『ロザリンド・フランクリン物語』
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ロザリンド&ゴスリングの論文から明確に判ることは、
次のようなことです。
ロザリンドの研究室では、
❶核酸の結晶体を上手に作ることができました。
❷幾度も幾度も結晶体を作る作業を繰り返していくうちに、
2タイプの結晶が出来上がることが判りました。
❸それぞれにAタイプ、Bタイプとの名称を付けて区別しました。
❹作る際の湿度条件が変わることによって、
A構造タイプとB構造タイプに2分類できることが分かりました。
❺どうすれば意図的にこの2タイプの結晶体を得ることができるのか、
その現象的な事実を発見しました。
ロザリンドはこれらの研究成果については公表することはなく、
『非公開研究データ』としてまとめたものを『年次報告書』として
英国医学研究機構にのみ提出していましたので、
2タイプの結晶体が生成されてくる現象メカニズムの謎は
広く知れ渡っているものではなかったと思われますし、
当時、『影たちの黒十字』写真を得ることのできるのは
ロザリンド研究室だけだったのではないでしょうか。
ロザリンドと同じロンドン大学で同様にX線回折法で核酸研究をしていた
モーリス・ウィルキンスは “結晶体2タイプ生成” の研究では
ロザリンドの方が先を行っていると認識していた筈です。
しかし、結晶体を構造解析する面ではウィルキンスのほうが
螺旋構造を先に直観予測していました。
『影たちの黒十字』51番写真が現実となって現れたとき、
ウィルキンスはロザリンドと共同執筆で論文発表したかった筈です。
ところが、ロザリンドは発表には積極的でありません。
業を煮やしたウィルキンスは論文公表にこぎつけるべく、
ケンブリッジ大学の研究者を引き込んで
ロザリンドを動かすことになるのです。
この辺りに怪しさが漂い、
ウィルキンスvsロザリンド不仲説が立ち昇る所以です。
実際、ケンブリッジからロンドン大学を訪れて
ロザリンドの講義を聴いたワトソンは
初めは回折画像にはあまり興味は示さなかったようです。
真剣にロザリンドの講義を聴いていなかった為(?)なのか・・、
ケンブリッジに戻ってから同僚のクリックに
ロンドン大学で聴講した講義の内容をうまく説明できなかった・・、
などと後になってワトソンは告白しているようです。
そのように敢えて装っていた、という可能性もありえますが、
多分、その時は見た画像がAタイプ結晶の像だったからかも知れません。
そして、1952年にB構造タイプの画像が出現し、ワトソンは
俄然と論文執筆活動へと動きを加速していくのです。
その結果が、Nature誌への
ロンドン大学研究者とケンブリッジ大学研究者との合同形式による
3論文一挙掲載だったのです。
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