不幸を楽しむ人たち
不幸というものは一体なんなのか、幸福とはなんなのか、ある人は、よく昔貧乏だったことをいつも不満げに語ります。 昔貧乏だったから今ちやほやされることを当たり前だと思っています。"幸福論 (角川ソフィア文庫)"(堀 秀彦, B・ラッセル 著)からのこの引用"典型的に不幸な人とは、その青少年時代に、ある種の正常な満足を奪われていたために、他のものはさておいて、この一種類の満足を非常に高く評価し、そのため彼の人生にただ一方的な方向だけを与え、この一種類の満足に関連のある行動にいやしくも反するような事柄の成就については全く不当な評価をしか与えなかったところの人間である" 私はあまり貧乏自慢する人を信用しません。こういう人は現在進行形で不幸で、それをアピールしてきます。私はこれを「不幸を楽しむ人」と呼んでいます。つまり、不幸によって自分を守り、他人を攻撃する材料にしています。昔の境遇に耐えること「苦労」といいます。そしてその環境から脱すること「努力」といいます。 しかし、苦労を自慢する人ばかりに思います。環境は人それぞれだから本来は自慢することではないのです。 そこからどうやって努力したか、が重要でなのです。 "人は完全に何もかもうまくいかないように感ずる、そしてその結果、彼はいかなる形式の満足をも求めることなく、ただ、乱痴気騒ぎと忘却だけを求めている""不幸な人間というものは、下手な睡眠をする人と同じように、いつも自分が不幸であるという事実を、自慢にするものだ"同書から引用 不幸を自慢し、楽しむ人は「不幸」が必要になっている当然不幸が必要になるから、引き寄せる・・・・
0