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人生の手応えは人生の責任を自分で背負うことから

「自分で言うのもなんですけど、周りの人の言うこととか常識とかに従って真面目に生きてきたんです。でも充実感とか手応えが全くなくて。」誰かでなく、自分で自分の問題と責任を所有してみる。自分の人生を背負うのは大変かもしれない。でも手応えと実感はこれまでにないものが得られるかも。本当の自立は自分で自分の責任を負うことから冒頭の話はマイルドな表現であるものの他責な生き方、あるいは「人生においての被害者」というスタンス。自分に起こる不利益はまわりのせい、人生は他人次第。自分の人生の責任を引き受けるのはパワーがいるけど、小さなことから背負っていくことでいつか自分の責任の範囲をカバーできるようになる。これが自立。人生の被害者から脱する事で可能性が広がる強みを最大限活用する理論、ウェルスダイナミクスの自己分析のひとつに自分の社会的な立場、役割のレベルを示す「スペクトル」というものがあります。この一番最初のレベルが「被害者」というレベル、自分で自分の責任を負うことが難しい状態です。次のレベルに行くための課題として、自制、自責といったものが求められます。これらは誰にとっても人生においての共通の課題とも言えますが(もちろん私にとっても!)、課題をクリアすることで全く景色の違う次のレベルが見えてきます。こちらのサービスで今のあなたの状態、レベル、そして必要な課題が分かります。
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自分で変えられないことは悩まない

悩みとは、尽きないものです。毎日何かしらで悩みます。すぐに解決できることもあれば、何日も、何カ月も、何年もかけてずっと悩み続けている問題もあります。「悩み」とは何でしょうか。1 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。「進学か就職かで―・む」「恋に―・む若者」「人生に―・む」2 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。「騒音に―・む」「人材不足に―・む企業」(goo辞書)つまり、自分では解決できる方法が見つからない・解決出来ないため、問題が残ってしまうことで苦しみを感じている状態ですね。例えば身近なものなら「人間関係の悩み」があるでしょう。・親、上司、先輩がうざい・子供、部下、後輩が言うことをきかない・〇〇して欲しいのにしてくれない・頑張ったのに褒めてもらえない・他人から好かれない・相手の気持ちを変えたい・高く評価されたい(けどしてもらえない)など。具体的な状況によってはもっとたくさんあるでしょう。なぜこのようなことで悩んでしまうのか。アドラー心理学には「課題の分離」という考え方があります。それは「誰にとっての課題」なのか。相手の課題なら、それに対して安易に踏み込むべきではない。人間関係のトラブルは「他者の課題」に土足で踏み入るところから始まるというものです。相手が「どうするか」を判断するところを、自分が「どうにかしよう」としても、無理な話です。まさに「出来ないことに悩んでいる」図です。悩んでも仕方がないことに悩んだり挑戦すると、結果が出ず、疲れていく一方です。「相手の課題」は相手に任せましょう。例えば自分のことをどう評価するか、好きになるか嫌い
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相手を変えることは出来るのか?

家族、友人、上司部下、同僚、ご近所、ママ友、親戚、義実家…。色んな関係性の中で、「この人のこの習慣・癖・性格さえなければ…」と思うことは多々あるでしょう。もちろん私にも覚えがあります。身近であればあるほど、自分が何とかして変えてやろう、と情熱を燃やすパターンもあります。私の考えでは、「出来るか出来ないか」ではなく、その部分に「関わらない」ことをお薦めします。理由①:どんな習慣も「その人の歴史の一部」他人から見たら困った習慣や癖でも、本人が生まれて生きてきた過程の中で、何らかの必要性があって(または代償として)身につけたものです。例えば喫煙。一般的には健康に良くない上に、副流煙による周囲への影響もあり、あまり好ましい習慣ではないと思われています。しかし喫煙をするその数分で、気持ちを切り替えリフレッシュし、疲れた中でも改めて「頑張ろう」と思えるためのコーピング(ストレス対処法)のひとつかもしれません。どんな過程で喫煙という習慣を身につけたのか、そこへ至るまでの葛藤を含めて理解するのでなければ、「止めろ」と言われても本人も納得しないでしょう。そこへ踏み込むのは容易ではありません。理由②:変わるか変わらないかは「本人次第」いわゆるアドラーの「課題の分離」です。その習慣・癖・言動によって起こる事態を、最終的に引き受けるのは誰か。引き受ける人の課題なのです。上記の喫煙でいうと、続けることで健康を害したり、周囲から人が離れていったり、たばこ代でお小遣いが減って趣味を楽しめなくなったりしても、最終的にデメリットを引き受けるのは本人です。家族として喫煙の害を心配するのは当然ですが、「他人の課題」
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#9:対人関係のストレスを軽減する『嫌われる勇気』

たけやんです。  自分の成長のため & 情報のアウトプットを目的に、ブログをはじめました。まったり更新する予定です。 これを読んでくれた方に、少しでもプラスとなる事があれば幸いです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~おすすめ本の紹介です。前回のブログで「アドラー心理学」について少しお話をしましたが、それを学べる名著として、ベストセラーにもなった1冊です。◆嫌われる勇気[著:岸見一郎・古賀史健]既に読まれた方もいるかと思いますが、私がこの本を読んだ最初の感想としては、少し理解に苦しむものでありました。一言で「心理学」と言っても、提唱する学者によって様々な解釈や理論づけがされます。そういう意味でも、アドラーの考える心理学は斬新なものでしたが、その中でも一番感銘を受けたのは ”課題の分離” というものです。ざっくり説明しますと、”課題の分離” とは 『相手が自分のことをどう思うかは、あくまで ”相手の課題” である。  だから、それに関して自分が思い悩む必要は無い』という考え方です。これ・・・私も含め現代社会に生きる人達にとっては、とても心強いような、でも少し不安になるような、そんな不思議な感覚になりませんか?会社や学校など、組織やコミュニティで生きる我々にとって、「人に嫌われたくない」とか、「自分は ”いい人” でいたい」という、生存本能にも近い願望は必ずあると思います。これが極端になると、「他人の目ばかりを気にする」「相手に好かれるよう自分の意志を曲げる」「SNSで”いいね” を貰うためだけに投稿する」といった、『自分にとって不本意な人生』を
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課題の分離とは

よく課題の分離とは、相手の課題と自分の課題を分けることだといいます。そして、自分と相手の境界線をはっきりさせることという風に説明されます。しかし、ここでは少し違う角度から考えます。どういう課題の分け方をするのかというと、自分の「できること」と「できないこと」で課題を分けるのです。できるところは自分のできる範囲で精一杯やればいい。できないところは、人にお願いしても良いのです。「他力」も大切です。自分の力だけでは人間は生きていけません。誰かがいるから自分を認識できるのです。自分ができることをやればいいのです。人は意外と頼られることが好きです。自分が頼られる立場になって考えてみましょう。あなたがもし、誰かに頼られたとしたら嬉しい気持ちになるはずです。もちろん、頼むときは感謝の気持ちを忘れてはいけません。感謝の気持ちを持って、謙虚にお願いされたら嬉しいはずです。人は周りとの繋がりがあるから、生きて行けます。思いやり、助け合う精神。困った時はお互い様です。逆に、頼まれた時には自分のできる範囲でやってあげればいいのです。自分に優しく、相手にも優しく、そうすればきっと上手くいきます。
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人間関係に悩まないトリプルコンボ

自分の意思を人に伝えられなかったり人間関係に悩んだ時にとても救われた考え方。 例えば、自分の意見を人に伝えたいが相手がどう思うかが気になり言えない場合や、人からどう思われるかが気になり自分らしくいられない場合。 『課題の分離をする』自分の意見を言う、自分らしく振る舞う → 自分の課題 それをどう捉えるか → 相手の課題 自分の課題と相手の課題をひとくくりにせず、分離して考える。色々な場面で応用が可能になる。  『パレートの法則』パレートの法則とは8:2(2:6:2ともいう) の法則。世界の財産の8割は2割の富豪が持っている。会社の8割の売り上げは2割の社員が創っている。など一定の割合に収まるという考え方。 これを人間関係に当てはめる(2:6:2)どんなに素晴らしい意見でも2割の人⇨ 好意的に思ってくれる6割の人⇨ どちらでもない2割の人⇨ 否定的に思う自分らしくいようが、人に合わせようと思い自分を偽ろうが、一定数は否定的な人は必ずいる。どちらが自分にとって“心地良い”かで考える。  『ゲシュタルトの祈り』私は私のために生きるあなたはあなたのために生きる私は何もあなたの期待に沿うために生きているわけではないそしてあなたも私の期待に沿うためにこの世にいるわけではない私は私、あなたはあなたでも偶然が私たちを出会わせるなら素敵なことだたとえ出会えなくてもそれもまた同じように素晴らしことだ  課題の分離、パレートの法則、ゲシュタルトの祈りを組み合わせることで私はとても自由になり解放された。  
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【羊の皮を被るのやめたら楽になれた件】

立花です、   数年前、「嫌われる勇気」という、 アドラー心理学を哲学者と 青年の対話形式で語る本が 流行ったのを覚えていますか?   僕も読んだことがあるんですが、 その本の中で語られる 「課題の分離」というテーマでは   自分の課題と他人の課題という 概念を教えてもらい、   ずいぶんと人間関係が 楽になったのを覚えています。   ところで先日、ある男性から 久し振りに連絡を もらったんですが、   その男性に会いたいという 女性がいたのをちょうど思い出し、   LINEのトークルームを 作ってお繋ぎすることにしました。   僕は正直言うと あまりそれ以上、 その男性とは関わる つもりはなかったので、   女性を紹介した後は 特に話すこともなかったんですが、   いつなら空いてますと 何度か男性に言われるもんだから、 今は忙しいし、 自身の仕事関係や 用がある人としか 会わないようにしていると 伝えたところ、   「勝手ですね」的な ことを言われた。   「自分がそう言われても 平気ならそれで良いんじゃないですか」とも。   そして、なぜ女性を紹介したのか よく分からないと。   これまでの僕なら そう言われた時、   自分が悪者になりたくなくて、 「いいえ、悪気があっての発言ではなく、いついつなら空いてますけど、どうですか?」と 媚び売ってたと思う。   でも、今は違う。   本当に忙しくて時間が 取れないのは本当だけど、   嫌われても良いと言う 勇気を持って   本音で生きたいと思ったら、 他人がどう思おうが 気にならなくなった。   だって自分の大切な時間を 自分
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お盆に実家に帰らない、お墓参りしないのは親不孝?

こんにちは、ネクラなのに陽子です。家族とうまく行っておらず、距離を置いているあなた。もしかしたら、お盆やお正月など、一般的に家族親族が集まったりお墓参りをする時期にはあえて「行かない」ことを選んでいるかもしれません。私はそういった機会のたび、自己嫌悪に陥っていました。そして、周りの楽しそうに過ごしている人たちを見て、羨ましく、いたたまれない気持ちを味わっていました。「お盆に実家に帰らない、お墓参りをしないことは親不孝なのか」このテーマについて葛藤や分離の期間を経て、今思うことを書きます。お盆に実家に帰らない、お墓参りをしないことは親不孝なのか結論は「不孝とも、不孝ではないとも言えない」です。私は、その時その時の「お互いが一番健康で、幸せでいられる方法」を選ぶのが最善、と思います。一般論で言うと、家族が仲良く交流できるに越したことはないでしょう。ご先祖様への感謝もあった方が自分が幸せでいられます。しかし、誰もが複雑な事情のもとに生きているので、ジャッジできません。生きていると色々なことが起こります。親は「あの時はあれが精一杯だった(ああする他なかった)」。一方、子どもは「寂しかった。なぜもっと〇〇してくれなかったの」と傷ついている。時間も戻せないし、今となってはどうにもならないですよね。また、いくら家族でも人間同士には相性もあります。・一緒にいるといつの間にか、互いに干渉や依存をしてしまう・なぜかそばにいると健康面に問題が出てくる不思議なのですが、上記のような場合もあります。親孝行ができない時にとるべき道「親孝行」という、一般的な良し悪しの判断基準にかなっていないから、自分はダメ
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相手を変えようとするのは無理です^^(課題の分離)

家族関係を改善したいなら、自分の考え方を変える事をお勧めします。 私は家族関係改善に、自分の考え方を変えてきました。 以前の私は (私が正しい)と思っていましたが、その考え方ではコミュニケーションはうまくいきませんん。 相手と自分は違う考え方を持っていて、相手には <相手の正しい>という思いがある。ということが理解できないと、 相手と心が通い合わないのです。 多くの方は(相手の言葉や相手のありえない態度を変えるべきでしょ。相手次第で全て上手くいくのに。。。) と、思うのではないかと思います。 私も、そう思う自分を当たり前だと思っていました^^、、、 しかし、自分ではなく相手を変えようとすることは 【非常に難しいことです】 人は自ら変わろうと思わなければ、変わることは難しいのです。 人間関係を変えたいなら、相手を変えようとするのは潔く諦めることをオススメします^^ 〈諦める>というより〈明らかに見極める〉 (相手のここが気に入らないから変わってほしい)と、相手を変えようとしているなら、明らかに見極めて諦めましょう 。この考え方は《課題の分離》 といい、心理学者のアドラーは以下の様に言っています。(私にとって、この考え方はとても役に立ったし、必要でした)「その課題に対して、相手がどう思っているか?その課題に対して、最終的に責任を取るのは誰か? そして、相手の感情や相手の態度に[自分には関係ない]と相手の課題に介入しない。」 つまり、ありのままの相手を理解しようとせず、自分の思うような相手になって欲しいと 相手にアドバイスしたり、相手を操作しコントロールしようと
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親をゆるすのは諦める

こんにちは。HSPエンパス霊能者の陽子です。このところ、「私の親子関係のあゆみ」を書いてきましたが、ここでいったん番外編を入れます。「親をゆるす」という大きなテーマについて、私の考えをお話します。ここに書くのは、長い年月悩んできたこと、そしてそれを癒す試みをずっと続けてきて感じていること。セッションの時にお話しする内容のベースにはなりますが、絶対とも思いません。「ああ、そういう考え方もあるのね」と思って読んでいただければ幸いです。親をゆるすのは諦める結論から言いますと、私は「親をゆるすのは諦めてはどうか」と思います。小さな時は、家庭の中での自分の立ち位置がすべて。そして、いろんな家庭があります。お悩み相談の場に来てはいるけれども、・自分のこと(主に小さい頃何があったか)は、話したくない・過去をないものにしているといった方や…「毒親」という言葉を使い、まさに今、心の膿出しをしている方も(それはいい悪いということではなく、ひとつの過程だと思う)。とてもひと言では言えない、傷ついた過去があるということ。それにも関わらず、多くの人に共通しているのが「親をゆるさないといけない」という思い。強迫観念といっては語弊がありますが、「ゆるすこと前提」で苦しんでいるのでは?と感じるんです。親に対する「なぜあの時、私にあんなことをしたんだ!」という怒りの他に、ゆるせない自分を激しく責める気持ちもあわせ持っているように見えます。また、深い部分には「ゆるせないことが苦しいから早くゆるしたい」という思いもあるかもしれません。しかし、今はゆるせない。いくらそうしようと思っても、激しい感情や悲しみを払拭できな
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