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連続小説『DNA51影たちの黒十字』24

連続小説『DNA51影たちの黒十字』24連続小説『DNA51影たちの黒十字』第24回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51      25       ウラジミール・ルイセンコ ウラジミール・ルイセンコという学生の存在がロザリンドの眼中に入ってきたのにはそれなりの理由があった。ロザリンドの研究室に学生として所属しているケネスホームズという学生をルイセンコが頻繁に訪ねてくるからである。ルイセンコ自身はロザリンド研究室の所属学生ではなく、ケネスホームズの知人・友人としてしばしば訪ねて来るようなのだ。ケネスホームズが研究室に不在の時にも度々訪ねて来ては研究室の休憩用・来客用のソファーに座ってケネスホームズが来るのを待っているルイセンコの姿をロザリンドは目撃している。そんなルイセンコにロザリンドが出会うと、ルイセンコは愛想よく挨拶をする。いたって人当たりが柔らかく好感度の高い人物のようではあるのだが、部外者であるルイセンコの研究室滞在時間は異様に長い。まるでロザリンド研の所属学生であるかのような振る舞い方になってきている。 ルイセンコ本人が言うところでは自身の本来の専攻は農業経営学であるらしいのだが、最近ではウィルスにも関心が高まっているとの様子で、ケネスホームズが研究室に来ない日でもルイセンコは来室してしきりに休憩所の学生たちを相手に研究内容を興味深く聞いている。遠目から観察するにルイセンコは二重螺旋形態にも唯ならぬ強い関心を寄せているようにロザリンドは感じた。 生物の核酸の形態が二重螺旋をとっているのではないかとのロザ
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』23

連続小説『DNA51影たちの黒十字』23連続小説『DNA51影たちの黒十字』第23回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51 24  セキュリティ・クリアランス バークベック・カレッジに移籍しウィルス研究を始めたロザリンドはTMV(タバコモザイクウィルス)の結晶化に取り組んだ。TMVの結晶化に世界で初めて成功したのは米国の科学者でカリフォルニア大学バークレイ校のウェンデル・スタンリーであった。1935年の事である。この成功によりTMVの特異性などが少しづつ明らかになり、研究方法にも進展が見られていた。ウェンデルは1946年度のノーベル化学賞を受賞した科学者でもある。 この分野の研究では、如何に結晶をうまく作るかがカギとなる。結晶が上手く作れなければ、その先の分析へとは進めないからだ。もちろん分析が出来ないようであれば研究成果も出てこない。よって、結晶の実物と回折画像が最重要成果物品となる。ロザリンドが得意とする十八番分野である。 ロザリンドの研究分野とは異なる研究分野ではあるものの、ロザリンドと同じく倫敦大学で結晶に関する研究を行った日本人がいる。その研究者は、六方晶窒化ホウ素と呼ばれる物質の高圧高温下結晶の作成で名手と謳われる研究者であるが、なんと、その結晶を作り上げられるのは世界中でその研究者唯一人であるという。 現代に於いては、グラフェンと呼ばれる炭素原子結合が一層のみから成り立っている、言わば、2次元平面状態にある炭素原子物体についての研究開発で、六方晶窒化ホウ素の高圧高温下結晶体(“h-BN”と呼ばれている
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』22

連続小説『DNA51影たちの黒十字』22連続小説『DNA51影たちの黒十字』第22回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜22〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   23   ユダヤ人研究者 ロザリンドとポール・スミスが急接近したのには両者が共にユダヤ人であったことがひとつの要因であったのかもしれない。互いにユダヤ人ということから、価値観などに近いものを感じて自然と引き寄せ合ってしまったのであろうか。また、バークベック・カレッジにロザリンドを受け入れたジョン・バナール教授にしてもユダヤ人であったし、ロザリンドのバークベックでの研究室の同僚となった新たなる共同研究者アーロン・クルーグにしても、何と、またユダヤ人であった。 研究資金の提供等でパトロン的立場になっているポール・スミスが意図的にロザリンドの研究環境を密かに整えていったのであろうか?いずれにしても結果としてロザリンドの周囲にはユダヤ人たちが配置されることになっていたのである。ロザリンドにしてみれば価値観の近い人間たちに囲まれて、キングス・カレッジよりは幾分か心安らかにして研究に没頭できる環境であることは確かである。 情報漏洩の疑念をロザリンドにいだかせた“B型核酸結晶発見” 論文発表にまつわる不可解な経緯について、話す相手がポール・スミスであるのならば話せるような気がしてくるロザリンドであった。 バークベック・カレッジへの移籍がとんとん拍子で迅速に進んだことで、ポール・スミスへの信頼感がロザリンドの中では相当に高まっていくようであった。     ◇
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』21

連続小説『DNA51影たちの黒十字』21連続小説『DNA51影たちの黒十字』第21回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜21〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   22        ジョン・バナール教授★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 英国ダービーが終わり、エリザベス女王の戴冠式の余韻も街中より退きつつある頃。 ロザリンドのもとにポール・スミスからの使いがやって来て、ポールがロザリンドを晩餐に招きたいとの旨を伝えた。そこで、翌週の月曜日の夕刻、使いの案内によってロザリンドはテムズ川沿いのタワー上階レストランへと向かった。 到着すると、そこにはポール・スミスの他に一人の男性が待っていた。ポールとともにロザリンドを待っていたのはジョン・デスモンド・バナール教授であった。バナール教授はX線結晶構造解析の先駆けとなった人物でその研究分野では広く知られた人物である。ロザリンドも勿論その風貌は知っているし、教授の講義を聴講したこともあった。「こちら、バークベック・カレッジの物理学教室のバナール教授です。ロザリンド先生にはバークベックへ移籍する意思がお有りだということなので、今日はこの私、不肖ポール・スミスがバナール教授をお連れ致しました」ポールは改めてロザリンドにバナール教授を紹介した。「私、バークベックのジョン・バナールです」ポールから話の端緒を引き継ぐとバナール教授はワインをロザリンドに勧めながら話を先へと広げていくのだった。「この度のロザリンド先生のネイチャー誌発表論文、読ませて頂きました。とても素晴ら
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』20

連続小説『DNA51影たちの黒十字』第20回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜20〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   21        バークベック・カレッジ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 6月6日。エプソムダービーの決着がついてからのロザリンドの脳裏からはピンザを祝福していたクリックとペルーツのツーショット光景が焼き付いて離れない。 クリックとペルーツは賢振寺大学で近しい関係で、さらに親密であった姿は、エプソム競馬場での熱狂した群衆の光景を遥か彼方に押しやって消し去り、ふたりの姿だけが残って浮き上がってくるのだ。 そして、ペルーツはロザリンドが提出した非公開報告書の提出先である英国医療研究機構の予算担当者。またクリックは3論文同時発表した時の執筆者のひとり。さらにクリック論文の二重螺旋説がロザリンドが提出した医療研究機構への非公開年次報告データと奇妙にも近似してくる事実。 ロザリンドは自分が非公開報告書として提出したデータが漏洩していたのではないかとの疑念を抱かざるを得なくなっていた。 ロザリンドがニューマーケットでクリックと会ったとき、クリックはしきりに論文執筆をロザリンドに勧めてきていたことをロザリリンドは思い出した。その時は単にクリックが実験データを持ちあわせていないからだとロザリンドは勝手に思い込んでいたのだが、その時点で既にクリックはロザリンドの獲得したデータを知っていたのではないかとの疑惑を今となっては感じざるを得ないのだった。 ポール・スミスが以前にロザリンド研究室を
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』19

連続小説『DNA51影たちの黒十字』19連続小説『DNA51影たちの黒十字』第19回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51  20       第174回ダービー覇者の凱旋★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ オリオールのいれ込み仕草が依然と続いている状態の中、ダービー競走スタートの火蓋は切って降ろされた。 エプソム競馬場のコースは “Cニ” の文字型が描く蹄鉄図形のようなルートとなっていて”C二“ 文字型の右上端からスタートして暫く長い直線馬場が続く。この直線馬場を3歳の若駒たちが一群となって突き進んで行く。 発進直後は好発進のシティースキャンダルがリードし、二番手にエンペラーハニーが付けるという体勢だ。その後ろの馬群の中の7番手にピンザ、更にその後ろ中段馬群の中にオリオール。 スタート後の長い直線が終わってルートはカーブして左回りのタッテナムコーナーにさしかかる。ここの時点で先頭はブリンカーを着装したゼッケン12番のシーカンプールに取って替わった。オリオールは依然として中段の馬群の中だ。鞍上のハリー・カー騎手は馬群の中に敢えてオリオールを入れることで馬を落ち着かせようとしているのであろうか・・。 長いコーナーの曲線馳走では4馬身差を取ってシーカンプールが先頭で通過していく。 最終コーナーを抜けて最後の直線ルートに馬群が入ると2番手まで順位を押し上げて来たゼッケン2番ピンザがロングスパートの猛追をかけてきた。 最終直線の半ばで遂にシーカンプールをかわしたピンザが先頭へ踊り出る。 最終直線半ばでオリオ
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』18

連続小説『DNA51影たちの黒十字』18連続小説『DNA51影たちの黒十字』第18回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜18〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   19       伝統の第174回ダービー★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ いよいよダービー競走が始まる時刻が近づいてきた。その年の3歳馬の中から出馬する馬は27頭。1950年に何千頭と生まれたサラブレッド馬の中から2歳・3歳の時に優秀な成績をレースで残して、今日のダービー競走の出走にまで漕ぎ着けてきた3歳の駿馬たち27頭がパドック(下見所Parade Ringパレードリング)に登場した。「あのゼッケン1番を付けて、鼻に白い輪っかを巻いた馬、大層元気そぅどすなぁ」ロザリンドが双眼鏡を覗きながら言った。「ゼッケン1番?・・・・おぉっ、あれはエリザベス女王の所有馬オリオールですよ。鼻の白い巻物はブリンカーと言って、馬が脚元の影などを見て驚かないようにと、馬の脚元への視界を遮ぎる為に付けているモノなんですが・・・・・・。これは・・、どうも、オリオールはいれ込みが激しいようですね。盛んに脚踏みを繰り返すのは元気がいいのではなく、興奮度合いが高い状態だからなんです。実際にレースが始まると有利には働かない兆候です」隣のポール・スミスも双眼鏡を覗きながら、知ったかぶりの解説をする。「ロザリンド先生は、そうゆう所を直ぐ発見しますね。流石です。どうやらオリオールのあの入れ込み具合を見るに、オリオール優勝危うしですかな?」 パドックでのオリオールの仕草や
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』17

連続小説『DNA51影たちの黒十字』17(続ロザリンド物語)  小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜17〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   18         戴冠式からダービーへ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 1953年6月2日。エリザベスⅡ世戴冠式がウェストミンスターの地を中心に執り行われた。重く大きな冠を頭に被せられて華奢な新女王の首は動かせない状態となりつつも、エリザベスⅡ世は正式に国王として即位する儀式を全うしたのである。この儀式には世界各国からの要人が多数参列して豪華なる王族外交が繰り広げられ、日本国からは昭和天皇の名代として19歳の若き皇太子殿下が式に参列した。 大英帝国の威光を受け継いでいるかのような盛大なる戴冠式の4日後・・・。 新国王即位式の余韻が多分にまだ市中内に残り漂う中、新女王エリザベスⅡ世27歳はロンドンの近郊リッチモンドから約20kmほど南方に位置したエプソム競馬場にその姿を現わした。 伝統の第174回英国ダービー開催である。競馬場には朝から何万人ともみられる観衆が詰めかけていた。その大群衆に囲まれるなかを来場してきたエリザベス新女王はロングドレスにロングのブルーコートを身に纏いロイヤルスタンドへ向かってターフ内を外ラチ沿いに歩いて行く。 ロザリンドはスミス・サミュエ商会の用意したスタンド席からこの様子を眺めていた。 「今日も、まだ、まだ王室の行事が続いているような雰囲気で実に国際フェスティバルの景観ですなぁ」ロザリンドの
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』16 (続ロザリンド物語)

連続小説『DNA51影たちの黒十字』16(続ロザリンド物語)  小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜16〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   17        戴冠式とダービー 倫敦大学と賢振寺大学との合同による3論文一挙掲載が雑誌に発表され、エリザベス女王陛下の戴冠式も間近という5月の日曜日。スミス・サミュエ商会のポール・スミスがキングスカレッジ倫敦のロザリンド研究室を訪問していた。ポールもロザリンドもユダヤ人なので所謂キリスト教での安息日・日曜日は特別な日ではなく、キリスト教会に行くこともない。ユダヤ人にとっては金曜日の日没から土曜日の日没までの24時間が安息日となっている。「Nature誌で発表されたロザリンド先生の論文読ませていただきましたぁ〜。いや〜、とても素晴らしい内容の論文でしたぁ〜」ポールはロザリンドをしきりに褒め称える。しかし、ロザリンドは浮かぬ顔。「それがなぁ〜、3番手の掲載ですやん。雑誌の編集はん、何考えてますのやろ。ほんまに困ったもんですがな。あの順番やったら、賢振寺の予想が先に有って、それを補強するような証拠データを倫敦大学が見つけて提示してるような、後追いの格好になりますやん? 研究内容からはキングスカレッジ倫敦の方が先行しておりますのんやでぇ。今回は、その先行するキングスカレッジ倫敦の領域に賢振寺の方が追いかけて来とるんでっせ」ロザリンドは憤懣やる方ない様子だ。「まぁ編集者も商売人ですから、読者にウケる掲載方針ってのがあるのでしょう。
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜15〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜15〜Rosalind Franklin Photo51   16 Rosalind Franklin                 Photo#51と戴冠式 1953年 春。 3論文が雑誌4月25日号に掲載された頃。ロンドンの街では、国王ジョージ6世が前年1952年2月6日に亡くなって以来の喪も明けて、エリザベス女王陛下の戴冠式6月2日が間近に迫って来ると、華やかに沸いた春の空気も徐々に夏空の装いへ移行し始めていた。 また、ユダヤ財閥のサッスーン卿の愛馬ピンザ号も転倒負傷で英2000ギニー競走(日本の皐月賞相当)は不出馬で棒に振ったものの、その後は順調に回復し、成長も遂げて、新たなる怪我などアクシデントさえ無ければ、6月6日の英国ダービー出場は確定的な路線となっていた。 ここで、3論文の掲載順番をめぐって雑誌編集者と執筆陣との間で見解の相違があったことが判った。雑誌編集者が、3論文のうち賢振寺大学のクリック&ワトソン論文を先頭に掲載し、2番手3番手に倫敦大学ウィルキンス&ストクス&ウィルソン論文、ロザリンド&レイモンド・ゴスリング論文の順で掲載したからである。 編集者は “二重螺旋説”   を3論文の主役としたいとの意向だったのである。これに対して、倫敦大学側執筆陣は   “B型構造結晶発見と螺旋形態説“        が3論文の主役で掲載されると考えていた。倫敦大学執筆陣はこれまで螺旋形態を予想してきており、“二重螺旋の形態”  もその中に入っていた。そのような状況下に
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜14〜

小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜14〜Rosalind Franklin Photo51   15           Photo#51 12月中旬になっても依然スモッグまみれ状態の続く倫敦でロザリンドは自身の論文草稿をまとめ上げていた。 年が明けて、クリックから賢振寺大学側で作成の論文草稿が倫敦大学側に送られて来ると、ロザリンドの同僚研究者であるモーリス・ウィルキンスは「ぬぅっ、賢振寺でも螺旋体を提唱してきお ったか。螺旋体の予想と言えばワシら倫敦 大学の十八番の研究領域やぁ・。ここは、 ワシも論文一本書くでぇ」とロザリンド作成の回折画像を使っての論文を一本まとめ上げた。合計としては、なんと3本もの論文が用意されることとなっていく。ウィルキンスにすればロザリンドが論文発表に積極的態度を見せてきたので、まずは思惑どおりとなってきていると満足げであった。しかも、ロザリンド作成のB構造結晶の回折画像を使ってウィルキンスが論文を書くことをロザリンドが許したのである。 倫敦大学側の論文草稿2本も賢振寺大学のクリック方に送られて、相互の意見交換がなされると、最終の調整段階へと事は進んでいくのだった。 ロザリンドは論文執筆を進めていく中、スミス・サミュエ商会のポール・スミスの提案を思い出していた。まだ、ロザリンドはポールの提案を保留としてはいたが、クリックの生物分子の見地からの研究が今後さらに発展していく状況ならば研究成果の『企業秘密』も重要視されていく方向に向かうであろうと想像した。 ロザリンドは大学の研究所に所属する身であるので、論文発表の
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜13〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜13     14              ニューマーケット奇譚 クリックは驚いているロザリンドに   『新知見』 を一刻も早くロザリンドに聞いてもらって見解が聞きたいので自分から訪問して来たのだと告げると、核酸の様態を分子結合の構造から浮かび上がらせる試みを繰り返していたところ、   “二重螺旋構造“をとっているのではないかとの結論が出てきたと語るのだった。「分子結合を専攻する教授にアドバイスを色々もろうて 模型製作も何回も試みたところ、とうとう・・、 ついに・・・・・・・、なんと、 この ”二重螺旋” に辿り着いたんですわ」 クリックはロザリンドが英国医学研究機構に送った報告書に関する事項は一切語らずに、分子結合の試行を繰り返した結果、二重螺旋構造が表出されてきた事を強調した。「分子結合の試行を何度も繰り返していましてね、 これからは、生物の研究も分子単位で見ていかなあかん、 つくづく、そう思うようになりましたわ。 ロザリンドはん、どう思はります?」そう語るクリックの口調は、何かを極めきった大家のようである。「確かに、微細を見る方向へ行けば、行くほどに、分子に 突き当たりますよってに、そないな視点は大切なんと ちゃいますかぁ」ロザリンドもクリックの考えに意味なく同意した。「この二重螺旋構造の結果でもってワシは論文一本書こう 思いますのんやぁ。ロザリンドはんも今までの研究結果 から一本書きはりません? 倫敦大学と賢振寺大学とで 合同の論文執筆・・なんて、宜しおますやろ?」「はぁ。何
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜12〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜12〜     13       危険スモッグ サッスーン卿が所有する競走馬ピンザ号(2歳)は10月のニューマーケット競馬場でのデューハーストステークスもまた圧勝してレースを終えた。サッスーン卿のピンザによるダービー制覇の夢はまた一歩現実味を帯びて膨らんでいく。       ☆                       ☆ 11月末から12月にかけて倫敦では大問題が起ってきた。スモッグ問題である。工場の動力源や冬の暖房源として石炭を燃やし過ぎているのが原因であった。倫敦では19世紀からこの問題が度々起きてきてはいたのだが、この年は特に酷く、1万人ほどが呼吸器疾患などの健康被害を被って死亡した。 倫敦の中心部に位置するキングスカレッジロンドンは倫敦東部の工業地帯とも近いため、スモッグに覆われる日々が続いている。天候次第では自動車の運転さえも前方視界の不良にて困難となる始末である。このままでは、いずれは肺をやられてしまう。 ついに、ロザリンドは倫敦西部のイーリング地区に住む友人宅に一時避難することにした。イーリングはアクトンの西方2kmにある閑静な住宅地ともいえる街である。 居住地を工場地帯から距離を取って離れた場所にしたとはいえ、暖房には石炭を燃やすので街には煤煙が不穏な様相で立ち込めている。しかも、勤務先の倫敦大学キングスカレッジが倫敦市街のほぼ中心部に位置していることには変わりはない。 12月に入って状況はさらに悪化する気配だ。冬の寒気が倫敦の上層部に居座り、地上近くの低層気団をブロックして閉じ込
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜11〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜11〜                    12     ニューマーケット密会 ユダヤ系大財閥サッスーン家の准男爵ヴィクター・サッスーン卿がニューマーケットに現れたのは10月のことであった。 ニューマーケットは賢振寺(ケンブリッジ)から20km程東方に位置する町で、田舎の本当に小さな小さな町ではあるのだが、競走馬の馬産地として世界的に有名な町である。 この20km程の距離を京都駅から東方約20km位置で捉えるならば、それは琵琶湖東岸、滋賀県の草津市や栗東市の位置に相当することになろうか。現在、その東方20kmの所、栗東市には競走馬のJRA栗東トレーニングセンターがあるので、京都駅と栗東トレーニングセンター間の距離感覚で考えると、賢振寺とニューマーケット間の距離感が実感できる。 サッスーン卿がこのニューマーケットで手に入れた仔馬ピンザ(2歳)が9月のタターソールセールステークスを圧勝して頭角を現した為、サッスーン卿はすこぶる上機嫌となった。ピンザ号が10月にはニューマーケット競馬場で開催されるデューハーストステークスに出馬するということで、上機嫌のサッスーン卿は知人たちをレース当日に合わせてニューマーケットに招いたのであった。ピンザが翌年の3歳の最高峰レースであるダービーをも狙える程の類い稀なる逸材であると踏んだサッスーン卿はピンザ号を知人たちに自慢したくて仕方がなかったのかもしれない。或いは、翌年にダービー出走が叶えば、優勝が間違いないことを周囲の人々に確認して同意してもらいたかったからかもしれない
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜10〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜10〜         11       スミス・サミュエ商会からの男 賢振寺のキャヴェンディッシュ研究所においてクリックがマックス・ペルーツ博士へロザリンド報告書の件を問い合わせている頃、倫敦大学キングスカレッジのホイートストン物理研究所では一人の男が誰もいない日曜日の朝からひっそりとロザリンド研究室を訪問していた。 秋も酣(たけなわ)。落ち葉の一群がカサカサと舞ってはロザリンド研究室が入居する建物の入り口でたむろしていた。研究室にはロザリンドのみが来室している状態で、共同研究者である学生のゴスリングさえも来ては居なかった。研究室は訪問者の為だけに明かりを灯しているのだった。「わたくし、スミス・サミュエ商会のポール・スミスと申します」と訪問者の男は真新しい名刺をロザリンドに差し出すと言葉を続けた。「当スミス・サミュエ商会はロザリンド博士様のお父様からも出資頂いておる商会でして、主には医薬品関連の商品などを扱っています」「フォートナム・メイソンのお紅茶などいかがですか?」ロザリンドは盆の上にあった紅茶入りの来客用カップをポール・スミスと名乗る男の前へと静かに押し勧めた。「いやぁメイソン紅茶ですかぁ。これはどうも、有難うございます。 ああ、これはいい香りだぁ」訪問者ポールは出された紅茶に口を付けると、感嘆の声を上げ、話を更に続けた。「我がスミス・サミュエ商会はですね、製薬会社様からもまた出資を頂いておりまして、新薬などの市場開拓をも行なっておるところなんですが、この度、新薬開発の為には基礎学術にも目を向
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小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜9〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜9〜          10                 賢振寺のクリック賢振寺(ケンブリッジ)に戻ったワトソンは研究室の先輩であるクリックに倫敦大学で見たB型核酸のX線回折画像の話をしました。ワトソンとクリックとの間では、研究情報については常にオープンで、自分達が得た知識を互いに披露し合い、疑問点や感想、意見、見解など率直に語り合う日常がそこにはあったのでした。「B型核酸っちゅうモンが有るってかぁ・・・ とゆうことはやなぁ・・2種類の核酸が現れて来おるゆうことや。 今までワシらが見せられていたんは、その一方だけや。 そうゆうこっちゃないか? 倫敦大の連中、出し惜しみしよるなぁ」ワトソンの話を聞きながら、手に持ったコーヒーをグイッと飲み干すと、クリックの興味は徐々に拡大していくようです。「まぁ、連中にしてもそれは最近発見したような様子でしたし、 発見者はロザリンド研のようですね。 論文発表する前に私に教えてくれたので、 出し惜しみということではないとは思いますが・・」ワトソンは画像を見せてもらった手前、さすがに倫敦大学のことを非難することはできません。クリックはタバコパイプに火を付けると一息けむりを吐き出しました。「しっかしやな、英国医学研究機構には報告書を送っておる、 さっきワトソン君、キミそうゆうてはったやないか。 報告書を書く時間あるんやったら論文も同時にサッサ〜と書いてやなぁ、 発表しはったらええんとちゃうか? しかも、B型画像を見せてくれたんは発見者ロザリンドやのうて、 ウィルキンス博士やっ
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『小説・ロザリンド・フランクリン物語』 〜08〜

『小説・ロザリンド・フランクリン物語』 〜08〜『小説・ロザリンド・フランクリン物語』           9        DNA51これまで辿ってきた幾つか事実の経緯からみると、ロンドン大学の研究室グループではDNAの実像形態としては 螺旋体 をしているのではないかとの噂のような、予測のような、予言のようなものがストクスやウィルキンスの間で立ってはいましたが、それはまだ内部保留、内部機密の段階に留まっていました。ただ、二重螺旋体 とまでは至ってはいなかったようです。また、ロザリンドの発見したAタイプとBタイプの結晶、そして、そのAタイプ、Bタイプの生成方法もまた内部保留、内部機密の段階に留まっているのでした。それが1952年に決定的証拠となるロザリンドのBタイプ画像撮影成功があり、それを見たウィルキンス、「こりゃ、確実に螺旋体ですがな」と唸り声を上げ、ウィルキンスを中心に論文発表への意思が強まりました。しかし、当の撮影成功者ロザリンドは論文発表に積極的ではありません。「どや、ひとつ此処らで論文発表してみぃひんか?」最新51番画像写真を広げた机に両手をついたウィルキンスは見上げる視線をロザリンドに投げながら、そう促してみるのでした。「まだよぉ〜。まだ、まだ。 A型とB型の生成メカニズムも完全解明されてないし・・」と腕組みをしながらロザリンドはあくまでも控えめな口調です。メカニズムが明らかにならないとロザリンドは気が済まない性分なのでしょうか。「何言ってはるんや、もう論文発表の段階、来てるやないのぉ〜」とウィルキンスは内面苛立ちを隠せません。研究の途中段階でも、新局面に入ったら
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『ロザリンド・フランクリン物語』 〜07〜

『ロザリンド・フランクリン物語』  〜07〜           81953年のNature誌でロザリンドたち英国の科学研究者らによってDNAの螺旋状の形態が予言された訳ですが、その螺旋状の形態像が『実画像』としてリアルに撮影されたのは1991年でした。ロザリンドたちの螺旋形態予言の論文発表から38年後、世界初のDNA螺旋体撮影に成功したのは日本人研究者でした。鳥取大学に導入された当時の最高性能電子走査顕微鏡によって、世界で初めてDNAの実画像としての螺旋体が撮影されたのでした。ただし、高性能電子顕微鏡があれば誰でもDNA螺旋像を撮影できるのかというと、そうではありません。設備、つまり実験装置としての高性能電子顕微鏡は最低限必要ですが、DNA螺旋体を捉えるためには “技”   が更に必要でした。核酸を螺旋撮影できる状態にもっていかなければ、DNA螺旋体の画像を得ることはできないからです。こうなると、数式や論理展開といった科学智の世界というよりも、秘伝の技、秘伝の術の世界といった方が良いようです。取得した生物の細胞から、撮影に適した状態の核酸にどうやってもっていくのか、ここが腕の見せどころで、秘技・奥義なのです。たとえ撮影成功の論文を画像と共に発表したとしても、その撮影対象となる核酸試料の準備手順の詳細が事細かく、漏れなく解説されていなければ、第二の撮影成功者は現れてこないでしょう。準備手順のキモとなる一つの作業工程が明らかとなっていなかったり、職人芸とも言える微妙な手作業が有ったりすると、当該者以外の人が同様の成功結果を得る事はできないでしょう。そこが、 技 とか 術 とか言う
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『ロザリンド・フランクリン物語』 〜06〜

『ロザリンド・フランクリン物語』           7ここで 視点を極狭域部に集中させて、ウィルキンス論文の ”24行目からの部分“ をみてみましょう。ーーーーウィルキンス論文24行目から引用(Nature誌1953年4月)ーーーーーOriented paracrystalline deoxypentose nucleic acid( ‘Structure B’ in the following communication by Franklin and Gosling)gives a fiber diagram as shown in Fig. 1 (cf. ref. 4).【筆者による訳文】D.N.A.結晶(ロザリンド&ゴスリングによって報告されている ‘B構造’ のもの)は図1に示されるような繊維画像を見せてくれています。(比較参照4)(もっと読みやすい表現をするとすれば)ロザリンド&ゴスリング報告による ‘B構造’   のD.N.A.結晶体は図1に示されるような繊維画像となっています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用おわり)ーーーーーーーーこれは論文に使われている図1を紹介している部分の表現となる訳ですが、  『図1はロザリンド研究室で獲得されたX線回折画像なんです・・』とほぼ言っているようなものです。もっと端的な表現をするならば、  『図1の画像はロザリンド作成によるB型D.N.A.のX線回折画像です』との表現で、その意味を解釈してもよいのではないでしょうか。以上のことを考えてみれば、当時、“B型DNA結晶” のX線回折画像の作成
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『ロザリンド・フランクリン物語』 〜05〜

『ロザリンド・フランクリン物語』           6ロザリンド&ゴスリングの論文から明確に判ることは、次のようなことです。ロザリンドの研究室では、❶核酸の結晶体を上手に作ることができました。❷幾度も幾度も結晶体を作る作業を繰り返していくうちに、 2タイプの結晶が出来上がることが判りました。❸それぞれにAタイプ、Bタイプとの名称を付けて区別しました。❹作る際の湿度条件が変わることによって、 A構造タイプとB構造タイプに2分類できることが分かりました。❺どうすれば意図的にこの2タイプの結晶体を得ることができるのか、 その現象的な事実を発見しました。ロザリンドはこれらの研究成果については公表することはなく、『非公開研究データ』としてまとめたものを『年次報告書』として 英国医学研究機構にのみ提出していましたので、2タイプの結晶体が生成されてくる現象メカニズムの謎は広く知れ渡っているものではなかったと思われますし、当時、『影たちの黒十字』写真を得ることのできるのはロザリンド研究室だけだったのではないでしょうか。ロザリンドと同じロンドン大学で同様にX線回折法で核酸研究をしていたモーリス・ウィルキンスは  “結晶体2タイプ生成”      の研究ではロザリンドの方が先を行っていると認識していた筈です。しかし、結晶体を構造解析する面ではウィルキンスのほうが螺旋構造を先に直観予測していました。『影たちの黒十字』51番写真が現実となって現れたとき、ウィルキンスはロザリンドと共同執筆で論文発表したかった筈です。ところが、ロザリンドは発表には積極的でありません。業を煮やしたウィルキンスは論
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『ロザリンド・フランクリン物語』〜04〜

『ロザリンド・フランクリン物語』           5ここで3論文のNature誌上での掲載の並び関係を確かめておく必要があります。3論文はNature誌(Vol. 171, No. 4356, April 25, 1953. 4. )の737ページから741ページにかけての5ページ誌面に3論文連続で掲載され、掲載順番は先頭(737ページ目から)を切ったのが、1. ワトソン&クリック  (WATSON, J. D. & CRICK, F. H. C. 共同執筆・ケンブリッジ大) Molecular Structure of Nucleic Acids: (核酸の分子構造) A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid; (DNA構造)中間(738ページ目から)を引き継いだのが、2. ウィルキンス&ストクス&ウィルソン (WILKINS, M. H. F., STOKES, A. R. & WILSON, H. R. 執筆・ロンドン大) Molecular Structure of Deoxypentose Nucleic Acids; (DNA分子構造) ・・・“X線回折写真“ 掲載・・・・・トリ(740ページから741ページ目まで)を取ったのが、3. ロザリンド&レイモンド・ゴスリング (FRANKLIN, R. E. & GOSLING, R. G.共同執筆・ロンドン大) Molecular Configuration in Sodium Thymonucleate,  (胸腺核酸ナトリウム塩の分子配置)
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『ロザリンド・フランクリン物語』 〜03〜

『ロザリンド・フランクリン物語』 〜03〜              4クリック&ワトソンが論文 『DNAの二重螺旋構造』を1953年4月のNature誌で発表したときロザリンドもまた一つの論文をNature誌に寄稿しています。その論文のタイトルは、『Molecular Configuration in Sodium Thymonucleate』  === 胸腺核酸ナトリウム塩の分子配置  ===  ==ゴスリング(Raymond Gosling)と共同執筆==というもので、その中で一つの写真が使われましたが、後になって、その写真は “ロザリンド51番写真”   と呼ばれるようになり、ワトソンがノーベル賞受賞6年後の述懐で「影たちの黒十字」と表現した写真に一致するものです。この事からクリック、ワトソン、ウィルキンスのノーベル賞受賞者3名は、”影たちの黒十字“ が写っている “ロザリンド51番写真” をワトソンがこっそりと見たことによってDNAの二重螺旋構造に辿り着けたと考えられるのです。1953年4月Nature誌掲載の3本の論文は以下です。どうやら、ケンブリッジ大学とロンドン大学の研究者が合同で論文3本をワンセットとして執筆・掲載したようです。1. ワトソン&クリック  (WATSON, J. D. & CRICK, F. H. C. 共同執筆・ケンブリッジ大) Molecular Structure of Nucleic Acids: (核酸の分子構造) A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid;
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『ロザリンド・フランクリン物語』 〜02〜

『ロザリンド・フランクリン物語』           3クリック&ワトソンが1953年4月にNature誌で発表した『DNAの二重螺旋構造』という20世紀における重大な大発見論文の2ページ目にはX線回折写真が掲載されましたが、その写真は “誰が撮影した写真” なのでしょうか。 論文発表が1953年の4月ということですので、クリック&ワトソンがロザリンドのデータや写真を見た時期から数ヶ月しか経っていません。X線結晶学の専門家ではないクリック&ワトソンが、 数ヶ月内にDNA結晶体まで作って撮影できたのでしょうか。これが一つの謎を生み出してきます。論文の文脈からすると、2ページ目の写真もロザリンド撮影の写真のようにみえますが、奇妙な事実が浮かび上がってくるのです。それは・・・・・・・      *                      *       *ワトソンがノーベル賞を受賞してから6年後にワトソンは一冊の本を執筆します。その本は ワトソン著 『二重らせん』 James Watson,1968.The Double Helix.  (Edited by Gunther S. Stent. 1980. A Norton critical edition) というものですが、この『The Double Helix』の98ページにある記述:   The instant I saw the picture   my mouth fell open   and my pulse began to race.   The pattern was unbelievably simp
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 『ロザリンド・フランクリン物語』 〜01〜

『ロザリンド・フランクリン物語』         1 ロザリンド・エルシー・フランクリン (Rosalind Elsie Franklin:1920年7月25日~1958年4月16日) ロザリンド・フランクリンはユダヤ人銀行家の娘で、 6人兄弟姉妹の長女としてロンドンに生まれました。 ロザリンド・フランクリンは、科学者として成長し、フランス留学を経て、 1950年、ロンドン大学のキングス・カレッジに研究職として着任。 X線結晶学の研究生活をスタートさせます。 X線結晶学とは、研究対象とする結晶体へX線を照射し、 その物質のX線散乱パターンを逆フーリエ解析を用いて解析し、 対象とする物質の分子構造を解明していく研究分野です。 そして、彼女に与えられた研究テーマこそ、X線照射によるDNA結晶の解析だったのでした。 ロザリンドは、研究開始からおよそ1年後、 DNAには水分含有量の差によって2つのタイプ(A型とB型)が存在すること、 それを互いに区別して、結晶化する方法まで確立させます。 また、その結晶へのX線照射で生まれる散乱パターンの写真撮影にも成功しました。 そして、それらデータについては公表せずに、秘密裏に数学的解析を自力で進めていました。 3年後の1953年には、DNAの二重らせん構造の解明につながるX線回折写真の撮影にも成功しています。 1953年のある日のこと。 ケンブリッジ大学のワトソンとクリックは、このロザリンドのX線回折写真を秘かに盗み見ます。 そして、この盗み見たロザリンドのX線回折写真を元にして、 1953年、ワトソンとクリックは、Nature誌に『DNAの二重
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