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修行②w

以前にも書きましたが…私自身がそもそも占いというものに非常に懐疑的で、合理的でもなく、科学的でもない、もし本当にキチンとした学問なら、こんなサブカル的に隅に追いやられてないだろう‼︎と考えておりました。そして知った今でもどこか、自分自身がどっかネジが外れてしまったんではないか?と考えてしまう事がありますwただ先生のアドバイスで本来の私がしないであろう選択をし、現状問題はあれども“幸せだ‼︎”(低い次元で申し訳ありませんw)と本気で思えるのは、先生と出会えたこと然り、この胡散臭い“占い”(先生の嫌いな言葉ですがw)に出会えたおかげだとは思っています。先生との出会いのくだりが全然疎かにはなってますが、今後キチンと書いていきますwさて‼︎ この1週間の修行の続きですが、私の知識と実際の学問としての占いを合わせていく作業をしていたのですが、“相”の部分の解釈が全く違うので、困惑していましたw先生の具体的な占術は書くことはできませんし、私自身も先生と全く同じ手法を使いこなす自信もありませんが、日本の多くの人が語っているものと大きく異なりました。先生の方法自体も中国のそれとは少しズレているのは承知なのですが、そこに至る“経緯”というか“概念”が違いすぎました。そもそも風水や姓名判断で万人に対してこれが“吉”、これが“凶”なんてものは存在しません。“相”の占術を生業にされている方を一切否定するつもりはありませんが、私が知る限り“相法”は補助的役割しかありません。占い師の判断によりますが、せいぜい10%〜30%だと私は考えています。そして風水も名前もその鑑定される方の“属性”を導き出して(この
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穏やかに激変する手相 の話

こんにちは フィベルです。ブログは夜とかに書き溜めたりして 適時開示する形を採っているのですがある日 ネタ探してるはずが気が付いたら自分の手相を書き写してました。生来そこにあるものなのに あるからこそじっくり観察などしないその一つが手相です 別段気にも留めなかったわけですが ここ10年でしょうか ちまちま見ていると「こんな線あったか・・・?」て発見があったりします。正確ではない & ざっくりしたものですが僕の左手だけ晒してみます。(指はもっと細いです)特徴がなんか濃いものなどを書きますので これを見ている方は暇つぶしがてら 自分の手相と見比べてみてください。親指の付け根付近のところは金星丘 去年くらいまでふっくら盛り上がってましたが 近年若干収まったというか しぼんだ感 しかしここいらはず〜っと放射状に線が入っていて20代の頃にアルバイトの後輩から「おじいちゃんみたいな手ですね!」と言われる健康線 30代は存在していなかった線 今のところ生命線と同じくらいの濃さ 手相学では長い&濃いは良くないらしい左手親指の関節には生来から小さい仏眼がある が 右手にはなかったのに今のところうっすらある感しかし相変わらずお化け的なものに遭遇したことはない書きたくないのだけれども左手には切れ切れで 右手にはもうすぐ繋がる?みたいな格好で「エロ線」がある呼称として「エロ線」は正しくないようで本来は芸術的な要素の有無を示すとかなんとか太陽線 これをブログとして書くきっかけとなった線最近 いや去年は無かった アホみたいに伸び散らかしている結婚線を貫通して感情線に到達しているが・・・だからと言って収入が
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あんたどこにおる?

 九州新幹線が全線開通し、実家の近くにも新幹線の駅ができました。以前は、京都から九州方面の新幹線に乗ると終点は博多駅でした。そこから在来線に乗り換えてしばらくすると、だんだんと緑が増え、見慣れた故郷の景色が広がってきます。新幹線の駅ができたことで、時間の短縮にはなりましたが、まだなかなか慣れません。  その新幹線の駅で初めて降りた時のことです。私の実家は、田園に囲まれた地域にあって、今の季節は虫の声がよく響く、のどかな場所にあります。そんな地域にできた新幹線の駅ですから、初めて降りた時は、そこだけ異空間のようでした。天井が目映(まばゆ)いばかりにピッカピカで、「すごいのができたなあ」と感心しながら改札を抜けました。しかし、一歩駅を出ると辺りは真っ暗でした。  母と出口で落ち合うことになっていましたが、姿が見あたりません。反対側かと思い、そちらへ行ってみると、そこにも見あたりません。すぐ近くに在来線の駅があり、そっちだったかもしれないと思い、さらに行ってみましたが、やはり姿はありません。ウロウロとして最初に出た所まで戻ってきてしまいました。  よく考えたら具体的な場所を決めていなかったのです。慣れた駅ならば、どこの出口ということは言わなくても暗黙の了解でわかるものですが、初めて降りた駅です。実家から車で10分ぐらいの場所にあり、私は妙に慣れたつもりでいたのですが、向かうべき実家がどの方向にあって、駅のどの出口から出ればそちらに近いのか知らなかったのです。  その時です。  携帯電話が鳴りました。母からです。 「あんたどこにおるとね?」 「どこって・・・」  遠くに明かりは見えます
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学校だけではない

 最近、子どもたちの「いじめ」についての報道が多くみられます。「いじめ」はいけない行為であることは、子どもたちや先生はもちろん、みんなが知っています。しかし、一向になくなる気配はありません。むしろ、どこにでも起こっていることが報道などで知られます。この「いじめ」の原因は、いったい何なのでしょうか。  私は子どもたちの人権保護の役割の一端を担わせていただいています。そこで聞かれることは、「学校の指導が・・・」「教員の質が・・・」などの言葉で、学校関係の責任を問う声が多く聞かれます。  確かに、いじめの事件が起こっているのは子どもたちの世界ですから、学校が舞台となっていることは事実です。その意味で原因の一端は学校にあることは否定できません。しかし、いじめの加害者を生んだのは、単に学校での指導の問題ではないようです。 別の視点で見ると、地域社会や家庭の大人の問題が、大きな要因となっているように感じます。  教育関係機関の研究データによると、現在の子どもたちは、学校以外の社会で多くのストレスを感じていることが報告されています。また、それを解消できる家庭・家族関係でもストレスを受け、こころを休めることができる場所もありません。家はあっても子どもたちのこころを受け入れ、安心できる家庭が少ないのが現実です。  常に、子どもたちから「お母さんやお父さんが私のことをわかってくれない」「誰も私の話を聞いてくれない」などの相談を受けることが多いのも頷(うなず)けます。子どもの成長過程によりさまざまなケースがあり、一概には断言できませんが、仮にいじめを受けた子どもが、追い詰められてサインを出していると
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孤独死が社会問題に

 この10年を振り返ると本当に早かったという思いがします。「光陰矢のごとし」。まさにこの言葉が胸に響きます。  時代の変化とともにかつての家族制度は崩壊し、社会全体も大きく変革してきている中で、お寺を取り巻く環境も以前とはずいぶん変わってきました。ひと昔前なら、三世代が一つ屋根の下で暮らすことが当たり前と考えられていたことが、最近では「親は親、子どもは子ども」といった考え方が主流となり、子どもたちもある一定の年齢を過ぎれば自立し独立しています。  祖父母が去った後は家に残るのは夫婦二人。お互いいつまでも健康であれば結構なことですが、そうはいかず、いずれ必ずどちらかは先に亡くなられる。その後、また子どもと同居という方もおられますが、なかなかそうもいかない。その結果、一人暮らしのご家庭が目に見えて増えてきたように思われます。ここ最近、日々のお参りの中での実感です。  この究極の核家族化が変化する兆しは見えてきません。それだけではなく、近隣同士の関係は希薄化し、かつて「東京砂漠」と言われた時代も今は昔。次第に人間同士が無関心な時代になってきました。バブルの崩壊以降、人にかかわっている余裕がなくなってきたことも一因かもしれません。現代人は、時間は持てても、ゆとりと余裕を無くしてしまったといわれます。  そんな状況下、「孤独死」が大きく社会問題化しています。孤独死とは、一般的に一人暮らしの人が一人だけの時に、自分の住居内で生活中に死に至ることといわれるそうですが、中でも多いのは、突発的な事態が起こり、そのまま誰にも連絡できずに亡くなってしまうというケース。遺品整理専門の業者も毎年増えてい
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生命に宿る問い

 「自分が死んでいかなければならない」  これは極めて宗教的な問いです。しかし、この問いを持つ人は少ないのではないでしょうか。また、臨終になろうとも、この問いを真剣に考えることなく死んでいく人もあることでしょう。ところがこの問題は、たとえ若くとも、また健康に自信があろうとも、決して無関係ではなく、この世に生まれた万人が抱える共通の問題なのです。  この宗教的な問いをひとたび持つような事態となれば、この私を支えてくれるものは何ひとつないことに気付かされます。ただ一人この世に来て、ただ一人この世を去っていく。まったくの単独者であり、孤独です。「自分が死んでいかなければならない」という宗教的な問いは「生命」そのものの中に宿っているといってよいでしょう。  「生命」を営んでいくために必要な教養や知識、蓄えた財産などは、死を目の前にしては何の支えにもなりません。  では、ただ一人空(むな)しくこの世を去っていかなければならないのか、と思い悩むしかないのでしょうか。  生と死は紙の裏表のようなものですから「生死(しょうじ)の問題」といい、「生死の壁」ともいいます。浄土真宗では「後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)」ともいいます。  生死の壁の前で終わる人生は、ただいたずらに暮らし、いたずらにあかした生活であり、そこに、人間に生まれた意義を見いだすことはできません。あたかも人生は夢のようなもので、夢を見ているときはそれが現実で、その現実にいかり、腹立ち、悲しみ、喜びます。しかし夢から覚めてしまうと、夢の中の現実は、まったく空ごとたわごとというものでしょう。  この生死の壁を超えていく道を明
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いただいたわら草履

 数年前のこと、布教に出掛けた先で、ご門徒のAさんにお会いしました。  それからというもの、そのお寺に布教に行くたび、Aさんからお土産(みやげ)をいただきました。  そのお土産は、藁草履(わらぞうり)二足、そして布で仕上げた草履二足。さらに、携帯電話のストラップとして、糸で仕上げた小さな草履数個をいただいて帰るのです。  私はただ「ありがとうございます」と、お礼の言葉だけを言って帰っていました。  お寺に帰って、早速、お土産の藁草履を使わせていただきました。あるとき、草履で歩きながら、ふとAさんのことを思い出しました。  「この藁草履を作るのに、いったいどれほどの時間がかかるのだろうか。大変な集中力や気力が必要だろうな」と思いました。  数年後、そのお寺の法座にまたご縁をいただき、同じく藁草履のお土産をAさんからいただきました。  私はAさんに「ありがとうございます」と、まずお礼を申し上げてから、「この藁草履を作られるのにどれほどの時間がかかるのですか。大変な集中力や気力が必要なんでしょう」と尋ねてみました。  するとAさんはにっこりと笑いながらお話をしてくださいました。  「時間も集中力も気力も、考えたこともないです」  そして私に向かってAさんは「先生のー、先生はここにお越しになるのに何を履(は)いてこられましたか」と聞かれました。  私は靴(くつ)ですと答えました。  Aさんは「靴を買うには、わしが靴に合わせないといけない」と言われました。自分に合った靴を見つけないといけないということでしょう。  続けてAさんは「藁草履はのー、わしの足が藁草履に合わせなくても、藁草履がわ
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エコのため車を軽く

 あるご門徒さんのお宅で、ご法事をつとめさせていただきました。親族が集まり、厳かな雰囲気の中で法要をつとめ、そのままお食事まで同席させていただきました。無事ご法事が終わったこともあってか、アルコールが入った勢いもあってか、皆次第に楽しげな雰囲気となり、会話も盛り上がってきました。  すると、突然ご門徒さんが私に「うちの息子は結婚適齢期なのに、彼女もつくらないで、車にばっかり入れ込んでるんですよ。どうにかなりませんかね。誰かいい人でもいませんか?」と尋ねてこられたのです。差しあたって思いつく方もおられなかったので「う~ん、おられませんね」とお答えすると、ご門徒さんは肩をガクッと落とされ苦笑されていました。そんな光景に私も笑いながら「では、いい人が見つかったらご連絡いたします」と約束をしながら、話題を息子さんの車に関するものへと向けていきました。  30歳という息子さんは、とにかく車好きで、お金もたくさん車にかけられているようでした。車の知識が乏しい私は興味を抱き、隣に座っていた息子さんに話しかけてみました。  「車のどのようなところが楽しいのですか?」  すると息子さんは「最近は車の燃費をできるだけよくしようと運転するところに楽しみを感じます」と答えてくれました。さらに「エコの時代に一人ひとりが低燃費で運転することは地球にとっても大事なことだ」と目を輝かせながら主張し始めたのです。その時、私は気付きました。ご子息さんの関心に火をつけてしまったことを・・・。  それから話は続きました。燃費がよくなる車の運転の仕方、大切な部品、最後には車の軽量化を維持するため、ガソリンは満タンにはし
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おこころをいただく

 浄土真宗の門信徒にとって、ご本尊は、言うまでもなく阿弥陀さまです。私たちの先人は、悲しい時、うれしい時、腹の立った時、それこそ毎日毎日、何があってもなくても、阿弥陀さまと向き合い、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」とお念仏申しながら暮らしてきました。  そして、日々の生活の中に起こってくるさまざまな問題を、その都度、阿弥陀さまに相談し、自分とまわりの世界のあり方を問い、生きてきました。  言うなれば、阿弥陀さまのおこころ(願い)をいただき、生きる力としてきたのです。  蓮如上人は、「信心獲得(ぎゃくとく)すといふは第十八の願をこころうるなり」と「御文章(ごぶんしょう)」にお示しくださいました。  阿弥陀さまのおこころを、わが身にいただいて生きなさいとの実に明確なお示しです。  それでは、阿弥陀さまのおこころをいただくとは、どういうことをいうのでしょう。  念仏者、教育者として知られた東井義雄先生のご本の中に、『次郎物語』で有名な下村湖人(こじん)先生の「おかあさんのかんじょう書き」というお話が紹介されていましたので、要約してご紹介します。 〝みんなただ〟  進君という少年が、学校へ出かける時、前夜書きつけた紙片を二つに折って、お母さんの机の上にそっと置いて学校へ行きました。紙片には次のように書いてありました。   請求書   一 市場へのお使い代 十円   一 マッサージ代   十円   一 お庭のそうじ代  十円   一 妹をつれて行き代 十円   一 婦人会の留守番代 十円               進   お母さんへ  進君のお母さんは、これを見てニッコリしました。そして
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生きる価値とは

 ある育児冊子に「子どもを"ほめる""しかる"という一見相反する行為は、実は"評価する"という同じ性質をもったものである」とありました。  子どもの将来を考え、小さい頃から善悪をしっかり教えておかなくては、というのが親心です。誰もがそうして子育てをしているのではないでしょうか。しかし、冊子には子どもにとって本当に必要なのは、評価ではなく、さまざまに生じる気持ちをそのまま受け入れ、寄り添ってくれる存在だとありました。  以前、「自己肯定感」について世界の子どもたちにアンケート調査をしたという記事を見ました。自己肯定感とは「自分は生きている価値がある」という感覚です。結果は、日本では30%程度の子どもしか自己肯定感を持っていなかったようです。  「自分は生きている価値がある」という感覚を持たない子どもがいるということは、大変な驚きであり、本当に悲しいことです。幼い頃から他人と比較され、大人から"よい子"になることを求められ、また過剰な競争の中にさらされていることで、他人と比べることや、自分が大人の期待に応えることでしか自分の存在意義を確認できなくなっている、と専門家は分析していました。  幼い子どもに限らず、学生時代も常に成績や生活態度を評価され、就職してからもきびしく業績を評価されるのが現代社会ではないでしょうか。  ベンチャー企業のある社長さんが、「部下を叱(しか)る時、何に気をつけていますか」と聞かれた時、「叱ると同時に、必ず"あなたは会社にとってとても大切な人です"と伝えることです」と答えました。  この娑婆(しゃば)世界では「評価」もやむを得ないことで、時には必要なことで
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だいじょうぶだいじょうぶ

みなさんは『だいじょうぶだいじょうぶ』(いとうひろし作・絵)という絵本をご存じでしょうか。 主人公の僕(ぼく)は、幼い頃からずっとおじいちゃんの愛に包まれて成長してゆくのですが、その過程で、いじめや学業不振、杞憂(きゆう)や社会の矛盾というような壁にぶつかるたびに、おじいちゃんから「だいじょうぶだいじょうぶ」という言葉がけをしてもらいます。おかげで僕は大きくなるのですが、今度はおじいちゃんが入院してしまいます。 もしかすると今生(こんじょう)の別れになるやもしれません。二人にとって一番つらい結果が待っているかもしれないその時、僕は「今度は僕の番です」と念じ、おじいちゃんの枕元で「だいじょうぶだいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」と、今までずっとかけてもらっていたあの言葉を、今度はおじいちゃんに返すのです・・・。 この絵本のタイトルには「だいじょうぶ」が二回繰り返されています。その意味は、大切なことは繰り返すのが肝要ということもありますが、一回目の「だいじょうぶ」と二回目の「だいじょうぶ」の意味合いが違うからかもしれません。 一回目の「だいじょうぶ」は、「きっと、たぶん、だいじょうぶよ!」という、安心は安心でも一(ひと)安心(気休め)のだいじょうぶでしょう。きっとだいじょうぶと思い込んで一歩踏み出さねばならないことが、この世の中には多いですよね。でも"きっと"の裏返しは"万が一はダメ"ですから、二回目の「だいじょうぶ」が必要なのです。  この「だいじょうぶ」は「生きてよし、死してよし」のだいじょうぶ、すなわち結果がどうであろうと見捨てられないだいじょうぶ。「ご安心(あんじ
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虹の色は7色?

 年に何回か、空にきれいな虹を見ることがあります。空にかかった橋のような大きな虹を見た時は、なぜか幸せな気持ちになります。実はこの虹、国によって色の数が違うようです。旧ソビエト連邦では4色~7色、ドイツでは5色だそうです。日本では小学校で「虹は7色」と教えられたように覚えています。  太陽の光を、プリズムという三角柱の透明のガラスの中に通すと、いろいろな色に分かれます。この色は赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫の7色に分かれているように見えます。光がガラスの中を通るとき、色によって曲がる角度が異なるためにこのように分かれるそうです。これが虹の正体です。  ところが、本当は7色ではなく、よく見ると無限の色に分かれているのです。私たちがその無限の色を、私たちが使っている色を表す言葉の範囲で区切って、7色の言葉として表現しているだけなのです。  世の中には、いろいろな言葉があふれています。時代とともに使わなくなっていく言葉があり、新しくできる言葉があります。その中で私は、あまり使いたくない言葉があります。「婚活(こんかつ)」「就活(しゅうかつ)」「無縁社会」です。婚活とは結婚活動の略、就活とは就職活動の略だそうです。 人にラベルをはる  結婚も就職もなんらかの縁により結ばれていくものです。そこに「活動」などという言葉がくっついた時点で、それをしなければ社会からはずれた人間になってしまったような感覚になり、結婚、就職ができないことが、罪悪であるかのように感じてしまわれる方がおられます。  就職できていない状態に対して、「ニート」や「フリーター」などという新しい言葉ができてき
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今まで経験ない揺れ

 カタカタカタ・・・・・・。引き戸の揺れる音で始まった。  「えっ! 地震?」と思っている間に、ゆさゆさゆさ・・・・・・。  今まで経験したことのない揺れ。窓から見える親鸞聖人の像が今にも倒れそう。  本堂に走って行ったその間も、ゆさゆさ・・・・・・。  「阿弥陀さまは大丈夫だろうか!?」  土香炉(ぢごうろ)が、金香炉(かなごうろ)が、落ちている。阿弥陀さまは、動じずにじっとお立ちであった。ほっとする間もなく、あちこちから、がしゃんがしゃん・・・・・・。  あさましいことに、とっさに、どれが高価なものか、頭の中で計算機が動く。  テレビに走った。  揺れが治まってから、家中を見て回った。  「ああ!納骨堂が!」  納骨堂の中の各お仏壇が、すべて倒れている。あちこちに、被害を発見。でも、これくらいで済んでよかった。大ざっぱな片付けが終わる頃、テレビで情報収集をしていた母が、「大変だ! 津波が!」と叫んだ。  テレビの画面にくぎ付けになってしまった。親類・友人のことが気になる。電話はつながらない。どうすることもできないことにいら立つ。 スカウトたちが尽力  会津若松市は、東北の被災県ではあるが、目を覆うような大きな被害はなかった。  翌12日より、福島原発が相次いで爆発を起こし、煙が上がる。避難区域に指定された町の方々が、次々と会津に避難。体育館が、あっという間にいっぱいになった。そんな中、我が家にも親類の勝縁寺から避難してきた。当初は津波被害の方々を受け入れていたが、自分たちの所が避難区域になったからだ。しかし、その住職は、ご門徒の葬儀で地元に残っている。私たちも気が気ではない
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お浄土の蓮の花

布教にうかがったお寺の坊守さまから、このようなお話を聞かせていただきました。  「私の祖父は『お浄土でまっているぞ』という言葉を母にのこして亡くなったそうです。それ以来、母は『父がまっているお浄土に参らせてもらわないと』と、一生懸命、聞法に励みました。しかしいつも、『お浄土の蓮の花のつぼみが開かん』と口癖のように言っては、さびしそうにしていました。  そうして私が三十七、八歳の頃でした。母は脳こうそくを患い、闘病生活を送っていたのですが、いつの頃からか、母はあの口癖のような言葉を言わなくなったのです。  私は気になって、『お母さん、お浄土の蓮の花のつぼみはどうなったの?』と尋ねました。  すると『もうそんなことは、どうでもいい、どうでもいい』と言うのです。  病気になって、きっと考えるのも煩わしくなったんだ、と私は思っていました。  でも、違っていました。母は阿弥陀さまのお慈悲に出遇っていたんですね。私もやっとそのことに気付かせていただきました。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ・・・」  ありがたいお話でした。このお話を、もう少し味わってみたいと思います。  まず「お浄土の蓮の花」とは、ご信心のことです。「つぼみが開かない」とは、お母さまがご信心をいただけないと嘆かれていたということでしょう。阿弥陀さまのお救いは「信心一つ」のお救いですから、み教えを真剣に求める人にとって、どんなにつらいことだったでしょうか。  ところで、親鸞聖人が明らかにされた他力の信心とは、一般的に考えられている「信じる」ということではありません。阿弥陀さまが「必ず救う、間違いないぞ」と喚んでくださっている、
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うなずけない言葉

 いきなりお国自慢で恐縮ですが、富山は「いい所」です。立山連峰は四季を通じて雄大な姿を見せ、世界遺産の五箇山合掌集落、おわら風の盆、さらに富山湾から恵まれる、ブリやホタルイカなどの海の幸、もちろんコシヒカリもおいしい。本当に富山は「いい所」なのです。  けれども、今まで何度か「そうだよね」と、素直にうなずけないことがありました。  例えば阪神大震災のとき、あるいは近年の大型台風上陸の折、「ごんげはん(住職さん)富山ちゃ地震もないし、台風も来んし、本当にいい所やちゃ」という言葉を聞いたときでした。そして今回の東日本大震災でも、私が山形出身であることをご存知の方々が、私の実家のことや両親のことを心配してくださって、「ごんげはん、山形のお父さんとお母さんはご無事でしたか?お家の方は大丈夫ですか?」と、たくさん温かい言葉をかけていただきました。その上、被災した東北の人々のことを気づかって「何といとしや(かわいそうな)」と心を痛めておられました。ところがその後に、「ごんげはん、やっぱり富山ちゃいい所やちゃ」とおっしゃるのです。同じ言葉でありながら、冒頭の「いい所」とはちょっと違います。やはり素直にうなずけません。  実際、仙台で暮らす息子さんが被災したご門徒がおられますが、命に別状はなかったものの、ご両親にしてみれば息子さんやそのお連れ合い、かわいいお孫さんのことを思って夜も寝られなかったに違いありません。その場で「富山ちゃいい所」と言えるでしょうか。  震災の後、東京に住む私の娘から、スーパーに食べ物が無くなったから何か送ってくれという電話がありました。日本で一番物があふれる所でそんな
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学ぶとどうなる?

 東西本願寺など浄土真宗の十派でつくる真宗教団連合が、京都市美術館で開催している「親鸞展」を見学しました。聖人が実際に書かれたものや生前のお姿など、本物の持つ迫力が伝わってきて、とても感動しました。イヤホンから流れる三國連太郎さんの音声ガイドも、素晴らしいものでした。  「○○展」などの展示を見学するたびに思い起こす一つの光景があります。もうずいぶん前のことなのですが、博物館での兄弟の会話です。保育園か幼稚園に通っている子が、展示ケースの中を見てこんなことを言いました。  「なんでここに"石ころ"が入れてあるの?」  それを聞いた小学校高学年ぐらいの兄とおぼしき男の子が、「これは"石器"といって、昔の人が使った石の道具だよ」と説明していました。  幼い弟には単なる石ころにしか見えなかったものが、兄には石器という大昔の人々が生活の中で使用していた道具だと見ることができたのです。  学ぶことによって、見方が変わったのです。価値を発見できたのです。  ただ、学ぶことは偉くなること、立派になることだと思ってはいけないと思います。学ぶことによって、「こんなことも知らなかった。あんなことも・・・」と自分の愚かさを知らされる、と味わいたいものです。  学べば学ぶほど、自分の知らないことが逆に増えてきます。至らない自分に気付かされることでもあるのです。  学んだことにより知識が増え、知恵がつき、賢くなったとしても、その結果が人を馬鹿にするだけでは困ります。私は、賢くなることばかりを求める教育には問題があると危惧(きぐ)しています。  親鸞聖人は、ご自分のことを「愚禿(ぐとく)」と名のっておられ
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お仏飯の盛り方から

 兵庫県の播州地方では、田植えが始まりました。今では機械で行っていますが、その昔、手で田植えをしていた頃には、田植えで余った苗を田んぼの片隅に、かためて植えておいたようです。  この苗がある程度の大きさになった時に刈り取って、それを束にして、輪灯(りんとう)のような真鍮(しんちゅう)の仏具のお磨(みが)きに、タワシとかスポンジのかわりに使っていたそうです。大きくなった苗は柔らかく、仏具が傷まなくて良かったそうです。そのかわり、今のようにピカピカというわけにはいかなかったようです。  この話を聞いた時に、仏さまのご飯・お仏飯(ぶっぱん)の昔の盛り方も教えてもらいました。  当時は麦飯だったので、普通にすくっても、ご飯がバラバラして盛れなかったそうです。それで、ご飯が炊けた時、お釜の真ん中に少しだけ真っ白なお米だけの部分があって、その部分をそーっと杓文字(しゃもじ)ですくって、仏さまのご飯にしていたそうです。ですからお仏飯は冷えても、それだけで大変なご馳走だったそうです。  このような営みで、それぞれのお家のお仏壇と仏さまを大切に護(まも)ってこられたのです。  かの地方では、姫路仏壇とか播州仏壇と呼ばれる独特のお仏壇があります。彫刻が多く施された豪華なものです。その彫刻にもいろいろな図柄があるのですが、その一つに西遊記の図柄があります。  なぜ西遊記の図柄がお仏壇に施してあるのか疑問でしたが、これはいかにお経、ひいては仏教の教えが、私のもとに至り届くのに、どれほどの先人たちの苦労があったかということを示したものであるということが、お磨きの仕方や、お仏飯の盛り方を聞いてわかったよう
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喜びや悲しみさえも

 「なして『あなかしこ、あなかしこ~』って言うと?」 ひいおばあちゃんの祥月命日。御文章の拝読の後、小学生のA子ちゃんの問い。  「真宗の坊さんたちゃあ、おかげさまとか、生かされとるとか言わすばってん、ほんなこて、そがん思とらすとかにゃあ」 外で会った他宗派の酔っぱらったおじさんの問い。  「来る道で思うたことばってん、疑う罪によって化土(けど)(辺地(へんじ))にとどまるということば考えてきた。ばってん、ようわからん」 毎月の常例法座の後、お茶を飲みながら、篤信のIさんからの問い。  お参りに行く先々での問い、教育現場での子どもたちの問い・・・、これまでどれだけの問いかけに出あい、考えさせられたことでしょう。  問いかけばかりではありません。目の前に起こってくるさまざまなトラブルや心配事、煩わしい出来事、喜びや悲しみ・・・それらもすべて、僕自身に対する問いかけなのだと思えた時、それらに応えるべく、考え、書物を読み、どう答えるかを構築していきました。  さまざまな問いかけが、この身にしみ込んで、僕を育ててきたように思います。  その中の一つのことです。 ちがってていいんだ  今から20年ほど前、小学校で1年生の担任を受け持った時、学級園にチューリップが咲いたので、みんなでチューリップの歌を歌いました。  ある女の子が「どの花見てもきれいだねって良かねえ」と、つぶやきました。  「うん、良かねえ」と言いながら、僕は『仏説阿弥陀経』の「青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)」(青い花は青い光
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手相鑑定が怖い?!

Heart Map Creation岐阜の手相鑑定師 章子です色々な場所で人とお会いして「手相鑑定してます」とお伝えするとみなさん一度ご自分の手のひらを見てスッと手を出す方が多いのですが(笑)手相鑑定受けた事ありますか?とお聞きしますと受けた事がない方の回答の中にまーまーな頻度で入ってくる【怖い】というご意見どこでやってるかわからない。とか解決しやすい理由も勿論あるのですが【怖い】何を言われるかわからなくて怖い悪い事言われたら嫌だから怖い色々な【怖い】を感じてみえる方が多いのですが手相は怖くない!!!!確かに注意してほしい事もちゃんとお伝えしますが私は良い事ばっかり言ってくれる鑑定を信じていないのwwだって手相鑑定をはじめ様々な占術がありますがそこで話を聞きたい時って、今現在何かしら「よくない」状態だと本人さんが思っているんですよねもしくは未来に不安を感じていたり、過去を引きずっていたりそれなのに今までも、今もこれからもずっと良いと言われても、私は信じない(笑)それよりは、気をつけると良いことを聞いてそのための対策を取る方がいいなって思うんですあとは、その内容の伝え方言葉の選び方やトーンの相性というか、好みこの人の話し方落ち着くなぁとかこの人の言葉の選び方は心地いいなぁとかそういうところを大切にしたいと思いながら鑑定しています手相は色々な事が表れているけれど「良い」「悪い」があるわけではなく「良い表れ方」「悪い表れ方」があるだけ例えば、濃い線が良い!のではなく濃い線を持っている人は良いふうにでると「自分軸で自分の意見をちゃんと持って進む意志の強さがある」悪く出てくると「人の意見
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カッコウの声

 6月も下旬を迎え、日本列島の大半は梅雨の季節の真最中となりました。前線の影響の少ない北海道や、私の住んでいる北東北の岩手県でも、どんよりとした空になっています。本堂の裏手にある杉の木や公孫樹(いちょう)の天辺(てっぺん)では、夜も明け切らぬうちから、カッコウが飛んで来て、大きな声で鳴いています。 この情景を、私と同じ渋民(しぶたに)村(現盛岡市玉山区)出身の、薄幸・漂泊の詩人、石川啄木は、「ふるさとの寺の畔(ほとり)のひばの木のいただきに来て啼(な)きし閑古鳥!」(歌集『悲しき玩具』)と詠(よ)んでいます。ここでの「ふるさとの寺」とは、すぐ近くにある啄木の育った宝徳寺(曹洞宗)のことです。  今は亡き私の祖母は、「カッコウは木の頂(いただき)から、四方八方を眺めながら『お前の親さまはここにいるぞよ』と呼んでいるのだ」と、よく話してくれたことを思い出しています。  しかし、私・私たちは、この「親さまの声」に気付くことなく、一生を終えてしまいがちです。 親のこころ  ここで、啄木の短歌を二首紹介しましょう。  「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」(歌集『一握の砂』)  「もうお前の心底をよく見届けたと、夢に母来て泣いてゆきしかな。」(歌集『悲しき玩具』)  上京し、貧困と病苦の床から、思郷の想いで詠んだものですが、母親の恩愛に気付かなかった自分の恥ずかしい姿を嘆いたものです。  だれの親であろうとも、親は自分の子どもの「幸福」を願いながら、育てています。いつでも、自分の子どもの安否を心配し、それを子どもに対する愛情と思って生きているのです。  外の世界を充
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すべて子ども中心

 如来さまのおはたらきを「南無阿弥陀仏のおよび声」と聞かせていただきます。  原口針水(しんすい)和上は、   われとなえ   われ聞くなれど   南無阿弥陀   つれてゆくぞの   親のよび声 とお味わいくださいました。  阿弥陀さまは私の親と名乗ってくださり、いつもいつも私と一緒にいてくださるのです。  阿弥陀さまが私の親と名乗ってくださることは、どういうことなのでしょう。この関係は私たちの身の回りにも味わえることがあります。  赤ちゃんが泣いている声を聞いて、親が急いでわが子のもとに行き、「お母さんよ」と声をかけながら抱きかかえる姿がそれでしょう。子どもがはげしく泣いているのに、何もしない親はいません。子を抱きかかえ、「大丈夫よ、お母さんがいるからね」と、子どもに安心を与えながらあやします。わが子の声を聞き、遠くからでも「お母さんはここにいるよ」と子どもに聞こえるように大きな声で伝えるのです。  私事ですが、かつてわが子の誕生の時、心躍る出あいの喜びを感じつつも、必ず別れていく寂しさとつらさを少し感じたことを思い出します。別れる時が必ずくるというつらさがあるなら出あわなければよいのでしょうか。いいえ、出あいたくて出あえたわが子です。その子を抱きかかえ「お父さんだよ」と何度呼んだことでしょう。  妻が子どもを抱き「お母さんよ」と、そして私の両親が「おじいちゃんよ」「おばあちゃんよ」と呼んでいるのは、自分の名前ではなくて子どもにとっての呼び名なのでしょう。その声も、ちょうど子どもに届くほどの大きさで、柔らかく和ませるような優しい声で呼んでいるのです。  私の母が孫に「お父さん
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困難に出あっても

 私はここ数年、妙好人(みょうこうにん)について学ばせていただきました。  妙好人とは、善導大師や親鸞聖人が、真実の信心をいただいた人のことを讃(たた)えられた言葉ですが、江戸時代以降に編集された『妙好人伝』では、多くは一般庶民で真実の教えにめざめ、お念仏の生活を送った人を指します。妙好人にもそれぞれ個性がありますが、共通するのは、み教えを聞いて、今まで気づかなかったわが身の煩悩の姿を知らされ、阿弥陀さまのお慈悲に抱かれていることにめざめ、感謝と仏恩報謝の思いで生きたことです。  困難に出あっても、お慈悲に抱かれたわが身を、「おらにゃ苦があって苦がないだけえのう」「お慈悲の力は強いでなあ」と語り、何ごとも「ようこそようこそ」と感謝しつつ生きた因幡(いなば)(鳥取県)の源左(げんざ)さん、阿弥陀さまの光明に照らされた自分を「あさましあさまし」と恥じながら、その私をお救いくださる阿弥陀さまのお慈悲に出あって、「うれしうれし生きるがうれしなむあみだぶつ」といのちの喜びを詠(よ)んだ石見(いわみ)(島根県)の浅原才市(さいち)さん、「おも荷背負ふて山坂すれどご恩思へば苦にならず」とうたった長門六連島(ながとむつれじま)(山口県)のお軽(かる)さんたちの生きざまです。  こうした妙好人は、阿弥陀さまの智慧の光に照らされ、お慈悲に抱かれ、損得・勝敗・賢愚などの相対を超えた安らぎの世界を見いだしています。身はこの世にあって、心は浄土につながっているのです。お慈悲に触れて苦しみ悲しみを乗り越え、いのちの尊さにめざめて人々や動植物、すべての命あるものに温かくやさしく接しました。  親鸞聖人が『教
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経験した者同士でも

 私には中学生になるダウン症の息子がいます。その体験を大学生に話す機会がありました。生まれてまもなく医師からダウン症の疑いと告げられた時の驚きや戸惑い、病気がちで困ったこと、早期療育が大切と聞いてあちこち走り回ったこと、偏食で保育所の給食を食べるのに1年かかったことなど、話題はいくらでもあります。  ちょうどテレビでダウン症のドラマやドキュメンタリーが放送されていた時期でもありました。メディアの美談調なパターンに疑問を持っていた私は、「当事者でないとわからないことがあります」と無意識に口に出していたようです。  後で学生の感想を読んだら、「私は障がいに関(かか)わる人の気持ちを理解したいと思いますが、当事者でないとわからないと言われてしまうと悲しくなります」というものがありました。私ははっとしました。  「経験した人こそわかる」ということが言われます。私も、ダウン症親の会というものに入れてもらって、他の親御(おやご)さんと話をして落ち着いた時期がありました。なるほど遠慮なく話ができる場ほど安心できるものはありません。話をしていて、肩の力が抜けていくのを感じたものです。この意味では、経験した者同士が共鳴し合えるというのは事実です。しかし、必ずしも経験者との交流が、私の苦しみを取り除いてくれるとは限りません。  私が少し冷静になった時、見えてきたのは他との違いの部分でした。一口にダウン症といっても、個々の症例は全然違います。同じくくりに入れるのが難しいぐらいに、症状の出方も発達の度合いも変わるのです。加えて家族の環境や考え方も千差万別です。社会の雰囲気も制度もめまぐるしく変化します
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わかってもらえる

 人生の中で起こるほとんどの努力や苦労は、誰にもわかってもらえないまま耐え忍ばなければならないことがほとんどです。私たちが生きているこの世界のことを「忍土(にんど)」ともいうのはこういうことです。  もし、その苦労をわかってもらえる方がいらっしゃるとしたら、その時、一緒に苦労した方でしょうか。しかし、それでもすべての歩みを知ってもらえるわけではありません。  私のすべてをわかっておられる方がいらっしゃるとしたら、それは阿弥陀さまです。私の恥ずかしいところも全部知ってくださっていますが、それだけでなく、これまでの歩みをすべて知っていてくださるのです。私たちの歩みのすべてをご覧になられ、誰にもわかってもらえないことまでも知ってくださっているのです。  報われない努力、耐え忍ばなければならない苦悩、そんなことを全部ひっくるめて「おまえを救いたいのだ」と、はたらいてくださるのが阿弥陀さまです。それが「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」、摂(おさ)め取って捨てたまわず、というお言葉にあらわされているお心です。  阿弥陀さまは私たちに寄り添い「一人ではない」とよび続けてくださっています。この寄り添う心こそが阿弥陀さまの「慈悲」のお心です。それは、全部知ってくださっている阿弥陀さまが、私の悲しみをわが悲しみとして寄り添い、またうれしいときには一緒によろこんでくださるお心です。阿弥陀さまと一緒に歩む人生ほど心強いことはありません。 一人じゃない  3年前、住職であった父の突然の退任により、私は25歳で住職になりました。90歳の祖父と、がんで二度の手術を終えて退院したばかりの母とでお寺を守っていくとい
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心に潤いとハピネスを

Heart Map Creationの章子です Heart Map Creation「心」「地図」「創造(クリエイト)」 あなたの心の中にある地図に気づいて使って自分の人生をクリエイトするそのための手相!手相は変わります感じ方・考え方・生き方・環境いつ、どんな時に、どんな人が、どのように関わってくるのかわたしの今はこの先をどのように変化させていくのかそれが表れているんです そして手相は変わります線(掌紋)が消えたりなかったところから出てきたり手のひらの状態(形象)も日々変化していますただ…変わるなんて思ってなくて気が付かないままで自分が本当は何を求めているのか日々の生活の中で埋もれて分からなくなっていてでも全部手のひらに出てる「見て!」「気づいて!」「私本当はこう思ってるんだよ」「今のまま進んでいいよ」「今の状態を続けていくとちょっと危険だよ」「疲れてるから休みたい」そんなことも出てくるんですハピネス手相は 幸せになるための手相自分の望みを手にするための手相心の奥底にある宝の地図に気がついてそれをちゃんと使ってなりたい未来へ進んでいきましょうハピネス手相は自分で自分に気がつくための手相なので毎月鑑定に…とか依存させることを嫌いますこの線がこうなったらこういう意味だからと、その後ご自分でチェックしながら決めて行けるようにお伝えしています知ってるようで詳しくは知らない「手相」を知ってみませんか
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目覚

みなさんは弔問に行かれる時、金封の上書きを何と書かれるでしょうか。  「御仏前」「御香資」「御香典」「御香奠」......。  長崎県島原地方では「目覚(めさまし)」と書かれるそうです。熊本県の一部でも、この語を用いるようです。  地方によっては、ご遺体のある間は「御霊前」で、お骨になると「御仏前」と聞き、「浄土真宗でしょ...?」と問い直したこともありましたが、一般的にいう「香典」を、島原では「目覚」と表記するのです。  なぜ、この語を用いるのか。およそ三つ意味があるようです。  ①亡くなられた方に、もう一度目を覚ましてほしい。目を開けてほしい。  ②縁者が、しっかり目を覚まして、お灯明(とうみょう)・お香の番をせよ。  ③亡き方をご縁として、残された者が、我が"いのち"のありようと往(ゆ)く先をしっかり学び、目を覚ませよ。 の意味で使用されているようです。  ①もう一度目を覚ましてほしい。  残された者の想いとしては、大変よくわかります。  特にお子さまを亡くされたお母さんの想いとして、この言葉はよくわかります。   子は死にて   たどり行くらん死出の旅   道知れぬとて   帰りこよかし と、和泉式部が詠(よ)んでおられますように、死出の旅に出たが、道がわからないから、と言って帰って来てほしい。どんな理由でもいい、もう一度目を開けてもらいたい、という切なる親の心です。 亡き人に大変失礼  ②目を覚まし、眠らずにお灯明の番をせよ。  この言葉の前提には、亡き人が旅立って行き、その世界が暗がりであるため、灯(あか)りをつけてあげなければ行き先がわからない、という考え方があり
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お彼岸のご法話で

 「口はわざわいのもと」という言葉がありますが、「あんなこと、言わなければよかったなぁ・・・」と、後悔することがありますよね。さて、仏教ではこのようなことを、どう考えるべきだと教えているでしょうか?  私はカナダで開教使として6年ほどご縁をいただいておりました。毎年、特に春と秋のお彼岸になると、多くの開教使の先生方は「六波羅蜜」についてのご法話をよくされます。六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、大乗の菩薩が修めなければならない六種の行業(ぎょうごう)です。  この中で、第二に挙げられているのが、「持戒(じかい)」です。  浄土真宗のお寺では「戒(かい)」についてのお話はあまり聞かないかもしれませんが、大乗仏教では仏さまの説かれた「戒(いまし)め」(自らに課す自己規律)というものを、ただ自分のさとりのためだけでなく、利他行(りたぎょう)として味わうものであるといわれています。  浄土真宗も大乗仏教ですので、その道を歩む者が「他の方の幸せを願う」生き方こそが尊いという、慈悲のはたらきによびさまされ続けるみ教えなのです。  さて、持戒の中にはどんなことが掲げられているのでしょうか?それは「十善戒(じゅうぜんかい)」ともいわれています。  ①殺さない ②盗まない ③配偶者以外と淫らな行為をしない ④嘘をいわない ⑤悪口をいわない ⑥二枚舌を使わない ⑦へつらいの言葉を語らない ⑧貪(むさぼ)らない ⑨怒らない ⑩愚かな考えをしない、です。  これを破るのが「十悪(じゅうあく)」です。  耳が痛いとお思いでしょうが、結局この持戒を含めた六波羅蜜とは、仏さまがお示しになられた「仏になる道」、つま
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携帯に残る温もり

 今年の夏、あるご門徒宅で初盆のお参りをした時のことです。お仏壇に携帯電話が置いてありました。付いているストラップなどの様子から、それが亡くなった奥さまのものであろうことがわかります。毎日触れておられた携帯電話には、今も奥さまの温もりが残っているような気がしました。  私自身も、今年の3月、妻をお浄土へ見送りました。38年の生涯でした。  妻は、昨年の9月に娘を産みました。ようやく授かった第一子で、婿養子に入った私も、妻の両親も、とても喜んでいました。夜泣きによる寝不足の疲労も、娘の一つ一つの仕草で吹き飛んでしまうように思っていました。  しかし、妻は産後の体調がすぐれず、娘の1カ月健診の1週間後に入院したのです。検査の結果、卵巣がんであることがわかり、妻本人にも伝えられました。すぐに抗がん剤治療が始まり、妻は病室で娘の様子を気にかけながら、私たちに子育ての指示を出し、治療に取り組んでいました。ところが、順調に進んでいると思っていた抗がん剤治療のさなか、11月に脳梗塞(こうそく)をおこし、病状は絶望的に悪化したのです。 妻の言葉  年明けを病院で迎え、友人や親戚(しんせき)がお見舞いに来てくれました。病院の方々の懸命な処置もあって、一時は体調が上向きのように見えました。家に帰ったらあれを食べたい、娘を連れてどこに行こう、そんな話もしていました。しかし、がんの進行を止めることはできず、2月に入って状態は見る見る悪くなっていきました。  がんの転移は明らかで、完治は見込めないことから、体調のいい時を見計らって一度家に帰ることを検討するようになりました。治療方針の変更にともない、本人
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私が仏に成る教え