「課題の分離」ができれば手放しやすくなるという話 【Vol.17】

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コラム
前回の記事で、
「べき思考」から抜け出せず苦しいときは、「べき思考が働いていることを意識すると良い」という話をしました。

ただ、それでもなかなか心をニュートラルに保つのは難しい場面も多いと思います。

そこで今回は「課題の分離」の活用についてお伝えできればと。

個人的に、これを知ってとても生きやすくなりました。

この概念が皆さんのお役に立てれば幸いです。


この問題で「最終的に損をするのは誰か」を見極める。

課題の分離とは

人間関係のトラブルが起きたときに、それは自分の課題なのか他人の課題なのか切り分けて考えるというものです。
アドラーが提唱している考え方ですね。
ベストセラーの「嫌われる勇気」でも濃く取り上げられているのでご存じの方も多いかもしれません。

目の前の問題に対して、

「その課題の責任を負うのは最終的に誰か」
「その課題の結論を出すのは最終的に誰か」

ということに焦点を当て、「自分の課題でなければ介入しない」とすることが課題の分離です。

最終的に、自分が責任を持つことではないのに踏み込んで苦しんでしまう場面、ありますよね。

「ダメ男と別れられない友達にやきもきする」などは、
身近にあるわかりやすい例だと思います。

個人的には、「自分の問題でなければ手放してしまう」くらいの心持ちが生きやすいと感じています。

「どう転んでも、自分が責任を取ることじゃない」と思えるだけで、余計な気苦労やタスクが抑えられ、身軽に生きられると思うのです。


ただ実際には、自分の課題かどうかを0か100で判断できない場面も多いと思います。

仕事の場面だと特に多いのではないでしょうか?
お客様との関わりや、上司部下の関係性でも多く見られると思います。

そんなときどうしたらいいのか?

別の角度で考えてみると、ヒントが見つかるかもしれません。


自分が「コントロールできるか、できないか」を考える

ニーバーの祈り

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

アメリカのニーバーという神学者が大昔に提唱した言葉です。
実に本質を突いていると思いませんか?

人は「変えられないものを変えようとするから苦しむ」のだと思います。

そもそも他人は「変えられない」んです。

変わろうとするかどうかはその人の課題であり、我々は変われるように働きかけることしかできないのです。

そう思えると、目の前のことを「コントロールできるのか、できないのか」より明確に判断することができるようになります。

そこを明確にできれば、

「自分がコントロールできないのに、苦労したって仕方ない」

と思えるのではないでしょうか?
自分の課題でないものは、思い切って手放してしまいましょう。


もし、コントロールできない問題なのであれば、自分にできる精一杯の働きかけをしてみましょう。

「放任するのではないが、介入もしない」というのがポイントです。
その働きかけを受け入れるかどうかは相手の課題のため、「困ったことがあれば支援する」ということが伝われば充分だと思います。


私はこれまで、「自分に起こっている現象はすべて自分が原因である」という原因自分論で物事をとらえてしまう癖がありました。

要は、自分の課題でないものとの切り分けができずに苦しみまくっていたわけです。

すべてをうまく切り分けられている自信はまだありませんが、課題の分離を学ぶことで、少なくとも昔より思い悩むことが少なくなったと実感しています。

原因自分論で考えてしまう方は、ぜひ課題の分離を知ってほしいなと思います!
ラクになりますよ!

ではまた!

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