長い眠りの果てに、魂が降ろした荷物
今日、かつて家族もお世話になった方の訃報が届きました。
最後にお会いしてから、もう数十年。
それほど長い月日が流れていましたが、訃報を聞いて、当時のことやその後のことが静かに思い返されました。
一年半前、その方が倒れたという知らせを聞いていました。
その時すでに、一度も目を覚ますことなく眠り続けているということも伺っていました。
それからどうされたのかわからないまま時が過ぎ、そして今日届いた、旅立ちの知らせ。
あの日から一度も意識が戻ることなく、眠り続けたままの一年半だったと知りました。
なぜ、五百日以上もの間、眠り続けなければならなかったのか。
なぜ、今日という日まで命の灯火が灯り続けていたのか。
ふと、考えずにはいられません。
その方と、ある家族との間には、かつて解けない結び目のような、やり場のないわだかまりが残ったままでした。
家族の形が変わってしまったこと。それぞれの道が分かれてしまったこと。
そこには、その方なりの「良かれと思ってしたこと」があったのかもしれませんが、その相手側には、どうしても拭いきれない思いがあったのも事実です。
もしかしたら、その方は眠りの中で、ずっとその結び目を解こうとしていたのではないでしょうか。
仲たがいをしたまま、心が通い合わなくなっていた歳月。
どうにもできなかった現実への無念さや、言葉にできなかった思いが、その方の魂をこの世に引き留めていたのかもしれない。
そう思うと、一年半という長い眠りは、その方が自分の人生で背負った重荷を、一つずつ丁寧に降ろしていくための時間だったのではないかとも感じるのです。
人は生きていれば、「こうしたらいい」
0