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あれから一週間

先週の日曜に母が転倒し1週間この間に、かかりつけ医の定期受診もあって色々確認してもらったもののやっぱり擦過傷と打撲だけで時間薬とお墨付き(?)をもらい母は基礎疾患を多種抱えているので傷の治り具合とか体調が急に悪化するんじゃないかとか普段にも増してちょっと気を遣った1週間先週の日曜とは打って変わって今日はえらく冷え込みつもりはしないものの横殴りに吹雪風も強くて母があおられそうで神経使い…無事本日も買い物終了♪いままでは私が母の事を手伝いに来ていても我が道をゆく父だったのが先週の一件から、母を連れ出すとき玄関まで見送りにきて『気を付けて』と声をかけてくれ実家に戻ったときは出迎えて母に手を添えてくれるようになった怪我の功名ってこういうこと!(^^)父は後期高齢に突入しながらも、生涯現役を目指し今も職人として毎日仕事に出ている若いころはホントにTHE昭和な職人でそれでも料理なんかはちょっとしてたし魚釣り好きな父は、釣った魚は自分でさばいてたけど母が倒れてからは仕事して家事をできる範囲で「今までさんざんやってもらったから」と父なりに頑張っていて料理のレパートリーも随分増えてそんな父も負担軽減もできればと生涯現役に力を注げるようにと娘としては思うわけで…私の仕事に対する向き合い方や考え方には職人の父の影響大そもそも職人と雇われる身ではイコールでないことも多く私はなんとも職人気質な会社員で…会社組織のなかで雇われて働くことに時折難しさを感じたり(^^;この辺も追々、機会があれば書いていきたいと思いますさて、明日からまた1週間寒さ厳しくなりそうだし、まだまだ各種流行り病も流行中の模様みなさんも
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感謝、ありがとう   おはようございます。

おはようございます。 今日は、青に一筆で描いた白が美しい朝でした。 昨日は、私と息子の誕生日が近いということで、 91歳の母の提案で食事会をする事になり、4人で食事に行きました。 食事を始める前に母が、「これで何歳になるぅ?」と聴くのが恒例です。 私、「うん、60だね。」 息子、「34になるね。」 母は、微笑みながら、僅かな時間、色々あった事を思い浮かべているようでした。 私も微笑みながら、「産んでくれて、ありがとう。」と言うと、 母は笑いながら、「どういたしまして♪」と言っていました。 それを聞いた息子も、「お父さん、ありがとう。」と言ってお祝いしてくれていました。 妻もその光景を眺めながら、微笑んでいました。 誕生日は、両親への感謝の日なのだと、つくづく思う誕生会でした。 そして、世界の全ての父と母に、私達を産み育ててくれた事に、深く深く感謝します。 今日も笑顔の一日をお過ごしくださいね(^^)「あなただけの感謝のお祈り文」創ります。
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世界は難しい

人間としてこの世に落とされた私は、仲良しだった龍ちゃんとお別れし、自然との対話も一人の時だけという制限ができ、とても窮屈で生きにくい世界でした。まだ生きていますが、、、魂はそんな経験を喜んでいるのでしょうが、経験している私は辛かったのです。そんな私の今世の父を紹介したいと思います。父は自宅の隣にある工場で仕事をしていました。父はどんな人?と聞かれたら「わがままな人、子供より子供」と即答します。1番の思い出は「お父さんは神様だ!お父さんの言うことを聞いていれば間違いはない!」と言われたことです。どれだけ「わがまま」なのかお分かりいただけるでしょう。私は元旦の朝に生まれたのですが、父は病院に来て、生まれた我が子を見るなり「なんだ女か。男じゃないのか」と帰ってしまい、退院の日も迎えに来ることはありませんでした。母は荷物と新生児を抱えタクシーで帰りました。こんな父ですから、七五三や学校行事に来たことはありません。入学式、参観日、運動会、卒業式、何1つ来たことはないのです。子供は自分の言うことを聞く人形とでも思っていたのかもしれません。言うことを聞かないと怒鳴り散らす、手をあげる、ビール瓶、一升瓶を投げる(割れた破片の掃除が大変でした)こんな父ですから家族は誰も話しかけませんし、近寄りもしません。自分さえ良ければいい父は左足首をほぼ切断の事故に遭ったり、網膜色素変性症という難病になったりしています。ちなみに、足は何度か手術して歩けるようになりました。その時に入院していた病院の方々にはとてもご迷惑おかけしました。病室にあるテレビはカードを買わないと見れないのがお気に召さず「テレビを買ってこ
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イライラの原因

自分が飲むつもりで入れたあったかい麦茶…なぜかうちの相方ニャンがガフガフ飲んでます…ニャンさんのお水ちゃんと準備してるのに…なんだかすごい勢いで飲んでますやんしかも、結構飲みにくそうなのに(^^;と、こんな日常の一場面でちょっと心がほどけてニヤッとしてますが相方ニャンに麦茶横取りされたぐらいでイライラしたわけではないのです私は3人兄弟第1子の長女、結構厳しく躾られ育てられて特に母からは…『人に迷惑をかけるな』『周りをよく見て』『たとえ他人でも相手のことを考えて思いやりをもって接する』『家族が生活できるのはお父さんが一生懸命働いてくれるから』…そして我儘は許されず、親は絶対的な存在そうして子供を育てなければいけなかった母の気持ちや境遇も、大人になった今なら理解できるし福祉職に就いた私にはその母の教えは大いに役立ったまわりを見て観察して配慮して考えて動く その能力はきっと母の教えが土台となり築かれ特に学生時代のアルバイトを含め社会で働くうえで私のスキルの一つを作ってくれていたのだと感謝してるこの1年ほどで、目に見えて色々な面で母の衰えを感じることが増えてきた身体能力的にも、もう自分のことで精いっぱいになってきていることも年と共に視野が狭くなっていることも思うように体が動かないことから歯がゆい思いをしているであろうことも全て理解できてるけど今まで『だめ』『してはいけない』と言われてきたことを、言っていた本人がしてしまうことを、子供のように我儘を言って譲らない姿を目の当たりにして心がザワザワする父の愚痴を昔から聞かされていたけど、それでも尊敬と敬意をもって接してきていた母が、最近はここ
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(*‘ω‘ *)自己紹介(①育った家庭)

こんにちは!ポーラーアイスです。急に朝夕が涼しくなりましたが、体調はお変わりないでしょうか。空気が乾燥してくるので、喉やお肌も要注意ですね💦今日は子供の頃からの自己紹介を恥ずかしながらしてみようと思います。(o*。_。)o長くなりますので分けて投稿しします!私は何十年か前に、首都圏の県の自然豊かな市で生まれました。父は高校の数学教師、母は正直ちゃんとしてはないのですが栄養士で、年の離れた兄、年子の妹がいます。 父はとても優しくあっさりしており、勉強が趣味であらゆる語学や、物理などの勉強、囲碁などが好きで知的、そして社会に貢献するような公平無私の心を持っています。父の心の在り方や小さな頃にしてくれた昔話や創作話は、尊敬や敬愛の気持ちをいだくものでしたし、幼少期の心を豊かにしてくれました。 母は今でいう発達障害の特性を持っていると思われます。度を越した反社会的な行為などは一切ないですが、好きなことや自分の心にかなったものは見えるけどもそれ以外のこと、社会的感覚や共感性は弱く、家事なども苦手で家庭運営は、正直できているとは言えない状態でした。二次障害らしき精神病や育児に関心が持てない様子もありましたが、無責任ですが明るさがあったり、子供に無理強いや偏見を教え込まないなどは良くも悪くもといった感じで、子供の成長にとって、残酷な虐待ほどのネガティブ要素を持っていたわけではありませんでした。 問題は心の教育や常識的なしつけのたぐいは残念ながら教えられる母親ではありませんでしたし、コミュニケーション能力や社会共感能力の低さから夫婦や家庭不全になっていたところでした。母性も乏しいのか、子供に興
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「中国映画”初恋の来た道”」はイイねぇ~♪

日本だと、あまり有名ではないかな?知っているヒトは、知っている?映画!中国映画で、チャン・ツィー主演の、「初恋の来た道」じゃね。も~大好き!も~~、何回観たか!^^;監督はあの「チャン・イーモウ」じゃね。抒情的な雰囲気のある「映像」を撮る監督じゃ。イイんだよねぇ~、これが!^^だから「ベルリン映画祭」で「銀熊賞」を取ったのじゃ。日本は”千と千尋の神隠し”が受賞したのが有名じゃ。^^(((初恋の来た道)))まだ、チャン・ツィイーが19才くらい?の若い時に撮った映画じゃけど、まだ今のような「大女優」になる前の映画だけど、やっぱ「演技」ウマイわ~♪^^だけど、彼女はすんごい優秀な生徒じゃったのじゃ。「ダンス」が得意でコンテストで優勝もしている学生じゃった。それで単発ドラマに出たあとに、この映画「初恋の来た道」に出演じゃ。^^ただ英語名のタイトルは「家路」というなんかやっぱ日本人のつけるタイトルの方がイイネ!^^なんか「ランボー」だって、英語名は、「ファーストブラッド」だよ~。なんなん?「最初の血?」、まあ「最初に仕掛けた!」なんていう意味じゃろ~けど、なんだか、よくわからんわい。ホホホ^^そうそう、それで映画の内容じゃ。この映画は、主人公たちの”大人になった息子”が最初に登場する。(白黒画像)その息子が”教師だった父の死”を知り、故郷に車で帰る。故郷の家に母が待っていた。母は父を心から尊敬し、深く愛していた。母と息子は”葬儀方法”で少し意見が違ったが、最終的に多くの生徒から”愛された先生=父”は昔ながらの葬儀で長い道程(父が母に出会った道)を厳(おごそ)かに大勢に抱えられながら行われ
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あかん

2023年 8月3日 木曜日 毎週 楽しみつつの NHK大河ドラマ『どうする家康』 前半 最大の山場 『本能寺の変』を終え 家康 生涯に於いての 最大の危機 『伊賀越え』を乗り越え さあ、 秀吉との対峙 後半戦へ突入です。 兄と慕った信長が 光秀の謀反において 自刃へとなった訳ですが、 その信長とて わずかな「気付き」で 人生を切り抜けていたそうです。 昔の人は 勘が鋭かったんですね。 平和慣れした現代人は 「勘」を 何処かに置き忘れてしまって・・。 一昨年 父が亡くなり 去年は 母が逝き 実家への障壁は消えました。 母が居ない今、 弟に何かを伝えても 母に筒抜けになる事は もう ありません。 母へ筒抜けにされる事で 弟への不信感は どうしても拭えなかったんですね。 「でも まぁ も いっかぁ・・。」と 母は兎も角 お盆も近付く昨今 父の お墓参りを考え 弟へショートメールを。 大阪 天王寺区に 『一心寺』があり そこへ納骨した筈なので、 確かめようと思い 「一心寺?」とだけ入力。 返信が「?」だけ。 なんじゃ そりゃ。 意味が通じていませんわ。 もうちょい「勘」を働かせて! 「いい。」とだけ送り そのまま。 弟との復縁に失敗しました。
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感謝の気持ちを似顔絵に込めて!umieハーバーランドで父への特別な贈り物

こんにちは世界一カップルと家族を描くのが好きな関西の似顔絵師 磯野です今回は父への感謝のための似顔絵制作について書いていきたいと思います父への感謝の気持ちを似顔絵に込めて、特別な贈り物をしませんか?と、思っても何を送ればいいかめちゃくちゃ考えますよね?何が欲しいのかわからないし、何を送ればいいかも思いつかないそんな方に似顔絵がおススメです【父への感謝・似顔絵】上の画像は父の日にプレゼントするためにご注文いただいた似顔絵です似顔絵は父への感謝を形にする素敵なプレゼントです。お部屋に飾れて、友人や家族に見てもらえるとても素晴らしいプレゼントです【似顔絵制作に必要な物】それで似顔絵が素晴らしいのはわかったけどどうやったらいいの?という方に必要なものを書いていきますこの似顔絵を制作するにあたりお客様にご用意していただいた物は大きく3つです・お写真・メッセージ・日付以上ですこの3つがあれば似顔絵はお描きできます【umieの似顔絵やさん】 近くに似顔絵を描いてもらえるところはあるの?関西にお住いの方にはumieハーバーランドの「にがおえYOUMAYHOUSE」がおススメです!この記事を書いている私もこちらの似顔絵ショップで副店長をしておりますプロのアーティストが丁寧に描く似顔絵で、父への感謝をより特別なものにしましょう。【ネット注文方法について】 ネット似顔絵の注文方法について詳しく解説します。umieの似顔絵やさんにて店舗似顔絵もお描きできるのですが、遠すぎて行けない!時間がない!という方もいらっしゃると思いますそんな方には私、磯野が直接対応させていただくネット注文もございますスムーズな
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【検証中】新しいよい習慣で 人生は本当に変わるのか?!

グズマニアマグニフィカの 株分け儀式をしました。 と言いたいところですが 今改めてネットで見たら 先ほど見たページと違うページに このような注意点の記載 ■子株が15センチ以上育つのを待ってから行うこと→〇 ■子株を植え付ける前に切り口を乾燥させる→✖ ■1日程度そのまま放っておいて切り口を乾かします。→✖  (すぐに植えると、切り口から細菌が入って腐ることがある) 「おいッ!」 ってことで 慌てて引っこ抜いてきました 乾かし中・・・あぶない笑 株分け完了は明日になりそうです ちなみに開花まで 3~4年かかるとのこと 開花するころには45歳くらいか~ 楽しみがまた一つ増えました♪♪ そしてもう一つ 以前から父が大切に育てていた ゴデチアという植物に 可愛らしいお花が咲きました。 かつての父は 生活に支障がでるほどのパチンコ好きで 家族からも距離を置かれていましたが 認知症になって以降は パチンコへの執着がなくなり 今では植物を育てるのが趣味の 穏やかなおじいちゃん、笑 園芸をきっかけに 毎日の花の水やりをはじめ 洗濯物を干したり 取り入れたりする姿を よく見かけるようになりました 趣味から新しい習慣が身につき 充実した日々を送れていることは 家族としてとても嬉しいことです これは仕事を通して私が感じたことですが 多くの認知症の方と関わらせて頂いた中で 趣味を持っている方は いわゆるBPSD(周辺症状)が 目立たないような気がしています。 しかし認知症患者に限らず 何か好きなことがあって それができていること自体 QOL(人生の質)の向上につながる というのは間違いないと思います
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違います、絶対に。 ~日記#20~

皆様、こんにちは☀昔のお話です。私は父と一緒にスーパーで買い物をしていました。父はポリオ(小児麻痺)で車いす生活です。私には父が車いすで生活するのが当たり前で、スタスタ歩く姿は想像すら難しいです。そんな父と買い物していると小さい子がずっと父の車いすを珍しそうに見ていました。ま、これはよくあることです。でも、それに気づいたその子の母親がその子の手を自分のほうに引き寄せて言ったんです。「悪いことしたら、ああなるよ」それは違う、絶対に。父は何も悪いことなんかしていない。私は思わず言い返しそうになりましたが、父の顔を見てやめました。この世界にはどの考えが正しくて、どの考えが正しくないとかはないとよく言いますよね。私ももちろん、そう考える部分もあります。人の考え方、捉え方は自由だから。でも、それでも・・・それは違う!絶対に。多分、この出来事は私がいくつになっても忘れないと思います。では、今日のお話はこれでおしまい。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 今日も皆様が笑顔になれる1日でありますように♡
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魔法の料理④〜子から父へ〜

米炊くときの水加減って奥深いですよね初めまして&今晩は。晴道と申します。さらっとお話しすると先日息子が産まれましたー😃早く産まれそうやったんですけど、娘のお遊戯会までは何卒!こらえておくれ!という親の勝手な願いと仕事の都合つけるのんが大変、ママになんかあったらすぐ動ける休日にという父の勝手な願いを見事汲み取った息子がお遊戯会翌日の日曜に産まれてくれました。人生何周目?っていう空気の読み具合。表情も、なんか、心なしか落ち着いて見えます( ・∇・)幸い出産に立ち会うことはできました。娘の時は妻の希望で分娩室には産まれるまで入ら(れ)なかったんですが今回は必要性があったため、分娩中の妻の側につく事ができました。その場を経験すると頭では理解していたつもりの「全てのお母さんをリスペクトする」気持ちに実がこもった感じがします。上手く言葉にできませんが。実感がよりこもったというか。出産の翌日自分は普通に仕事にいきました。面会もできんし。出産当日よりも、翌日の方が怖くなって落ち着きませんでした。朝送ったLINEが3時間くらい未読だったのもあるけど📱「あんな、生命を振り絞る事があって。命懸けっていうけど。本当に何かあったんやないか」「いやなんかあったら病院から連絡あるか」と午前中ソワソワ(´-`).。oOなまじ、医療従事者で知識があった方が余計怖いことも多いです。あ、特になんもなかったんですけど😀今はスマホがあってすぐ連絡とれるけどこれまでのお父さん達はどんな気持ちで産まれた日、その翌日を過ごして、仕事に行ってたんやろうか?おとんはどうやったんやろうか?もう聞く事はできんのやけどそんな事
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残高0

今日、父の銀行口座を空っぽにしてきた。給料振込み・住宅ローンの引落し・学費の支払い・年金受給60年以上に渡り、常にお金が流れていた口座。生真面目な父は、決して残高0になどしなかっただろう。そのフローはまさに父の人生の軌跡。驚くほど世間に疎い母に、全てを「当たり前」と思わせるほど父は一人で家の経済を握り、家計を回し続けてきた。それは世帯主として当然の様に思われるけど、人が生きる上で、本当に大切で地味な戦い。父は孤独だったと思う。そして一抹の達成感に溢れていたと思う。今、私自身がそうであるように。もっと、父とお金の話しをすればよかった。各々の小さな責任を、精一杯果たす同志として。本当に見送るみたいで、最期まで言えなかったよ。お疲れさま。 ありがとう。父のもとで育ち、今、自力で戦える私があることに感謝。
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光になった義父との会話

ハイ、05です。 ご機嫌いかがですか? 今の自分は清々しいですか?先日の皆既月食、ご覧になりましたでしょうか。宇宙の存在たちにとって、誰もが空を見上げる大チャンス!きっと何か起こしてくれるだろうと思ってましたが、やはり、あちこちでUFOの目撃シェアがあってましたね!私もUFOとなんじゃこらという画像が撮れましたが、そういえば、初めてコンタクトを意識する直前にこういう写真が撮れていたな~と懐かしく思いました^^さて、先日義父が、地球での魂の旅を終えて帰還しました。しばらく夫と息子のメンタルフォローをしなくてはと思いながら、作業をもくもくとしていた、昨日の夕方。パッ と遺影と祭壇が脳裏にビジョンとして視えました。あ、おとうさん、きてるかな?と思うと同時に、ふわ~~っと、優しくてあたたかい波動が私を包み込みました。あぁ、おとうさん、もうちゃんと愛そのものの光になってるな~と、安心し、しばし、波動でメッセージを受け取りながら会話しました。会話している最中は、体の芯が熱くて、頭はほわ~っとなっているんですね。目の前がうっすら霧がかり、視野がキラキラして、とても心地よくて、これが高次元の居心地なんだろうなって感じでした。息子にそのことを話しながら、波動を高く保つことの大事さをしっかり伝える事ができて良かった!じいじのおかげですね。その話の流れで、私の亡き父の夢の話になり、あるときの夢で、私と妹が幼い頃よく言っていた近所のスーパーにいたら、父が幼い女の子と目の前に現れて、無言で暫くいたんだよね~その後からもうあれほど何かある時は夢に出てきてたのに、それから一切夢に出なくなったんだよ~と話した
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ガラス一枚のもどかしさ

こんにちは!さち桜です(*^^*)ここ数ヶ月気力も体力も弱ってしまい一歩も家から出られなかった母ですが毎日の寄り添いの成果が少しだけ出てくれて今日はやっと施設でお世話になっている父のところに母を連れて行くことができました!玄関と中での窓越しの面会ですが久しぶりに出会えた父と母はとても嬉しそうでまた会うことができて本当に良かったなと思う反面窓越しでタブレットでの声を聞きながらの会話なので脳梗塞で言語障害が残る父のボソボソと話す言葉は聞き取れず(コロナ前は口元まで耳を近づけて聞いていました)こちらの話す言葉も分かりにくいみたいでとにかくニコニコ見つめあうことしかできずの30分でした。コロナ前のように手をつないで顔も近づけて話したいなと、もどかしさを感じました。ガラス越しに、すぐそこに父がいるのに触ることができない、手も繋げないのは辛いですが一番近くなのに遠く感じたのは気が付いても動けないこと。時々泣き出してしまう父なので鼻水がたくさん出てしまうのですが父は自分でふくことができないのでティッシュでふいてあげたいのに手を伸ばせばふいてあげられる距離なのにふけなくて。そのたびに職員の方が気づいてきてくださってふいてくださるのを見ているだけなのがとてももどかしくて、悲しいなと感じることでした。早くコロナの心配がなくなってまた手をつないで、会いに来たよ~とくっついたり、ちょっと車いすを押して散歩したりそんな平穏な日常が戻ってきてほしいと強く思う日でした。そしてずっとコロナ禍で家族が施設に入れない時期ずっと家族の代わりに寄り添ってくださる職員の方や関係者の方には感謝の気持ちしかありません。施設
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理想の自分と原動力 16回

1. 理想の自分こんにちは昨日は子供の運動会に参加しました。子供を持つ親として子供の運動会は毎年楽しみにしています。ところで、小学生の頃は足の早い子がなぜか人気がありました。実際に社会人になると足の速いことで得することはほぼありません。ただ、限られた条件の中で目に見えて成果を出すことで、人にインパクトを与えることがあります。小学校の1年生の1学期などの限定された時期においてはまさに勉強もそこそこに目に見えるインパクトが徒競走になりがちなのかもれません。さて、私は親として徒競走に参加しました。コロナ前の3年前には参加して見事に1番でゴールを駆け抜けることができ、親の威厳を保ちました。そして、その栄光を再び手に入れるためにまた昨日に参加してみました。そして、なんと。。。おおごけし、両膝に大きな擦り傷を作り大恥をかくことになりました。ところでなぜ自分がその徒競走に参加したのかを振り返ると、それは走れる父さんでいたいという理想の自分像です。走る前から40代前半の年齢に加え、練習もろくにせず走った私が、20代、30代の他のお父さんに勝つことは無謀に近いことです。それでもこけるリスクを背負って走ることを決めたのは、理想の自分、なりたい自分、思い描いた自分でいたいからです。2. 現実の数字の前に私は今月100万円の売上げを上げます。このような目標設定を人はします。しかし、それ以前になぜ100万が欲しいのか。このビジョンを持つことでその目標達成に向けて安定的なパフォーマンスが実現できることに加えて挫折しそうな時の再び立ち上がるきっかけに繋がります。では、皆さんが営業をして売り上げを上げる目的は
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お父さんへ

妻を大切にする人は必ず出世します。人生の勝利者になることができます。夫婦仲の良い家庭から非行少年少女、心身症の大人や子供は生まれません。子供にとって、他人から受けた心の傷より、夫婦仲の悪い両親から受けた心の傷の方が、なかなか癒されないんです。世の中がどんなに悪くなり、教育現場が荒廃しても家庭の中に「許し」と「安らぎ」「温かさ」があれば大丈夫です。子供たちは、家族と言う最強の味方を背中に感じて世の中の荒波を勇敢に乗りきって前進します。それは職場環境が激変しているお父さんも同じことです。極言すれば会社より家庭の方が頼りになるのです。家庭と言う最強の味方を持っていれば、お父さんも安心して仕事に打ち込むことができます。家庭は、砂漠のオアシスと言えるところで、その家庭は、二人三脚で支えられています。お父さんとお母さんが堅く結ばれている紐は、優しさと言う材料でできています。お母さんは、金銭的な貧しさには十分耐えられますがお父さんの冷たい態度や言葉には耐えられません。なぜなら、人間は孤独や不安に陥ると、気が変になってしまうからです。夫婦はお互いの態度を映す鏡です。「うちの女房は、近頃、きつくなった」と思っているお父さん。それはお父さんの思いやり不足です。奥さんの悪口を冗談でも話す人とは、一緒に仕事をしたくありません。優しくなってください。その優しくなった気持ちを、言葉と態度で必ずお母さんに伝えてください。黙っている人が多い。黙っていては相手に解りません。私は若いころから、転職などで、たびたび苦しい経験をしました。どちらの方向に進んだら良いか迷いましたが、妻に助けられて今日を迎えています。夫と
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父の背中

小さい頃は全てのものが大きく見えた。 お父さんの背中 お母さんの笑顔 庭に植えてある木々 ポストの位置も電気のスイッチの位置も・・ 外に遊びに行くと そこは全てが私のおもちゃ 大きな木によじ登って 秘密基地を作ったり 廃墟に勝手に入り込み 隠れ家を作ったり 川でメダカをすくったり するめを糸にぶら下げてザリガニを取ったり そう、体が弱くていつも家の中だった 学校にも殆ど行ってない それでも元気な時は友達が誘いに来て あちこち走り回った。 家の中で出来る女の子みたいな遊びは いつでもできるから 外に出たら、野山を駆け回った 野球チームも作った 遊び疲れたら、いつもお父さんが迎えに来た 「また、無理をして・・・」 そうつぶやくのを背中で聞きながら 家路につく でもね、全部私の頭の引き出しにしまってあるんだよ 必要な時いつでも引き出しから出せるように・・ 長い間閉まったままの引き出しもあるけど それは時が来たら開けるんだ。
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背後霊

みなさま♡こんばんは♪ココナラで活動していますさとみの部屋❤️のSATOMINです!電話相談サービスがメインで、得意分野は恋愛、夫婦関係です。さて、お彼岸も終わり今年も残すところ3ヶ月ほどとなりました。コロナ禍とはいえ、月日が経つのは早いなあと感じます。今日は私についている背後霊のお話です。私には もうずっと前から背後霊がいます。私の 父です。癌で亡くなったのですが若かったので進行も早かったんですね。40代という若さでした。みなさんと同じように私にも、色々辛いこと泣きたくなるようなことどうしたらいいかわからないことが時々 あります。そんな時はそっと一人になって父に 問いかけてみます。空を見上げながら…私には霊感はありません。父の夢を見ることもほぼありません。しかしそれまで自分に無い考えだったり人としての有り様がスーッ と降ってくる ことがあります。父からの メッセージかなと信じています。心の中にいつもいて背後霊のようにいつも見守ってくれている…そう思うとパワーをもらえます。あなたの辛いこと悩んでいること嬉しいことや背中を押してほしいこと一人で抱えきれないことはさとみが共感してあなたの心を軽くします。そっと背中を押します。ー あなたは ひとりではありませんよ ーさとみの部屋❤️SATOMIN
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娘はつらいよ

(フーテンの寅さんの音楽を脳内で流しながら読んでください)今日は父と一緒に補聴器店に行って来ました。もう何十年も前から耳のそばで大声を出さないと聞こえないレベルなのに、面倒がってお金を出し渋って新聞広告でよく見るような集音器を買っては失くし買っては失くし💧ところが最近になって補聴器を買うからついて来て欲しいと言うので補聴器店を探し予約を入れて(⇦私が)待ち合わせをしたわけですが、待ち合わせ場所で顔を合わすなり、やっぱり集音器でいいんじゃないの?補聴器なんか必要ないから行かなくていいんじゃないの?と言い出して(-_-;)ポジティブな私と違ってネガティブなんですよ父は。別にネガティブは個性だと思ってるので全然いいんですけど、自分から言い出しておいて店の前で駄々をこねだすとかはやめんかい!!迷惑なんじゃ!😡買わなくてもいいからとりあえず店に行こうと説得して店内に入ると席に着くなり喋る喋る💦わしはね・・・から始まる補聴器に全く関係のない『わし話』を大声でし始めて。店員さんも困っているのでバッサリ父の話を切り、聴力検査を受けさせてお試しの補聴器を耳に着けさせました。よく聞こえる違和感もないと言いながらも、やっぱり片方だけでいいんじゃないかとか、聞こえなくても生活に困ってないから補聴器なんて要らないんじゃないのかとゴチャゴチャ。あんたが困ってなくても周りが困って迷惑してるんじゃ!いい加減わかってくれ!!あり得ないぐらい大声で、しかも何度も同じ話をしないと聞こえないので話をする方はものすごく疲れるんです。※寅さん繋がりでストーリーに全く関係ないトラ猫の画像を使ってます。笑しかも父は自営なので
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初めての嘘

あれは初冬の日曜日だった。 谷中から上野動物公園へ向かう私は父の右手に、 下の兄は父の左手に、ぶら下がるようにして歩いていた。 下の兄は父親っ子、みんなから、そう、言われていたし、 本人も父に一番可愛がられているのは自分だと思っていたようだった。 でも、私だって、お父さん大好き、 だから父が家にいる時はいつだって父の膝の上を占領していた。 父が新聞を読む時も。リンゴの皮を剥く時にも。 少し太り気味の父の膝の上は、暖かくて、ふわふわしていて 心地よい。 だから何時だって父が家にいる時は父の膝の上に座っていた。 私は4歳。下の兄は7歳。 大好きなお父さんと出かけるのだもの、 嬉しくって仕方がない。 動物園は、谷中に引っ越してきてから、 毎日のように遊びにいっているから、 別に珍しくはないのだけれど、 父の腕にぶら下がるようにして 歩くのは、とても楽しい。 父は、歩きながら、いろいろなお話をしてくれる。 木の名前を教えてくれたり、 建物のいわれを教えてくれたり、 道路を横切る時は、 「右を見てから左を見よ。」だとか。 時々は、軽くスキップのようなことをしたり。 とにかく、4歳の私は楽しくて仕方がない。 突然、下の兄が父に聞いた。 「お父さん、やーちゃんと僕とどっちが好き?」 私は驚いてしまった。 (そんなことを聞くなんて、ひどい。) (父が答えられるはずはないじゃない?) (両方好きに決まっているのに。) すると、父は、 「どっちが好きか、  今から、好きな子の手をぎゅっ!と握るからね。」 その言葉を聞いて、 下の兄は少し緊張したようだった。 私はきっと、父は二人の手を同じように強く
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愛のダンス

こんなにも号泣したことがあったかな・・・深い愛の中にいたことをまた気付かせていただけました世界は優しい。今日はある映画を観ていました。娘と絶縁してる父が 娘の結婚式のために、彼女の望みであるフラッシュモブを 内緒で、参加者を振り付け指導して 大成功させます。 その場に父はいませんが ダンスをする皆、そして娘さんは 喜びに満ちていました。 全てに父の愛が宿っているように見えました。それを見た時、はっとしました。 フラッシュモブが父の愛から生まれたように、 私たち全ては、父である愛の表現の ダンスなんだな… そんな風に深く温かな感覚に包まれました。 あれもこれも… 喜びの愛のダンス こっちを見て。 あなたはわたし。 そんな風にも感じました。 やっぱり、ずっと包まれてたんだな… この温かな感覚に。 目の前に現れたもの、存在全てが愛のダンスを見せてくれてた。そして今も・・・そして、全てがこの温かさに包まれてる。 それに気付いてくれるのを、待っているかのように… 今はまた紐が解けていくように緩みの深みに招かれていくような感じがしています。☆☆今日は虹の写真をシェアしていただきました。その時書こうとしていたものと違っちゃったけど・・・ありがとう*^^*
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いいことをしても否定される気がする

今日スーパーでコンソメ売り場・乾物売り場に、「胸肉」が置いてあった。だれかが返さずにいらないので、置いたもの。腐っちゃう 腐って売り物にならなくなる 売り場が不衛生と思った私はレジで店員さんに伝えた。ひどく感謝された。マスクとレジの周りのガードがあるので、店員さんになかなか声が届かなかったのと、店員さんが別の店員さんにそのことを伝えるのにほんの少し時間がかかった。私のレジの後ろには誰かがならんでる気配がした。その人に責められている気がした。そんな余計なことをするから、レジ待たなきゃいけないんだよ。何しても責められる。いいことしてるのに。いや、その他人はなにも言ってないよ。気にしてないかもしれないし、なにが起こったのかもわかってないかもしれない。またはすごいなあって私のこと思っているかもしれない。だけど私には列を待たせた罪を感じるのだ。せっかちに待つうしろのひと。そのイメージしかない。人を待たせちゃいけない。人は待ってくれない。焦ってる。これは父の影響だろうか私の風呂の着替えさえも待ってくれずに何度も何度も外から声をかけて「まだ?まだ?」と聞いた父。前の車を「たるい」と常にあおっていた父。別に急ぐ理由なんて父にはひとつもない。そのあと、テレビ見て寝てるだけ。そんなあおりと焦りを日常茶飯事にしてきた私は他人もそれくらい焦っていて、それは私にも適用されて、つまり私もあおられている。理由も気持ちも関係なく待ってはくれない。ただあおられ嫌な気分をする。そんな他人の姿しか見えない。ゆっくりしていいんだよ。焦らなくても怒らないんだよ。怖かったね 小さいわたし 他人はみんな同じじゃない私も焦り
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トレンド入りするのか!ついに公開!!︎ヒューマンラジエーターシステム開発のパイオニア(創始者)

いきなりですが、30代の男性だって悩みませんか? 注:冒頭ではまじめに始まりますが、おもしろコラムです。ゆるい感じでご覧ください。職場での地位、父親としての責任、男としての責任、息子としての責任などなど 。でも、男である以上、父である以上、上司である以上、泣き言なんて言えない。そんな状況で悩んでいる人はたくさんいるのに自分だけだって思い込んでしまいがち(>_<) そのような状況で悩みや考え事が多くなると、なんだが頭の前あたりの前頭葉や首の付け根あたりの後頭下筋群あたりが熱くなることがある。 夜、床につき、瞳を閉じて君を思い出していると、無言のまま土足でいつものあいつらがやってくる。 勉強会資料伯爵、委員会議事録夫人、スタッフ教育学級委員長、人間関係改善軍曹、小遣い上がらないかなチャラメガネなどなど、列をなし、代わるがわる頭を小突いてくる。 その方々を変わるがわる相手をしていると、どんどん頭のあたりが熱くなってきます。そう、それは、お人好しに相手をしすぎて頭がオーバーヒートしちゃってるんですよね "(-""-)"木更津キャッツアイのぶっさんみたいに、なんでだよ、ぬぉーって感じでね 私はそれをオーバーヒートシンドロームと名付けました。なんかバーンアウトシンドローム(燃え尽き症候群)みたいですね、違うんですけどwww ネーミングセンスは職業病ですな (*_*) ちなみにオーバーヒートって車で起こるやつ?って感じですよね そこから、掘り下げていますな 車はオーバーヒートしたら冷やさなくちゃいけないんです、そしてオーバーヒートしないように装備してあるのがラジエーターと
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家族との関係【父編】

この数年で、父は私の言うことをよく聞いてくれるようになった。老いを感じて、少し自分に自信がなくなったのかもしれないし、私の「大人」としての実績を認めてくれるようになったのかもしれない。私が言ったこと、伝えたことを、「わかり易かった」とか「助かった」と、やたらと感謝してくれるし、私がプレゼントした物を、ひとつひとつ、よく覚えていて大切に使ってくれている。(私自身が、あげたことすら忘れているのに・・・)それをね、私が、素直に嬉しいと感じるようになった。ということに、ある時、気が付いた(笑)前までは、私がしっかりしなくては!という、気負いがあったので、何を言われてもプレッシャーでしんどかった。(※)家族との関係【わたし編】参照https://coconala.com/blogs/413103/4615でも、その「お前に任せた、任せている」という『期待』な感じから「お前のお蔭で」という『感謝』に変わったように感じる。父はずっと同じで、私の受け止め方が変わっただけなのか?私の心持ちが変わったことで、関係性が変わってきたのか?どちらなのかは、わからない。でも、ひとつ言えるのは、人を変えることはできないけれど、私が変わることで、そこにある関係性は変わる!ということ。思い込みや先入観や自己防衛なしに、そのまんまを素直に受け取ることができたら私が思うよりも、人生には、もっともっと、あったかい想いやさしい愛情があるのかもしれない。私が思うよりも、世の中はもっともっとあったかくて優しいのかもしれない。もっと肩の力を抜いて、楽しんでみよう♪感謝しよう(*^▽^*)
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嫌われ者の父の言動集

みなさん、お疲れ様です。 母から「父がむかつく」と 連絡が。 そんな事はしょっちゅうなので「今度は何?」って聞いてみた。【洗濯機の排水溝が詰まり  水が溢れだした。  それを見つけた父に  母は呼ばれた。    母が床を拭いたり 詰まりを取ってる間 手伝わず後ろで立って ずっと口だけ出してくる。    そして詰まりが取れると  見てるだけだった  父が水を流してちゃんと  流れるか確認した。】 母「最後にアイツ何て  言ったと思う?」 私「何々?」 母「俺がいてよかっただろ」 私「気持ちわるーいーー   マジヤバイ。鳥肌。   気持ち悪すぎる」 どうやら母は私や姉が ありえないくらい父の事を気持ち悪がるのが可笑しくてスッキリするらしい。 そんな母の為に本心80%ご期待に添えて20%で反応するようにしている。毎回、苦手意識を 更新してくる父 底なしだなと思う 美原ほなみです。 今日はそんな父の 悪口を書いていきます。 そういうのが苦手な方は お控えください。 他にも私達が父を苦手な 理由はたくさんある。 まずは自己肯定欲が高すぎる。 父は周りから「先生」と言われる仕事をしていた。約50年近くそんな生活を していたから余計なのかも しれない。 自分がすごく優秀な人間だと勘違いしている。だから母に対してバカにした発言が 本当にムカつく。 何かが見つからないと 「お前がバカだから」 「お前は何でも捨てるから」 「俺はお前に渡した」と 言い張る。 でも90パーセント自分で しまい忘れただけだ。 でも母に謝らず急に どうでもいい話をして ご機嫌取りをする。 もちろん母は無視をするが。 そし
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全く違う行事前の3姉弟妹

みなさん、お疲れ様です。 我が家の犬は全く吠えない。 1日に1回、遊んでて テンション上がって 「ワン」と控えめに 言っちゃうくらい。 吠えない日ももちろんある。 近隣住民に優しい犬である。 この間、実家に行くと 実家で初めて犬が 「ワン」と威嚇した ように吠えた。 驚いて見に行くと 犬の目線には 普段見向きもしないのに 急にウザ絡みした らしい父がいた。 家族どころか 犬にまで嫌われた 父・・・ 逆にすごくないかと 思った美原ほなみです。 今日は3人の子供達の話。 初めての方にざっくり説明。 ラン高3・・・宇宙人 ケイト高1・・掴み所がない ルリ小5・・・しっかり者 先日末っ子ルリの 音楽会があった。 ドラムをやりたくて 家で蓋つきのゴミ箱を ドラム代わりに 菜箸をスティックにして いっぱい練習していた。 残念ながら オーディションで 手が震えて上手くできず 落ちてしまったが リコーダー姿も とっても輝いていた。 ルリはすごい努力家。 だから運動会、音楽会 学芸会の自主練がすごい。 そして、本番も見事に 練習の成果をだし 私と旦那を感動させてくれる。 長男ケイトは 親に努力してる姿を 見せたくないタイプ。 行事前の練習を 見たことがない。 話してもこないから 私も我慢して聞かない ようにしている。 期待せずに行く。 のんびりと行き 一番後ろの席に座る。 いざ、始まると始めの 言葉を言ったり 主役級の役で驚かされる。 だったら一番前で見たかった。 勉強をしている姿も 見たことがない。 でも、良い結果の テストや成績を持ってくる。 「きっと、生まれ持った  才能なのかね」 って言
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嫌われ者の父

皆さん、お疲れ様です。 私の父への思い出は小さい頃、動物園の帰りに おんぶをしてもらった事と高校生の時に彼氏と電話してたらストッキングを頭から被り邪魔しにきたことしかない。THE亭主関白の鏡のような人母の事を完全に家政婦だと思っていていつも偉そう。 口ばっかりで、何もしない人。 今でも、1年でトータル10分くらいしか口を きかない美原ほなみです。 30歳過ぎるまでは父と口喧嘩をよくしていた。 高校生の時は、殴り合い蹴り合い、罵り合い 本当に嫌いだった。 あまりにもむかついた時は父の下着をビリビリに破り父の食器を全部割ってやった。でも、片づけたり買い換えるのは全部母。「お前の育て方が悪い」と言われる始末。これは無意味だったと反省した。その代わり、母には一度も反抗したことがない。母はいつも味方になってくれて感謝しかない。姉や母と父が亡くなった時泣けないよね。でも家族が泣かないのは不自然だからとりあえず ハンカチで目頭押さえておこうと相談している。 そんな父のお話。 12年ほど前姉もまだ結婚生活をしていた。 父と母、私と旦那、姉夫婦とそれぞれの子供達総勢12人でホームセンターに行くことになった。この人数だと、車が2台必要。 我が家と姉の車を出すことに。 どっちの車に父を乗せるかで軽く揉めたが車の大きい姉の車になった。到着すると、早速母から 父と姉が車内で大喧嘩になったと聞いた。 私よりも、姉との相性が最悪なので特に驚きもしなかった。原因は、父の得意の上から目線発言に姉がキレたらしい。なんとか無事に買い物も済ませみんなで実家に帰宅。 買った物を広げたり公衆電話からの間違え電話 しかも留
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明日があると思うから

昨日、お昼ごろから、右半身が痺れて、右足裏なんか、感覚なくって。夕方に、ピシッと、左頭に痛みが走って。やばいな、寝たら、明日言語なかったりしてなと思って、母に、〇〇さんちに電話する。施設に電話して迎えに来てもらう。などなど、倒れてもいいような指示出して、目をつぶった。なかなか寝付けなくて、55歳で急逝した父と、56歳で急逝した祖父と、47歳で急逝した祖父を思った。70歳で急逝した祖母と、80歳で老衰だった祖母は、まあ、いいかと。父も祖父たちも、病の中にあっても、少しは、明日の朝なに食おうかな、くらい、考えてたとは思う。明日が来なかったんだよな。思えば、私も、抗がん剤を飲んでた時は、毎晩「ありがとう」と思って、今日はおしまい。そんな感じで眠っていた。半年先なんか考えられないし、1カ月先も無理で、なんとか、来週の約束くらいしかできなかった。今日を、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみなさい」を、積み重ねないと、明日は来ない。明日の積み重ねで、未来になる。ちょっと油断してたな。いい気になってたなと思ったら、父にすごく会いたくなった。でも、今、会うわけにはいかないんだわ。今朝目が覚めて、痺れも取れて~パソコン打ちすぎ…。歯医者に行って、平常営業だったけど。明日はないことにして、今日だけしっかり生きないと。5分先だって、なにがあるかわからないのだから。
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心が温かくなった出来事 ~日記#51~

皆様、こんばんは☆私の父は基本的に自分でできないことは母に全てしてもらいます。自分でできることも母に全てしてもらいます。しかも、当たり前かのように。そんな父がある日母に内緒でお寿司の出前を頼んでいました。大病した母が13年前に退院した日だったからそうです。普段は本当に驚くぐらい自分では何もしない父。そんな父を見て、私は思うところがあったのですが、母の喜ぶ顔を見て、心が温かくなりました。そして、ほんの少し結婚っていいかもって思えました。ほんの少しですけどね(笑)では、今日のお話はこれでおしまい。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 今日も皆様が素敵な夢を見られますように♡
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お父さん、すごい! ~日記#22~

皆様、こんばんは☆何か月も前のお話です。私の父、勤続年数が30年になり、会社から賞状とお祝いをいただきました。「賞状なんて・・・」と言っていた父の顔はすごく誇らしげでした。 そして、その時頂いた中から1万円を私にくれました。 自分が社会人だからこそ感じるんですが、勤続30年ってすごいですよね。本当に。私は心から父を尊敬しています。本当に。父からもらった1万円札、今もお守り代わりに財布に入れています。 これは1万円以上の価値がある私の宝物です。では、今日のお話はこれでおしまい。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 今日も皆様が素敵な夢を見られますように♡
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オガワの名言105

【誕生日、恋人と過ごすのも大切だがお腹を痛めて生んでくれた母に、育ててくれた父にありがとうの気持ちを伝えよう】
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お墓参り

今日は、ソメイヨシノの花びら散る中、東京府中市にある多磨霊園に父方の先祖のお墓参りに行ってきました。霊園はとても広大なので、 10年ぶりくらいに行ったら、すっかり場所が分からなくなっていて、 霊園事務所に行って、データ検索してもらい、地図を見ながら やっとお墓にたどり着きました。お墓を洗って、供花と線香をあげて、 ドクダミ草が蔓延っていたので手で抜いて、写真を撮りました。 なぜ10年ぶりかというと、父とはもう同じくらいの期間会っていなく、 連絡もとりあってません。過去に会社を一緒にやっていて、詐欺に遭ったり、 台風で工場が大ダメージを受けたり、親族間の訴訟で大負けしたりと、 色々ありましたが、今はまったく恨んではいません。こちらのアドバイスを 聞き入れない頑固者なので、まっすぐ自分の道を進んでほしいと 思っております。今年おそらく78になるのかな。長生きしてほしいです。時のご来光堂 (時のご来光堂で検索)
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