【運勢を開く感覚】

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日常的スピリチュアル、安田です。

運勢を開く感覚というのは
オープンにするような感覚であり
身体を開く感覚のことをいいます。
感覚的に全てを開くことで
全てを受け入れることが
できるようになるのですが
全てを開いた境地が
悟りの境地なのです。
究極の悟りの境地というのは
全てが統合されている境地であり
元々一つのものであったことを
感じることができるのです。
現実の私たちは
全てを開くまでには
至っていないし
ある程度も開いていない
状態なのです。
開くといっても
全てをオープンに
することはできないのですが
開いている感覚が必要なのです。
開くためには
ありのままの自分と向き合い
受け入れることが必要なのです。
他の人に受け入れてもらうのは
簡単ではないので
自分で自分を受け入れることで
心を開くことができるのです。
瞑想の習慣によって
ありのままの自分と
向き合うことができ
心が開かれていくのです。
瞑想を始めると
雑念に悩まされるのですが
その雑念がありのままの自分なのです。
雑念に耐えられないのは
ありのままの自分と
向き合いたくないのと
受け入れたくないからです。
ありのままの自分というのは
本来の自分ではありません。
今までの外からの刺激によって
後天的に出来上がった自分であり
本来の自分ではないのです。
湧き上がってくる思いというのは
本来の自分ではなく
先祖代々、歴史的に
引き継がれてきた思いなのです。
なので
ありのままの自分といっても
本来の自分ではないので
卑屈になる必要はないのです。
本来の自分というのは
雑念で覆い隠されているので
瞑想の習慣で流していくことが
必要なのです。
本来の自分の基準で
歩むことができれば
全てを知っているような
境地でもあるので
それこそ、何でもできそうな
境地に至ることができるのです。
運勢を開くには
身体を開く意識をして
全てをオープンにするような
感覚を身につけてください。
瞑想の習慣で
ありのままの自分を
受け入れていくことで
身体を開く感覚が
分かるようになります。
運動をすることで
身体を開くことができ
身体を開くことで
ありのままの自分を
受け入れることもできるのです。
誰でも運勢を良くしたいのですが
運勢の良し悪しというのは
私たちの主観ではないのです。
表面的なことを
基準にしてしまうと
運勢の良し悪しに
振り回されてしまい
心理的な不安定さにも
振り回されてしまうのです。
運勢のバイオリズムはありますが
いちいち振り回されるのではなく
運勢を開くことを
意識していけばいいのです。
運勢を開くことができても
全てのことがスムーズに
いくことはありません。
運勢のバイオリズムがあるので
上がったら下がるようになり
下がったら上がるようになっています。
運勢を開くことで
最善を尽くした歩みが
できるようになるのです。
私たちの歩みは
運勢のバイオリズムに関係なく
最善を尽くしていくのです。
下がっている時期は
陰で努力ができるので
密かに歩むことができ
上がっている時期は
伸ばせるところまで
伸ばすことができるのです。
どんな時期でも
基本的な歩みは
変わらないということです。
基本的な歩みを
変えないで歩むことで
本来の基準で歩める努力ができ
本来の自分を引き出すことが
できるようになるのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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