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情報を最小限にしてみる

私たちの周りには情報が多すぎます。秒速単位で発信される最新情報。あれもこれも気になってしまうから振り回されてもうくたくた。そんな疲弊した中では、本当に必要とする情報を入手する感性が鈍ってしまうのではないかと私自身懸念することがあるのですが、皆さんはいかがでしょうか?特にスマホはとても手軽なツールで、ここから吸収される情報量は計り知れません。この、超画期的な文明の利器が発売されたばかりの頃のことです。電車の中でスマホを見続けている人がいます。画面を凝視しすぎて目が疲れてしまい、頭痛さえ伴っている様子です。そのうち目を閉じて、しばし顔を上げたものの、またすぐ画面に目を向けています。「なんでそこまでして携帯を見ているんだろう?」当時の私はまだスマホを持っていなかったので、その見慣れない行為に驚いて、申し訳ないのですが思わず笑ってしまったことがありました。でも、実際に自分がスマホを購入したら、はじめは気を付けていたのにどうでしょう。あまりの利便性に慣れてしまって、先ほどのひとと同じことをしているのです。スマホ画面を知らず知らずのうち見続けては疲れていました。家でもすきま時間があると、ついスマホを手に取ってしまいます。そこであ、いけない!と気が付いてベッドにぽーん、と投げてみる。そんな動作を何回繰り返したことでしょう。また気が付くと無意識にスマホを取りに行きます。それでも《どうでもいい何か》を見ようとしてしまうのです。これではいけない、と一念発起しまして、今はかなりスマホ時間を削減しました。でもちょっと気を緩めるとまたもとの木阿弥に戻ってしまうので、日頃からかなり意識して気を付けるように
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【発展につながる依存】

日常的スピリチュアル、安田です。 依存することは 成長過程では 必要なのですが 成長するにつれて 依存の質が変化していきます。 ただ受けるだけの依存から 与える、投入する依存に 成長していくことで 発展につながる依存が できるようになります。 成長欲求を満たすことに 依存症になってしまうと 努力することに依存して しまうのです。 その境地に至ると 高い基準で歩めるようになるのですが 身体が持たなくなってしまうので 本能のブレーキが必要になります。 理想的な依存というのは 受け身で依存し切ることで これ以上、受け身でいることが 苦痛に感じるようになり 与える、投入することに 依存するようになることです。 ただ、受け身で依存し切れた人は ほとんどいないのです。 受け身で依存し切れなかった 心理的なバランスの崩れによって いつまでも受け身体質に なってしまっている人が多いのです。 現実的に、理想的な成長 健全な成長ができている人は ほとんどいません。 これは誰が悪いということではなく 先祖代々、歴史的に続いてきたので どうにもできないことでもあります。 ですが、時代の恩恵によって 成長ができる環境が整い 健全な成長ができる環境が できています。 受け身で依存し切れなかったとしても 成長欲求を満たす努力が できるようになれば 健全な成長ができ 発展につながる依存が できるようになります。 環境が成熟することで 受け身だけでいることに 違和感を感じるようになり 成長につながる努力が できるようになったのです。 育ってきた環境 受けてきた教育は 今さらどうにもできないので 時代の恩恵 環境
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【みっともない言い訳思考】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな言い訳でも みっともないのですが 「やろうと思った」という言い訳は よりみっともないのです。 私たちの言い訳思考は 天才的なのですが その思考力を用いる方向を 変えることができれば 天才的な思考ができます。 言い訳というのは している自覚がないので みっともなさを感じないのですが 言い訳をしている 自覚ができれば どうにもできないことに 言い訳していることを 認識することができます。 言い訳思考は 天才的なのですが 言い訳をしてしまうと それ以上のことを 考えることができなくなり 前に進めなくなります。 何をしたらいいのかが分からない どう努力をしたらいいのかが 分からない人がいますが 言い訳ができることは やろうと思えばできることなのです。 全くできないことであれば 言い訳しようがないのです。 言い訳していることを 責める必要はないのですが 何に対して言い訳をしているのかを 把握していくことで できることが分かるのです。 できることが分かったとしても すぐに実行できなくてもいいのです。 実行ができるようになるには 転換が必要であり 悟りが必要なのです。 やろうと思えばできることが 見つかっただけでも 前に進んでいるということです。 できることが見つかることで できていないことに 違和感を感じるようになり 転換することができ 悟ることができるのです。 私たちには 「言い訳をしない」という プライドが必要なのです。 どうでもいいことに プライドを持つのではなく プラスになることに プライドを持つことで 発展的な歩みができるのです。 人は他人
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【目指す使命と、目の前の使命は一致する】

日常的スピリチュアル、安田です。 目指す使命というのは 生涯をかけて目指すことであり 現実的にはいつ実現できるのかが 分からないことなのですが より大きなことを 目指すことをいいます。 目指す使命は 漠然としていますが 方向性が決まっているので 軸になる使命なのです。 現実の私たちの歩みは 目の前のことに 最善を尽くす使命が 与えられています。 目の前のことしか できないのですが 全てが連結されているので 目指す使命と 一致していくのです。 私たちの視野は 限りなく大きくすることができ 限りなく小さくすることもできます。 より大きなことを目指しながら 目の前の小さな歩みをしているので 大きなギャップを感じるのですが 全てが連結されていることを 漠然とでも信じていくことで 歩みやすくなっていきます。 使命の全うというと 何となく決まっていて 縛られているような 印象がありますが 私たちの本心基準では 使命を全うしたいのです。 現実の歩みの使命と より大きな目的を目指す 歩みをしていくことで 本心基準が願う歩みが できるようになるのです。 使命というのは 与えられることなのですが 自分で悟ることでもあるのです。 使命が悟れるように 導かれていき 使命を全うするしかない 環境になっていくのです。 使命の悟りというのは 自分次元の意識ではなく より大きな目的に 連結されていきます。 中には、無意識に 使命を悟ることを 拒否してしまう人もいますが 必然的に悟るしかない 環境に導かれていきます。 現代人の使命というのは 時代を転換させる使命があります。 全く自覚がなかったとしても 転換時期
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【ハプニングをネタにして活かす】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちに起こる出来事というのは ハプニングにすぎないのです。 起こる出来事というのは コントロールができないので ハプニングのネタにして 活かしていけばいいのです。 起こっている真っ只中では 苦しさを感じるのですが 時が過ぎれば余裕を 感じることができ ハプニングを 材料にすることができます。 起こる出来事は 良くも悪くも必要なことが 与えられるのです。 どう必要なのかは 起こっているときには 分からないのですが 後から悟ることができます。 今は時代の転換期であるので 何が起こるか分からないのですが 何が起こったとしても 経験、体験として与えられます。 時代の転換期は 考えもしなかったこと 考えたくもないことが 起こり得るのです。 時代の転換期というのは 世界規模で生み変えられるので 現実的には逃れようがないのですが 転換時期の中で できることが 見つかることもあります。 苦しい境地を感じているのは みな同じなのです。 過去の時代のように 歩めなくなることで 苦しさを感じている人もいるし 「これからどうなっていくのだろう」という 未来に不安を感じている人もいます。 現実的には どうすることも できないことであれば なるようにしかならないのです。 これは、投げやりではなく 一日一日を精一杯歩んで 悔いのない歩みが できるということです。 生み変えられる時期というのは 自我が壊れる時期でもあるので 生きた心地がしないような 境地になります。 それが世界規模で 起こっているので どうすることもできないのです。 ハプニングというと あまりにも軽い 捉え
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塞き止めていたもの

体験することになった現象と時間は、 世界が命を最も優しく想った上での判断であると 捉えて生きる姿勢を持てば。 たとえ起こっている出来事や時間が如何なる状況であっても、 人々にはそれらを慈愛と希望に満ちた時間として 転換できる力が備わっている。 どこにいて、どんな時間の中にいるとしても。 どんな状態で、どんなふうに生きているとしても。 どんな決断をして、どんな道を進むことになったとしても。 そのような境遇は同じ。 平等に与えられた権利。 人間らしい主観的な意味付けや感じ方などから自身を解き放ち、 示された選択肢と世界へ飛び込んだ時。 人間らしい主観的な意味付けや感じ方に沿って過ごしていたことが、 大切な至福や豊かさを塞き止めていたことに気付くだろう。 それだけのことだったと感じられるかもしれない。 今、起こっている時間が全ての鍵。 その一瞬に全てを懸ける。 先入観、価値観、経験談、抵抗感、トラウマ。 その全てを越えて。
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【行き詰まりを感じるほどに投入する】

日常的スピリチュアル、安田です。 投入する基準を上げていくことで 限界を感じることができ 限界を感じることで 転換ができるようになります。 限界まで歩む 投入するというのは 簡単ではないのですが 転換するためには 生みの苦しみが必要なので 行き詰まりを感じるくらいの 投入が必要なのです。 私たちの無意識は 現状を維持しようとしてしまい 居心地の良さを持続させようとします。 ですが 宇宙の法則、原理原則は ありとあらゆるものは 変化し続けるようになっています。 循環というのは 変化を前提にしているので 常に変化していないと 循環ができなくなるのです。 私たちの歩みに 投入が必要なのは 宇宙の法則、原理原則に 合わせるために必要なのです。 そして、成長するため 成長欲求を満たすために 投入する歩みが必要なのです。 行き詰まりを感じるくらいに より投入することができれば そこから新しい段階の 転換ができるのです。 多くの人が 転換することを 願ってはいるのですが 実際は生みの苦しみを 感じるほどの投入が必要なので 転換することを挫折してしまうのです。 そこまでの苦しみを感じてまで 転換したいとは思わないので 転換する努力ができなくなってしまうのです。 ですが、時代が転換されているので その時代の中で生きている私たちは 否応なしに転換するしかないのです。 環境的に追い込まれることで 行き詰まりを感じるか 自分で自分を追い込んで 行き詰まりを感じるかなのです。 現実的に、現状維持は できなくなります。 一気に崩されることもあるので 現実の環境に、執着することが できなくなることもあります
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【基準高く歩めるようになる時期】

日常的スピリチュアル、安田です。 常に基準高く歩めて 最初から基準高く歩めれば 発展的な歩みしか できなくなるのですが そのように歩めないことで 葛藤することがあります。 理屈では分かっていても 転換ができなければ 知っている通りの歩みは できないのです。 誰でも本心基準では 基準高く歩んで 成長することを 望んでいるのですが その本心基準の通りに 歩めないのです。 私たちのネックになっている悩みは 悟れていないことであり 転換ができないことなのです。 悟れていれば 転換ができていれば 歩みの基準を 変えることができ 上げることができるのです。 転換されることで 基準高く歩めるように なるのですが 基準高く歩めるようになる 時期もあるのです。 転換される時期は 運勢のバイオリズムの 影響もあります。 バイオリズムというのは 上がったら下がり 下がったら上がることで バランスが取れるのです。 私たちは 常に上がっていたいのですが 下がることも必要なのです。 上がりっぱなしではなく 下がることでバランスが取れて 調和されていくのです。 山に登ったのであれば 必ず下りてこないといけないのです。 上がりっぱなしというのは 遭難してしまうことなので 必然的に下りてくるように 導かれていくのです。 運勢のバイオリズムというのは 色々な観点からの解釈があるので 参考にしてもいいのですが 固執はしないでください。 誰でも自分の運勢は 気になるのですが 運勢の良し悪しは 感じられるようになっています。 運勢の良し悪しに関係なく 努力をしていくことで いつ時期が来てもいいように 備えることができま
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【自覚することを意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは都合が良いことは 自覚をしたいのですが 都合が悪いことは 自覚したくないのです。 都合が良いことは 無意識に自覚ができるのですが 都合が悪いことは 意識をしなければ 自覚ができないのです。 自覚というのは 自分を責めて 落ち込ませることではなく 客観的に把握するために 必要なのです。 自覚が必要なのは 自覚することで 見えることがあるからです。 意図的に自覚することで 今まで見えなかったことが 見えてくることで 意識の幅を広げることができます。 自覚をするには 意図的な意識が 必要なのですが 意図的な意識をするには 意識ができるような 学びが必要なのです。 私たちが意識できることは 知っていることであり 深く刻まれていることなのです。 学び続けていくことで 自分では忘れていることが 深い境地では覚えているのです。 意識するべきことは できていないこと できそうもないことなのですが できていないこと できそうもないことを 意識することは 非常に苦しいのです。 苦しいことなので 意識し続けることは できないので 一日一回一瞬の意識を していけばいいのです。 毎日、一瞬でもいいので 意識し続けることで 意識力を強化させることができ 必要なことを自覚することが できるようになります。 必要なことというのは 成長するために必要なことであり 前に進むために必要なことなので 自分次元の都合ではないのです。 意識というのは 無限に大きくすることができますが 逆に小さくすることもできるのです。 今の時代の波動に 合わせていくには より大きな目的意識が 必
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【心霊的に理解する】

日常的スピリチュアル、安田です。 心霊的に理解するには 感じている境地の 把握が必要なのです。 心霊的な理解ができるようになれば 深い境地での理解なので 気づき、悟りを得ることができます。 私たちの感じている境地は ごまかすことができないのです。 どんなことを感じていても 感じていることが ありのままの境地なのです。 そのありのままの境地が 理想的であれば 葛藤しないのですが 理想的ではないので 居心地の悪さを感じ 苦しさを感じるのです。 心霊的に理解するためには ありのままの感情を把握し 感情の転換の度合いによって 心霊的な理解度を 高めることができます。 ありのままの感情からの 転換をするには 瞑想の習慣が必要なのです。 瞑想をすると 雑念が出てきますが その雑念が、ありのままの 自分の感情なのです。 雑念が出てくると 苦しくなりますが 苦しくなっても 放っておけば 流れていくのです。 雑念を何とかしようとしても できないので 放っておけばいいのです。 雑念を流していくことで 心霊に真空をつくることができ 新しいことを受け入れることが できるようになるのです。 瞑想の習慣によって 心霊に真空をつくることができます。 私たちの思考と心霊は 常にいっぱいいっぱいの状態なので 次々に色々なことを考え 思いが湧き上がってくるのです。 考え、思いが 発展的であれば 発展的な空想、妄想が できるのですが 発展的ではない考え 思いが出てくるのです。 余計なことを考えないで 思わなければ 歩みやすくなり 努力しやすくなるのですが 無意識に、次々に 湧き上がってくるので 常に葛藤しているので
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【学ぶことが必要な理由】

日常的スピリチュアル、安田です。 学ぶことが必要な理由は あまり考えたことがないと 思いますが 学ぶことの理由が 明確になることで 必要性を感じることができるのです。 学ぶことで 知っていることが 増えていくのですが その知っていることを どう活かしていくかなのです。 知っていることを活かすことで 転換することができ 成長することができるのです。 ただ、学んで 知っていることが増えても すぐには活かせないのです。 知っているだけでは 活かせないので 葛藤することがありますが その葛藤を通して 学びを深めることができるのです。 学んだことを 活かせるようになるには 転換と成長が必要なのです。 学び続けながら 転換することができ 成長することができるのです。 転換と成長には時間がかかるので 知っていることができなくても 落ち込む必要はありません。 知っていてもできない時期は 誰にでもあるのです。 なので、同じようなことを 繰り返し学び続けることが 必要なのです。 学ぶことは できていないこと できそうもないことを 学ぶのです。 既にできていることを 学ぶ必要はありません。 現実の私たちは できることよりも できないことの方が 圧倒的に多いのです。 なので、どんなに学んでも 常に情報弱者なのです。 技能面の学びでも 知識面の学びでも 心理面の学びでも 常に不足しているのです。 学びの不足さを感じることで 学びの必要性が感じられるのです。 学ぶことは、誰にとっても 必要なことなのですが 学んでいる人は少ないのです。 学んでいないので 転換することができないし 成長することができないので
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【アップデート思考】

日常的スピリチュアル、安田です。 アップデートというのは 新しくすることをいいます。 時代の変化というのは 新しく変化していくので 新しくする思考が必要なのです。 転換というのは 新しく生まれ変わることをいうのですが 新しく生まれ変わるには 新しい発想が必要なのです。 新しい発想をするには 常に学び続けることが必要なのです。 私たちの無意識は 同じことだけを 繰り返していたいのですが 同じことを繰り返すだけでは 発展的な歩みはできないのです。 新しい発想で 新しいことに 挑戦することは 希望に感じますが 実際は、新しいことを 始めることは 労力を使うのです。 今までと同じことを 繰り返していれば 楽に歩めるのですが 時代は常に変化し続けているので 同じことが通用しなくなるのです。 過去の時代では 通用していたこと 常識だったことが 今の時代には通用しなくなり 非常識になることもあるし 逆に、過去の時代では 通用しなかったこと 非常識だったことが 今の時代には通用し 常識になることもあります。 今の時代は 答えがないので 柔軟な発想 臨機応変な発想が 求められています。 ある意味 「何でもあり」というような 発想が必要なのです。 かといって 本質からズレてしまうと 元も子もないので 本質の基準を保ちながらの 柔軟さ、臨機応変さが 必要なのです。 複雑に考えてしまうと どうしたらいいのかが 分からなくなりますが 自分の心理的なバランスが 取れていれば 本質の基準を保ちながら 柔軟な発想ができ 臨機応変に歩めるようになります。 そして、新しいことを 受け入れることができるので 新しい
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【投入することで満たされる】

日常的スピリチュアル、安田です。 受け身で満たそうとするのには 限界があります。 他の誰かが 満たしてくれるかは 分からないし 満たされ続けるには 限度があるのです。 投入することに 味を占めてしまうと 投入することが 喜びになってしまい 投入することで 満たされてしまうのです。 投入することで 真空状態ができるので その真空は 自然に埋まるようになっています。 投入することで 満たされてしまうと 投入する歩みが やめられなくなってしまうのです。 努力が続けられる人は 満たされているので 続けることができるのです。 自己満足でも 満足を感じているので 続けることができるのです。 努力が続けられる人を やたらと尊敬する人がいますが 満たされているから 努力が続けられるのです。 投入する歩みをしていくことで 心霊が満たされていくのです。 他の人、周りの人から 褒められたり、讃えられるから 努力ができるのではありません。 常に褒められ続けることはできないし 讃えられ続けることはできないので 心霊の満たしが必要なのです。 一人でも努力ができる人は 他の人、周りの人の反応には 左右されないのです。 投入することで 心霊が満たされていくのです。 宇宙の法則 原理原則の歩みをすれば 必然的に心霊が 満たされていくのです。 投入する歩みは 自分から主体的にできます。 どんな環境であっても 投入する歩みはできるのです。 私たちが心配するべきことは 受け取る心配ではなく 投入ができているかを 心配するべきなのです。 受け取る心配というのは コントロールができないことに 心配しているので どうにもな
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【混沌さの中で求められること】

日常的スピリチュアル、安田です。 混沌としている中で 求められることは 感じる境地で歩めるように なることなのです。 混沌としているので 何を軸にして 何を基準にしたらいいのかが 分からなくなるのです。 混沌としているので 方向性を見い出すことが できなくなるのです。 今は、誰も 明確な答えを出すことは できないのです。 答えがないので 答えを出すことが できないのです。 答えというのは 見つけることではなく 自ら見い出すことなので 感じる境地から 見い出せる力が必要なのです。 感じる境地というと 何となく曖昧で ハッキリしないので 頼りなさを感じるのですが 感じていることを 言語化していくことで 感じる境地で 歩むことができます。 転換時代は 混沌とするのです。 古い価値観が壊されて 新しい価値観が芽生えてくるので 混沌とするのです。 破壊と創造が 成されるので 混沌とするのですが 混沌とする中で 実力を身につけることが できるようになります。 混沌としている時期は 長く感じるのですが 必ず過ぎ去るのです。 いつ過ぎ去るのかは 分からないので じっと耐えながら 歩むしかないのです。 混沌さは 避けることは できません。 感じたくない感情を 感じるようになりますが 感情の転換には 必要なことなのです。 感じたくない感情を 感じている中で 感じていることを 軸にして、基準にするので より混沌としやすいのですが 感じている境地の把握ができれば 自分で答えを見い出すことができます。 感じている境地で 歩むというのは 直感的に歩むことをいいます。 ある意味 答えが無いので 何が正しくて
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【悩むことで成長ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 悩むことは 避けたくなるのですが 悩むことで成長することができ 成長欲求が満たされるのです。 悩みの度合い、基準は 成長することで 段階が変化していくのです。 子どもの頃の悩みと 今の悩みが全く違うように 成長することで 悩みの基準が 変化していくのです。 悩める環境というのは 恵まれているのです。 なぜなら、成長ができる 環境だからです。 悩めないというのは 成長ができないので 飛躍する歩みが できないのです。 どんなに時代が変化し 環境が変化しても 悩みは消えないのです。 その時代の環境の 中での悩みなので 過去の事例が 通用しないし 悩みの基準も 変化していくのです。 今の時代の悩みは 物質的な悩みではなく 心の悩みを抱えています。 物質的な悩みであれば 見ることですぐに分かるのですが 心の悩みは 見ても分からないので より厄介な悩みなのです。 外的な環境が 恵まれることで 内的な悩みが 大きくなるのです。 内的に悩んでいることを 自覚できないと 精神的なバランスが崩れて 病になってしまうこともあります。 悩むこと自体が 悪いのではなく 何に悩んでいるかの 自覚が必要なのです。 現実的に 今の時代の環境は 内的なことで悩むことは 避けることはできません。 内的なことで 悩むことで 内的に成長ができるのですが 成長するためには悩みの自覚と 悩みの言語化が必要なのです。 これからより 内的な時代になっていきます。 深い境地で悩むようになるので 表面的なことでは 悩みに向かっていくことが できなくなるのです。 時代の恩恵によって 心霊基準が上が
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【変化を楽しむ思考】

日常的スピリチュアル、安田です。 転換時代というのは 大きく変化していく時代なのです。 今まで当たり前に できていたことが できなくなり 変化に合わせるしかない 環境になるのが転換時代なのです。 変化することに 深刻さを感じてしまうのですが 時代の変化というのは 無慈悲なのです。 過去の時代に 通用していたことでも 時代の変化によって 無慈悲に通用しなくなるのです。 しかも、今の時代は 加速的に変化していくので 変化に対応するのが 簡単ではないのです。 時代の変化は 諦めるしかないのです。 過去の時代のような環境には 戻ることはないので 新しい時代の環境の中で 歩んでいくしかないのです。 今や「オンライン」というのは 誰でも知るようになりました。 「オンライン何々」という 何でもオンラインをつけるという 環境ができたのです。 現実的に集まることが リスクになっている環境なので オンラインで集まるしかない 状況になっていますが これからは オンラインで集まることが 主流になっていきます。 今はリスクの状況なのですが いずれはコストになり 非効率な歩みになるのです。 この時代の変化には 慣れていくしかないのです。 どんなことにも 「オンライン」という 名前をつけていくことで オンラインの環境の中での 工夫ができるようになるのです。 今の時代は 一秒圏の時代なのです。 現実的に集まるには 時間、空間の制限があり 非効率な環境の中で 歩んでいたのですが 一秒圏時代になることで あまりにも環境のコストが 無くなってしまったので 戸惑ってしまうのですが 新しい時代の環境に 慣れていくしかな
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【転換目的で学んでいる】

日常的スピリチュアル、安田です。 学びには目的が 必要なのですが 転換するために 学んでいるのです。 過去の時代は 情報が少なかったので 他の人よりも 知っていることが多いと 有利に立つことができましたが 今は情報はいくらでも 検索することができるので 知っていることが多いだけでは 有利に立つことはできません。 検索力が弱い 情報弱者の人には 有利に立つことができますが それでは 発展的な歩みは できないのです。 今は知っていることを 自慢する時代ではなく 悟っていること 感じていることを 提供する時代なのです。 悟っていることや 感じていることを 提供するためには 転換されている 必要があります。 人の心霊基準が 上がっていくことで 同じようなことを 教えていたとしても 伝えられる場合もあれば 伝えられない場合もあるのです。 心霊で感じる境地というのは 理屈ではないので 感じさせる何かがなければ 感じさせることはできないのです。 教育には目的が 必要なのですが 教育をする人も 教育を受ける人も 転換の目的を持つことで 今の時代に合った 教育ができるのです。 暗記教育時代は 終わっていきます。 これからは 転換教育時代になり 転換目的で 教育するようになり 教育されるようになります。 転換というのは 一気にはできないので 積み重ねが必要なのですが 積み重ねる歩みをするために 習慣の力が必要なのです。 転換と言っても 気合い、根性、意志の力で 無理に転換するのではなく 自然に転換ができるような 仕組みや環境をつくる 工夫ができるように 導ける教育が必要なのです。 転換する努力は
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【転換教育を意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代は 暗記教育は 必要ないのです。 なぜなら コンピューターが 正確に覚えてくれるので 覚えることに 気を遣う必要がないのです。 実際、人の記憶ほど 曖昧なことはないのです。 時間が経つと 記憶が曖昧になり 不要なことは どんどん忘れるように なっています。 今の時代は 何かを知っていることには 何の価値もありません。 調べれば いくらでも情報が 出てくる環境が 整っているので 知っていることを 自慢することは できないのです。 今は暗記教育ではなく 転換教育が必要なのです。 どれだけのことを 覚えたかではなく どれだけ転換が できたかなのです。 ですが 暗記には目安がありますが 転換には目安が無いのです。 転換されたフリを することもできるので どこまで転換されたかの 目安というのは 非常に曖昧なのです。 転換されたかどうかの 目安は計りようがないのですが 転換教育の意識は 必要なのです。 転換ができるように学び 転換ができるように教えることを 意識していくことで 転換教育が できるようになります。 教育というのは 文字通り「教えて育てる」 ということですが 教えることと 育てることを 一致させることが 必要なのです。 育てる教育というよりは 育つように教育することが 求められています。 転換教育も 転換させる教育ではなく 転換ができるように 教育することが 求められています。 転換というのは 感じる境地の転換なので 分かるようで 分かりにくいのですが 自分で感じている境地の 把握ができれば 転換されたかどうかの ある程度の目安にはなり
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【使命に目覚めることが本心基準】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人にも 使命が与えられていて その使命を全うすることが 願われています。 使命というのは 本心基準からの目覚め 悟りでもあるので 本心基準に合わせることで 使命を悟ることができます。 本心基準に合わせるには 本心の声を聴かないと 合わせることができません。 本心の声を聴くには 瞑想の習慣が必要なのです。 ただ、本心の声を聴くことは 恐怖が伴います。 なぜなら それ以上の声は 無いからです。 本心基準の声は 完全完璧なので ある意味 許しがないのです。 悟りの境地というと 何となく心地が良いような 印象がありますが 悟ったが故に 苦しくなることもあります。 自分の使命を 悟ったが故に より葛藤が大きくなり 苦しくなることもあります。 なので 反射的に悟ることを 拒否する人もいるのです。 時代の恩恵によって 本心基準で歩むしかない 方向に進んでいます。 使命に目覚めやすいのですが 本心基準と現実とのギャップに 苦しくなることがあるのです。 究極の基準は全ての人が 本心基準で歩むことで 自然に調和されていくのですが 悟っている人よりも 悟っていない人の方が 圧倒的に多いので 本心基準と現実の狭間で 苦しくなるのです。 ただ、どんなに苦しくても 時代が進んでいる方向は 本心基準で歩むことであり 生きることなのです。 いずれ、早かれ遅かれ 本心基準で歩むしかない 時代になっていきます。 使命を悟るのは 当たり前になっていくのです。 使命を悟れないと できることがなくなり やることがなくなります。 何もやること できることがなくなることで 使命を悟る
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【ありのままの感情と向き合う習慣】

日常的スピリチュアル、安田です。 ありのままの感情と 向き合うことは 最も苦しいことなのですが 転換するためには 必要なことなのです。 ありのままの感情と 向き合う習慣が 瞑想の習慣なのです。 瞑想を習慣にすることが できない人は ありのままの自分の感情と 向き合いたくないので 習慣にできないのです。 自分の感情が醜いことは 誰でも知っています。 ただ、その醜さというのは 歴史的に引き継がれてきたのです。 今まで生きてきた 何年、何十年という期間だけで 醜さが根付いたのではないのです。 歴史的に、先祖代々に 引き継がれてきたので 自分の思いのようで 自分だけの思いではないのです。 私たちの転換というのは 単に一個人の転換だけでなく 歴史的な転換も 背負っているということです。 今の転換時代というのは 単に新しい時代に転換されるという 転換ではなく 歴史をかけた 転換なのです。 転換時代が混沌とするのは 今までの歴史が総結集されるからです。 霊的世界の霊人も 今のこの時代を 注目していて 良くも悪くも 協助をしたり 足を引っ張るので 混沌とするのです。 このような混沌とする時期だからこそ 自分のありのままの感情と 向き合うことが必要なのです。 混沌とするからこそ 瞑想の習慣が必要なのです。 瞑想は単なる趣味のように 習慣にすることではなく 転換するためには 必要な習慣なのです。 今や霊的世界を 信じない人までもが 瞑想の習慣を 身につけています。 見えない世界を信じないで 見えない境地を求めるという 何とも言えない矛盾がありますが それだけ科学的にも 求められていることなのです。
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【劣等感を受け入れる】

日常的スピリチュアル、安田です。 「劣等感がある」となると 何となくみっともなさを感じるのですが 劣等感は誰にでもあります。  なぜなら 健全に育てられた人は いないからです。 劣等感が強いか 弱いかは多少の違いであって 私たちは劣等感を 背負って生きているのです。 劣等感があるから 悪いということではありません。 劣等感を原動力に 活かすこともできるので 劣等感を感じることは 完全に悪いということではないのです。 否応なしに、育ってきた環境 受けてきた教育というのは 自分ではどうすることも できなかったのです。 今さら誰かのせいにしたところで どうにもなりません。 劣等感を受け入れることが できるようになれば 劣等感と上手くつき合うことができ 活かすことができるのです。 受けてきた影響というのは どうすることもできないので 受けてきた影響を活かすことを 考えていけばいいのです。 他の人の劣等感は 分かりやすいのですが 自分の劣等感とは 向き合いたくないのです。 劣等感と向き合うことに 恐怖を感じてしまうのです。 劣等感は、瞑想の習慣によって 向き合うことができるのですが その劣等感こそが ありのままの自分なのです。 どんなに強気に 「自分には劣等感はない」と 言い張ったとしても 劣等感は誰にでもあります。 自分だけしか劣等感がないとなると 非常に苦しくなるのですが 誰にでもあるとなれば 何となくでも 安心感を感じられるのです。 劣等感というのは 克服することでなく 受け入れて活かすことなのです。 心理的な悩みというのは 尽きない悩みなので その悩みを活かすことが できるように
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【使命を悟る恐怖】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命を悟りたい心理と 使命を悟りたくない心理があります。 使命を悟ることで 迷うことなく 歩むことができるのですが 逆に使命を悟ることで 悟った通りの歩みしか できなくなるのです。 使命は変化することもありますが 極端には変化しないのです。 悟った使命の延長線上に 次の使命が与えられたりするので 何となく使命に 縛られているような 感覚になりますが 使命というのは 与えられることなので 私たちの意志と 一致するとは 限らないのです。 使命を悟りたくない人は 根底は恐怖心なのです。 使命を悟ったら 全うしないといけないという プレッシャーを感じるので 反射的に 使命を悟ることを 拒否する人もいます。 今の時代に使命を悟る 必要があるのは 転換時代だからです。 本当の意味で やりたいことが できるようになるには 今の転換時代が 過ぎたあとなのです。 転換時代に生きて 歩んでいるのは 使命があるからなのです。 やりたいことと 使命が一致していれば そのままやりたいことを やればいいのですが やりたいことと 使命が一致しないのであれば 使命を優先させるべきなのです。 やりたいことがある人は より使命を悟ることに 恐怖を感じるのです。 やりたいことが 分からない人は 使命を悟ることを 意識しやすいのです。 なので 無理にやりたいことを 探そうとしなくてもいいのです。 やりたいことが 分からなくて 悩むのではなく 使命を悟れないことで 悩んでください。 そして、使命を悟ることに 恐怖を感じていることに 悩んでください。 悩むことは 悪いことではないのです。
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【日常を変えるために学ぶ】

日常的スピリチュアル、安田です。 学びの目的は 日常を変えるために 学んでいます。 日常というのは 全ての歩みのことをいいます。 努力をしているのも日常であり ダラダラしているのも日常なのです。 着実に積み重ねる歩みも日常ですし 流されているのも日常なのです。 建設的な歩みができていれば そのまま続けていけばいいのですが 流されているのであれば 変えていく必要があります。 私たちは多くのことを学び 多くの情報を入れてきましたが どれだけ日常に活かしてきたでしょうか? とくに できていないこと できそうもないことを 学んできても 活かせないことに 悩んできた人が多いのです。 学んだことを 日常に活かすには 時間がかかります。 脳が転換され 意識が転換され 感情が転換されることで 学んだことを 活かすことができるのです。 私たちは知らないから できないのではなく 転換されていないから できないのです。 学ぶ目的というのは 知らないことを知ることと 既に知っていることを 活かすという目的もあるのです。 そして、学んだことを 活かす場というのは 日常なのです。 日常の環境というのは 流されやすくなっています。 いくらでも妥協ができるので いくらでも流されてしまうのです。 そして、気がついたら 1ヶ月が過ぎ 3ヶ月が過ぎ 半年が過ぎて 1年が過ぎていくのです。 その日常を変えていくには 流されている自覚が必要なのです。 流されている自覚を していくために 学び続けることも 必要なのです。 これからの時代は 自分で管理する 時代にな
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【暗黒時代は強制的に終わる】

日常的スピリチュアル、安田です。 今までの歴史は 暗黒時代であったのです。 常に戦争を繰り返して 本当の平和な時代というのは 無かったのです。 暗黒時代は 強制的に終わります。 時代の恩恵と 霊的世界の協助によって 終わるようになっています。 霊的世界は 原理原則の通りに 協助するようになり 時に合った 協助をするのです。 この世の私たちが 悟れない場合は 悟れるような環境に 追い込んでいくのです。 霊的な協助というのは 私たちの願いだけを 叶えてくれるのではありません。 むしろ、霊的な協助によって 願いから遠ざかることもあるのです。 霊的な協助というのは 使命を悟れるように協助し 使命を全うできるように 協助してくるのです。 私たちが願うべきことは 使命を悟れるように 使命を全うできるようにと 願うべきなのです。 暗黒時代が強制的に終わることで 希望と可能性に満ちた時代が 始まっていくのですが 究極の理想が実現するまでは 使命を悟ることを願い 全うすることを願うことが 求められます。 暗黒時代が終わっても 私たちの過去の時代の癖が そのまま残るので 違う次元での 混沌さが続いていきます。 過去の時代の癖というのは 先祖代々、受け継がれてきたので 簡単には転換ができないのですが 時代の恩恵の中で 転換しやすくなっていきます。 そして、霊的な協助によって 新しい時代に転換されるのです。 転換される時期は 混沌とするのですが その混沌さの中で 今の時代が求められている 使命を悟ることができるのです。 使命とやりたいことが 一致す
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【生みの苦しみを恐れない勇気と覚悟】

安田です。 新しい出発をするためには 生まれ変わることが必要なので 生みの苦しみを感じるようになります。 今までの延長線上では 新しい出発はできないし 生まれ変わることはできません。 生みの苦しみは 避けたいのですが 避けることはできないのです。 避けることが できないので 勇気と覚悟が 必要なのです。 感じたくない感情を 感じているというのは 生みの苦しみを 感じていることなので 新しい出発ができ 生まれ変わることが できるということです。 苦しさというのは 与えられると 理不尽に感じ 納得がいかないのですが 自分から苦しさに向かう力を 身につけることで 勇気と覚悟を 育てることができます。 自分から苦しさに 向かう力を身につけるには 運動の習慣が必要です。 運動で身体に負荷をかけて 自分から苦しさに向かえる力を 身につけることができるのです。 何をするにしても 何を目指すにしても 苦しさを感じます。 全てがスムーズに 事が成されることはないし ただ喜びだけが あるのではありません。 生まれ変わるために 成長するために 生みの苦しみを 感じるようになるのです。 教育をする人は 苦しくなることを 予め教えて 生みの苦しみを 感じることを 覚悟させることが 必要なのです。 何を目指していくにも 途中過程が苦しくなることを 教えていくことで 勇気と覚悟を 育てさせることが できるようになります。 否応なしに与えられた 苦しさというのは どうにもできないことでも 納得がいかないのです。 今まで苦しさを 上手く避けてきた人
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【自分嫌いを克服しない】

安田です。 自分を好きになれない むしろ嫌いという人は 無理に自分を 好きになろうと しなくてもいいのです。 自分嫌いというのは 受けてきた教育 育ってきた環境の 影響が大きいのです。 好きか、嫌いかというのは 理屈ではありません。 感じることなので 無理に克服しようと しなくてもいいのです。 まずは「自分嫌い」という ありのままを受け入れて その自分嫌いを活かすことを 考えていけばいいのです。 自分嫌いな人は 今の自分に満足ができないので 常に高い基準を求めていきます。 良い意味で 自己否定ができ その自己否定によって 謙虚に学ぶことができるのです。 自己満足は必要なのですが 自己満足の基準を上げていかないと 成長することができなくなります。 自分嫌いな人は 「自分が好き」という境地が 分からないのです。 実際の比率というのは 分からないのですが 「自分が好き」という人は そう多くはないのです。 自分嫌いまでいかなくても どちらでもないような人が 大半なのです。 中には 「自分を好きにならないといけない」という 何とも言えないプレッシャーを 感じている人もいますが 好きか、嫌いかは 感情の問題なので 感情が転換されなければ 好きにはなれないのです。 自分嫌いを ありのままに 受け入れることで そのありのままの中で 自由な発想ができるのです。 自分を好きになるに 越したことはありませんが 自分を好きになれなくても 好きになれないことで 悩まなくてもいいのです。 自分が嫌いな人は 振り返りたくないので どんどん前に進むこ
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【良くなることを願う以上に、成長を願う】

安田です。 環境や状況が悪いと 良くなることを 願うのですが 良くなるか ならないかは 結果なのです。 その結果というのは コントロールができないのです。 良くなる基準と 自分の願いが 必ずしも一致するとは 限らないのです。 全体的な時代の流れは 良くなる方向に 進んでいますが その良くなる基準は 私たちの次元では 分からないのです。 良くなることを 願ってもいいのですが それ以上に 成長を願ってください。 成長を願うことで 成長に向かう 歩みができます。 成長の度合いによって 結果が与えられるのですが その結果も 願ったまま与えられるとは 限らないのです。 良くも悪くも 期待というのは 裏切られます。 コントロールが できないことというのは 大抵は願った通りには 叶わないのです。 私たちができることは 今よりも成長ができる 歩みをしていくことです。 学ぶ基準 実行する基準を上げて 知識面、技能面を 向上させながら 魂を磨いていくことで 成長ができるのです。 魂を磨くというのは 歩むときの動機が 転換するということです。 その転換は 意識の転換 価値観の転換 感情の転換という 三段階の転換があります。 努力が報われるか 報われないかは 結果にすぎないのです。 報われない努力は 無駄だと捉える人もいますが 無駄になる努力は ありません。 その努力に 使命があるので 努力ができたのです。 学ぶことができること 実行することができることは 自分の意志で 決めることなのですが 意志だけでは 学べないし 実行できないの
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心配だけしても意味がない

 人間誰しも心配事や悩み事は尽きません。どんなに金銭的・社会的に恵まれようとも、どこかで苦悩するのです。 そうした心配や悩みは、それを思うだけであれば運勢にとって害悪でしかありません。思いが頭の中でグルグルと回っていても、何ら前進にも解決にも繋がらないのです。 心配や悩みは次へのステップへの前段階ですので、その思いを基にどうクリアしていくべきかを考えて思い切って実行することが必要です。マイナスな事象をプラスの方向へと活かすことで、心配や悩みは逆に運気の宝を見つける地図となります。 ただ、どうしても思いが堂々巡りしてしまう場合には、いったん思考を放棄して、マイナスをプラスに転化するアイデアが浮かぶまで少し時間を置くと良いでしょう。 日々の仕事や家事に専心して取り組んで、グルグルと回るだけの思考を止めて他に集中している間に、方向性のアイデアが醸成されて、ある瞬間、ふと思い浮かんで意識化されます。 色々と考えても答えの出ない課題は、少し放っておくと良いということです。恩師の東大教授が、10分考えて方向性が見いだせない場合は頭を切り換えて一時停止するのがベスト、と仰っていたのと原理的には同じかもと思います。
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転換

今日あなたに必要な事を思い出します。今、あなたが抱えている問題は、発想の転換をすることで解決します。一点だけ見つめていると、周りが見えないように考え方も思い切って180度転換することで見えなかったものが見えてきます。頭を柔軟にして様々な角度から見つめてください☆すてきな扉が開きますよ☆
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