連続小説『DNA51影たちの黒十字』22

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連続小説『DNA51影たちの黒十字』22


連続小説『DNA51影たちの黒十字』第22回

(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜22〜

Rosalind Franklin Photo51
Rosalind Franklin Photo#51

   23   ユダヤ人研究者

 ロザリンドとポール・スミスが急接近した
のには両者が共にユダヤ人であったことがひ
とつの要因であったのかもしれない。互いに
ユダヤ人ということから、価値観などに近い
ものを感じて自然と引き寄せ合ってしまった
のであろうか。また、バークベック・カレッ
ジにロザリンドを受け入れたジョン・バナー
ル教授にしてもユダヤ人であったし、ロザリ
ンドのバークベックでの研究室の同僚となっ
た新たなる共同研究者アーロン・クルーグに
しても、何と、またユダヤ人であった。
 研究資金の提供等でパトロン的立場になっ
ているポール・スミスが意図的にロザリンド
の研究環境を密かに整えていったのであろう
か?いずれにしても結果としてロザリンドの
周囲にはユダヤ人たちが配置されることにな
っていたのである。ロザリンドにしてみれば
価値観の近い人間たちに囲まれて、キングス
・カレッジよりは幾分か心安らかにして研究
に没頭できる環境であることは確かである。
 情報漏洩の疑念をロザリンドにいだかせた
“B型核酸結晶発見” 論文発表にまつわる不可
解な経緯について、話す相手がポール・スミ
スであるのならば話せるような気がしてくる
ロザリンドであった。
 バークベック・カレッジへの移籍がとんと
ん拍子で迅速に進んだことで、ポール・スミ
スへの信頼感がロザリンドの中では相当に高
まっていくようであった。

     ◇                          ◇

 倫敦大学の設立経緯を辿ると、賢振時大学
と倫敦大学との違いを知ることが出来るので
はなかろうか。
 1209年の設立と言われる賢振時大学は、
その歴史の初期段階においてイングランド王
の支援を受けている。このような経緯からか
賢振時大学は貴族による貴族の為の大学とい
った様相をおびていく。16世紀になるとイン
グランド王ヘンリー8世は宗教上でローマ教
会と不仲となり、独自にイングランド国教会
を立ち上げることとなる。この出来事以降、
賢振時大学は『貴族による貴族の為の大学』
といった気風に加えて、イングランド国教徒
によるイングランド国教徒の為の大学との
気風も醸成させていった。近世に入っては、
賢振時大学はイングランド国教徒貴族専用の
大学となっていた。つまり、イングランド
国教徒で、しかも貴族・富豪しか入学が許
されない、そのような大学になっていたの
だ。20世紀に入るに至ってそのような気
風も徐々に取り払われていき、ユダヤ人女
性であったロザリンドも入学出来るように
はなっていくのだが、もちろんロザリンド
の学業成績が優秀であったことも大きな要
因であろう。
 一方、倫敦大学の前身であるUCL(ユニ
バーシティ・カレッジ・ロンドン)は
  『人々による人々の為の大学』
を標榜し、開かれた大学として入学に際し
て宗教は問わない気風が醸成されていた。
ロザリンドと共にネイチャー誌3論文のひ
とつを執筆したクリックはキリスト教には
懐疑的で若くして無宗教となり、大学の方
はUCLに進学している。後には賢振時大学
の博士課程へと進むクリックではあるが、
それは賢振時大学が近世に作られた排他的
な気風を取り払っていった為に無宗教で貴
族ではなかったクリックでも賢振時進学が
可能となっていたからであろう。開かれた
大学という伝統を持つUCL系の倫敦大学に
ユダヤ人が集まり易いのは、以上のような
理由があるからに違いない。
 “進化論”で世界的に著名なチャールズ・
ダーウィンは、宗教的制限を受けずに済む
UCLに於いて、かの世界的に有名な著作
   『種の起源』(1859年)    
を発表している。賢振時大学に於いては、
この類いのテーマについての著作物発表は
憚れると考えたダーウィンは賢振時大学を
離れ、倫敦に移ると、UCLから『種の起源』
の著作発表を行なうという経過を辿ってい
ったのである。

 このように宗教思想に囚われない倫敦大
学の伝統と、かたや宗教を限定していた時
期を過去に持っていた賢振時大学とには、
両者の伝統や過去に於いての顕著なる違い
等を見出すことが出来るのであった。
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