なのであり 今は生涯現役時代なので 生涯学習が必要なのです。 知っていることは 教えることができるのですが 知ったがぶりをしてはいけないのです。 誰も全てのことを 知っていることを 望んではいないので 知らないことがあっても 何の問題もありません。 というより 知っていることよりも 知らないことの方が 圧倒的に多いのです。 今の時代の学びというのは 必要性を感じることを 学べばいいのです。 人それぞれで 必要性を感じることが違うので 何を学ぶのかは 自分で決めるしかないのです。 自分で決めることで 偏りが生じるのですが その偏りによって 必要なことが見えてくるのです。 「これだけは知らないといけない」 という教えはありません。 自分で必要性を感じること しっくり来ることを学ぶことで 自分の軸が決まるのです。 必要性というのは その時その時で変わるし 成長することで 変わっていくのです。 今必要に感じていることを 学んでいくことで 次の段階が見えてくるのです。 必要性を感じていることでないと 学び続けることができなくなります。 勉強嫌いな人は 義務、強制的
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【運勢のバイオリズムと調和】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢のバイオリズムによって 宇宙のバランスが取れているのです。 バイオリズムというのは 良い時、良くない時と 感じることなのですが その感じる境地は その人の主観であって 宇宙的な観点からは バランスが取れているのです。 誰でも運勢が良いことだけを 願うのですが 良いという基準は 人それぞれで解釈が違います。 大抵の人は 導かれたときに 運勢の良さを感じるのですが 導かれないとき 抑えられている時期の代償によって 導かれていることを 忘れてしまうのです。 全ての結果には 原因があるのですが 結果だけを見てしまうと 原因が見えなくなってしまい 結果に振り回されてしまうのです。 基本的には 運勢は常に良いのです。 バイオリズムというのは 上がったり下がったりしますが バイオリズムの上がり下がりに 振り回されてはいけないのです。 バイオリズムが上がっていて 導かれているときも 必要以上にテンションを上げないで 冷静さを保つことが必要なのです。 結果に左右されないというのは 結果が出ても、出なくても 左右されないということです。 変わらない努力を 続けていくには 目の前の結果に 振り回されてはいけないのです。 より大きな目的を 目指していくのであれば 目の前の結果というのは 小さな結果にすぎないのです。 自分次元の基準では 大きかったとしても 世界次元、宇宙次元では 微々たる結果だということです。 視野を限りなく大きくすることで 目の前のことに振り回されないで 歩むことができます。 運勢というのは 変わらない境地で 歩み続けることで 感じることができる
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【願いと努力を一致させる】

日常的スピリチュアル、安田です。 願うことと努力を 一致させることで 物事を成すことが できるのですが 一致させることが できていない人が多いのです。 高い基準のことを願うのであれば 高い基準で歩むことが必要なのですが 一致していないのです。 願うことで一致していくのですが 願うことに恐怖を感じてしまうことも あるのです。 なぜなら、何かを願うというのは 変化をもたらすからです。 私たちは 変化を願っているようなのですが 変化に恐怖を感じているので 根底では願っていないのです。 なので、表面的な願いと 努力を一致させることが できないのです。 願いと努力を一致させるには 根底で何を願っているのかの 把握が必要なのです。 変化を願っているのか 現状維持を願っているのかを 把握してください。 変化を願うことができれば 変化する努力ができるのですが 変化が願えない場合は 変化の必要性を意識してください。 転換するためには 変化を願うことが 必要なのです。 とくに今の時代は 現状維持ができないので 否応なしに変化するしかない 現状でもあるのです。 今の時代の願いは より大きな目的を目指す 願いが必要なのです。 時代の波動が より大きな目的を 基準にして流れているので 自分次元の願いでは 時代の波動と合わないのです。 漠然とでもいいので より大きなことを 目指していくことで 目指すことと努力を 一致させることができます。 自分次元の目的のために 基準高く歩むことが できない時代になったのです。 一個人の成功基準というのは たかが知れているのです。 それよりは より大きな目的を 目指してい
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【動機、目的を明確にする方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 動機、目的を明確にするのは 面倒に感じるのですが 明確にしないと 歩み続けられなくなります。 なぜなら、何のために 何を目指していくのかが 明確でないと 歩めない時代だからです。 過去の時代は 漠然とながらでも 成熟することを 目指してきたのですが 今は成熟した時代なので 次の段階を目指していくべき 時代なのです。 より便利に、より快適さを 目指すことができたのが 過去の時代であったのですが 今や便利さ、快適さは それほど求められていないのです。 完全完璧な環境では なかったとしても 過去の時代ほどに 便利さ、快適さを 求めなくなったのです。 これは時代の恩恵であり 現代人には次の段階のことを 目指すことが願われているということです。 動機、目的を明確にするまでは 何もしなくてもいいのです。 「とりあえず何かをする」となると 大抵はそのまま流されてしまい 動機、目的を明確にできないまま 時が過ぎてしまうのです。 ひたすら自分と向き合うことで 動機、目的を明確にすることができ 明確にすることで 歩みの原動力ができるのです。 何もしないことに 抵抗感がある人がいますが 何もしないことで 何かがしたくなり 歩む動機、目的を 明確にすることができるのです。 動機、目的を明確にしやすい環境が 暇と孤独を感じる環境なのです。 何の生産性もない環境なのですが 自分と向き合える最も贅沢な 環境でもあるのです。 現代人は焦って何かを しようとしなくてもいいのです。 それこそ 半年、1年くらいは 何もしない時期があっても いいということです。 現実の環境も 鎖国の
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【運勢を開く感覚】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢を開く感覚というのは オープンにするような感覚であり 身体を開く感覚のことをいいます。 感覚的に全てを開くことで 全てを受け入れることが できるようになるのですが 全てを開いた境地が 悟りの境地なのです。 究極の悟りの境地というのは 全てが統合されている境地であり 元々一つのものであったことを 感じることができるのです。 現実の私たちは 全てを開くまでには 至っていないし ある程度も開いていない 状態なのです。 開くといっても 全てをオープンに することはできないのですが 開いている感覚が必要なのです。 開くためには ありのままの自分と向き合い 受け入れることが必要なのです。 他の人に受け入れてもらうのは 簡単ではないので 自分で自分を受け入れることで 心を開くことができるのです。 瞑想の習慣によって ありのままの自分と 向き合うことができ 心が開かれていくのです。 瞑想を始めると 雑念に悩まされるのですが その雑念がありのままの自分なのです。 雑念に耐えられないのは ありのままの自分と 向き合いたくないのと 受け入れたくないからです。 ありのままの自分というのは 本来の自分ではありません。 今までの外からの刺激によって 後天的に出来上がった自分であり 本来の自分ではないのです。 湧き上がってくる思いというのは 本来の自分ではなく 先祖代々、歴史的に 引き継がれてきた思いなのです。 なので ありのままの自分といっても 本来の自分ではないので 卑屈になる必要はないのです。 本来の自分というのは 雑念で覆い隠されているので 瞑想の習慣で流してい
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【波動と運勢】

日常的スピリチュアル、安田です。 良い波動を出せば 良い波動が返ってくるのは 宇宙の法則なのです。 運勢を良くしたければ 良い波動だけを 出していけばいいのです。 運勢が良いというのは 良いことだけが 起こるということではなく 良いと感じていることをいいます。 私たちは 運が良い、悪いと 表面的なことで 判断してしまうのですが 何が起こっても 運が良いと感じている人は 運が良いのです。 感じている境地というのは 勝手な主観でどうにでも 変えることができるのです。 運勢の良し悪しの基準を 高くしてしまうと 運勢の良さを感じられなく なってしまうのです。 基準を限りなく 下げていくことで 生きているだけでも 運勢の良さを感じることが できるということです。 実際、運勢の良し悪しは 計りようがないので 勝手に思い込んでいればいいのです。 思えなくても 運勢が良いように 考えていればいいのです。 運勢が良ければ 良い波動しか 出せなくなるのです。 あるいは 良い波動を出すことで 運勢が良くなるのです。 私たちができることは 出す波動を意識して 良い波動を出すことなのです。 良い波動を出していくには 良い波動の影響を受けることが 必要なのです。 良い波動は 学ぶことで受けることができ 学んだことを教えることで 良い波動を出すことができるのです。 言葉には波動があるので 良い言葉を身につけることで 良い波動になるのです。 良い波動の感覚というのは 誰でも分かるのですが 感じている境地から 波動が分かるのです。 感じている境地を 言語化することで 波動の認識ができるのです。 ただ、現実の環境
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【建設意識で歩む時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 建設意識で歩むことで 希望や可能性を感じることができ 投入する歩みができるのです。 私たちの歩みには 希望や可能性が必要なのです。 ただ漠然と歩んでいても 何のために歩んでいて どこに向かっているのかが 分からなくなり 希望も可能性も 感じられなくなってしまうのです。 今の時代には 歩む動機、目的が必要であり 建設意識が必要なのです。 なぜなら 時代が成熟しているからです。 無理に頑張る必要がないので 動機、目的がないと 歩み続けることができなくなるのです。 「何のために歩むのか」ということを 今まで考えてこなかった人は 非常に面倒に感じるのですが 動機、目的がない歩みでは 惰性的な歩みになってしまうのです。 そして、今の時代は 頑張る時代ではなく 努力を積み重ねていく 時代でもあるのです。 頑張るというのは その場限りの頑張りなのですが 努力というのは 積み重ねることができ 建設することができるのです。 投入する歩みというのは 建設することに 連結されていくのです。 投入することで 歩む基準を上げることができ 基準高く歩むことができるのです。 頑張るというのは 環境の制限によって それ以上やりようがない 場合がありますが 努力というのは 基準を上げ続けることが できるのです。 無限に基準を上げ続けることは できないのですが 今までの常識基準以上に 上げ続けることができます。 常識基準の限界というのは その時代では低い基準なのです。 過去の時代の基準よりも 上がってはいくのですが その時代の基準では低いので 常識基準に合わせてはいけないのです。
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【自分軸からの成長】

日常的スピリチュアル、安田です。 自分軸を確立することも 成長であり 確立することで さらに成長することが できるのです。 自分軸の確立は 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動によって 確立することができます。 基本的なことを コツコツと続けることで 自分軸の確立ができるのです。 ただ、自分軸を確立する意識が 必要なのです。 今まで、自分軸を 意識してきた人は 少なかったのですが 今は自分軸からの歩みが 必要な時代なのです。 なぜなら 答えがない時代だからです。 答えがないので 自ら答えを見い出すことが 求められているのです。 自分軸というと 自分に自信がない人は 抵抗がありますが 何を基準にして 歩むかということなのです。 外に答えを求めても 見つけることができないので 自分の内に答えを 求めるしかないのです。 答えを自分の内に求めることで 今の答えを見い出すことができ その答えを基準にして歩むことが できるようになります。 今の答えなので 答えは変化しても いいということです。 答えというと 絶対に一つしかないような 印象がありますが その時その時で 答えを変えてもいいのです。 自分軸からの答えも 目指すことは変わらないのですが どのように目指していくのは いくらでも変えてもいいのです。 自分軸というのは 目指すことが 明確になっているので 手段は何でもありなのです。 何を目指していて 何のために歩んでいるのかが 明確になることで ブレない軸の確立ができるのです。 今は、一人一人で 目指すことを決めることで 時代の波動に合わせることが できるのです。 自分
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【存在感を出す方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 存在感というのは うるさくしたり 目立つことで 出せるのではなく 感じさせることなのです。 感じさせるというのは 理屈ではなく 深い境地から 感じられることをいいます。 うるさくしていても 目立とうとしていても 印象に残らなかったり 存在を感じられない 場合があります。 逆におとなしくしているのに 目立ってしまったり 印象に残ったり 存在を感じられる 場合があるのです。 影響が与えられる人というのは 存在感があるのです。 存在感があると、良くも悪くも 影響を与えてしまうのです。 霊的指導には 存在感が必要なのです。 存在感が強いと 大したことをしていなくても 影響を与えることができ 導くことができるのです。 大抵の指導というのは 基本的には同じなのです。 一言で言えば 「努力をしなさい」 ということであり それ以上でもないし それ以下でもないのです。 同じように指導しても 同じ言葉で指導しても 導けるか、導けないかは 影響力の違いであり 存在感の違いでもあるのです。 位置や立場で 存在感が出すことが できるのですが 今の時代は 見抜かれてしまうので 自分ができていないことを 指導してしまうと 影響が与えられないのです。 今までの時代は 自分ができていないことでも 知的に知っていれば 影響を与えることができたのですが 今は見抜かれてしまうので 非常にやりにくい 時代でもあるのです。 表面的な指導 わざとらしい指導が 通用しないのです。 なので 本物になるしかない 時代でもあるのです。 というと 「私は指導者ではないので・・・」と 考えてしまう人が
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【正解がない時代での歩み方】

日常的スピリチュアル、安田です。 正解がない時代に 正解を探そうとしても 無駄な歩みになります。 そもそも 正解というのは 分かるようで 分からないことであり 「これだけが正解」 ということはありません。 私たちの思考は ハッキリと決着を つけたがるのですが 決着をつけられることはないのです。 宇宙の法則、原理原則は 永遠に変わらないのですが その他のことは 常に変化していくのです。 正解、不正解も 時代の変化によって 変化していくのです。 過去の時代では 正解であっても 今の時代では 不正解になるし 逆に過去の時代では 不正解だったことが 今の時代では 正解になることもあります。 ただ、正解、不正解という 決着をつけることはできないのです。 なぜなら 正解がない時代だからです。 正解がない時代では 自分軸で歩むしかないのです。 自分軸を確立して 感じている境地を 基準にして歩むことが 求められています。 人それぞれで 自分軸を持っているので 自分の軸を 他の人に押しつけては いけないのです。 自分の歩みをどうするかは 自分で決めればいいのです。 今までの時代は 決められてきたのですが 今は自分で決めて 歩む時代なのです。 自分軸で歩むといっても 完全完璧である必要はありません。 自分で決めた通りに 歩んでいけばいいのです。 私たちは決めなければ 歩めないので 決める力が 必要なのです。 「決断力」というと 力んでしまうので 「決める力」という 緩やかな意識によって 決めやすくなります。 決めた通りに 歩めるようになることで 心理的な自由を 感じることができるのです。 自分軸で
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【自分軸で学ぶ】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の転換期は 混沌とするので 何を基準にしたらいいのかが 分からなくなります。 何も基準にすることが できなくなっていくので 自分の軸が必要なのです。 良い意味で 自分の軸しか 信じられなくなり 自分の軸を基準に 歩むしかないのです。 自分の軸を信じて 歩むというのは 感じている境地を 基準にするということです。 何を見ても、聞いても どう感じているのかを 基準にするということです。 自分軸で学ぶというのも 学ぶことを通して どう感じたかを 基準にするということです。 今の時代の学びというのは 知識の暗記ではありません。 覚えるというよりは 感じている境地を 掘り起こすような感覚の 学びが必要なのです。 深い境地で学ぶことができれば 深い境地で覚えることができるのです。 無理な暗記教育ではなく 自然に覚えられる 学びが必要なのです。 自分軸で学ぶことで 学ぶ基準の軸を立てる ことができます。 自分に合った 学び方ができるようになり 効率的に、効果的に 学ぶことができるのです。 人それぞれで 学びのセンスが違うので 自分に合った学び方があるのです。 学ぶ方法、テクニックは 参考にする程度にして 自分の軸を基準にした 学び方を確立してください。 学びというのは 一時的、一定期間だけ 学ぶのではないので 焦って学ぶ必要はないのです。 一気に学ぶことではなく 長期で学ぶことなので 自分のペースで学べばいいのです。 私たちには 受験もテストもないので 無理な暗記は必要ないし 焦る必要はありません。 毎日、コツコツと学んで 自分の軸を確立しながら 感じて
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【日常の歩みの重要さを感じる】

日常的スピリチュアル、安田です。 日常の歩みは 流されやすいのですが 最も重要なのです。 基本的には 同じようなことの 繰り返しではあるのですが 日常の歩みの中で 成長ができ、転換ができ より大きな目的に向かう 歩みができるのです。 特別な環境というのは 一時的であり 一定期間なのですが 日常の環境というのは 時間、期間が決められていないので 流されやすいのです。 日常の歩みを極めることで 基準を上げる歩みが できるようになりますが 日常が流されていては どんどん下がるような 歩みになってしまいます。 これから、より日常の歩みが 重要になっていきます。 現実的に、テレワーク リモートワークが進むことで 集まらないで歩むようになり 日常と仕事の切り替えが しにくくなっていきます。 自由を感じながら 歩むことができますが その分、自己管理 時間管理が必要になるのです。 管理される時代は 必然的に終わり 自分で自分を管理していくので 流されない歩みが 求められてきます。 日常が流されないようにするコツは 前倒しの歩みを意識して 何をするにしても 先にやってしまうのです。 先にやってしまえば やったことを 取り消すことはできません。 どこかに行く場合も 先に現地に行ってしまい 待つようにしてください。 時間が来てから 動くのではなく 時間が来る前に 動いてしまうのです。 前倒しの歩みが できるようになれば 何をするにしても リズム的に歩むことができ 楽に歩むことができるのです。 何をするにしても 早め早めに歩める人は 基準高く歩んでいるように 見えるのです。 大抵の人は 時間に合わせた
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【本番意識によって、前倒しの歩みができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちの全ての歩みは 本番なのです。 努力をしているときも本番ですし 何もしないでダラダラとしているときも 本番なのです。 本番意識が弱いと 流されてしまうのです。 日常の歩みというのは そう大きくは変わりません。 同じようなことの 繰り返しなので 惰性的になりやすいし マンネリ化しやすいのです。 常に新鮮に歩むことができれば 積み上げる感覚で歩めるのですが 新鮮さを保つことは簡単ではないのです。 同じようなことを繰り返しながら 新鮮さを保つことで 確実な歩みができるのです。 全ての瞬間は 最初で最後なのです。 時間の流れは 前に進むことはあっても 逆行することは 絶対にありません。 時代の変化が 逆行しないのは 時間が逆行しないからなのです。 過去の時代のような環境には 二度と戻らないので 前に進むしかないのです。 完全な新鮮さは 保つことはできませんが 本番意識を持つことで 今の瞬間に集中することができます。 本番意識によって 前倒しの歩みができ 前倒しの歩みで 基準が上がるのです。 どうせやるべきことであれば 前倒しの歩みをして 基準を上げてください。 前倒しの歩みをするためには 前倒しの習慣が必要なのです。 何をするにしても 時間が来てから 動くのではなく 前倒しで動いていくことで 前倒しの習慣ができ 体質になっていきます。 どうせやるべきこと どうせ行くべき場所であれば 良い意味で時間に 合わせるのではなく 時間が来る前に 先に動くのです。 前倒しの体質になってしまうと 実際には遅れていなくても 自分の基準で遅れてしまうと 罪悪感を感
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【運勢のバイオリズムを悟る】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢にはバイオリズムがあり 上がるときもあれば 下がるときもあります。 常に上がりっぱなし 下がりっぱなしということは ありません。 この上がり、下がりというのは バランスを保つために必要なのです。 常に上がっている状態を 保っていきたいのですが 残念ながら それはできないのです。 上がったのであれば 下がらないといけないのです。 例えば、山に登ったら 下りて来なければ 遭難になってしまいます。 登ったままの状態は 危険だということです。 上がるときは行ける所まで行き 基準を立てることが必要なのですが 下がるときは 必要最低限の歩みを していけばいいのです。 バイオリズムを悟ることが できるようになれば バイオリズムに合わせる 歩みができるようになります。 バイオリズムを悟るといっても ピンと来ない場合は 意識をすればいいのです。 誰でも上がっているときは 調子よく歩めるのですが 下がっているときが より重要なのです。 必要最低限の歩みをしながら じっと忍耐しながら 時を待つしかないのです。 必要最低限の歩みというのは 準備をするということです。 必ず運勢が上がることを 漠然と信じていきながら 飛躍するための 準備をする時期なのです。 私たちは運勢の影響を 受けています。 運は運ぶことではあるのですが 運べる時期と、運べない時期があり 自分の力だけでは どうにもできない時期があります。 運勢が下がっているから 悪いということではありません。 必要な充電期間として 与えられているのです。 充電しているときに 無理に動いてしまうと 充電し切れなくな
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【波動時代の歩み方】

日常的スピリチュアル、安田です。 波動時代というのは 文字通り波の時代なので 上がり下がりが激しいのです。 波というのは 無理に逆らったり 越えてはいけないのです。 波に合わせて深く潜るか かわしていくことで 波の影響を受けないのです。 今は変化が早くて 大きい時代なので まともに逆らうことはできないし 波を越えることはできないのです。 気合、根性で無理に逆らうのではなく 波の動きに合わせながら 波の力を活かしていけばいいのです。 現実的な歩みは 今の環境を極端に 変えようとしないで 今の環境の中で 最善を尽くせていれば いいということです。 時代の波動というのは それこそ大波であり 津波以上なのです。 太刀打ちできない波に 逆らうのではなく 波の力を活かしていくことで 自分の実力を越えた基準で 歩むことができるのです。 時代の波動の恩恵は 大きいのですが 恩恵というのは 何かが実現するだけではなく 歩みやすくなることでもあります。 歩みやすくなれば 基準高く歩むことができるので 成長欲求を満たしながらの 歩みができるのです。 時代の波動に合わせるというのは 感覚的になるのですが 深い境地で感じていることを 基準にしていくことで 波動に合わせることができます。 波動というのは 見えない境地なので 感じるしかないのです。 自分が感じている境地を 把握することで 時代の波動に合わせる歩みが できるようになるのです。 時代の波動に合わせることで 無理に今の環境を変える必要がないことを 感じることができるのです。 環境の変化は導かれないと 成されていかないのです。 無理に環境を変えよう
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【自分次元を越えた境地】

日常的スピリチュアル、安田です。 自分次元の境地では 非常に視野が狭くなり 目指すことが 小さくなってしまうのです。 過去の時代は ステータスの価値観が 強かったので 自分次元の視野でも 歩むことができたのですが 今の時代では歩みにくいのです。 なぜなら 時代の波動が 変わっているからです。 時代の波動が変わることで 外的にも成熟しているので ステータスに価値を感じなく なっています。 多くのモノ 大きなモノ 珍しいモノに 価値を感じなくなり 必要最低限のモノでも 満足できるようになったのです。 いかに身軽になれて 心理的な自由を感じられるかを 価値視するようになり ステータスに対しての 興味関心が無くなっています。 ステータスの価値観は だんだん小さくなり 広い大きな視野から見る価値観が 大きくなっていきます。 自分次元の視野を越えることが 価値視されるようになり より大きな目的のために 歩みたくなっていくのです。 成熟時代では 自分次元の歩みでは 物足りなくなり 空しくなっていくのです。 成熟されているといっても 現実的には格差があるのですが 必要最低限の衣食住が できているのであれば 成熟しているということです。 成熟の基準を 下げていくことで 成熟していることを 感じることができるのです。 成熟していることを 感じていくことで より大きな視野で見る 余裕ができるのです。 現実的には 様々な課題、問題が あったとしても より大きな視野から見れば 大したことがないことを 感じることができます。 自分次元を越えた境地で 物事を見ていくことで より大きな視野で 見ることができま
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【混沌さの中で求められること】

日常的スピリチュアル、安田です。 混沌としている中で 求められることは 感じる境地で歩めるように なることなのです。 混沌としているので 何を軸にして 何を基準にしたらいいのかが 分からなくなるのです。 混沌としているので 方向性を見い出すことが できなくなるのです。 今は、誰も 明確な答えを出すことは できないのです。 答えがないので 答えを出すことが できないのです。 答えというのは 見つけることではなく 自ら見い出すことなので 感じる境地から 見い出せる力が必要なのです。 感じる境地というと 何となく曖昧で ハッキリしないので 頼りなさを感じるのですが 感じていることを 言語化していくことで 感じる境地で 歩むことができます。 転換時代は 混沌とするのです。 古い価値観が壊されて 新しい価値観が芽生えてくるので 混沌とするのです。 破壊と創造が 成されるので 混沌とするのですが 混沌とする中で 実力を身につけることが できるようになります。 混沌としている時期は 長く感じるのですが 必ず過ぎ去るのです。 いつ過ぎ去るのかは 分からないので じっと耐えながら 歩むしかないのです。 混沌さは 避けることは できません。 感じたくない感情を 感じるようになりますが 感情の転換には 必要なことなのです。 感じたくない感情を 感じている中で 感じていることを 軸にして、基準にするので より混沌としやすいのですが 感じている境地の把握ができれば 自分で答えを見い出すことができます。 感じている境地で 歩むというのは 直感的に歩むことをいいます。 ある意味 答えが無いので 何が正しくて
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【直感の基準を上げる方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 与えられる直感というのは 今の基準に合った直感が与えられます。 直感の基準を 上げていくには 基準が上がることを 学ぶことが必要なのです。 基準が上がる学びというのは できていないこと できそうもないことを 学ぶことをいいます。 基準を上げるというのは 高い基準を目指すことをいい 低い基準に合わせる ことではありません。 できていないこと できそうもないことを学ぶことは 苦しいことなのですが 苦しいことを学ぶことで 成長することができ 基準を上げることができるのです。 基準というのは 上げていかないと 下がってしまうのです。 私たちは現状維持を 保っていくことはできないので 向上するか、衰退するかの どちらかしかないのです。 直感の基準を上げるには 学習力の強化が必要なのです。 学習力というのは 学び続けられる力であり 学んだことを 活かすことができる 力のことをいいます。 学んだことを活かすためには 徹底的に学び続けて 脳を転換させることで 意識が転換され 感情が転換されることで 学んだことが活かせるのです。 そして、学習力を強化させることで 直感力が鋭くなっていき 高い基準の直感が 与えられるのです。 どんな人にも 直感が与えられていますが 今の基準に合った 直感が与えられています。 そして、今の基準に必要な 直感が与えられるのです。 直感と言うと 全てをスムーズに 導いてくれるような 印象がありますが 今の基準に必要なことが 与えられるのです。 失敗が必要な人には 敢えて失敗するよ
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【不安に感じていることを資本にする】

安田です。 誰でも不安は感じたくはないのですが 何らかの影響によって感じてしまうのです。 感じたくない感情は 無意識に避けたくなるのですが 感じることというのは 避けることができないのです。 不安は誰でも感じています。 不安を感じることは 悪いことでなく 不安に支配されて 身動きが取れなくなってしまうと 前に進めなくなってしまうのです。 不安を感じていいので その不安を課題に変換することで 資本、資産にすることが できるようになるのです。 ただ、不安は感じたくない感情なので 無意識に拒否し、受け入れたくないのです。 なので、何とか不安を 感じないようにするのですが 湧き上がってくる思いというのは どうすることもできないのです。 せっかく 不安が湧き上がってきているので 資本に変換する意識して 感じている境地を 転換できる技能を 身につけることで 不安が資本になっていきます。 不安は誰でも感じていますが ほとんどの人は 不安を感じないようにするか 不安に押し潰されそうになるのです。 とくに混沌としている時期は より不安を感じるようになります。 「感じるな」というのは 無理なことなのです。 私たちに必要なのは 湧き上がってくる感情を 抑えることではなく その感情を転換して 資本にすることなのです。 人が感じている境地は 似たり寄ったりなので 感情の転換ができれば どんな境地でも 資本にすることができるのです。 転換力を身につければ どんな感情でも 資本にすることができます。 転換には 価値観の転換 意識の転換 心情の転換
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オガワの名言145

【幸せの基準は人が決めるのではなく自分が決める】
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