小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜10〜

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小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜10〜


         11       スミス・サミュエ商会からの男

 賢振寺のキャヴェンディッシュ研究所において
クリックがマックス・ペルーツ博士へ
ロザリンド報告書の件を問い合わせている頃、
倫敦大学キングスカレッジのホイートストン物理研究所では
一人の男が誰もいない日曜日の朝から
ひっそりとロザリンド研究室を訪問していた。

 秋も酣(たけなわ)。
落ち葉の一群がカサカサと舞っては
ロザリンド研究室が入居する建物の入り口でたむろしていた。
研究室にはロザリンドのみが来室している状態で、
共同研究者である学生のゴスリングさえも来ては居なかった。
研究室は訪問者の為だけに明かりを灯しているのだった。

「わたくし、スミス・サミュエ商会のポール・スミスと申します」
と訪問者の男は真新しい名刺をロザリンドに差し出すと言葉を続けた。
「当スミス・サミュエ商会はロザリンド博士様のお父様からも
出資頂いておる商会でして、主には医薬品関連の商品などを扱っています」

「フォートナム・メイソンのお紅茶などいかがですか?」
ロザリンドは盆の上にあった紅茶入りの来客用カップを
ポール・スミスと名乗る男の前へと静かに押し勧めた。

「いやぁメイソン紅茶ですかぁ。これはどうも、有難うございます。
 ああ、これはいい香りだぁ」
訪問者ポールは出された紅茶に口を付けると、感嘆の声を上げ、
話を更に続けた。
「我がスミス・サミュエ商会はですね、製薬会社様からもまた出資を
頂いておりまして、新薬などの市場開拓をも行なっておるところなんですが、
この度、新薬開発の為には基礎学術にも目を向けたほうがよいのでは・・、
という話が出まして、ロザリンド博士様の研究に学術支援金を出してはどうか
との提案が持ち上がりました。今日はその件でひとつのご提案を申し上げようと思いまして参った次第です」

「さようですか。それは随分と光栄なことですが、
その話、私の父が・・何か・・余計な事でも申したのでしょうか?」
ロザリンドの声には少々困惑するような色が混っているようであった。

「いやぁ〜。そうゆう訳ではありません。
 我がスミス・サミュエ商会の取引先であるところの
 クウィーン製薬会社様の学術情報に基づいて、
 更には銀行のアドバイスも加味しながら、
 スミス・サミュエ商会、独自に判断しているものです」

ロザリンドは心の中で咄嗟に『そんな筈は無い』と直感していた。
銀行絡みで湧いてきたような話に銀行家である父親の
関与がないとは到底考えられなかったからである。


 ロザリンドの家系はユダヤ人の系統に属し、
ロザリンドの父親も銀行家として成功をおさめていた。
お陰でロザリンドは何不自由なく好きな科学の道へと進むことができた。
元来ユダヤ人は金融業に長け、特殊な人脈ネットワークも構築しており、
金貸し業はユダヤ人が発達させてきたと言っても過言ではない。
それは、そもそも、中世期のキリスト教宗教社会では、
      『金を貸すだけで利息を取るなんぞ
   まともな人間のする行為ではない』
とローマ教会からの締め付けが配下のキリスト教徒民にあった為で、
堂々と憚りなく金貸し業に従事し、業態を発展させる事が出来たのは
ユダヤ人だったということにも起因するからである。
ローマ教会配下にあったメジチ家で利息を取る金貸し業を行なった者も
居たことは居たのであるが、彼らはローマ教会に多額の献金を差し出し、
黙認を得て金融業を手掛けていたといってよい。

「我がスミス・サミュエ商会は幾度も検討を重ねて参りまして、
 生物細胞核酸の取り扱いの最先端におられるのが
 ロザリンド博士様であるとの結論に至った次第です」
ポールのその言葉にはロザリンドの自尊心を掻き立て、くすぐるような
巧みな言い回しが散りばめられているように感じられた。
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「このほど、ロザリンド博士様が細胞核酸の2種類分別を
 発見されたとの情報が我がスミス・サミュエ商会にも入りまして、
 今後は細胞の取り扱い方法が医薬品開発には欠かせなくなっていく時代だ、
 との認識が我がスミス・サミュエ商会にはあるのです。
 さすれば、その分野での最先端におられるロザリンド博士様への支援は
 必要不可欠だとの結論なのです」
なんとも言葉巧みなポール・スミスである。

「さようですか〜。それで、私に何の研究をせぃ、とお望みなのでしょう?」
ロザリンドはポールの真意をまだ測りかねていた。
ポールは一旦、メイソン紅茶を口に含んだ。
「いえ、いえ、新分野の研究依頼という訳ではないのです。
 それは〜、細胞核の取り扱い技法の研究とでも申しましょうか・・・、
 その〜、細胞核の取り扱い技法の開発と申しましょうか・・」
それまで滑らかだったポールの口調に幾分かの濁りが差してきている。

「確かに細胞核酸取り扱い方法には闇中模索の部分も沢山ありますわ」
ロザリンドはそう言うと、
自分の紅茶カップに角砂糖を入れ、スプーンを回した。

「はい、そこなんです。我がスミス・サミュエ商会としての
 確保したいと思う部分はそこなんです。
 その特殊な取り扱い技法を獲得できればと考えているのです。
 それも・・」
ポールの口が一瞬止まった。

「それも??」
ロザリンドは不審そうな顔でメイソンを飲み込んだ。

「はい、それも・・、特許取ってですね公開するより、
 技法を獲得しつつも、細部については
 公開せずに秘匿して企業秘密にしては頂けないかな・と思う訳です」

「企業秘密・・・」
ロザリンドはそう呟くとポールをじ〜っと見つめるのだった。

「それは、薬品開発で一歩も二歩も先ゆく為なんです。
この自然界での出現現象や法則は、万人の共通財産です。
でも、その現象の『取り扱い方』とゆうものは、
それぞれに取り扱い方を発見・会得した人のものではないでしょうか?
この点、反論など色々な見解が御座いましょうが、
我がスミス・サミュエ商会といたしましては『特殊な技法の取得』は
発見者のものだとの結論なのです」

ここでロザリンドはポールという男の目的と真意を理解したようであった。
つまり、ポールの提案とは、
学術研究支援金を渡すから、核酸結晶などにまつわる細胞の
取り扱いの詳細部分は企業秘密としてくれないかということのようである。
これは研究資源への買収なのか・・・?

どうやら、自然界での出現現象の発見などは論文公開したとしても、
発見に至るまでの細微に渡る作業過程のコツは曖昧にして
明らかにしないでほしい、と言うことでの学術支援のようである。
ポールは企業秘密を数多く握って、
業界内での優位差確保を、
更には、英国製薬業の企業秘密が海外流出することを阻止して
英国企業の優位を狙っているかのようでもあった。



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