お釈迦さまを避ける

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 芥川龍之介さんの命日は「河童(かっぱ)忌」として知られています。これは、芥川さんの作品の一つである「河童」や、芥川さんが河童の絵を好んだことにちなむ名称だそうです。
 芥川さんは、「河童」に河童の出産シーンを描きます。河童の父親が母親のお腹の中の子どもに対して「生まれたいか」と尋ねると、子どもは「生まれたくはない」と返すのです。なるほど、ここに至るまで流転輪廻(るてんりんね)して繰り返す生(しょう)の中には、生まれたくはない「私」もあったかもしれません。
 芥川さんはまた、「尼提(にだい)」という作品を書いています。
 尼提は、『阿弥陀経』に「一時仏在舎衛国(いちじぶつざいしぇこく)・祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)」と説かれる、その舎衛国城内で排泄された糞尿(ふんにょう)を城外に捨てに行く仕事をしている人物です。
 ある時、尼提は、はるか前方より釈尊が歩んで来られるのを目にします。彼は自分が卑(いや)しい身分であることを恥(は)じ、釈尊の目に触れることを避けようと横道に入ります。
 ところが、避けたはずの道で、やはり前から来られるお姿を見つけるのです。幾度繰り返して道を変えても同じことです。持っていた器を割ってしまい糞尿にまみれる尼提の前に立たれた釈尊は、彼に出家を勧められます。
 さて、この作品は仏典に材を取っています。その一つ『賢愚経』というお経には、自分は下賎弊悪(げせんへいあく)の極みであるからと、尼提は釈尊の勧めをいったんは断ったと伝えます。
 対して、仏の法は弘広無辺にして貧富貴賎男女の差はないのだと、釈尊は説かれます。
 いのちに貧富貴賎男女の差別はありません。しかし、尼提は自分が卑しい身分だからと自らを蔑(さげす)みます。釈尊はその思い込みこそが尼提自身を苦しめてきたのだ、とおっしゃっているのです。
間違いのない救い
 釈尊の時代においては、出家すること自体が、河童と違って生まれ来るか否かを選べない、人間の苦悩からの救いであったのかもしれません。
 ところで、尼提はついに出家するのですが、なぜ彼はそのように思い込んでいたのでしょうか。
 他者のいのちを自分のために利用しようとする人がいます。生まれによる差別を作ることによって、自分は快適に暮らそうとする人がいます。
 親鸞聖人の生きられた時代もまた、わずかな人が巧みな仕組みによって多くの人々から自由な思考と行動を奪う、身分制の世の中でした。願ったわけではないのに、貴族や武士たちの道具として生まれたいのちは、道具のまま死んでいくしかありませんでした。
 しかし、尼提のような立場の人を受け入れた教団はありません。なぜなら、仏教教団そのものがその身分制度の中にあって、その仕組みを支えていたからです。
 親鸞聖人は飢饉(ききん)に苦しむ人々のために「浄土三部経の千回読誦」を発願されたことがある、と伝えられています。結局、阿弥陀さまの願いに違(たが)うとして読誦を止められるのですが、このことからも知られるように、聖人は当時の仏教教団の中心であった比叡山から下りることにより、自ら耕しながら自らの食(く)い分(ぶん)までも奪われていく人々、災害や飢饉、争いなどの際に真っ先に切り捨てられる人々の中においでくださいました。生まれや立場によって、生き残るいのちと死んでいくいのちとに選別されていく。そのことを当然のこととして受け入れている姿は、釈尊から逃げようとする尼提の悲しみに重なります。
 阿弥陀さまのおはたらきの場は、今この時この私です。逃げる尼提をどこまでも追われた釈尊は、尼提の逃げざるを得なかった苦しみと悲しみを見抜かれ、尼提を救うためにその前に立たれました。尼提にとっての釈尊と同じく、今この私の前にお念仏となって阿弥陀さまがおいでくださるからこそ、間違いのない救いにあずかるのです。
 父は私に、門信徒会運動は「寺の中の差別をなくす」運動、同朋運動は「社会の差別や不条理に向かい合う」運動、と教えてくれました。運動という言葉を、仏弟子たる念仏者の生き方と聞く時、750年の月日をつなぐ教えが知らされます。今日もまた、そこに我が身が積み重なる一日にしたいですね。
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