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連続小説『DNA51影たちの黒十字』24

連続小説『DNA51影たちの黒十字』24連続小説『DNA51影たちの黒十字』第24回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51      25       ウラジミール・ルイセンコ ウラジミール・ルイセンコという学生の存在がロザリンドの眼中に入ってきたのにはそれなりの理由があった。ロザリンドの研究室に学生として所属しているケネスホームズという学生をルイセンコが頻繁に訪ねてくるからである。ルイセンコ自身はロザリンド研究室の所属学生ではなく、ケネスホームズの知人・友人としてしばしば訪ねて来るようなのだ。ケネスホームズが研究室に不在の時にも度々訪ねて来ては研究室の休憩用・来客用のソファーに座ってケネスホームズが来るのを待っているルイセンコの姿をロザリンドは目撃している。そんなルイセンコにロザリンドが出会うと、ルイセンコは愛想よく挨拶をする。いたって人当たりが柔らかく好感度の高い人物のようではあるのだが、部外者であるルイセンコの研究室滞在時間は異様に長い。まるでロザリンド研の所属学生であるかのような振る舞い方になってきている。 ルイセンコ本人が言うところでは自身の本来の専攻は農業経営学であるらしいのだが、最近ではウィルスにも関心が高まっているとの様子で、ケネスホームズが研究室に来ない日でもルイセンコは来室してしきりに休憩所の学生たちを相手に研究内容を興味深く聞いている。遠目から観察するにルイセンコは二重螺旋形態にも唯ならぬ強い関心を寄せているようにロザリンドは感じた。 生物の核酸の形態が二重螺旋をとっているのではないかとのロザ
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』22

連続小説『DNA51影たちの黒十字』22連続小説『DNA51影たちの黒十字』第22回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜22〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   23   ユダヤ人研究者 ロザリンドとポール・スミスが急接近したのには両者が共にユダヤ人であったことがひとつの要因であったのかもしれない。互いにユダヤ人ということから、価値観などに近いものを感じて自然と引き寄せ合ってしまったのであろうか。また、バークベック・カレッジにロザリンドを受け入れたジョン・バナール教授にしてもユダヤ人であったし、ロザリンドのバークベックでの研究室の同僚となった新たなる共同研究者アーロン・クルーグにしても、何と、またユダヤ人であった。 研究資金の提供等でパトロン的立場になっているポール・スミスが意図的にロザリンドの研究環境を密かに整えていったのであろうか?いずれにしても結果としてロザリンドの周囲にはユダヤ人たちが配置されることになっていたのである。ロザリンドにしてみれば価値観の近い人間たちに囲まれて、キングス・カレッジよりは幾分か心安らかにして研究に没頭できる環境であることは確かである。 情報漏洩の疑念をロザリンドにいだかせた“B型核酸結晶発見” 論文発表にまつわる不可解な経緯について、話す相手がポール・スミスであるのならば話せるような気がしてくるロザリンドであった。 バークベック・カレッジへの移籍がとんとん拍子で迅速に進んだことで、ポール・スミスへの信頼感がロザリンドの中では相当に高まっていくようであった。     ◇
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』21

連続小説『DNA51影たちの黒十字』21連続小説『DNA51影たちの黒十字』第21回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜21〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   22        ジョン・バナール教授★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 英国ダービーが終わり、エリザベス女王の戴冠式の余韻も街中より退きつつある頃。 ロザリンドのもとにポール・スミスからの使いがやって来て、ポールがロザリンドを晩餐に招きたいとの旨を伝えた。そこで、翌週の月曜日の夕刻、使いの案内によってロザリンドはテムズ川沿いのタワー上階レストランへと向かった。 到着すると、そこにはポール・スミスの他に一人の男性が待っていた。ポールとともにロザリンドを待っていたのはジョン・デスモンド・バナール教授であった。バナール教授はX線結晶構造解析の先駆けとなった人物でその研究分野では広く知られた人物である。ロザリンドも勿論その風貌は知っているし、教授の講義を聴講したこともあった。「こちら、バークベック・カレッジの物理学教室のバナール教授です。ロザリンド先生にはバークベックへ移籍する意思がお有りだということなので、今日はこの私、不肖ポール・スミスがバナール教授をお連れ致しました」ポールは改めてロザリンドにバナール教授を紹介した。「私、バークベックのジョン・バナールです」ポールから話の端緒を引き継ぐとバナール教授はワインをロザリンドに勧めながら話を先へと広げていくのだった。「この度のロザリンド先生のネイチャー誌発表論文、読ませて頂きました。とても素晴ら
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』20

連続小説『DNA51影たちの黒十字』第20回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜20〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   21        バークベック・カレッジ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 6月6日。エプソムダービーの決着がついてからのロザリンドの脳裏からはピンザを祝福していたクリックとペルーツのツーショット光景が焼き付いて離れない。 クリックとペルーツは賢振寺大学で近しい関係で、さらに親密であった姿は、エプソム競馬場での熱狂した群衆の光景を遥か彼方に押しやって消し去り、ふたりの姿だけが残って浮き上がってくるのだ。 そして、ペルーツはロザリンドが提出した非公開報告書の提出先である英国医療研究機構の予算担当者。またクリックは3論文同時発表した時の執筆者のひとり。さらにクリック論文の二重螺旋説がロザリンドが提出した医療研究機構への非公開年次報告データと奇妙にも近似してくる事実。 ロザリンドは自分が非公開報告書として提出したデータが漏洩していたのではないかとの疑念を抱かざるを得なくなっていた。 ロザリンドがニューマーケットでクリックと会ったとき、クリックはしきりに論文執筆をロザリンドに勧めてきていたことをロザリリンドは思い出した。その時は単にクリックが実験データを持ちあわせていないからだとロザリンドは勝手に思い込んでいたのだが、その時点で既にクリックはロザリンドの獲得したデータを知っていたのではないかとの疑惑を今となっては感じざるを得ないのだった。 ポール・スミスが以前にロザリンド研究室を
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』19

連続小説『DNA51影たちの黒十字』19連続小説『DNA51影たちの黒十字』第19回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51  20       第174回ダービー覇者の凱旋★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ オリオールのいれ込み仕草が依然と続いている状態の中、ダービー競走スタートの火蓋は切って降ろされた。 エプソム競馬場のコースは “Cニ” の文字型が描く蹄鉄図形のようなルートとなっていて”C二“ 文字型の右上端からスタートして暫く長い直線馬場が続く。この直線馬場を3歳の若駒たちが一群となって突き進んで行く。 発進直後は好発進のシティースキャンダルがリードし、二番手にエンペラーハニーが付けるという体勢だ。その後ろの馬群の中の7番手にピンザ、更にその後ろ中段馬群の中にオリオール。 スタート後の長い直線が終わってルートはカーブして左回りのタッテナムコーナーにさしかかる。ここの時点で先頭はブリンカーを着装したゼッケン12番のシーカンプールに取って替わった。オリオールは依然として中段の馬群の中だ。鞍上のハリー・カー騎手は馬群の中に敢えてオリオールを入れることで馬を落ち着かせようとしているのであろうか・・。 長いコーナーの曲線馳走では4馬身差を取ってシーカンプールが先頭で通過していく。 最終コーナーを抜けて最後の直線ルートに馬群が入ると2番手まで順位を押し上げて来たゼッケン2番ピンザがロングスパートの猛追をかけてきた。 最終直線の半ばで遂にシーカンプールをかわしたピンザが先頭へ踊り出る。 最終直線半ばでオリオ
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』18

連続小説『DNA51影たちの黒十字』18連続小説『DNA51影たちの黒十字』第18回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜18〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   19       伝統の第174回ダービー★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ いよいよダービー競走が始まる時刻が近づいてきた。その年の3歳馬の中から出馬する馬は27頭。1950年に何千頭と生まれたサラブレッド馬の中から2歳・3歳の時に優秀な成績をレースで残して、今日のダービー競走の出走にまで漕ぎ着けてきた3歳の駿馬たち27頭がパドック(下見所Parade Ringパレードリング)に登場した。「あのゼッケン1番を付けて、鼻に白い輪っかを巻いた馬、大層元気そぅどすなぁ」ロザリンドが双眼鏡を覗きながら言った。「ゼッケン1番?・・・・おぉっ、あれはエリザベス女王の所有馬オリオールですよ。鼻の白い巻物はブリンカーと言って、馬が脚元の影などを見て驚かないようにと、馬の脚元への視界を遮ぎる為に付けているモノなんですが・・・・・・。これは・・、どうも、オリオールはいれ込みが激しいようですね。盛んに脚踏みを繰り返すのは元気がいいのではなく、興奮度合いが高い状態だからなんです。実際にレースが始まると有利には働かない兆候です」隣のポール・スミスも双眼鏡を覗きながら、知ったかぶりの解説をする。「ロザリンド先生は、そうゆう所を直ぐ発見しますね。流石です。どうやらオリオールのあの入れ込み具合を見るに、オリオール優勝危うしですかな?」 パドックでのオリオールの仕草や
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』17

連続小説『DNA51影たちの黒十字』17(続ロザリンド物語)  小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜17〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   18         戴冠式からダービーへ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 1953年6月2日。エリザベスⅡ世戴冠式がウェストミンスターの地を中心に執り行われた。重く大きな冠を頭に被せられて華奢な新女王の首は動かせない状態となりつつも、エリザベスⅡ世は正式に国王として即位する儀式を全うしたのである。この儀式には世界各国からの要人が多数参列して豪華なる王族外交が繰り広げられ、日本国からは昭和天皇の名代として19歳の若き皇太子殿下が式に参列した。 大英帝国の威光を受け継いでいるかのような盛大なる戴冠式の4日後・・・。 新国王即位式の余韻が多分にまだ市中内に残り漂う中、新女王エリザベスⅡ世27歳はロンドンの近郊リッチモンドから約20kmほど南方に位置したエプソム競馬場にその姿を現わした。 伝統の第174回英国ダービー開催である。競馬場には朝から何万人ともみられる観衆が詰めかけていた。その大群衆に囲まれるなかを来場してきたエリザベス新女王はロングドレスにロングのブルーコートを身に纏いロイヤルスタンドへ向かってターフ内を外ラチ沿いに歩いて行く。 ロザリンドはスミス・サミュエ商会の用意したスタンド席からこの様子を眺めていた。 「今日も、まだ、まだ王室の行事が続いているような雰囲気で実に国際フェスティバルの景観ですなぁ」ロザリンドの
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』16 (続ロザリンド物語)

連続小説『DNA51影たちの黒十字』16(続ロザリンド物語)  小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜16〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   17        戴冠式とダービー 倫敦大学と賢振寺大学との合同による3論文一挙掲載が雑誌に発表され、エリザベス女王陛下の戴冠式も間近という5月の日曜日。スミス・サミュエ商会のポール・スミスがキングスカレッジ倫敦のロザリンド研究室を訪問していた。ポールもロザリンドもユダヤ人なので所謂キリスト教での安息日・日曜日は特別な日ではなく、キリスト教会に行くこともない。ユダヤ人にとっては金曜日の日没から土曜日の日没までの24時間が安息日となっている。「Nature誌で発表されたロザリンド先生の論文読ませていただきましたぁ〜。いや〜、とても素晴らしい内容の論文でしたぁ〜」ポールはロザリンドをしきりに褒め称える。しかし、ロザリンドは浮かぬ顔。「それがなぁ〜、3番手の掲載ですやん。雑誌の編集はん、何考えてますのやろ。ほんまに困ったもんですがな。あの順番やったら、賢振寺の予想が先に有って、それを補強するような証拠データを倫敦大学が見つけて提示してるような、後追いの格好になりますやん? 研究内容からはキングスカレッジ倫敦の方が先行しておりますのんやでぇ。今回は、その先行するキングスカレッジ倫敦の領域に賢振寺の方が追いかけて来とるんでっせ」ロザリンドは憤懣やる方ない様子だ。「まぁ編集者も商売人ですから、読者にウケる掲載方針ってのがあるのでしょう。
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜15〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜15〜Rosalind Franklin Photo51   16 Rosalind Franklin                 Photo#51と戴冠式 1953年 春。 3論文が雑誌4月25日号に掲載された頃。ロンドンの街では、国王ジョージ6世が前年1952年2月6日に亡くなって以来の喪も明けて、エリザベス女王陛下の戴冠式6月2日が間近に迫って来ると、華やかに沸いた春の空気も徐々に夏空の装いへ移行し始めていた。 また、ユダヤ財閥のサッスーン卿の愛馬ピンザ号も転倒負傷で英2000ギニー競走(日本の皐月賞相当)は不出馬で棒に振ったものの、その後は順調に回復し、成長も遂げて、新たなる怪我などアクシデントさえ無ければ、6月6日の英国ダービー出場は確定的な路線となっていた。 ここで、3論文の掲載順番をめぐって雑誌編集者と執筆陣との間で見解の相違があったことが判った。雑誌編集者が、3論文のうち賢振寺大学のクリック&ワトソン論文を先頭に掲載し、2番手3番手に倫敦大学ウィルキンス&ストクス&ウィルソン論文、ロザリンド&レイモンド・ゴスリング論文の順で掲載したからである。 編集者は “二重螺旋説”   を3論文の主役としたいとの意向だったのである。これに対して、倫敦大学側執筆陣は   “B型構造結晶発見と螺旋形態説“        が3論文の主役で掲載されると考えていた。倫敦大学執筆陣はこれまで螺旋形態を予想してきており、“二重螺旋の形態”  もその中に入っていた。そのような状況下に
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜13〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜13     14              ニューマーケット奇譚 クリックは驚いているロザリンドに   『新知見』 を一刻も早くロザリンドに聞いてもらって見解が聞きたいので自分から訪問して来たのだと告げると、核酸の様態を分子結合の構造から浮かび上がらせる試みを繰り返していたところ、   “二重螺旋構造“をとっているのではないかとの結論が出てきたと語るのだった。「分子結合を専攻する教授にアドバイスを色々もろうて 模型製作も何回も試みたところ、とうとう・・、 ついに・・・・・・・、なんと、 この ”二重螺旋” に辿り着いたんですわ」 クリックはロザリンドが英国医学研究機構に送った報告書に関する事項は一切語らずに、分子結合の試行を繰り返した結果、二重螺旋構造が表出されてきた事を強調した。「分子結合の試行を何度も繰り返していましてね、 これからは、生物の研究も分子単位で見ていかなあかん、 つくづく、そう思うようになりましたわ。 ロザリンドはん、どう思はります?」そう語るクリックの口調は、何かを極めきった大家のようである。「確かに、微細を見る方向へ行けば、行くほどに、分子に 突き当たりますよってに、そないな視点は大切なんと ちゃいますかぁ」ロザリンドもクリックの考えに意味なく同意した。「この二重螺旋構造の結果でもってワシは論文一本書こう 思いますのんやぁ。ロザリンドはんも今までの研究結果 から一本書きはりません? 倫敦大学と賢振寺大学とで 合同の論文執筆・・なんて、宜しおますやろ?」「はぁ。何
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遺伝子 染色体に考えさせられました

私は 仕事柄さまざまな 相談者の方々と お会いしたり時には 奇跡を みる事が できたりしますが…何度か 苦しい場面に 合ってしまいます染色体、遺伝子に ついて です何て お伝えしたら 良いのでしょうか?健常者では ない方が いらっしゃると表現させていただきます先日までに お会いした 健常者では ない方には希望を 持たしてあげる事が できたりたとえ 一歩でも 前進させてあげられたり喜びを 一緒に 体験する事が ありました今回私の 心の痛みは相談者と 同伴した娘さんの事ですドアを 開けました初対面の方です親子で きましたと言うより、お留守番を 出来ないと言う事です21歳の娘さんですが…じっと してる事は 容易でわ ないようですでも なぜかお経には 恐いと 反応していましたお母さんに 質問しました。生後3ヶ月の頃に 気付いたそうです覇気が ないな 位に 思っていたそうですが一歳を 過ぎた頃から たくさんの 検査を受けたそうです最終的に 染色体を検査して わかったそうです私なりに 考えてしまい 私なりに 勉強しました。学校でも 学習しましたが染色体は 23個のうち 一つは 男女を 分ける染色体そして、父母から それぞれ もらった22個の染色体が くっつき 細胞分裂をして 身体は 成り立っていきます糸ミミズみたいな 染色体が 人を 作りあげるのですから 神秘ですね彼女の染色体異常の番号は 16番だと 伺いました。16番は 流産しやすいようです…でも 生命を 受け産まれてきたのです染色体ッて、短くても 長くても 流産に なりやすい 状況に なるそうです彼女に 会って更に、自らの 命を 絶っ
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PGT-A 着床前胚染色体異数性検査

胚移植を数回しても着床、妊娠しない時に調べる検査の1つです。着床しない原因として、胚に異常がないかを調べます。異常がある胚を移植しても妊娠が継続できず流産してしまうので、その要因を取り除く事ができます。採卵した卵子に全て顕微授精します。全て胚盤胞まで培養します。凍結して検査ができる施設に送り検査をします。異常ありと結果が出た胚は破棄になり、異常なしの胚だけまた凍結して戻ってきます。その後移植周期に合わせて融解して移植します。この研究に参加するために20,000円検査代80,000円(胚盤胞1個につき)胚盤胞にならなかったら検査もうけられず、1個も移植できません。検査でも全て異常ありだった場合も同じです。検査のための凍結、融解、輸送でのダメージが全くないとは言えません。このように説明をしてもらいました。海外ではよくおこなわれている検査で日本ではやっとおこなわれるようになってきたと先生は話していました。妊娠いたらない胚盤胞を移植して費やす時間とお金を省く事ができると言っていました。妊娠確率の数字を見ると試してみたくなります。検査をする事でわかる結果を受け止める心の準備や、胚盤胞がたくさんできるようになったら受けてみたいです。
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