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連続小説『DNA51影たちの黒十字』24

連続小説『DNA51影たちの黒十字』24連続小説『DNA51影たちの黒十字』第24回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51      25       ウラジミール・ルイセンコ ウラジミール・ルイセンコという学生の存在がロザリンドの眼中に入ってきたのにはそれなりの理由があった。ロザリンドの研究室に学生として所属しているケネスホームズという学生をルイセンコが頻繁に訪ねてくるからである。ルイセンコ自身はロザリンド研究室の所属学生ではなく、ケネスホームズの知人・友人としてしばしば訪ねて来るようなのだ。ケネスホームズが研究室に不在の時にも度々訪ねて来ては研究室の休憩用・来客用のソファーに座ってケネスホームズが来るのを待っているルイセンコの姿をロザリンドは目撃している。そんなルイセンコにロザリンドが出会うと、ルイセンコは愛想よく挨拶をする。いたって人当たりが柔らかく好感度の高い人物のようではあるのだが、部外者であるルイセンコの研究室滞在時間は異様に長い。まるでロザリンド研の所属学生であるかのような振る舞い方になってきている。 ルイセンコ本人が言うところでは自身の本来の専攻は農業経営学であるらしいのだが、最近ではウィルスにも関心が高まっているとの様子で、ケネスホームズが研究室に来ない日でもルイセンコは来室してしきりに休憩所の学生たちを相手に研究内容を興味深く聞いている。遠目から観察するにルイセンコは二重螺旋形態にも唯ならぬ強い関心を寄せているようにロザリンドは感じた。 生物の核酸の形態が二重螺旋をとっているのではないかとのロザ
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』21

連続小説『DNA51影たちの黒十字』21連続小説『DNA51影たちの黒十字』第21回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜21〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   22        ジョン・バナール教授★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 英国ダービーが終わり、エリザベス女王の戴冠式の余韻も街中より退きつつある頃。 ロザリンドのもとにポール・スミスからの使いがやって来て、ポールがロザリンドを晩餐に招きたいとの旨を伝えた。そこで、翌週の月曜日の夕刻、使いの案内によってロザリンドはテムズ川沿いのタワー上階レストランへと向かった。 到着すると、そこにはポール・スミスの他に一人の男性が待っていた。ポールとともにロザリンドを待っていたのはジョン・デスモンド・バナール教授であった。バナール教授はX線結晶構造解析の先駆けとなった人物でその研究分野では広く知られた人物である。ロザリンドも勿論その風貌は知っているし、教授の講義を聴講したこともあった。「こちら、バークベック・カレッジの物理学教室のバナール教授です。ロザリンド先生にはバークベックへ移籍する意思がお有りだということなので、今日はこの私、不肖ポール・スミスがバナール教授をお連れ致しました」ポールは改めてロザリンドにバナール教授を紹介した。「私、バークベックのジョン・バナールです」ポールから話の端緒を引き継ぐとバナール教授はワインをロザリンドに勧めながら話を先へと広げていくのだった。「この度のロザリンド先生のネイチャー誌発表論文、読ませて頂きました。とても素晴ら
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』20

連続小説『DNA51影たちの黒十字』第20回(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜20〜Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51   21        バークベック・カレッジ★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ 6月6日。エプソムダービーの決着がついてからのロザリンドの脳裏からはピンザを祝福していたクリックとペルーツのツーショット光景が焼き付いて離れない。 クリックとペルーツは賢振寺大学で近しい関係で、さらに親密であった姿は、エプソム競馬場での熱狂した群衆の光景を遥か彼方に押しやって消し去り、ふたりの姿だけが残って浮き上がってくるのだ。 そして、ペルーツはロザリンドが提出した非公開報告書の提出先である英国医療研究機構の予算担当者。またクリックは3論文同時発表した時の執筆者のひとり。さらにクリック論文の二重螺旋説がロザリンドが提出した医療研究機構への非公開年次報告データと奇妙にも近似してくる事実。 ロザリンドは自分が非公開報告書として提出したデータが漏洩していたのではないかとの疑念を抱かざるを得なくなっていた。 ロザリンドがニューマーケットでクリックと会ったとき、クリックはしきりに論文執筆をロザリンドに勧めてきていたことをロザリリンドは思い出した。その時は単にクリックが実験データを持ちあわせていないからだとロザリンドは勝手に思い込んでいたのだが、その時点で既にクリックはロザリンドの獲得したデータを知っていたのではないかとの疑惑を今となっては感じざるを得ないのだった。 ポール・スミスが以前にロザリンド研究室を
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連続小説『DNA51影たちの黒十字』19

連続小説『DNA51影たちの黒十字』19連続小説『DNA51影たちの黒十字』第19回Rosalind Franklin Photo51Rosalind Franklin Photo#51  20       第174回ダービー覇者の凱旋★★★★☆★★★★☆★★★★☆★★★★☆ オリオールのいれ込み仕草が依然と続いている状態の中、ダービー競走スタートの火蓋は切って降ろされた。 エプソム競馬場のコースは “Cニ” の文字型が描く蹄鉄図形のようなルートとなっていて”C二“ 文字型の右上端からスタートして暫く長い直線馬場が続く。この直線馬場を3歳の若駒たちが一群となって突き進んで行く。 発進直後は好発進のシティースキャンダルがリードし、二番手にエンペラーハニーが付けるという体勢だ。その後ろの馬群の中の7番手にピンザ、更にその後ろ中段馬群の中にオリオール。 スタート後の長い直線が終わってルートはカーブして左回りのタッテナムコーナーにさしかかる。ここの時点で先頭はブリンカーを着装したゼッケン12番のシーカンプールに取って替わった。オリオールは依然として中段の馬群の中だ。鞍上のハリー・カー騎手は馬群の中に敢えてオリオールを入れることで馬を落ち着かせようとしているのであろうか・・。 長いコーナーの曲線馳走では4馬身差を取ってシーカンプールが先頭で通過していく。 最終コーナーを抜けて最後の直線ルートに馬群が入ると2番手まで順位を押し上げて来たゼッケン2番ピンザがロングスパートの猛追をかけてきた。 最終直線の半ばで遂にシーカンプールをかわしたピンザが先頭へ踊り出る。 最終直線半ばでオリオ
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜15〜

小説『DNA51・影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜15〜Rosalind Franklin Photo51   16 Rosalind Franklin                 Photo#51と戴冠式 1953年 春。 3論文が雑誌4月25日号に掲載された頃。ロンドンの街では、国王ジョージ6世が前年1952年2月6日に亡くなって以来の喪も明けて、エリザベス女王陛下の戴冠式6月2日が間近に迫って来ると、華やかに沸いた春の空気も徐々に夏空の装いへ移行し始めていた。 また、ユダヤ財閥のサッスーン卿の愛馬ピンザ号も転倒負傷で英2000ギニー競走(日本の皐月賞相当)は不出馬で棒に振ったものの、その後は順調に回復し、成長も遂げて、新たなる怪我などアクシデントさえ無ければ、6月6日の英国ダービー出場は確定的な路線となっていた。 ここで、3論文の掲載順番をめぐって雑誌編集者と執筆陣との間で見解の相違があったことが判った。雑誌編集者が、3論文のうち賢振寺大学のクリック&ワトソン論文を先頭に掲載し、2番手3番手に倫敦大学ウィルキンス&ストクス&ウィルソン論文、ロザリンド&レイモンド・ゴスリング論文の順で掲載したからである。 編集者は “二重螺旋説”   を3論文の主役としたいとの意向だったのである。これに対して、倫敦大学側執筆陣は   “B型構造結晶発見と螺旋形態説“        が3論文の主役で掲載されると考えていた。倫敦大学執筆陣はこれまで螺旋形態を予想してきており、“二重螺旋の形態”  もその中に入っていた。そのような状況下に
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小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド物語) 〜14〜

小説『DNA51影たちの黒十字』(続ロザリンド・フランクリン物語) 〜14〜Rosalind Franklin Photo51   15           Photo#51 12月中旬になっても依然スモッグまみれ状態の続く倫敦でロザリンドは自身の論文草稿をまとめ上げていた。 年が明けて、クリックから賢振寺大学側で作成の論文草稿が倫敦大学側に送られて来ると、ロザリンドの同僚研究者であるモーリス・ウィルキンスは「ぬぅっ、賢振寺でも螺旋体を提唱してきお ったか。螺旋体の予想と言えばワシら倫敦 大学の十八番の研究領域やぁ・。ここは、 ワシも論文一本書くでぇ」とロザリンド作成の回折画像を使っての論文を一本まとめ上げた。合計としては、なんと3本もの論文が用意されることとなっていく。ウィルキンスにすればロザリンドが論文発表に積極的態度を見せてきたので、まずは思惑どおりとなってきていると満足げであった。しかも、ロザリンド作成のB構造結晶の回折画像を使ってウィルキンスが論文を書くことをロザリンドが許したのである。 倫敦大学側の論文草稿2本も賢振寺大学のクリック方に送られて、相互の意見交換がなされると、最終の調整段階へと事は進んでいくのだった。 ロザリンドは論文執筆を進めていく中、スミス・サミュエ商会のポール・スミスの提案を思い出していた。まだ、ロザリンドはポールの提案を保留としてはいたが、クリックの生物分子の見地からの研究が今後さらに発展していく状況ならば研究成果の『企業秘密』も重要視されていく方向に向かうであろうと想像した。 ロザリンドは大学の研究所に所属する身であるので、論文発表の
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『ロザリンド・フランクリン物語』 〜03〜

『ロザリンド・フランクリン物語』 〜03〜              4クリック&ワトソンが論文 『DNAの二重螺旋構造』を1953年4月のNature誌で発表したときロザリンドもまた一つの論文をNature誌に寄稿しています。その論文のタイトルは、『Molecular Configuration in Sodium Thymonucleate』  === 胸腺核酸ナトリウム塩の分子配置  ===  ==ゴスリング(Raymond Gosling)と共同執筆==というもので、その中で一つの写真が使われましたが、後になって、その写真は “ロザリンド51番写真”   と呼ばれるようになり、ワトソンがノーベル賞受賞6年後の述懐で「影たちの黒十字」と表現した写真に一致するものです。この事からクリック、ワトソン、ウィルキンスのノーベル賞受賞者3名は、”影たちの黒十字“ が写っている “ロザリンド51番写真” をワトソンがこっそりと見たことによってDNAの二重螺旋構造に辿り着けたと考えられるのです。1953年4月Nature誌掲載の3本の論文は以下です。どうやら、ケンブリッジ大学とロンドン大学の研究者が合同で論文3本をワンセットとして執筆・掲載したようです。1. ワトソン&クリック  (WATSON, J. D. & CRICK, F. H. C. 共同執筆・ケンブリッジ大) Molecular Structure of Nucleic Acids: (核酸の分子構造) A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid;
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