絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

8 件中 1 - 8 件表示
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』22

連続小説『DNA51影たちの黒十字』22連続小説『DNA51影たちの黒十字』第22回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜22〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   23   ユダヤ人研究者 ロザリンドとポール・スミスが急接近したのには両者が共にユダヤ人であったことがひとつの要因であったのかもしれない。互いにユダヤ人ということから、価値観などに近いものを感じて自然と引き寄せ合ってしまったのであろうか。また、バークベック・カレッジにロザリンドを受け入れたジョン・バナール教授にしてもユダヤ人であったし、ロザリンドのバークベックでの研究室の同僚となった新たなる共同研究者アーロン・クルーグにしても、何と、またユダヤ人であった。 研究資金の提供等でパトロン的立場になっているポール・スミスが意図的にロザリンドの研究環境を密かに整えていったのであろうか?いずれにしても結果としてロザリンドの周囲にはユダヤ人たちが配置されることになっていたのである。ロザリンドにしてみれば価値観の近い人間たちに囲まれて、キングス・カレッジよりは幾分か心安らかにして研究に没頭できる環境であることは確かである。 情報漏洩の疑念をロザリンドにいだかせた“B型核酸結晶発見” 論文発表にまつわる不可解な経緯について、話す相手がポール・スミスであるのならば話せるような気がしてくるロザリンドであった。 バークベック・カレッジへの移籍がとんとん拍子で迅速に進んだことで、ポール・スミスへの信頼感がロザリンドの中では相当に高まっていくようであった。     ◇
0
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』21

連続小説『DNA51影たちの黒十字』21連続小説『DNA51影たちの黒十字』第21回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜21〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   22        ジョン・バナール教授★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 英国ダービーが終わり、エリザベス女王の戴冠式の余韻も街中より退きつつある頃。 ロザリンドのもとにポール・スミスからの使いがやって来て、ポールがロザリンドを晩餐に招きたいとの旨を伝えた。そこで、翌週の月曜日の夕刻、使いの案内によってロザリンドはテムズ川沿いのタワー上階レストランへと向かった。 到着すると、そこにはポール・スミスの他に一人の男性が待っていた。ポールとともにロザリンドを待っていたのはジョン・デスモンド・バナール教授であった。バナール教授はX線結晶構造解析の先駆けとなった人物でその研究分野では広く知られた人物である。ロザリンドも勿論その風貌は知っているし、教授の講義を聴講したこともあった。「こちら、バークベック・カレッジの物理学教室のバナール教授です。ロザリンド先生にはバークベックへ移籍する意思がお有りだということなので、今日はこの私、不肖ポール・スミスがバナール教授をお連れ致しました」ポールは改めてロザリンドにバナール教授を紹介した。「私、バークベックのジョン・バナールです」ポールから話の端緒を引き継ぐとバナール教授はワインをロザリンドに勧めながら話を先へと広げていくのだった。「この度のロザリンド先生のネイチャー誌発表論文、読ませて頂きました。とても素晴ら
0
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』20

連続小説『DNA51影たちの黒十字』第20回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜20〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   21        バークベック・カレッジ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 6月6日。エプソムダービーの決着がついてからのロザリンドの脳裏からはピンザを祝福していたクリックとペルーツのツーショット光景が焼き付いて離れない。 クリックとペルーツは賢振寺大学で近しい関係で、さらに親密であった姿は、エプソム競馬場での熱狂した群衆の光景を遥か彼方に押しやって消し去り、ふたりの姿だけが残って浮き上がってくるのだ。 そして、ペルーツはロザリンドが提出した非公開報告書の提出先である英国医療研究機構の予算担当者。またクリックは3論文同時発表した時の執筆者のひとり。さらにクリック論文の二重螺旋説がロザリンドが提出した医療研究機構への非公開年次報告データと奇妙にも近似してくる事実。 ロザリンドは自分が非公開報告書として提出したデータが漏洩していたのではないかとの疑念を抱かざるを得なくなっていた。 ロザリンドがニューマーケットでクリックと会ったとき、クリックはしきりに論文執筆をロザリンドに勧めてきていたことをロザリリンドは思い出した。その時は単にクリックが実験データを持ちあわせていないからだとロザリンドは勝手に思い込んでいたのだが、その時点で既にクリックはロザリンドの獲得したデータを知っていたのではないかとの疑惑を今となっては感じざるを得ないのだった。 ポール・スミスが以前にロザリンド研究室を
0
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』19

連続小説『DNA51影たちの黒十字』19連続小説『DNA51影たちの黒十字』第19回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51  20       第174回ダービー覇者の凱旋★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ オリオールのいれ込み仕草が依然と続いている状態の中、ダービー競走スタートの火蓋は切って降ろされた。 エプソム競馬場のコースは “Cニ” の文字型が描く蹄鉄図形のようなルートとなっていて”C二“ 文字型の右上端からスタートして暫く長い直線馬場が続く。この直線馬場を3歳の若駒たちが一群となって突き進んで行く。 発進直後は好発進のシティースキャンダルがリードし、二番手にエンペラーハニーが付けるという体勢だ。その後ろの馬群の中の7番手にピンザ、更にその後ろ中段馬群の中にオリオール。 スタート後の長い直線が終わってルートはカーブして左回りのタッテナムコーナーにさしかかる。ここの時点で先頭はブリンカーを着装したゼッケン12番のシーカンプールに取って替わった。オリオールは依然として中段の馬群の中だ。鞍上のハリー・カー騎手は馬群の中に敢えてオリオールを入れることで馬を落ち着かせようとしているのであろうか・・。 長いコーナーの曲線馳走では4馬身差を取ってシーカンプールが先頭で通過していく。 最終コーナーを抜けて最後の直線ルートに馬群が入ると2番手まで順位を押し上げて来たゼッケン2番ピンザがロングスパートの猛追をかけてきた。 最終直線の半ばで遂にシーカンプールをかわしたピンザが先頭へ踊り出る。 最終直線半ばでオリオ
0
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』18

連続小説『DNA51影たちの黒十字』18連続小説『DNA51影たちの黒十字』第18回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜18〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   19       伝統の第174回ダービー★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ いよいよダービー競走が始まる時刻が近づいてきた。その年の3歳馬の中から出馬する馬は27頭。1950年に何千頭と生まれたサラブレッド馬の中から2歳・3歳の時に優秀な成績をレースで残して、今日のダービー競走の出走にまで漕ぎ着けてきた3歳の駿馬たち27頭がパドック(下見所Parade Ringパレードリング)に登場した。「あのゼッケン1番を付けて、鼻に白い輪っかを巻いた馬、大層元気そぅどすなぁ」ロザリンドが双眼鏡を覗きながら言った。「ゼッケン1番?・・・・おぉっ、あれはエリザベス女王の所有馬オリオールですよ。鼻の白い巻物はブリンカーと言って、馬が脚元の影などを見て驚かないようにと、馬の脚元への視界を遮ぎる為に付けているモノなんですが・・・・・・。これは・・、どうも、オリオールはいれ込みが激しいようですね。盛んに脚踏みを繰り返すのは元気がいいのではなく、興奮度合いが高い状態だからなんです。実際にレースが始まると有利には働かない兆候です」隣のポール・スミスも双眼鏡を覗きながら、知ったかぶりの解説をする。「ロザリンド先生は、そうゆう所を直ぐ発見しますね。流石です。どうやらオリオールのあの入れ込み具合を見るに、オリオール優勝危うしですかな?」 パドックでのオリオールの仕草や
0
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』17

連続小説『DNA51影たちの黒十字』17(続ロザリンド物語)  小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜17〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   18         戴冠式からダービーへ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 1953年6月2日。エリザベスⅡ世戴冠式がウェストミンスターの地を中心に執り行われた。重く大きな冠を頭に被せられて華奢な新女王の首は動かせない状態となりつつも、エリザベスⅡ世は正式に国王として即位する儀式を全うしたのである。この儀式には世界各国からの要人が多数参列して豪華なる王族外交が繰り広げられ、日本国からは昭和天皇の名代として19歳の若き皇太子殿下が式に参列した。 大英帝国の威光を受け継いでいるかのような盛大なる戴冠式の4日後・・・。 新国王即位式の余韻が多分にまだ市中内に残り漂う中、新女王エリザベスⅡ世27歳はロンドンの近郊リッチモンドから約20kmほど南方に位置したエプソム競馬場にその姿を現わした。 伝統の第174回英国ダービー開催である。競馬場には朝から何万人ともみられる観衆が詰めかけていた。その大群衆に囲まれるなかを来場してきたエリザベス新女王はロングドレスにロングのブルーコートを身に纏いロイヤルスタンドへ向かってターフ内を外ラチ沿いに歩いて行く。 ロザリンドはスミス・サミュエ商会の用意したスタンド席からこの様子を眺めていた。 「今日も、まだ、まだ王室の行事が続いているような雰囲気で実に国際フェスティバルの景観ですなぁ」ロザリンドの
0
カバー画像

連続小説『DNA51影たちの黒十字』16 (続ロザリンド物語)

連続小説『DNA51影たちの黒十字』16(続ロザリンド物語)  小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜16〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   17        戴冠式とダービー 倫敦大学と賢振寺大学との合同による3論文一挙掲載が雑誌に発表され、エリザベス女王陛下の戴冠式も間近という5月の日曜日。スミス・サミュエ商会のポール・スミスがキングスカレッジ倫敦のロザリンド研究室を訪問していた。ポールもロザリンドもユダヤ人なので所謂キリスト教での安息日・日曜日は特別な日ではなく、キリスト教会に行くこともない。ユダヤ人にとっては金曜日の日没から土曜日の日没までの24時間が安息日となっている。「Nature誌で発表されたロザリンド先生の論文読ませていただきましたぁ〜。いや〜、とても素晴らしい内容の論文でしたぁ〜」ポールはロザリンドをしきりに褒め称える。しかし、ロザリンドは浮かぬ顔。「それがなぁ〜、3番手の掲載ですやん。雑誌の編集はん、何考えてますのやろ。ほんまに困ったもんですがな。あの順番やったら、賢振寺の予想が先に有って、それを補強するような証拠データを倫敦大学が見つけて提示してるような、後追いの格好になりますやん? 研究内容からはキングスカレッジ倫敦の方が先行しておりますのんやでぇ。今回は、その先行するキングスカレッジ倫敦の領域に賢振寺の方が追いかけて来とるんでっせ」ロザリンドは憤懣やる方ない様子だ。「まぁ編集者も商売人ですから、読者にウケる掲載方針ってのがあるのでしょう。
0
カバー画像

小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜15〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜15〜Rosalind Franklin Photo51   16 Rosalind Franklin                 Photo#51と戴冠式 1953年 春。 3論文が雑誌4月25日号に掲載された頃。ロンドンの街では、国王ジョージ6世が前年1952年2月6日に亡くなって以来の喪も明けて、エリザベス女王陛下の戴冠式6月2日が間近に迫って来ると、華やかに沸いた春の空気も徐々に夏空の装いへ移行し始めていた。 また、ユダヤ財閥のサッスーン卿の愛馬ピンザ号も転倒負傷で英2000ギニー競走(日本の皐月賞相当)は不出馬で棒に振ったものの、その後は順調に回復し、成長も遂げて、新たなる怪我などアクシデントさえ無ければ、6月6日の英国ダービー出場は確定的な路線となっていた。 ここで、3論文の掲載順番をめぐって雑誌編集者と執筆陣との間で見解の相違があったことが判った。雑誌編集者が、3論文のうち賢振寺大学のクリック&ワトソン論文を先頭に掲載し、2番手3番手に倫敦大学ウィルキンス&ストクス&ウィルソン論文、ロザリンド&レイモンド・ゴスリング論文の順で掲載したからである。 編集者は “二重螺旋説”   を3論文の主役としたいとの意向だったのである。これに対して、倫敦大学側執筆陣は   “B型構造結晶発見と螺旋形態説“        が3論文の主役で掲載されると考えていた。倫敦大学執筆陣はこれまで螺旋形態を予想してきており、“二重螺旋の形態”  もその中に入っていた。そのような状況下に
0
8 件中 1 - 8
有料ブログの投稿方法はこちら