【混沌さの中で求められること】

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日常的スピリチュアル、安田です。

混沌としている中で
求められることは
感じる境地で歩めるように
なることなのです。
混沌としているので
何を軸にして
何を基準にしたらいいのかが
分からなくなるのです。
混沌としているので
方向性を見い出すことが
できなくなるのです。
今は、誰も
明確な答えを出すことは
できないのです。
答えがないので
答えを出すことが
できないのです。
答えというのは
見つけることではなく
自ら見い出すことなので
感じる境地から
見い出せる力が必要なのです。
感じる境地というと
何となく曖昧で
ハッキリしないので
頼りなさを感じるのですが
感じていることを
言語化していくことで
感じる境地で
歩むことができます。
転換時代は
混沌とするのです。
古い価値観が壊されて
新しい価値観が芽生えてくるので
混沌とするのです。
破壊と創造が
成されるので
混沌とするのですが
混沌とする中で
実力を身につけることが
できるようになります。
混沌としている時期は
長く感じるのですが
必ず過ぎ去るのです。
いつ過ぎ去るのかは
分からないので
じっと耐えながら
歩むしかないのです。
混沌さは
避けることは
できません。
感じたくない感情を
感じるようになりますが
感情の転換には
必要なことなのです。
感じたくない感情を
感じている中で
感じていることを
軸にして、基準にするので
より混沌としやすいのですが
感じている境地の把握ができれば
自分で答えを見い出すことができます。
感じている境地で
歩むというのは
直感的に歩むことをいいます。
ある意味
答えが無いので
何が正しくて
何が間違っているのかは
誰にも分からないので
直感的に歩んで
自分で答えを
見い出せばいいのです。
感じている境地を
把握するためには
言語化できる力が
必要なのです。
学ぶことで
言葉を身につけることができ
感じていることを
掘り起こすことができます。
私たちは
感じている境地では
全てを知っています。
全てを知っているのですが
言語化できないと
認識ができないのです。
認識ができなければ
答えを見い出すことはできません。
直感というのは
ある日突然
啓示のように
与えられますが
与えられるためには
言葉を身につけている
土台が必要なのです。
何も学んでいなければ
直感が与えられても
認識ができないのです。
学ぶ努力が必要なのは
知識を増やすことだけではなく
直感を受けるためにも必要なのです。
啓示というと
神秘的な体験から
与えられるような
印象がありますが
神秘的な体験ができる人は
ごく一部の人だけなのです。
特別な使命によって
神秘的な体験をするのですが
その使命を悟れないと
神秘的な体験が
仇になることもあります。
大抵の人は
神秘的な体験は
できないのですが
神秘的な体験ができなくても
直感的に歩むことはできるのです。
霊的に敏感な人は
神秘的な体験が
しやすいのですが
霊的に鈍感でも
直感的に歩めれば
自分軸で
歩むことができます。
混沌としているからこそ
より内的なことを
求めやすくなるのです。
外的な環境に
限界を感じることで
内的なことを
求めるようになり
内的な基準で
歩むことができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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