連続小説『DNA51影たちの黒十字』21

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連続小説『DNA51影たちの黒十字』21


連続小説『DNA51影たちの黒十字』第21回

(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜21〜
Rosalind Franklin Photo51
Rosalind Franklin Photo#51

   22        ジョン・バナール教授

★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆

 英国ダービーが終わり、エリザベス女王の
戴冠式の余韻も街中より退きつつある頃。
 ロザリンドのもとにポール・スミスからの
使いがやって来て、ポールがロザリンドを晩
餐に招きたいとの旨を伝えた。そこで、翌週
の月曜日の夕刻、使いの案内によってロザリ
ンドはテムズ川沿いのタワー上階レストラン
へと向かった。
 到着すると、そこにはポール・スミスの他
に一人の男性が待っていた。ポールとともに
ロザリンドを待っていたのはジョン・デスモ
ンド・バナール教授であった。バナール教授
はX線結晶構造解析の先駆けとなった人物で
その研究分野では広く知られた人物である。
ロザリンドも勿論その風貌は知っているし、
教授の講義を聴講したこともあった。

「こちら、バークベック・カレッジの物理学
教室のバナール教授です。ロザリンド先生に
はバークベックへ移籍する意思がお有りだと
いうことなので、今日はこの私、不肖ポール
・スミスがバナール教授をお連れ致しました」
ポールは改めてロザリンドにバナール教授を
紹介した。

「私、バークベックのジョン・バナールです」

ポールから話の端緒を引き継ぐとバナール教
授はワインをロザリンドに勧めながら話を先
へと広げていくのだった。

「この度のロザリンド先生のネイチャー誌発
表論文、読ませて頂きました。とても素晴ら
しい論文でした。B型構造核酸の発見とは、
誠に見事な快挙ですな。ロザリンド先生のよ
うな優秀な科学者がバークベックに来られる
お気持ち有ると、こちらのスミスさんからお
聞きしまして、バークベックとして大歓迎な
ところです。キングス・カレッジとバークベ
ック・カレッジとは同じ倫敦大学とはいえど
も、ロザリンド先生もよくご存知のように、
それぞれ別組織となっており、移籍のために
は、一旦キングスの方は退職することになる
かと思います。その後に、バークベックのほ
うで採用となります。そこで、今日はバーク
ベック移籍後、こちらバークベックでの研究
内容の詳細などを事前に説明しておいたほう
がよろしかろうということで、スミスさんに
は本日のこの席を設けて頂いた次第です」


     ◇                    ◇

 バークベック・カレッジ創立は1823年と
古いが、倫敦大学に加わったのは1920年と、
創立後100年が経ってからであった。
 一方、キングス・カレッジ創立は1829年
であり、創立10年後、1839年の倫敦大学が
発足した時の初期からの加盟組織である。
 倫敦大学とは各カレッジが加盟する連合組
織体ではあるが、その運営にあたっては各々
のカレッジで独立した運営形態となっている。
そのためにカレッジ間での人事移籍の際は
 “退職〜就職”  といった一連の事務手続きは
必要となってくる訳である。
 1839年の倫敦大学発足当時の日本では、
『蛮社の獄』と呼ばれる徳川幕府による思想
弾圧事件が起こり、高野長英・渡辺崋山など
が捕縛され、処刑されるという事件が発生して
いる。また、2年後の1841年(天保12)は老中
・水野忠邦による天保改革令。さらに大陸の
清王朝に目を向ければ1840年アヘン戦争勃発
という時代状況である。このような国外情勢
の中、英国では倫敦大学が発足していたので
あった。

 バナール教授とロザリンド対面の翌週。
ロザリンドはバークベック採用が内定す
ると早速キングス・カレッジを退職した。

 キングス・カレッジはテムズ川直ぐ傍の
河岸立地で、北方面には大英博物館がある。
この大英博物館北裏にバークベックがある。
直線距離で約1.5km。キングス・カレッジ
からバークベック・カレッジへは歩いても
30〜40分弱といったところであろうか。
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 バークベック・カレッジへの移籍完了後、
ロザリンドはアーロン・クルーグという名
のユダヤ人研究者を同僚の共同研究者とし、
TMV(タバコモザイクウィルス)の研究に
取り掛かり始めるのであった。
★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆
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