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パームリーディング(手相占い)の秘密

手相占い、またはパームリーディングは、手のひらのラインや模様を解釈して人の運命や性格を読み解く占術です。神秘的な魅力に包まれたパームリーディングについて、その秘密を探ってみましょう。 1. 手のひらの形 手相占いでは、まず手のひらの形状を観察します。手のひらの形状には様々な特徴があり、それぞれ異なる意味を持ちます。例えば、四角い手のひらは実直で堅実な性格を示し、丸い手のひらは創造性や感受性が豊かな人を表します。 2. 手のひらのライン 手相占いで最も注目されるのは、手のひらに見られるラインです。代表的なラインには、生命線、頭脳線、感情線などがあり、それぞれが異なる側面を表します。これらのラインの形状や位置、長さなどを読み解くことで、個人の運命や性格を推測します。 3. 手のひらの模様 手のひらに見られる模様やマークも、手相占いにおいて重要な要素です。例えば、星型の模様は運勢の良い兆候とされ、三角形の模様は成功や富を示すとされます。また、手のひらに現れるシミや傷跡も、過去の出来事や将来の運勢を示唆することがあります。 4. 心理学との関連 手相占いは、占星術や数秘術と同様に、心理学との関連が深いとされています。手のひらの形やライン、模様は、個人の性格や行動パターン、潜在意識に影響を与える要素とされており、心理学的な理論とも合致する部分があります。 手相占いは、その神秘的な魅力と深い意味によって、多くの人々に愛されています。手のひらに刻まれた運命の線や模様は、人生の転機や未来の展望を知る手掛かりとなり、自己理解や成長のための貴重なツールとして活用されています。
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道の駅で見かけた「手相占い」から、人間は難しい生物であると感じた話。

4月2日(火)こんにちは。sunrise23です。先日、ある道の駅でトイレを利用しました。施設の出入口付近に「手相占い」をやっている年配の男性がいました。小さなテーブルに白い布が掛けられていて、いわゆる昔のスタイルでした。昔は、人の往来の多い場所で、よく見かけましたよね?当時、ものすごく興味はあったのですが、少し怖いという気持ちもありまして、占いを受けることはありませんでした。今回も受けたい気持ちはあったのですが「たぶん、良いことしか言われないだろう」と思い止めました。ここで「は〜?」と思った方に説明します。おそらく、占い師の方は、私の能力の優劣は置いておいて、直感で「あっ、コイツには関わらないでおこう」と思うはずです(笑)そうしますと、鑑定結果は「超安全運転なもの」「とにかく褒めまくる」などになります(笑)私もよくやる手法です。あっ、(嘘)とか(笑)と入れておかないと問題になりますね。改めて、私もよくやる手法です(嘘)(笑)う〜ん、余計嘘っぽくなりましたが、放っておきます。話は戻りまして、関わりたくない人に、当たり障りのないことを言うのは、占いだけでなくどの世界にも共通していると思います。いや、そんなことも無いか……(笑)まあ、人間というのはワガママなもので、耳障りの良いことばかりを言われても「本当かな?」と思いますし、嫌なこと言われれば、恨んだり、悪い「生霊」を飛ばしますし(やめてください)(笑)難しい生物ですね。あっ、そろそろ時間となりました。それでは、また。
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小さな起点から生まれる大きな火

人の価値は、出生や育ちよりも、その人が何を成し遂げているかによって決まる。康龍晴式手相学では、手相の線は運命のみならず、その人の行動や成果も映し出すとされます。大きな家に生まれたからといって、必ずしも偉大な業績を残すとは限らない。重要なのは、どのような環境から始めたかではなく、どんな影響を世界に与えるかです。小さな木片からも大火が生じるように、小さな出発点からも大きな影響を生む可能性があります。手相の細かな線一つ一つが、その人の可能性と力を示しています。私たちは、出生や背景にとらわれず、自らの力で道を切り開くことができるのです。自分自身の可能性を信じ、小さな一歩から始める勇気を持ちましょう。< 康龍晴式 手相学 >
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手相占いで読み解く子供運:子供線の秘密

手相占いは、私たちの人生のさまざまな側面を映し出す魅力的なツールです。中でも「子供線」は、出産や子育て、子供に関する運勢を知る上で重要な手がかりとなります。 子供線の位置と意味 子供線は、小指の下に位置する感情線と結婚線の間、あるいは結婚線のすぐ下に見られる細い線です。これらの線は、個人の生涯における子供の数や、子供との関係を示唆すると言われています。線が明確で、深いほど、子供に関する幸運が高いとされます。 子供線の数と特徴 子供線の数は、その人が持つ可能性のある子供の数を暗示します。ただし、これは文字通りの子供の数だけでなく、その人の生涯における子育てや子供との関わりを象徴しているとも考えられます。線の長さや形状は、子供との関係や子供の成長に関わる事柄を示唆する場合があります。 子供線の解釈における注意点 手相占いにおいて、子供線は一つの指標に過ぎません。子供線が見えない、あるいは少ない場合でも、それが子供を持たないことを直接意味するわけではありません。また、手相は時間とともに変化することがあり、人生の変遷や経験によって手相も変わることを覚えておくことが大切です。 まとめ 手相占いは、子供運を含めて私たちの運命を豊かに理解するための一つの道具です。子供線を通して、子供との関係や将来の家族像について考える機会を得ることができます。重要なのは、手相の読み方一つ一つに固執することなく、それを自己理解や人生のガイドとして活用することです。
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自己観察の智慧

自己を深く観察することは、心の平穏への第一歩です。私たちの心は常に動き続けており、思考や感情が絶え間なく生まれては消えていきます。自分自身を静かに見つめ、内面の動きをとらえてみましょう。どのような思考が浮かび、どのような感情が湧き上がってくるのかを観察します。この過程で、もし欲や憂いに彩られた感情があれば、それを手放しましょう。それらを無視し、心に留めずに過ぎ去らせることで、真の自己と向き合うことができます。心の中の不要な思いを放棄することで、私たちはより明確で穏やかな心の状態に至ることができるのです。自己観察は、心の鏡を磨く行為。その鏡を通じて、私たちは自己の深淵に光を当て、真の自己理解へと進むことができます。< 康龍晴式 手相学 >
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【お客様の声】質問にも優しく寄り添っていただき救われました

自分のことは自分が一番わかっている!そんな風に思ってしまっていてもどうして、そう感じたのか?本当はどうしたいのか?何に苦しさを感じているのか?深く、深く自分自身に問いかけていくと案外わからなかったり本当の気持ちを見失っていることも多いものです見失ってしまっている自分の素質や可能性に気づき悩んでいたはずなのに前向きな気持ちを手にできたり鑑定書を通してご自身の気持ちに向き合い大きな気づきを得るお客様ばかり♡手相って脳からのメッセージでもあるのですが見失ってしまっているあなた自身の素晴らしい才能や可能性を気づかせてくれる大事なメッセージでもあるんです♡今日はその理由をシェアさせてくださいね!入院中もお問い合わせをいただき退院して早速ドドドー―っとご注文の嵐をいただいている手相鑑定手相についてはこちらから↓まだまだ修行中の身としてお伝えしたうえでご購入いただいておりますがはじめて数週間でこれだけの件数のご注文をいただき、川上・・・涙が止まりませぬ・・・💦さてさて、話が反れてしまいかねないので続々とご感想をいただいているのでぜひ、シェアさせて下さいね!丁寧にご鑑定いただきました。質問にも優しく寄り添っていただき救われました教えていただいた試みを始めてみますまたご縁があることを願いますあー、うれしい♡あー、しあわせ♡こんなにもあたたかいお言葉をいただけるだけで、川上感激です。いまは、修行中の身。でも、川上は1件1件のご注文に対して「暑苦しくないだろうか・・」なんてうっすら不安になるほど真剣にお客様の心に寄り添っていますだからこそ、この手相鑑定書が小さなこころの変化を作るきっかけとなれること
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占い師yuyu(ゆーゆー)の自己紹介です!

こんにちは!yuyu(ゆーゆー)と申します。ご覧いただきありがとうございます。初投稿ということで、ざっくりと自己紹介いたしますね。まず幼少期から20代。・物心ついた時から「なんで人間は嘘をつくのだろう」「なぜ他人をけなしてしまうんだろう」「なぜ他人を押さえ付けようとするんだろう」…など疑問に持っていた。・同じ人間である私も、同じようになっていくんだろうと絶望していた。・そんな自分に価値を感じることができず、でも弱みを見せると他人に搾取されると思い、表面的にはいい子を演じていた。・恋愛もうまくいかず、好きな人に振り向いてもらえなかった。・自分に無価値感を感じたまま社会に出ると、20代半ばには鬱になる。と、改めて書き出してみると、なかなか薄暗い若者だったなぁと思います苦笑その時に手相占いと出会い、毎日じっと手を見つめていました。「私はこういう性質があるから苦しかったんだ」「こういう仕事は向いていないんだな」「こういう人が苦手なんだな」「こういう環境が好きなんだな」など、少しずつ自分を紐解くことができました。またタロット占いを使い、自分が認識できていない自分のこと(潜在意識)を見つけ出し、さらに自分を知る事ができました。そして、30代。自分を見つめ直すことができ、人生を切り開くことができました。今では自分をしっかりと持ちつつ、周りに振り回されることもなく好きな生き方ができています。私が占いで前向きになれたので、苦しんでいる皆様をサポートしたいと思い、占い師を始めました。また余談ですが、昔から神秘体験(霊を見る、幽体離脱、スピリチュアルな体験)なども多く経験しました。(今後ご紹介できれ
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ココナラde母娘のコミュニケーションその2

こんにちは!ハッピーマインド潜在意識セラピストのあこみです!今日は先日の『ココナラde母娘のコミュニケーションその1』の続きその2を綴らせていただきます(^^)今大学生の娘が帰省してきています。そこで、何かエンタメ的な要素も含みつつ一緒に楽しめるもの。。。(・・?ってことで思いついたのがココナラ占い✨第一弾は宇佐見なつめさんの手相占い。詳細は前回のブログに記載していますので是非お読みくださいね!すぐポチ確定案件ですよ(^^♪第二弾はレイさんの西洋占星術&数秘術。レイさんのサービス、実は私も以前お世話になっておりまして(*´˘`*)♡とっても内容が濃く的確だったので娘にその時の話をしてお申し込みの運びに。結果から申し上げますと、、、。ワンコインの内容じゃありません!!!!!2,000字以上の資料と書いてくださっていますがなんのなんの!!!軽くその5倍はあるのでは(・・?そんな丁寧&詳細な記載がされている鑑定結果を今回もいただきましたよ。お悩みとしましては、現在大学2年生のため就職に対して自分にどんな適性があるか。適職や注意するところも細かく書いてあり娘はへー!ほほー!ふむふむ!うふふ!などニマニマしながら読んでおりました。そのボリュームの凄さに驚きながら読んでいる娘の姿を見ておかしくなってきたくらいです(笑)西洋占星術は生まれた時間や場所も関係してくるそうで母子手帳を一緒に広げて見たりすることもできました。ワタシ、思い出魔気質があるので❤小日記が成長の途中途中に書いてあったんですよ。そういうのを一緒に読み返したりすることもできてシアワセな時間をいただけたなぁと(*´˘`*)♡娘的
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ココナラde母娘のコミュニケーション♪その1

こんにちは!ハッピーマインド潜在意識セラピストのあこみです(^^♪今日はココナラde母娘のコミュニケーション♪という題名で書いていきます。私は今は『数秘&カラー』という統計学を出品しています。出品されていらっしゃる皆さんは他の出品者さんの方から購入されたりすることはありますか?ココナラではそれはそれは多くの出品者さんが 素晴らしいものを出品されていられますよね。ワタシ、実は購入も結構好きでしてウフ❤どうしても人は見たいように見て聞きたいように聞いて感じたいように感じるそんなところがありますので(ワタシも十分その一人です(笑))他者からの意見を自ら取り入れていく事をして思い込みの枠を緩めていく事を意識しています。自分をいろんな側面から知ることでより良い提供に繋げたいと思いますのでね。視野も広げたいしニュートラルでいたい単純に楽しい事大好き❤好奇心旺盛っていうのも大きいのです~(^^♪というわけで今大学生の娘が帰省してきています。娘と一緒に楽しめてなんか面白いことなぁい?ってことで今回はココナラの占いが浮かびました(^^)今回ワタシの独断で手相占いと星占いを購入させていただくことに~レポしちゃいますね。気になられている方は要チェックですよん♪まずはお一人目。手相占いの宇佐見なつめさん。X投稿されていたのを見つけていて、密かにブクマしておりましたのです❤初めての手相占い。単刀直入に申し上げますがめちゃめちゃ当たっていてビックリでした!手のひら画像をお送りして見ていただくのですが分かりやすいように線を引いてくださったりして。特典付きという事で簡単なアンケートにお答えすることでワタシも見
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お仏飯で育つんじゃ

 先日、あるお宅で報恩講のおつとめをした時のことでした。お茶をいただきながら話をしていますと、そのお宅のご年配の女性から突然、「私はあんたのおしめを取り替えたこともあるんよ。それもバスの中で」と言われました。そんなご冗談を・・・と思いながら続きを聞きました。  私のお寺では毎年、本山へ団体参拝を行っているのですが、二十数年前、まだ幼かった私も一緒に参加したようでした。おしめの卒業が少し遅れていた私は、予想通り、バスの中でしてしまったらしいのです。  予想していたものの慌てる母を察してか、周りのベテランの女性方が揺れる車中で手際よく私のおしめを取り替えてくれたそうです。話を聞き終わるや、あまりの恥ずかしさに私は耳の先まで赤くなりましたが、その方は「ええ思い出です」とにこやかにおっしゃいました。  また、私が生まれて間もない頃、「跡取(あとと)りが生まれたんじゃね。よかったね」と皆さんが言ってくださったそうですが、そんな言葉を聞いて過ごした私は、幼稚園に入り、将来の夢を絵に描こうというとき、何を勘違いしたのか「鳥」の絵を描いたそうです。お寺に参られた方々は、私が自慢げに示したその絵を見て、「アトトリを鳥じゃと思うとるよ」と皆で笑った、というお話も披露してくださったのです。  このような話を聞くと、周囲の方々の願いとお育ての中にいること、「あんたはお仏飯で育つんじゃよ」と言われたその意味を、あらためて感じることができます。 そんな幼少期を過ごした私も次第に大きくなりますと、自我の芽生えとともに、何でも自分で決め、自分でしないと気がすまなくなってきました。  以前は父が「今年も京都へ団
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ココナラでの本格始動

春夢月(はるむつき)の自己紹介: 皆さん、こんにちは。私は春夢月と申します。祖母から受け継いだスピリチュアルな力を通じて、人々の心に寄り添い、導く使命を担っています。幼少期から見えない世界と共に歩んできた経験を通じて、私は人々のために何かをすること、心の支えとなることを望んでいます。 私の人生は、祖母から受け継いだスピリチュアルな素質によって大きく影響を受けました。祖母は、私に星々の言葉や自然の声を聴く方法を教えてくれました。幼い頃から、私は見えないものが見えているという特別な感覚を持っていました。それは、私が人々の背後に潜むエネルギーや感情を感じ取ることができるようになった原点です。 私は、スピリチュアルなアドバイスやガイダンスを通じて、人々が自己を理解し、人生の道を進む手助けをすることに情熱を燃やしています。私の目的は、心の中に秘めた可能性を引き出し、自己成長の旅をサポートすることです。過去の経験や困難から学び、それを未来への力に変えるお手伝いをすることが私の使命です。 ある日のこと、ある方が私に訪れました。その方は、人生の岐路に立ち、進むべき方向が見えずに悩んでいました。私はその方の手を取り、閉じた瞳で手をなぞることで、彼の過去や現在、未来についてのビジョンを受け取りました。そのビジョンを共有することで、彼は心の中に持っていた答えに気づき、新たな一歩を踏み出す勇気を得ました。 私にとって、このような瞬間が何よりも尊いものです。人々が希望を見つけ、自分自身と向き合い、人生を前向きに切り拓いていく姿を見ることが、私の喜びであり励みです。私は、スピリチュアルな世界を通じて、皆さ
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手相見て貰いました!!

まず左手 インスタで有名な手相の先生に見て貰いました(・∀・)muonさん♡ お待たせ致しました!🙇‍♀️ 左手も鑑定させていただきました!🥺 気が強い性格とおっしゃっていたのは、特に左手(生まれ持った才能や性格)に出ていますね🥰 占い師|桃白 奈々【親指付け根の横線】(青) さりげない気配りがお上手で、情に厚く、困っている人を放っておけない博愛主義的な心優しい人です🥰 人からお願いされると断れないことがあるかもしれません🥺🌸 人から頼られ信頼される人です✨ 【知能線の先のフィッシュ】(水色) 判断力や集中力がいい状態にある兆しです☺️✨ 新しいことにチャレンジすると才能が一気に開花して、新たな世界の扉が開けるかもしれません☺️🌸 頭がクリアな状態であるため、素敵なひらめきなどがありそうです❣️ 【第一火星丘の斜めの線】(白) 瞬時に行動する力をお持ちです☺️ 一瞬のチャンスを逃さず、考える前に行動できる強みをお持ちです🥰✨ 【第一火星丘の横線】(紫) とても活発な性格です☺️✨ エネルギーに満ちていて、何事にも積極的に取り組むことができる、前向きな人です🥰 【生命線を補うように伸びる運命線】(赤) 運命線によって生命線がより強化されるパターンで、気力・体力・生命力の旺盛な長寿の相です🥰 相当な頑張り症かと思いますので、あまり頑張りすぎないことが注意点です🥺 【引き立て線】(白) 努力家で可愛げがあり、目上の人から可愛がられやすいです☺️🌸 上司や先輩など立場が上の人から好かれることが多いのではないでしょうか?🥺 立場が上の人の目に留まりやすいので、仕事で成功するなどチャンスが
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【手相座の独り言】祝!!初めてラジオに出演出来ました!

小田原在住の手相鑑定士【手相座】です。 2022年11月に山と海に囲まれた 自然豊かな小田原の地に引っ越してきました。 これまでの都会的な生活から少し離れて 妻と一緒に占いをしながら 少しスローな生活を送っています。 手相座、なんとラジオ出演してきました!! FMおだわら 『MORNING GARDEN』(月~金 7:00~11:00) の「おだわら日和」にゲスト出演させて頂きました!! こんな駆け出しの手相占い師がラジオに出ちゃいました! このお話を頂いた時は 「えっ???僕でいいんですか?」 が正直な感想(笑) 出演の前日は緊張と非日常を感じていて 足元がフワフワで、浮足立つとはこの事かと思いました… なんて思っていたらあっという間に本番当日! 緊張でFMおだわらさんの入り口の前に!! 思わず何度か入口前を行ったり来たりしていました(笑) 意を決してFMおだわらさんに突入!! 「本日、出演させて頂く手相座です!!」 挨拶にも自然と力が入ってしまう… お仕事していた社員さんたちも 皆さん笑顔でご対応頂きました! 恐い雰囲気じゃなくて本当に良かった… 少し待っていたら番組のCM中に パーソナリティの牧いずみさんが! 笑顔で朗らかな雰囲気で凄く優しそうな方でした。 牧さんの優しそうな雰囲気に初めてのラジオにビビり散らかしていた 僕の緊張は少しずつ解けていきました(*^^*) そして、本番!! 緊張でちゃんと話せるのか、私??? と思っていましたが、牧さんが非常に話しやすい 雰囲気を作ってくれた上に、話をリードしてくれるので 思ったよりもスラスラ話せました! 流石プロのパーソナリテ
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手書き鑑定書のご依頼

あたたかい春の日差しがとても気持ち良いですね^^沢山のご依頼をいただき誠にありがとうございます再開待ち登録してくださる方も多くお待ちいただいているのはわかっているのですが丁寧な対応と間違いがないよう1件ずつのご依頼を受けております1件あたり2日ほどで正式な納品ボタンを押せている状況です子どももありますので主に平日の日中に対応しています時間ができたときはできる限り作業進めていますので枠が空きますのをゆったりお待ちいただけると幸いです知らないうちにブログへ投稿してくださったたくさんの方心より感謝申し上げます本当にありがとうございます!久しぶりにランクがゴールドになることができました^^プラチナ目指して頑張ります!
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【手相座の独り言】4つの手の形から分かるあなたの性格

小田原在住の手相鑑定士【手相座】です。 2022年11月に山と海に囲まれた 自然豊かな小田原の地に引っ越してきました。 これまでの都会的な生活から少し離れて 妻と一緒に占いをしながら 少しスローな生活を送っています。今日は手相占い師らしく簡単な手相の解説ブログです。あなたの一番の土台となる「手の形」について解説!1.4つの手の形⭐︎⭐︎⭐︎手の形判定方法⭐︎⭐︎⭐︎ 手の形は「指」と「手の平」の長さで判定します。 ▶︎手の平の横幅より中指が同じか短い場合は「短い指」  長ければ「長い指」 ▶︎手の平の横幅より縦幅が短いか同じくらいで「四角い手」  長ければ「長方形の手」 火の手🔥:短い指、長方形の手 水の手🌊:長い指、長方形の手 風の手🌪:長い指、四角い手 土の手🪨:短い指、四角い手 手の形はその人の一番土台となる性質・特性を表します❗️ それぞれの手の形の解説は次回から✨ よかったらフォローして待っててね☘️ ブログでは小田原のこと、手相のこと、思ったこと、ゆっくり生活のこと あまりジャンル問わずに書いていこうと思います 最後まで読んで頂きありがとうございます。 それではまた。 手相座 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ほっと心が楽になる手相鑑定やってます☘️ SNSで『あったら嬉しい手相』解説中✨ オンライン手相鑑定、その他イベントにも出店してます❗️ 鑑定やイベント出店のお誘いなどお待ちしております(*'ω'*) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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【手相座の独り言】何で手相鑑定士になったのって話

占い師ってやっぱり特殊な職業なんでしょうか? 「手相鑑定士です。」 って名乗るとだいたい 「占い師さんって初めて会いました!」って 言われるんです。 やっぱり珍しいんですね。 珍しい職業ってことは なる人が少ないってこと 僕が何でそんな珍しい職業 「占い師」になったのか 自分を見つめ直すためにも 皆さんに僕を知ってもらうためにも つらつらと書いてみよう。 最初はお堅い仕事してました!最初は税理士事務所で税理士を目指しながら働いてました。 かなり占い師からは離れてますね! この時は手相鑑定士になるなんて夢にも思ってませんでした(笑) 当時は難関な国家資格を持ってれば 幸せになれると信じていました… 資格勉強期間は7年くらい それだけ頑張って資格を取ろうとしていたのに 事務所に入ってすぐに税理士という職業に見切りを付けました(汗) 理由は上司の給与が分かってしまったから! 「えっ、税理士って終電まで残業してもこんなもんなの?」結局3年働いて辞めました… これが人生掛けてやりたい仕事だ!って勘違いした着物屋時代次はメンズ着物屋! これまた税理士事務所から華麗な転身! 夏に浴衣を着たのをきっかけに 着物にハマっちゃったのですね。 何しろ誂えで8万円かけて作ってしまったので(;'∀')休みの日のお出掛け着は全部着物!! そしてある着物屋さんで 「数字が分かる着物男子が欲しい」 とスカウト! それはもうすぐに転職!! だって趣味が仕事になるですもん。 その時一番憧れの職業でもありましたし。 絶対楽しいに決まってるじゃん✨ はい、そのときはそう思ってました… 確かに楽しかった! 着物始めてみ
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【手相座の独り言】手相は毎日見た方が良いって話

皆さんは自分の手の平ってどれぐらいの頻度で見てますか? ほとんどの人はまず見ないと思います(笑) この手相があるといいよ、とか手相の情報に触れた時に見るぐらいですよね だけど手相は毎日見た方が良いです 僕は毎日見てます 何故か? 手相は変化するからです❗️ 運気が良くなってる時や 頑張って行動している時は 良い線が増えていたり 線が濃くなっています そうすれば、 「やっぱり今イイ感じなんだ✨」 って実感が増してもっと頑張れるんです でも手相の知識が無ければ見ても意味無くない?って思いますよね そんな事ありません! 毎日見ていれば あれ?こんな線あったっけ? 何かこの線スゴい気になる!! って感じる事が出来るんですよ そうしたら手相の事調べるでしょ? それでその線が良い線だって分かれば メッチャ嬉しくなるじゃないですか☘️ そしたらよりポジティブに頑張れるんです だから手相の事が分からなくても 手相は毎日見て変化を感じたほうがいいんです 是非今日から自分の手相を気にして見て下さい 手相を味方に付けて運気を良くして行きましょう♪ 手相座 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ほっと心が楽になる手相鑑定やってます☘️ SNSで『あったら嬉しい手相』解説中✨ オンライン手相鑑定、その他イベントにも出店してます❗️ 鑑定やイベント出店のお誘いなどお待ちしております(*'ω'*)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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とりあえず はじめまして!🌷

出品者もすなるブログといふものを私もしてみむとてするなりさてさて 何を書いたらいい?日記みたいに 思ったことを書いていけばそのうちに文体も定まってくるよね?(楽観的でしょ)とりあえず初の投稿にチャレンジします。こんにちは!朝野です。みなさんはいつごろからココナラの電話相談サービスをご存じでしたか?これまで私にとってのココナラといったら看板やイラストを売り買いするサイトの会社 という認識でした。電話相談サービスがあるなんて ぜんぜん知らなかった。(ココナラ関係者さん…わたしの無知をお許しください💦)実は私 少し前から 手相占いに興味をもっていまして。本を買って読んだり 検索して調べたりしている最中にネットで占い開業という手段があるのを知ったんです。そっかー考えてみれば手相鑑定もリモートでできる時代ふーむふむふむ・・・自宅で開業するとか(我が家は狭い)街角に座って営業するより(街角怖い)何よりコロナ禍のこのご時世にリモートはいいよね・・とさらに調べていったところスキルを売るなら♪で耳に馴染みのあるあのココナラで占いを営業してる人がいっぱいいることを 知ったのですココナラの森へ足を踏み入れたこれが記念すべき第一歩!で、あちこちうろうろしてみればココナラには何やらすごーいスキルを持った有能な人がたくさんいてなにやら大変な盛況ぶり。熱気がむんむん!すごいすごい!の連続。ITなんちゃらとかプログラミングなんちゃらとか(文系の悲しさよ)弁護士税理士 うわー国家資格もってる勢もこんなにいらっしゃったのか!いろいろな業界の能力のある人たち。それに比べてわたし・・・自分のスキルの無さよ(とほほ)と
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「手相って面白い!」自分を変える手相動画です

ご覧いただきありがとうございます。今回、ココナラのブログ投稿機能を使って、通常サービスの「手相鑑定動画回答」をご購入していただいた方限定で用意している「事前視聴動画」を特別に販売させていただきます。そのため、内容としては、鑑定させていただく方に向けての話し方にはなっていますが、「手相って面白いね」「そんな見方をするんだ」「自分の手相ってこんな個性があるんだ」と、手相を楽しく学べる動画になっています。そして、自分のことを知ってより良い運勢を自ら作り変えていくきっかけを作れる動画になっています。<総視聴時間2時間30分以上のボリュームとなっています>ぜひ、この投稿で動画の内容の概要をご覧いただき、手相に興味を持ってもらえると嬉しく思います。そして、視聴動画のご購入をご検討いただければ幸いです。1. 中身は動画回答サービス購入者限定の事前視聴動画です今回投稿させていただいた動画は、私が出品させてもらっている「手相鑑定動画回答」サービス(下記リンク参照)をご購入していただいた方限定で、購入後、トークルームにて鑑定結果の動画をお渡しする前に「事前視聴動画」としてお渡ししているものになります。(動画回答サービス自体は、常に20人以上の待機中の方がいて、購入時は早い者勝ち状態になってしまうので、ご購入が非常に難しい状態になりご迷惑をおかけしております。)2. 限定動画は、あなたしか観れない特別なものですこれらの動画回答サービス出品では、鑑定される方に手相画像を送っていただき、じっくり鑑定させていただいた結果をYOUTUBEの限定動画にしてリンクアドレスをお渡しするサービスです。[Q] YOU
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リーダー線 / Leader Line(020)

最近、英会話と手相にハマっているノリック。 「英語で手相をみたら英会話のスキル上がるのでは?」と思い、 思い切って、英語で手相を勉強しています。 今日は 「リーダー線 / Leader Line」 を英語と日本語で載せました。 リーダー線は木星丘に現れる短い縦線、または斜線です。 マネージメント線や指導線と言われることもあります。 その線は、その名の通り、リーダーとしての素質を表す線です。 リーダー線がある方には、以下のような能力を持っています。 ・瞬時に色々なことを考えることができる瞬発力や想像力を持っている人 ・人に的確に指示を出すことができる人 ・部下たちの気持ちになって考えることができる人 ただ、逆にリーダーだけに逆に指示されるのは苦手なようです。 The leader line is a short vertical or oblique line that appears on the mount of Jupiter We sometimes call them management lines or leadership lines. The line, as its name suggests, represents leadership qualities. If you have the leader line, you have the following abilities. ・You are a person who can think of many things at a moment's notice. ・You will give preci
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手相占いについて

お久しぶりです。 色々とお仕事や私生活で慌ただしくしている内に、気付けば前回のブログから半年ほど経っておりました。 月日が経つのは早いもので、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 今回は、改めてココナラで出品もしている「手相占い」に関して私の想いをお伝えさせていただきます。-------------------------------------------- 手相占いをはじめるきっかけとなった事 「手相を通して、自分に合った天然石を探す」 もともと私は天然石やパワーストーンに興味があり、気付けば家には天然石に囲まれて好きになり、仕事につながり、今では天然石と関わりのある仕事をさせていただいています。 天然石は色々と不思議な力が宿るといわれていたりしますが、始めはそういった不思議な力やスピリチュアルに関する事というより、純粋な好奇心として、綺麗な天然石を見るだけで心惹かれていき、次第に天然石のルーツや起源、石の意味に深く興味を持つようになりました。 その後、天然石の持つエネルギーについて「自分に合った天然石とは、何なのか?」といった事を詳しく調べていく内に、人の持つ運気や運命に関する手相占いに出会い現在に繋がります。 -------------------------------------------- 手相を通してつながるご縁 「手相を見れば、その人の知らなかった一面が見えてくる」 最初はあくまでも自分に合った天然石を探す為の手相占いでしたが、元々占いに対してもすごく興味があり、この事がきっかけで、占いを通して色々な事に気付けるのが楽しくてどんどんと手相占いに熱中していきました
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豪雨だぜ!! SHARA流三日で覚える使えるその気にさせる☆手相占い虎の巻

ちょとー!!むちゃくちゃ豪雨なんですけど…ちょっとコワイ!!ロッキンジャパン中止で無念の方も、ここまでくると、諦めがつきすぎるのでは。みなさま、足元など、きをつけてくださいね!!っていうか、こういう日は「おこもり最高」てことでシャラの動画をアップします☆なんか雨男がもとい、雨音がスゴイですっしかし強力で効果的なコミュニケーションツールとしての #SHARA流手相占い虎の巻 気になる方は、つぎの動画をお待ちください♪とはいえ、雷コワイですー!!☆えっと、スマホで見るとそんなでもない???のですが、もしかして、音声小さいですか?いちおうピンマイクは使ったのですが聞き取りづらいなら、もういちど録り直します(簡単だし)ので教えてくださいませー!!
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あんたどこにおる?

 九州新幹線が全線開通し、実家の近くにも新幹線の駅ができました。以前は、京都から九州方面の新幹線に乗ると終点は博多駅でした。そこから在来線に乗り換えてしばらくすると、だんだんと緑が増え、見慣れた故郷の景色が広がってきます。新幹線の駅ができたことで、時間の短縮にはなりましたが、まだなかなか慣れません。  その新幹線の駅で初めて降りた時のことです。私の実家は、田園に囲まれた地域にあって、今の季節は虫の声がよく響く、のどかな場所にあります。そんな地域にできた新幹線の駅ですから、初めて降りた時は、そこだけ異空間のようでした。天井が目映(まばゆ)いばかりにピッカピカで、「すごいのができたなあ」と感心しながら改札を抜けました。しかし、一歩駅を出ると辺りは真っ暗でした。  母と出口で落ち合うことになっていましたが、姿が見あたりません。反対側かと思い、そちらへ行ってみると、そこにも見あたりません。すぐ近くに在来線の駅があり、そっちだったかもしれないと思い、さらに行ってみましたが、やはり姿はありません。ウロウロとして最初に出た所まで戻ってきてしまいました。  よく考えたら具体的な場所を決めていなかったのです。慣れた駅ならば、どこの出口ということは言わなくても暗黙の了解でわかるものですが、初めて降りた駅です。実家から車で10分ぐらいの場所にあり、私は妙に慣れたつもりでいたのですが、向かうべき実家がどの方向にあって、駅のどの出口から出ればそちらに近いのか知らなかったのです。  その時です。  携帯電話が鳴りました。母からです。 「あんたどこにおるとね?」 「どこって・・・」  遠くに明かりは見えます
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ザンギ@霊感手相占い師ってどんな人

いつもブログを見ていただいたる方・ちょっとでも見ていただいたいる方ありがとうございます。ザンギです♬1,有料で占いを初めてブログでもどんな占い師がいいかな?2,えー!占いでしょ・・・。信じられないっていう方も多いと思います。3,普段から占いって興味はあるけどこの人本当に当たるのかな?4,怪しい瞑想とかで電話の時間を延長されないかな?様々な不安や購入の際には占いはつきものです。ザンギという占い師をしっていただくことにブログを書かさせていただきました。ザンギはこんな人におすすめ!【ココナラで見た方の印象含め】・背中を押されたい・進路や選択するべき道でどちらをすすんでいいか・自分が直感型で動いているか感覚型で動いているか実際にザンギが見たときに起きた出来事・この手相は有料で見るべきものではない手相【問題点がない】・感動してしまった【泣く】・努力していた痕が残っている。・たまにオーラが見える方がいます。その場合は何色かを説明します。線や長さだけで見ないのがザンギ流の手相です。20日までは1分100円のままです。21日からは140円~180円に値上げを致します。(金額検討中)(時期にもよりますが、期間限定での値下げでの販売もします)ゲリラで休みの日はキャンペーン金額で案内します。悩んでいる?占いが好きだけど、占いでしょ・・・。等の考えている方は今の時期の安い期間でなくても安い時期を狙ってもOKです♬次回はザンギ流の手相の見方を案内致します。それでは今日も一日がんばりましょう♬ザンギ顔相も見れます。リアル限定です♬(おまけ)
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学校だけではない

 最近、子どもたちの「いじめ」についての報道が多くみられます。「いじめ」はいけない行為であることは、子どもたちや先生はもちろん、みんなが知っています。しかし、一向になくなる気配はありません。むしろ、どこにでも起こっていることが報道などで知られます。この「いじめ」の原因は、いったい何なのでしょうか。  私は子どもたちの人権保護の役割の一端を担わせていただいています。そこで聞かれることは、「学校の指導が・・・」「教員の質が・・・」などの言葉で、学校関係の責任を問う声が多く聞かれます。  確かに、いじめの事件が起こっているのは子どもたちの世界ですから、学校が舞台となっていることは事実です。その意味で原因の一端は学校にあることは否定できません。しかし、いじめの加害者を生んだのは、単に学校での指導の問題ではないようです。 別の視点で見ると、地域社会や家庭の大人の問題が、大きな要因となっているように感じます。  教育関係機関の研究データによると、現在の子どもたちは、学校以外の社会で多くのストレスを感じていることが報告されています。また、それを解消できる家庭・家族関係でもストレスを受け、こころを休めることができる場所もありません。家はあっても子どもたちのこころを受け入れ、安心できる家庭が少ないのが現実です。  常に、子どもたちから「お母さんやお父さんが私のことをわかってくれない」「誰も私の話を聞いてくれない」などの相談を受けることが多いのも頷(うなず)けます。子どもの成長過程によりさまざまなケースがあり、一概には断言できませんが、仮にいじめを受けた子どもが、追い詰められてサインを出していると
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孤独死が社会問題に

 この10年を振り返ると本当に早かったという思いがします。「光陰矢のごとし」。まさにこの言葉が胸に響きます。  時代の変化とともにかつての家族制度は崩壊し、社会全体も大きく変革してきている中で、お寺を取り巻く環境も以前とはずいぶん変わってきました。ひと昔前なら、三世代が一つ屋根の下で暮らすことが当たり前と考えられていたことが、最近では「親は親、子どもは子ども」といった考え方が主流となり、子どもたちもある一定の年齢を過ぎれば自立し独立しています。  祖父母が去った後は家に残るのは夫婦二人。お互いいつまでも健康であれば結構なことですが、そうはいかず、いずれ必ずどちらかは先に亡くなられる。その後、また子どもと同居という方もおられますが、なかなかそうもいかない。その結果、一人暮らしのご家庭が目に見えて増えてきたように思われます。ここ最近、日々のお参りの中での実感です。  この究極の核家族化が変化する兆しは見えてきません。それだけではなく、近隣同士の関係は希薄化し、かつて「東京砂漠」と言われた時代も今は昔。次第に人間同士が無関心な時代になってきました。バブルの崩壊以降、人にかかわっている余裕がなくなってきたことも一因かもしれません。現代人は、時間は持てても、ゆとりと余裕を無くしてしまったといわれます。  そんな状況下、「孤独死」が大きく社会問題化しています。孤独死とは、一般的に一人暮らしの人が一人だけの時に、自分の住居内で生活中に死に至ることといわれるそうですが、中でも多いのは、突発的な事態が起こり、そのまま誰にも連絡できずに亡くなってしまうというケース。遺品整理専門の業者も毎年増えてい
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生命に宿る問い

 「自分が死んでいかなければならない」  これは極めて宗教的な問いです。しかし、この問いを持つ人は少ないのではないでしょうか。また、臨終になろうとも、この問いを真剣に考えることなく死んでいく人もあることでしょう。ところがこの問題は、たとえ若くとも、また健康に自信があろうとも、決して無関係ではなく、この世に生まれた万人が抱える共通の問題なのです。  この宗教的な問いをひとたび持つような事態となれば、この私を支えてくれるものは何ひとつないことに気付かされます。ただ一人この世に来て、ただ一人この世を去っていく。まったくの単独者であり、孤独です。「自分が死んでいかなければならない」という宗教的な問いは「生命」そのものの中に宿っているといってよいでしょう。  「生命」を営んでいくために必要な教養や知識、蓄えた財産などは、死を目の前にしては何の支えにもなりません。  では、ただ一人空(むな)しくこの世を去っていかなければならないのか、と思い悩むしかないのでしょうか。  生と死は紙の裏表のようなものですから「生死(しょうじ)の問題」といい、「生死の壁」ともいいます。浄土真宗では「後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)」ともいいます。  生死の壁の前で終わる人生は、ただいたずらに暮らし、いたずらにあかした生活であり、そこに、人間に生まれた意義を見いだすことはできません。あたかも人生は夢のようなもので、夢を見ているときはそれが現実で、その現実にいかり、腹立ち、悲しみ、喜びます。しかし夢から覚めてしまうと、夢の中の現実は、まったく空ごとたわごとというものでしょう。  この生死の壁を超えていく道を明
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いただいたわら草履

 数年前のこと、布教に出掛けた先で、ご門徒のAさんにお会いしました。  それからというもの、そのお寺に布教に行くたび、Aさんからお土産(みやげ)をいただきました。  そのお土産は、藁草履(わらぞうり)二足、そして布で仕上げた草履二足。さらに、携帯電話のストラップとして、糸で仕上げた小さな草履数個をいただいて帰るのです。  私はただ「ありがとうございます」と、お礼の言葉だけを言って帰っていました。  お寺に帰って、早速、お土産の藁草履を使わせていただきました。あるとき、草履で歩きながら、ふとAさんのことを思い出しました。  「この藁草履を作るのに、いったいどれほどの時間がかかるのだろうか。大変な集中力や気力が必要だろうな」と思いました。  数年後、そのお寺の法座にまたご縁をいただき、同じく藁草履のお土産をAさんからいただきました。  私はAさんに「ありがとうございます」と、まずお礼を申し上げてから、「この藁草履を作られるのにどれほどの時間がかかるのですか。大変な集中力や気力が必要なんでしょう」と尋ねてみました。  するとAさんはにっこりと笑いながらお話をしてくださいました。  「時間も集中力も気力も、考えたこともないです」  そして私に向かってAさんは「先生のー、先生はここにお越しになるのに何を履(は)いてこられましたか」と聞かれました。  私は靴(くつ)ですと答えました。  Aさんは「靴を買うには、わしが靴に合わせないといけない」と言われました。自分に合った靴を見つけないといけないということでしょう。  続けてAさんは「藁草履はのー、わしの足が藁草履に合わせなくても、藁草履がわ
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エコのため車を軽く

 あるご門徒さんのお宅で、ご法事をつとめさせていただきました。親族が集まり、厳かな雰囲気の中で法要をつとめ、そのままお食事まで同席させていただきました。無事ご法事が終わったこともあってか、アルコールが入った勢いもあってか、皆次第に楽しげな雰囲気となり、会話も盛り上がってきました。  すると、突然ご門徒さんが私に「うちの息子は結婚適齢期なのに、彼女もつくらないで、車にばっかり入れ込んでるんですよ。どうにかなりませんかね。誰かいい人でもいませんか?」と尋ねてこられたのです。差しあたって思いつく方もおられなかったので「う~ん、おられませんね」とお答えすると、ご門徒さんは肩をガクッと落とされ苦笑されていました。そんな光景に私も笑いながら「では、いい人が見つかったらご連絡いたします」と約束をしながら、話題を息子さんの車に関するものへと向けていきました。  30歳という息子さんは、とにかく車好きで、お金もたくさん車にかけられているようでした。車の知識が乏しい私は興味を抱き、隣に座っていた息子さんに話しかけてみました。  「車のどのようなところが楽しいのですか?」  すると息子さんは「最近は車の燃費をできるだけよくしようと運転するところに楽しみを感じます」と答えてくれました。さらに「エコの時代に一人ひとりが低燃費で運転することは地球にとっても大事なことだ」と目を輝かせながら主張し始めたのです。その時、私は気付きました。ご子息さんの関心に火をつけてしまったことを・・・。  それから話は続きました。燃費がよくなる車の運転の仕方、大切な部品、最後には車の軽量化を維持するため、ガソリンは満タンにはし
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おこころをいただく

 浄土真宗の門信徒にとって、ご本尊は、言うまでもなく阿弥陀さまです。私たちの先人は、悲しい時、うれしい時、腹の立った時、それこそ毎日毎日、何があってもなくても、阿弥陀さまと向き合い、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」とお念仏申しながら暮らしてきました。  そして、日々の生活の中に起こってくるさまざまな問題を、その都度、阿弥陀さまに相談し、自分とまわりの世界のあり方を問い、生きてきました。  言うなれば、阿弥陀さまのおこころ(願い)をいただき、生きる力としてきたのです。  蓮如上人は、「信心獲得(ぎゃくとく)すといふは第十八の願をこころうるなり」と「御文章(ごぶんしょう)」にお示しくださいました。  阿弥陀さまのおこころを、わが身にいただいて生きなさいとの実に明確なお示しです。  それでは、阿弥陀さまのおこころをいただくとは、どういうことをいうのでしょう。  念仏者、教育者として知られた東井義雄先生のご本の中に、『次郎物語』で有名な下村湖人(こじん)先生の「おかあさんのかんじょう書き」というお話が紹介されていましたので、要約してご紹介します。 〝みんなただ〟  進君という少年が、学校へ出かける時、前夜書きつけた紙片を二つに折って、お母さんの机の上にそっと置いて学校へ行きました。紙片には次のように書いてありました。   請求書   一 市場へのお使い代 十円   一 マッサージ代   十円   一 お庭のそうじ代  十円   一 妹をつれて行き代 十円   一 婦人会の留守番代 十円               進   お母さんへ  進君のお母さんは、これを見てニッコリしました。そして
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生きる価値とは

 ある育児冊子に「子どもを"ほめる""しかる"という一見相反する行為は、実は"評価する"という同じ性質をもったものである」とありました。  子どもの将来を考え、小さい頃から善悪をしっかり教えておかなくては、というのが親心です。誰もがそうして子育てをしているのではないでしょうか。しかし、冊子には子どもにとって本当に必要なのは、評価ではなく、さまざまに生じる気持ちをそのまま受け入れ、寄り添ってくれる存在だとありました。  以前、「自己肯定感」について世界の子どもたちにアンケート調査をしたという記事を見ました。自己肯定感とは「自分は生きている価値がある」という感覚です。結果は、日本では30%程度の子どもしか自己肯定感を持っていなかったようです。  「自分は生きている価値がある」という感覚を持たない子どもがいるということは、大変な驚きであり、本当に悲しいことです。幼い頃から他人と比較され、大人から"よい子"になることを求められ、また過剰な競争の中にさらされていることで、他人と比べることや、自分が大人の期待に応えることでしか自分の存在意義を確認できなくなっている、と専門家は分析していました。  幼い子どもに限らず、学生時代も常に成績や生活態度を評価され、就職してからもきびしく業績を評価されるのが現代社会ではないでしょうか。  ベンチャー企業のある社長さんが、「部下を叱(しか)る時、何に気をつけていますか」と聞かれた時、「叱ると同時に、必ず"あなたは会社にとってとても大切な人です"と伝えることです」と答えました。  この娑婆(しゃば)世界では「評価」もやむを得ないことで、時には必要なことで
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だいじょうぶだいじょうぶ

みなさんは『だいじょうぶだいじょうぶ』(いとうひろし作・絵)という絵本をご存じでしょうか。 主人公の僕(ぼく)は、幼い頃からずっとおじいちゃんの愛に包まれて成長してゆくのですが、その過程で、いじめや学業不振、杞憂(きゆう)や社会の矛盾というような壁にぶつかるたびに、おじいちゃんから「だいじょうぶだいじょうぶ」という言葉がけをしてもらいます。おかげで僕は大きくなるのですが、今度はおじいちゃんが入院してしまいます。 もしかすると今生(こんじょう)の別れになるやもしれません。二人にとって一番つらい結果が待っているかもしれないその時、僕は「今度は僕の番です」と念じ、おじいちゃんの枕元で「だいじょうぶだいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」と、今までずっとかけてもらっていたあの言葉を、今度はおじいちゃんに返すのです・・・。 この絵本のタイトルには「だいじょうぶ」が二回繰り返されています。その意味は、大切なことは繰り返すのが肝要ということもありますが、一回目の「だいじょうぶ」と二回目の「だいじょうぶ」の意味合いが違うからかもしれません。 一回目の「だいじょうぶ」は、「きっと、たぶん、だいじょうぶよ!」という、安心は安心でも一(ひと)安心(気休め)のだいじょうぶでしょう。きっとだいじょうぶと思い込んで一歩踏み出さねばならないことが、この世の中には多いですよね。でも"きっと"の裏返しは"万が一はダメ"ですから、二回目の「だいじょうぶ」が必要なのです。  この「だいじょうぶ」は「生きてよし、死してよし」のだいじょうぶ、すなわち結果がどうであろうと見捨てられないだいじょうぶ。「ご安心(あんじ
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虹の色は7色?

 年に何回か、空にきれいな虹を見ることがあります。空にかかった橋のような大きな虹を見た時は、なぜか幸せな気持ちになります。実はこの虹、国によって色の数が違うようです。旧ソビエト連邦では4色~7色、ドイツでは5色だそうです。日本では小学校で「虹は7色」と教えられたように覚えています。  太陽の光を、プリズムという三角柱の透明のガラスの中に通すと、いろいろな色に分かれます。この色は赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫の7色に分かれているように見えます。光がガラスの中を通るとき、色によって曲がる角度が異なるためにこのように分かれるそうです。これが虹の正体です。  ところが、本当は7色ではなく、よく見ると無限の色に分かれているのです。私たちがその無限の色を、私たちが使っている色を表す言葉の範囲で区切って、7色の言葉として表現しているだけなのです。  世の中には、いろいろな言葉があふれています。時代とともに使わなくなっていく言葉があり、新しくできる言葉があります。その中で私は、あまり使いたくない言葉があります。「婚活(こんかつ)」「就活(しゅうかつ)」「無縁社会」です。婚活とは結婚活動の略、就活とは就職活動の略だそうです。 人にラベルをはる  結婚も就職もなんらかの縁により結ばれていくものです。そこに「活動」などという言葉がくっついた時点で、それをしなければ社会からはずれた人間になってしまったような感覚になり、結婚、就職ができないことが、罪悪であるかのように感じてしまわれる方がおられます。  就職できていない状態に対して、「ニート」や「フリーター」などという新しい言葉ができてき
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今まで経験ない揺れ

 カタカタカタ・・・・・・。引き戸の揺れる音で始まった。  「えっ! 地震?」と思っている間に、ゆさゆさゆさ・・・・・・。  今まで経験したことのない揺れ。窓から見える親鸞聖人の像が今にも倒れそう。  本堂に走って行ったその間も、ゆさゆさ・・・・・・。  「阿弥陀さまは大丈夫だろうか!?」  土香炉(ぢごうろ)が、金香炉(かなごうろ)が、落ちている。阿弥陀さまは、動じずにじっとお立ちであった。ほっとする間もなく、あちこちから、がしゃんがしゃん・・・・・・。  あさましいことに、とっさに、どれが高価なものか、頭の中で計算機が動く。  テレビに走った。  揺れが治まってから、家中を見て回った。  「ああ!納骨堂が!」  納骨堂の中の各お仏壇が、すべて倒れている。あちこちに、被害を発見。でも、これくらいで済んでよかった。大ざっぱな片付けが終わる頃、テレビで情報収集をしていた母が、「大変だ! 津波が!」と叫んだ。  テレビの画面にくぎ付けになってしまった。親類・友人のことが気になる。電話はつながらない。どうすることもできないことにいら立つ。 スカウトたちが尽力  会津若松市は、東北の被災県ではあるが、目を覆うような大きな被害はなかった。  翌12日より、福島原発が相次いで爆発を起こし、煙が上がる。避難区域に指定された町の方々が、次々と会津に避難。体育館が、あっという間にいっぱいになった。そんな中、我が家にも親類の勝縁寺から避難してきた。当初は津波被害の方々を受け入れていたが、自分たちの所が避難区域になったからだ。しかし、その住職は、ご門徒の葬儀で地元に残っている。私たちも気が気ではない
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お浄土の蓮の花

布教にうかがったお寺の坊守さまから、このようなお話を聞かせていただきました。  「私の祖父は『お浄土でまっているぞ』という言葉を母にのこして亡くなったそうです。それ以来、母は『父がまっているお浄土に参らせてもらわないと』と、一生懸命、聞法に励みました。しかしいつも、『お浄土の蓮の花のつぼみが開かん』と口癖のように言っては、さびしそうにしていました。  そうして私が三十七、八歳の頃でした。母は脳こうそくを患い、闘病生活を送っていたのですが、いつの頃からか、母はあの口癖のような言葉を言わなくなったのです。  私は気になって、『お母さん、お浄土の蓮の花のつぼみはどうなったの?』と尋ねました。  すると『もうそんなことは、どうでもいい、どうでもいい』と言うのです。  病気になって、きっと考えるのも煩わしくなったんだ、と私は思っていました。  でも、違っていました。母は阿弥陀さまのお慈悲に出遇っていたんですね。私もやっとそのことに気付かせていただきました。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ・・・」  ありがたいお話でした。このお話を、もう少し味わってみたいと思います。  まず「お浄土の蓮の花」とは、ご信心のことです。「つぼみが開かない」とは、お母さまがご信心をいただけないと嘆かれていたということでしょう。阿弥陀さまのお救いは「信心一つ」のお救いですから、み教えを真剣に求める人にとって、どんなにつらいことだったでしょうか。  ところで、親鸞聖人が明らかにされた他力の信心とは、一般的に考えられている「信じる」ということではありません。阿弥陀さまが「必ず救う、間違いないぞ」と喚んでくださっている、
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うなずけない言葉

 いきなりお国自慢で恐縮ですが、富山は「いい所」です。立山連峰は四季を通じて雄大な姿を見せ、世界遺産の五箇山合掌集落、おわら風の盆、さらに富山湾から恵まれる、ブリやホタルイカなどの海の幸、もちろんコシヒカリもおいしい。本当に富山は「いい所」なのです。  けれども、今まで何度か「そうだよね」と、素直にうなずけないことがありました。  例えば阪神大震災のとき、あるいは近年の大型台風上陸の折、「ごんげはん(住職さん)富山ちゃ地震もないし、台風も来んし、本当にいい所やちゃ」という言葉を聞いたときでした。そして今回の東日本大震災でも、私が山形出身であることをご存知の方々が、私の実家のことや両親のことを心配してくださって、「ごんげはん、山形のお父さんとお母さんはご無事でしたか?お家の方は大丈夫ですか?」と、たくさん温かい言葉をかけていただきました。その上、被災した東北の人々のことを気づかって「何といとしや(かわいそうな)」と心を痛めておられました。ところがその後に、「ごんげはん、やっぱり富山ちゃいい所やちゃ」とおっしゃるのです。同じ言葉でありながら、冒頭の「いい所」とはちょっと違います。やはり素直にうなずけません。  実際、仙台で暮らす息子さんが被災したご門徒がおられますが、命に別状はなかったものの、ご両親にしてみれば息子さんやそのお連れ合い、かわいいお孫さんのことを思って夜も寝られなかったに違いありません。その場で「富山ちゃいい所」と言えるでしょうか。  震災の後、東京に住む私の娘から、スーパーに食べ物が無くなったから何か送ってくれという電話がありました。日本で一番物があふれる所でそんな
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学ぶとどうなる?

 東西本願寺など浄土真宗の十派でつくる真宗教団連合が、京都市美術館で開催している「親鸞展」を見学しました。聖人が実際に書かれたものや生前のお姿など、本物の持つ迫力が伝わってきて、とても感動しました。イヤホンから流れる三國連太郎さんの音声ガイドも、素晴らしいものでした。  「○○展」などの展示を見学するたびに思い起こす一つの光景があります。もうずいぶん前のことなのですが、博物館での兄弟の会話です。保育園か幼稚園に通っている子が、展示ケースの中を見てこんなことを言いました。  「なんでここに"石ころ"が入れてあるの?」  それを聞いた小学校高学年ぐらいの兄とおぼしき男の子が、「これは"石器"といって、昔の人が使った石の道具だよ」と説明していました。  幼い弟には単なる石ころにしか見えなかったものが、兄には石器という大昔の人々が生活の中で使用していた道具だと見ることができたのです。  学ぶことによって、見方が変わったのです。価値を発見できたのです。  ただ、学ぶことは偉くなること、立派になることだと思ってはいけないと思います。学ぶことによって、「こんなことも知らなかった。あんなことも・・・」と自分の愚かさを知らされる、と味わいたいものです。  学べば学ぶほど、自分の知らないことが逆に増えてきます。至らない自分に気付かされることでもあるのです。  学んだことにより知識が増え、知恵がつき、賢くなったとしても、その結果が人を馬鹿にするだけでは困ります。私は、賢くなることばかりを求める教育には問題があると危惧(きぐ)しています。  親鸞聖人は、ご自分のことを「愚禿(ぐとく)」と名のっておられ
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お仏飯の盛り方から

 兵庫県の播州地方では、田植えが始まりました。今では機械で行っていますが、その昔、手で田植えをしていた頃には、田植えで余った苗を田んぼの片隅に、かためて植えておいたようです。  この苗がある程度の大きさになった時に刈り取って、それを束にして、輪灯(りんとう)のような真鍮(しんちゅう)の仏具のお磨(みが)きに、タワシとかスポンジのかわりに使っていたそうです。大きくなった苗は柔らかく、仏具が傷まなくて良かったそうです。そのかわり、今のようにピカピカというわけにはいかなかったようです。  この話を聞いた時に、仏さまのご飯・お仏飯(ぶっぱん)の昔の盛り方も教えてもらいました。  当時は麦飯だったので、普通にすくっても、ご飯がバラバラして盛れなかったそうです。それで、ご飯が炊けた時、お釜の真ん中に少しだけ真っ白なお米だけの部分があって、その部分をそーっと杓文字(しゃもじ)ですくって、仏さまのご飯にしていたそうです。ですからお仏飯は冷えても、それだけで大変なご馳走だったそうです。  このような営みで、それぞれのお家のお仏壇と仏さまを大切に護(まも)ってこられたのです。  かの地方では、姫路仏壇とか播州仏壇と呼ばれる独特のお仏壇があります。彫刻が多く施された豪華なものです。その彫刻にもいろいろな図柄があるのですが、その一つに西遊記の図柄があります。  なぜ西遊記の図柄がお仏壇に施してあるのか疑問でしたが、これはいかにお経、ひいては仏教の教えが、私のもとに至り届くのに、どれほどの先人たちの苦労があったかということを示したものであるということが、お磨きの仕方や、お仏飯の盛り方を聞いてわかったよう
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喜びや悲しみさえも

 「なして『あなかしこ、あなかしこ~』って言うと?」 ひいおばあちゃんの祥月命日。御文章の拝読の後、小学生のA子ちゃんの問い。  「真宗の坊さんたちゃあ、おかげさまとか、生かされとるとか言わすばってん、ほんなこて、そがん思とらすとかにゃあ」 外で会った他宗派の酔っぱらったおじさんの問い。  「来る道で思うたことばってん、疑う罪によって化土(けど)(辺地(へんじ))にとどまるということば考えてきた。ばってん、ようわからん」 毎月の常例法座の後、お茶を飲みながら、篤信のIさんからの問い。  お参りに行く先々での問い、教育現場での子どもたちの問い・・・、これまでどれだけの問いかけに出あい、考えさせられたことでしょう。  問いかけばかりではありません。目の前に起こってくるさまざまなトラブルや心配事、煩わしい出来事、喜びや悲しみ・・・それらもすべて、僕自身に対する問いかけなのだと思えた時、それらに応えるべく、考え、書物を読み、どう答えるかを構築していきました。  さまざまな問いかけが、この身にしみ込んで、僕を育ててきたように思います。  その中の一つのことです。 ちがってていいんだ  今から20年ほど前、小学校で1年生の担任を受け持った時、学級園にチューリップが咲いたので、みんなでチューリップの歌を歌いました。  ある女の子が「どの花見てもきれいだねって良かねえ」と、つぶやきました。  「うん、良かねえ」と言いながら、僕は『仏説阿弥陀経』の「青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)」(青い花は青い光
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カッコウの声

 6月も下旬を迎え、日本列島の大半は梅雨の季節の真最中となりました。前線の影響の少ない北海道や、私の住んでいる北東北の岩手県でも、どんよりとした空になっています。本堂の裏手にある杉の木や公孫樹(いちょう)の天辺(てっぺん)では、夜も明け切らぬうちから、カッコウが飛んで来て、大きな声で鳴いています。 この情景を、私と同じ渋民(しぶたに)村(現盛岡市玉山区)出身の、薄幸・漂泊の詩人、石川啄木は、「ふるさとの寺の畔(ほとり)のひばの木のいただきに来て啼(な)きし閑古鳥!」(歌集『悲しき玩具』)と詠(よ)んでいます。ここでの「ふるさとの寺」とは、すぐ近くにある啄木の育った宝徳寺(曹洞宗)のことです。  今は亡き私の祖母は、「カッコウは木の頂(いただき)から、四方八方を眺めながら『お前の親さまはここにいるぞよ』と呼んでいるのだ」と、よく話してくれたことを思い出しています。  しかし、私・私たちは、この「親さまの声」に気付くことなく、一生を終えてしまいがちです。 親のこころ  ここで、啄木の短歌を二首紹介しましょう。  「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」(歌集『一握の砂』)  「もうお前の心底をよく見届けたと、夢に母来て泣いてゆきしかな。」(歌集『悲しき玩具』)  上京し、貧困と病苦の床から、思郷の想いで詠んだものですが、母親の恩愛に気付かなかった自分の恥ずかしい姿を嘆いたものです。  だれの親であろうとも、親は自分の子どもの「幸福」を願いながら、育てています。いつでも、自分の子どもの安否を心配し、それを子どもに対する愛情と思って生きているのです。  外の世界を充
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すべて子ども中心

 如来さまのおはたらきを「南無阿弥陀仏のおよび声」と聞かせていただきます。  原口針水(しんすい)和上は、   われとなえ   われ聞くなれど   南無阿弥陀   つれてゆくぞの   親のよび声 とお味わいくださいました。  阿弥陀さまは私の親と名乗ってくださり、いつもいつも私と一緒にいてくださるのです。  阿弥陀さまが私の親と名乗ってくださることは、どういうことなのでしょう。この関係は私たちの身の回りにも味わえることがあります。  赤ちゃんが泣いている声を聞いて、親が急いでわが子のもとに行き、「お母さんよ」と声をかけながら抱きかかえる姿がそれでしょう。子どもがはげしく泣いているのに、何もしない親はいません。子を抱きかかえ、「大丈夫よ、お母さんがいるからね」と、子どもに安心を与えながらあやします。わが子の声を聞き、遠くからでも「お母さんはここにいるよ」と子どもに聞こえるように大きな声で伝えるのです。  私事ですが、かつてわが子の誕生の時、心躍る出あいの喜びを感じつつも、必ず別れていく寂しさとつらさを少し感じたことを思い出します。別れる時が必ずくるというつらさがあるなら出あわなければよいのでしょうか。いいえ、出あいたくて出あえたわが子です。その子を抱きかかえ「お父さんだよ」と何度呼んだことでしょう。  妻が子どもを抱き「お母さんよ」と、そして私の両親が「おじいちゃんよ」「おばあちゃんよ」と呼んでいるのは、自分の名前ではなくて子どもにとっての呼び名なのでしょう。その声も、ちょうど子どもに届くほどの大きさで、柔らかく和ませるような優しい声で呼んでいるのです。  私の母が孫に「お父さん
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サービス提供、再開しました。

進学・本業の仕事で忙しく、ココナラから遠ざかっていましたが、この度、活動を再開しました!お休み中も身近な人の紹介限定で手相鑑定やキャリアカウンセリングを継続してきました。新型コロナもなかなか収まらず、年齢・性別関係なく多くの方が悩みを抱えて生きているなと感じます。鑑定やカウンセリングを通して、「心がすっきりした!」「知らない自分に気付いた!」などデトックスや発見を感じていただけるのが私なりのやりがいと生きがいです。仕事もプライベートもひと段落つき、まとまった時間が出来たので鑑定にカウンセリングに実施していければと思います!悩める皆さまにシェリーがお力添えできれば幸いです。よろしくお願いいたします。【シェリーの経歴】13歳で鑑定士だった祖父の影響で手相占いの勉強を開始、鑑定を始める。人並みに高校受験、大学受験を経験後、NYに正規留学。帰国後、商社で広報・事業開発部門に配属。頑張って、社長直轄で事業をするまで到達。仕事に飽きる。運命の出会いをし、結婚。配偶者の事業を手伝う一環で、塾経営を共同経営。頑張って、エリアNo.1を達成。事業がひと段落し、手から離れる。しばしの休息、困っている人の鑑定やコンサルをしつつ、専業主婦。←今ここ!
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困難に出あっても

 私はここ数年、妙好人(みょうこうにん)について学ばせていただきました。  妙好人とは、善導大師や親鸞聖人が、真実の信心をいただいた人のことを讃(たた)えられた言葉ですが、江戸時代以降に編集された『妙好人伝』では、多くは一般庶民で真実の教えにめざめ、お念仏の生活を送った人を指します。妙好人にもそれぞれ個性がありますが、共通するのは、み教えを聞いて、今まで気づかなかったわが身の煩悩の姿を知らされ、阿弥陀さまのお慈悲に抱かれていることにめざめ、感謝と仏恩報謝の思いで生きたことです。  困難に出あっても、お慈悲に抱かれたわが身を、「おらにゃ苦があって苦がないだけえのう」「お慈悲の力は強いでなあ」と語り、何ごとも「ようこそようこそ」と感謝しつつ生きた因幡(いなば)(鳥取県)の源左(げんざ)さん、阿弥陀さまの光明に照らされた自分を「あさましあさまし」と恥じながら、その私をお救いくださる阿弥陀さまのお慈悲に出あって、「うれしうれし生きるがうれしなむあみだぶつ」といのちの喜びを詠(よ)んだ石見(いわみ)(島根県)の浅原才市(さいち)さん、「おも荷背負ふて山坂すれどご恩思へば苦にならず」とうたった長門六連島(ながとむつれじま)(山口県)のお軽(かる)さんたちの生きざまです。  こうした妙好人は、阿弥陀さまの智慧の光に照らされ、お慈悲に抱かれ、損得・勝敗・賢愚などの相対を超えた安らぎの世界を見いだしています。身はこの世にあって、心は浄土につながっているのです。お慈悲に触れて苦しみ悲しみを乗り越え、いのちの尊さにめざめて人々や動植物、すべての命あるものに温かくやさしく接しました。  親鸞聖人が『教
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経験した者同士でも

 私には中学生になるダウン症の息子がいます。その体験を大学生に話す機会がありました。生まれてまもなく医師からダウン症の疑いと告げられた時の驚きや戸惑い、病気がちで困ったこと、早期療育が大切と聞いてあちこち走り回ったこと、偏食で保育所の給食を食べるのに1年かかったことなど、話題はいくらでもあります。  ちょうどテレビでダウン症のドラマやドキュメンタリーが放送されていた時期でもありました。メディアの美談調なパターンに疑問を持っていた私は、「当事者でないとわからないことがあります」と無意識に口に出していたようです。  後で学生の感想を読んだら、「私は障がいに関(かか)わる人の気持ちを理解したいと思いますが、当事者でないとわからないと言われてしまうと悲しくなります」というものがありました。私ははっとしました。  「経験した人こそわかる」ということが言われます。私も、ダウン症親の会というものに入れてもらって、他の親御(おやご)さんと話をして落ち着いた時期がありました。なるほど遠慮なく話ができる場ほど安心できるものはありません。話をしていて、肩の力が抜けていくのを感じたものです。この意味では、経験した者同士が共鳴し合えるというのは事実です。しかし、必ずしも経験者との交流が、私の苦しみを取り除いてくれるとは限りません。  私が少し冷静になった時、見えてきたのは他との違いの部分でした。一口にダウン症といっても、個々の症例は全然違います。同じくくりに入れるのが難しいぐらいに、症状の出方も発達の度合いも変わるのです。加えて家族の環境や考え方も千差万別です。社会の雰囲気も制度もめまぐるしく変化します
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わかってもらえる

 人生の中で起こるほとんどの努力や苦労は、誰にもわかってもらえないまま耐え忍ばなければならないことがほとんどです。私たちが生きているこの世界のことを「忍土(にんど)」ともいうのはこういうことです。  もし、その苦労をわかってもらえる方がいらっしゃるとしたら、その時、一緒に苦労した方でしょうか。しかし、それでもすべての歩みを知ってもらえるわけではありません。  私のすべてをわかっておられる方がいらっしゃるとしたら、それは阿弥陀さまです。私の恥ずかしいところも全部知ってくださっていますが、それだけでなく、これまでの歩みをすべて知っていてくださるのです。私たちの歩みのすべてをご覧になられ、誰にもわかってもらえないことまでも知ってくださっているのです。  報われない努力、耐え忍ばなければならない苦悩、そんなことを全部ひっくるめて「おまえを救いたいのだ」と、はたらいてくださるのが阿弥陀さまです。それが「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」、摂(おさ)め取って捨てたまわず、というお言葉にあらわされているお心です。  阿弥陀さまは私たちに寄り添い「一人ではない」とよび続けてくださっています。この寄り添う心こそが阿弥陀さまの「慈悲」のお心です。それは、全部知ってくださっている阿弥陀さまが、私の悲しみをわが悲しみとして寄り添い、またうれしいときには一緒によろこんでくださるお心です。阿弥陀さまと一緒に歩む人生ほど心強いことはありません。 一人じゃない  3年前、住職であった父の突然の退任により、私は25歳で住職になりました。90歳の祖父と、がんで二度の手術を終えて退院したばかりの母とでお寺を守っていくとい
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目覚

みなさんは弔問に行かれる時、金封の上書きを何と書かれるでしょうか。  「御仏前」「御香資」「御香典」「御香奠」......。  長崎県島原地方では「目覚(めさまし)」と書かれるそうです。熊本県の一部でも、この語を用いるようです。  地方によっては、ご遺体のある間は「御霊前」で、お骨になると「御仏前」と聞き、「浄土真宗でしょ...?」と問い直したこともありましたが、一般的にいう「香典」を、島原では「目覚」と表記するのです。  なぜ、この語を用いるのか。およそ三つ意味があるようです。  ①亡くなられた方に、もう一度目を覚ましてほしい。目を開けてほしい。  ②縁者が、しっかり目を覚まして、お灯明(とうみょう)・お香の番をせよ。  ③亡き方をご縁として、残された者が、我が"いのち"のありようと往(ゆ)く先をしっかり学び、目を覚ませよ。 の意味で使用されているようです。  ①もう一度目を覚ましてほしい。  残された者の想いとしては、大変よくわかります。  特にお子さまを亡くされたお母さんの想いとして、この言葉はよくわかります。   子は死にて   たどり行くらん死出の旅   道知れぬとて   帰りこよかし と、和泉式部が詠(よ)んでおられますように、死出の旅に出たが、道がわからないから、と言って帰って来てほしい。どんな理由でもいい、もう一度目を開けてもらいたい、という切なる親の心です。 亡き人に大変失礼  ②目を覚まし、眠らずにお灯明の番をせよ。  この言葉の前提には、亡き人が旅立って行き、その世界が暗がりであるため、灯(あか)りをつけてあげなければ行き先がわからない、という考え方があり
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お彼岸のご法話で

 「口はわざわいのもと」という言葉がありますが、「あんなこと、言わなければよかったなぁ・・・」と、後悔することがありますよね。さて、仏教ではこのようなことを、どう考えるべきだと教えているでしょうか?  私はカナダで開教使として6年ほどご縁をいただいておりました。毎年、特に春と秋のお彼岸になると、多くの開教使の先生方は「六波羅蜜」についてのご法話をよくされます。六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、大乗の菩薩が修めなければならない六種の行業(ぎょうごう)です。  この中で、第二に挙げられているのが、「持戒(じかい)」です。  浄土真宗のお寺では「戒(かい)」についてのお話はあまり聞かないかもしれませんが、大乗仏教では仏さまの説かれた「戒(いまし)め」(自らに課す自己規律)というものを、ただ自分のさとりのためだけでなく、利他行(りたぎょう)として味わうものであるといわれています。  浄土真宗も大乗仏教ですので、その道を歩む者が「他の方の幸せを願う」生き方こそが尊いという、慈悲のはたらきによびさまされ続けるみ教えなのです。  さて、持戒の中にはどんなことが掲げられているのでしょうか?それは「十善戒(じゅうぜんかい)」ともいわれています。  ①殺さない ②盗まない ③配偶者以外と淫らな行為をしない ④嘘をいわない ⑤悪口をいわない ⑥二枚舌を使わない ⑦へつらいの言葉を語らない ⑧貪(むさぼ)らない ⑨怒らない ⑩愚かな考えをしない、です。  これを破るのが「十悪(じゅうあく)」です。  耳が痛いとお思いでしょうが、結局この持戒を含めた六波羅蜜とは、仏さまがお示しになられた「仏になる道」、つま
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携帯に残る温もり

 今年の夏、あるご門徒宅で初盆のお参りをした時のことです。お仏壇に携帯電話が置いてありました。付いているストラップなどの様子から、それが亡くなった奥さまのものであろうことがわかります。毎日触れておられた携帯電話には、今も奥さまの温もりが残っているような気がしました。  私自身も、今年の3月、妻をお浄土へ見送りました。38年の生涯でした。  妻は、昨年の9月に娘を産みました。ようやく授かった第一子で、婿養子に入った私も、妻の両親も、とても喜んでいました。夜泣きによる寝不足の疲労も、娘の一つ一つの仕草で吹き飛んでしまうように思っていました。  しかし、妻は産後の体調がすぐれず、娘の1カ月健診の1週間後に入院したのです。検査の結果、卵巣がんであることがわかり、妻本人にも伝えられました。すぐに抗がん剤治療が始まり、妻は病室で娘の様子を気にかけながら、私たちに子育ての指示を出し、治療に取り組んでいました。ところが、順調に進んでいると思っていた抗がん剤治療のさなか、11月に脳梗塞(こうそく)をおこし、病状は絶望的に悪化したのです。 妻の言葉  年明けを病院で迎え、友人や親戚(しんせき)がお見舞いに来てくれました。病院の方々の懸命な処置もあって、一時は体調が上向きのように見えました。家に帰ったらあれを食べたい、娘を連れてどこに行こう、そんな話もしていました。しかし、がんの進行を止めることはできず、2月に入って状態は見る見る悪くなっていきました。  がんの転移は明らかで、完治は見込めないことから、体調のいい時を見計らって一度家に帰ることを検討するようになりました。治療方針の変更にともない、本人
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私が仏に成る教え

 親鸞聖人は90年の長い苦難の人生を過ごされました。そのご生涯の中で、私は特別大切な出来事が二つあると思います。  その一つは、比叡山での修行をすてて山を下りられたこと。  もう一つは、妻子とともに家庭生活を送られたことです。  比叡山での修行をすてて山を下りられたことについて、聖人ご自身が「雑行(ぞうぎょう)を棄(す)てて本願に帰す」と主著『教行信証』に記されています。  これは自分の修行によって仏さまになるという道をすてて、阿弥陀如来の大慈悲によって救われていく道を選ばれたということです。雑行とは自力、本願によって救われる道は他力といいます。  出家して、一人黙々と修行する道では救われず、家庭生活を送り、複雑な人間関係の中で親類縁者、すべての人々とともに救われる道に出あわれたのです。  さて、「仏教」とは、お釈迦さまの教えを実践して私が仏さまになる教えですが、親鸞聖人のみ教えを通して、私は次の三項目に分けて味わっています。  一、 お釈迦さまという仏さまによる教え。  二、 その内容は阿弥陀如来と名のられる仏さまのお慈悲よって救われる教え。  三、 それは、この私が救われ仏になる教え。  阿弥陀さまのお慈悲は「大慈悲」と呼ばれ、すべての苦悩の人々を余すことなくお救いくださるはたらきです。そのお慈悲が、この世界に満ちあふれてはたらいてくださっていることをお釈迦さまがさとり、み教えを説かれたのです。  そして親鸞聖人は、一人で修行しても救われない私たち凡夫が家庭生活を送りながら、複雑にもつれた社会の中で、そこに生きるすべての人々がお慈悲のはたらきに出あって救われるという真実のみ
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殻の中に閉じこもる

 皆さんは目の前にいる友人、隣にいる家族でさえ、時々わかり合えないなと感じる時がありませんか。  「凡夫(ぼんぶ)」のことを、仏教では「異生(いしょう)」とも言うそうです。人間は一人一人が異なる境涯を生きていかざるをえない孤独な存在である、と私は味わっています。だから、自分の都合でしか相手を見ることができず、わかり合えない時があるのではないでしょうか。  もしも、相手の喜びや悲しみを自分のことのように共に分かち合うことができたならば、どんなに素晴らしいでしょう。しかし、私自身を顧みてもなかなかそうはいきません。  特に気持ちに余裕がなくなると、最も身近な人の苦しみ悲しみさえ、我が苦しみ悲しみとしてなかなか受け止めることができません。むしろ自分の思いを相手に押し付け、わかってくれないと自分の殻に閉じこもってしまいます。  学生時代、私は龍谷大学男声合唱団に所属していました。仲間と仏教讃歌を練習する中で、私には一つ目標がありました。それは定期演奏会で独唱者に選ばれることです。皆がハーモニーを奏でる中で独唱をすれば、スポットライトを浴びることができると思ったのです。独唱をするのは当然歌のうまい、限られた者だけです。そのために私はひたすら練習に励みました。  しかし選ばれたのは、残念ながら私ではなく、同じバリトンというパートの友人F君でした。私は表面上では「おめでとう」と言いました。しかし本心は悔しくてたまらず、こう思っていました。  「前日に風邪をひいて、演奏会を休んだらいいのに...」  当日F君は元気に演奏会に来て、演奏は感動するほどの素晴らしい出来栄えでした。しかし、私はモヤモ
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みんなの願い

 先日、組(そ)内の連続研修会で「環境やいのち」について学ぶ機会がありました。  環境破壊の現実を見るにつけ、地球温暖化や海洋汚染、熱帯雨林や野生生物の種の減少、廃棄物の処理問題や酸性雨による被害など、枚挙にいとまがありません。  これらの問題の原因を作っているのが人類であることは、全く疑う余地がありません。その陰で人間以外の数え切れないいのちが失われてきたことを、私たちは決して忘れてはなりません。  もし、今からでも人類が目指す方向を180度転換できるなら、これらの問題も徐々に改善していくかもしれません。  もう10年ほど前になるでしょうか、テレビで「週刊ストーリーランド」という番組が放送されていました。  視聴者から寄せられるストーリーを、アニメ仕立てで構成し直したものでした。フィクションですが、いまだに心に残っている一つのストーリーがあります。それは「みんなの願い」というお話です。  ある時、神さまからのメッセージが、地球上に届けられました。  「一週間後に、地球は七色の光に包まれる。その時、それぞれの心の中で願い事をしなさい。その中で最も多い願いを、地球のみんなの願いとしてかなえよう」というものでした。  そこで、超大国であるA国の若き大統領を中心に国際会議が招集され、世界中の願いを一つにまとめようとしました。ところが、各国の利害が対立して、混乱が増すばかりとなりました。  このままではいけないと、若き大統領は世界のためにある決断をします。  それは「みんなが願うことをやめよう」という呼びかけでした。  いよいよ願いをかなえる日がやってきました。地球のみんなの願いとはい
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お釈迦さまを避ける

 芥川龍之介さんの命日は「河童(かっぱ)忌」として知られています。これは、芥川さんの作品の一つである「河童」や、芥川さんが河童の絵を好んだことにちなむ名称だそうです。  芥川さんは、「河童」に河童の出産シーンを描きます。河童の父親が母親のお腹の中の子どもに対して「生まれたいか」と尋ねると、子どもは「生まれたくはない」と返すのです。なるほど、ここに至るまで流転輪廻(るてんりんね)して繰り返す生(しょう)の中には、生まれたくはない「私」もあったかもしれません。  芥川さんはまた、「尼提(にだい)」という作品を書いています。  尼提は、『阿弥陀経』に「一時仏在舎衛国(いちじぶつざいしぇこく)・祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)」と説かれる、その舎衛国城内で排泄された糞尿(ふんにょう)を城外に捨てに行く仕事をしている人物です。  ある時、尼提は、はるか前方より釈尊が歩んで来られるのを目にします。彼は自分が卑(いや)しい身分であることを恥(は)じ、釈尊の目に触れることを避けようと横道に入ります。  ところが、避けたはずの道で、やはり前から来られるお姿を見つけるのです。幾度繰り返して道を変えても同じことです。持っていた器を割ってしまい糞尿にまみれる尼提の前に立たれた釈尊は、彼に出家を勧められます。  さて、この作品は仏典に材を取っています。その一つ『賢愚経』というお経には、自分は下賎弊悪(げせんへいあく)の極みであるからと、尼提は釈尊の勧めをいったんは断ったと伝えます。  対して、仏の法は弘広無辺にして貧富貴賎男女の差はないのだと、釈尊は説かれます。  いのちに貧富貴賎男女の差別はありま
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どうして言えない

 このたび50年に一度の親鸞さまのご法要のご勝縁にお参りすることができました。特に新しく制定されました「宗祖讃仰作法(しゅうそさんごうさほう)」の音楽法要での、あのご和讃とお念仏のリズム、そしてメロディーは、今でも耳に心地よく残っております。そのご和讃の一つ ───   十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)の   念仏の衆生をみそなはし   摂取(せっしゅ)して捨てざれば   阿弥陀となづけたてまつる 摂取不捨(せっしゅふしゃ)、如来さまのお慈悲の光の中に摂(おさ)め取(と)って絶対に捨てることはない、だから「阿弥陀さま」と申し上げるのだよ、とお聞かせいただきながら、昔の出来事を思い出しておりました。  今から20数年前、長女が2歳の頃のことです。その娘が遊びの最中、私の母に大けがをさせかねない過ちをしてしまったことがありました。その時、私はまだ幼い娘を「どれだけおばあちゃんが痛かったと思うの!ごめんなさいと言いなさい!」と、大声でしかりつけました。  きっと恐ろしい形相だったのでしょう。娘は驚きと恐怖からか、ただ泣きじゃくるばかりで「ごめんなさい」がどうしても言えません。だから私はさらに大きな声になります。「はやく言ってくれたら許してあげられるのに」と私も悲しい気持ちでしたが、「これもしつけ」と思って、しかり続けました。  母は娘をしかるそんな私の姿をじっと見つめながら、とても悲しそうな表情をしていました。そのうちにたまらなくなったのでしょうか、母は私をそっと押しのけ、娘を優しく抱きしめました。そして「よしよし、大丈夫だよ、よしよし大丈夫」と笑顔で、しかし、涙を流しながら何度
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一言の中に人生が

 親鸞聖人750回大遠忌法要で行われた「街頭布教」のお手伝いをさせていただきました。京都駅の前にある京都タワーの下で、観光客などに法要のご案内をしました。  お坊さんの姿ですから、修学旅行生には珍しそうに見られますし、外国の方には写真を撮られたりします。信号で立ち止まる方はいても、聞いてくださる方はほとんどありません。  最初ははずかしくて言葉に詰まりましたが、次第に慣れてきて、法要のご案内と仏教のお話をしていました。1時間経ったので本願寺へ戻ろうとした時、一人の女性がこちらをじっと見ておられました。  「どうぞお参りしてくださいね」と私が声をかけると、「坊主はきらいだ」と言って立ち去られました。1時間いて、たった一言「坊主はきらいだ」との言葉に、私は落ち込みながら本願寺へ戻りました。  しかし、時間が経ってから、本当に嫌いであれば私と話をしないのでは、何か伝えたかったのかもしれない、と考えるようになりました。一言の中にはその人の人生があります。その人がこれまでに誰とであい、何にであい、どのようにであってきたのか、と考えさせられました。  お坊さんらしい人間ではない私に「坊主は嫌いだ」と、お坊さんとして声をかけてくださったことが有り難く、尊いご縁であったと後から思えるようになりました。 時計を見ながら  今年、祖父の25回忌を迎えました。祖父が亡くなった当時、小学生だった私に祖父は「よいお坊さんになれよ」と言い遺しました。私にとって、その言葉だけが心の片隅に遺されました。そんな祖父のことを、昨年3回忌を迎えた祖母が「いつが別れになるかわからんから話しておくね」と、いつも私に語り
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善導大師のおことば

 「みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難(かた)きがなかにうたたまた難し。大悲弘(ひろ)くあまねく化(け)する、まことに仏恩(ぶっとん)を報(ほう)ずるになる」 今年は多くの出来事がありました。深い悲しみの中で年の瀬をお迎えの方も数多いことと思います。そんな私たちがさまざまな思いを抱えて生きる今ここが、阿弥陀さまのはたらくところ、「あなたを必ず救う」とよびかける如来大悲の真っただ中なのです。  「自(みずか)ら信じ、人を教えて信ぜしむる」。漢文では「自信教人信(じしんきょうにんしん)」です。これは七高僧のお一人、中国の善導大師のお言葉です。親鸞聖人はこのお言葉を『教行信証』の中で引用されて、他力の信心を恵まれた者は、自ら信じさせていただいたことを大いによろこび、ほかの人をまた信じさせることになる。それは実に得難いよろこびであるといただかれました。  それに続く「大悲弘くあまねく化する」は、阿弥陀さまのお慈悲が主語です。聖人は教えを伝えることも私たちの手柄ではなく、阿弥陀さまのはたらきの中の出来事といただかれました。私たちが教えを信じ、人に教えて信ぜしめることも、法そのものの持つ「弘まる」はたらきということです。お念仏をよろこぶ、お浄土へ向かう今をよろこぶ方々を通じて、私たちに如来の大悲が届いているのです。 若い夫婦がおつとめ  今から10数年前、私は広島県のお寺に法務員(お参りのお手伝い)として勤めていました。広島は各ご家庭で「お取り越し」が盛んな地域です。お取り越しとは、親鸞聖人のご遺徳(いとく)を偲ぶ報恩講のご法要のことで、1月の御正忌(ごしょうき)報恩講より先に「取
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行間から漂う香り

 よくしれらんひとに尋ねまうしたまふべし。またくはしくはこの文(ふみ)にて申すべくも候(そうら)はず。目もみえず候ふ。なにごともみなわすれて候ふうへに、ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ。よくよく浄土の学生(がくしょう)にとひまうしたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。 親鸞聖人、85歳の時のお手紙です。ある人からの質問に対して、丁寧に的確かつ理路整然として応答されたお手紙の結びの一節です。  丁寧にお答えになられたその上で、「この手紙にいちおう詳しくは書きましたが、よくお浄土について学んでいる人にお尋ねください。もう私はご存知のように老いてしまいました。目もよく見えません。なにごとも忘れてしまいました。人さまに教えを説くような身ではございません」とおっしゃっているのです。  なんともいえず深い味わいがあって、私はこのお手紙が好きです。  私はうまく表現できないのですが・・・、聖人が「老い」を静かに引き受けている香りが漂っている気がするのです。どこにも力みがなく、行間からは、自然の風景を観じているがごとき眼差(まなざ)しで自らの有りさまを語っておられる雰囲気を読み取ることができます。 一筋縄でいかないお方  一方、このようにおっしゃられながら、聖人は90歳近くまで精力的に著述活動を続けられました。「悲嘆述懐(ひたんじゅっかい)和讃」のような緊張感あふれるご和讃や、近代哲学で高く評価された「自然法爾章(じねんほうにしょう)」を書かれたのは85歳以降の最晩年です。  一方では自らの老いをあるがままに引き受け、一方では「浄土は恋しからず候う」(歎異抄)と語る。なんて一筋縄ではいか
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なんで座ってない?

 兵庫県で「のじぎく国体」が開催されました。それに伴い、県全体の競技力アップを図ろうという動きが起こりました。  その縁で私は、地元の小・中学生と一緒にハンドボールをすることになりました。そこで出会う子どもたちのいのちは、実に個性豊かです。ガッツポーズを乱舞させ、闘争心を前面に押し出す子ども、自分のミスに責任を感じて、思わず泣き出してしまう子どもなどなど。これからも、縁ある限り、そんな子どもたちと共に汗や涙を流していきたいと思います。  そんなふれあいの中で、先日、こんなやりとりがありました。それは、ビデオ録画をしていた自分たちの試合を観ながら、各々の反省点を探そうという時のことです。  ある1人の子どもが、ベンチに映っている私たちスタッフの姿を見て、「なんでイスがあるのに座ってないの?」と聞いてきたのです。その場にいたスタッフを代表してチームの監督が「それは、みんなのことが心配で心配で仕方ないから、思わず立ってしまうんや。練習してきたことを精いっぱい、発揮してほしいと思うから、立ち上がって、声をかけてるんやで。みんながコートで一生懸命プレーしてる時に、ベンチのイスにふんぞり返って座ってるなんてことはせえへん」と答えたのです。 お立ち姿の仏さま  私は納得してくれたのかなぁと、彼の様子を窺(うかが)っていると「ふーん。でも、試合になると無我夢中やから、ベンチからの声は聞こえへんで」と笑いながら話したのです。素直な言葉です。これが選手たちの本音なのでしょう。あまりにも正直な返答に、私たちスタッフも苦笑いするしかありませんでした。  けれど監督が「それでもええねん。みんなに声が聞こ
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教壇に立ってみて

 「学校がなかったら暗闇の中にいるようなもんや」  みなさんは〈夜間中学〉をご存じでしょうか。全国で35校しかないのですが、夜間といっても公立の中学校です。不思議なご縁で、私が非常勤講師として教壇に立たせていただいて6年になります。生徒さんは、先の戦争のために小中学校で学べなかった方々。日本人、旧植民地出身の在日韓国朝鮮人と台湾人、そして現在では多数を占められる、旧満州に終戦とともに置き去りにされた中国残留邦人とそのご家族です。この方々に、家庭崩壊や不登校などの理由で若者がちらほら加わって、なんともバラエティに富んだ学校となっています。  さて、文字を知らない、読み書きができない、とはどういうことでしょう。冒頭の言葉は74歳の生徒、Sさんの言葉です。「朝鮮」から父親とともに渡日。父親は日雇いで働き、彼女が家事や妹たちの子守を引き受け、結局学校にはいけなかったのです。自分の子育ても終わり、やっと〈夜間中学〉にたどりつかれて、初めて鉛筆をにぎり「あいうえお」を書かれた。・・・読み書きができないことが恥ずかしい・・・だから無文字であることを隠すために近所づきあいもできない・・・。もちろん福祉や人権なども遠い話、役所にいっても申請書類が書けないのです。 おごりも卑下もなく  また、入学当時は誰とも目を合わせずいつもうつむいておられたHさん。彼女は「学校に入っていろいろ教えてもらって、私、初めて一人で町へ出たんやで」と教えてくださいました。それまでは、家事を行うのもすべておつれ合いの指示で動き、値札も読めないから買い物も二人連れであったそうです。その彼女に「学校に来て何が一番良かったです
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旅ゆくしんらんを・・・

 平家物語でも有名な「盛者必衰会者定離(じょうしゃひっすいえしゃじょうり)」という言葉が示す通り、これは私たちが住む世界の道理です。盛んなる者は必ず衰え、出会った者は、いつかは必ず別れねばなりません。  小学校入学から卒業するまで、月に一度の自坊の子ども会に出席していたK君のおばあさんが、先日ご往生になりました。亡くなられたという知らせを受けてお参りしました。K君も親族のみなさんといっしょに、ご遺体の傍らに座っていました。  K君は昨年、初めての子どもに恵まれ、育児にも励む新米お父さんです。新しい家庭を持ってすぐに、ご本山からご本尊をお迎えしました。秋には初参式のご縁に遇(あ)い、おばあさん共々大変喜んでいました。そのK君が読経の後で、おばあさんが息を引き取る前の様子を話してくれました。  「祖母はたったひと月の療養で往(ゆ)きました。小さい時からかわいがってくれました。厳しいけれども優しい、懐の深い情の厚い祖母でした。亡くなる一時間前に僕に『旅ゆくしんらん』を耳元で歌ってくれと言うのです。残念ながら僕はその歌を知りません。でも、ご本尊の前にいつも置いている、子どもの時から使っているお経本にはこの歌があるだろうと思って、急いで病院から家に帰りました。それを手に取り病室に戻り、経本を開きました。でもその歌は載っていませんでした。あぁと落胆しましたが、『恩徳讃』なら知っている、空で歌えると思い直し、ずっと繰り返し歌いました。その歌を聞きながら祖母は静かに安らかに目を閉じました」 懸命に伝えようと  思い返せば昨年11月末のお取り越し報恩講には、87歳になるそのおばあさんは、参拝のみ
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お休みしてるのは・・・

 春の足音とともに、きびしかった冬もようやく終わりを告げようとしています。  「春眠暁(あかつき)を覚えず」などといわれますが、朝の寝床の名残惜しさも、あまり感じなくなってきた今日この頃です。  朝の目覚めとともに気になるのが、その日の体調。「胃がちょっともたれてるな」とか、「なかなか肩こりがとれないな」と、日頃の疲れがたまっているのが、忙しさに追われる現代人ではないでしょうか。  さて、私たちのお腹の中にある胃や腸といった臓器は、食べ物を消化して、生きていくために必要な栄養を身体(からだ)に取り込んでくれています。これらの臓器は心臓と同じように、意識をしなくても勝手に働いてくれています。ありがたいことです。  元気な時は忘れがちでも、ちょっと風邪をひいたり、お腹が痛くなったりすると、健康のありがたさが身にしみます。毎日頑張って、それこそ寝ている時も起きている時も、私の身体中のすべてが働き続けてくれているのです。  ところが、一つだけお休み?をしているところがあります。  それは「おへそ」です。  いかがですか、「この前、おへそに世話になったなぁ」という方がおられるでしょうか。やっぱり、おへそなんて何の役にも立っていませんね。 親の心 子知らず  でも、私がこの世に誕生するまで、母親のお腹の中で私と母は一本の管で繋(つな)がっていました。その名残がおへそです。日頃の会話の中にも、「へそを曲げる」とか「へそで笑う」など、昔からおへそに関することわざは多く使われています。  普段はあまり気にも留めていませんが、おへそをよく見てみると、へこんでいるものや、出ているもの、右に向いたり、
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