アドラー心理学を分かりやすく解説したベストセラー『嫌われる勇気』を読んだことがある方は多いと思います。
その中でも有名なものが「課題の分離」です。
ここで注意したいのが、「最終的に結果を引き受ける人」を孤立化させることではない、ということです。
課題の分離とセットになる考え方に「
共同の課題」があります。
「課題の当事者から相談や依頼があって、初めて共同の課題に向けて動き出す」というものです(引用元:同上)
私はこれを、「当事者から相談や依頼があって初めて共同の問題とする」ではなく、「問題そのものを細分化し、それぞれに当事者を探す」ことで、「共同化」してはどうか? と考えました。
なぜならば、うつ病の人に「自発的に相談や依頼を求めることは難しい」からです。
それが苦手だからこそ、病気になるまで抱え込んでしまった人が多いと思うのです。
ですから、相手がうつ病であるなら、問題そのものを細分化し、その中で「課題を分離」していく方法のほうが、家族の負担も重くなりすぎず、うつ病家族の自己効力感を損なうリスクも低くなるのではないでしょうか。
当事者主体(本人主体)とは、最終結果を引き受ける人が「本当に望むもの」を軸にする、という考え方です。
逆の考え方では「家族主体」「支援者主体」などになります。第三者の希望を優先させることです。
ここで注意するのは、
「本当に望むもの」は「わがままし放題、好き勝手する」ことではない、と言うことです。好き勝手した結果もその人の責任になるとして、それが本当に当事者が望むものか、と考えると、違うことが分かると思います。
例えば家族の中で何かを決める必要があるとき、「常に」誰かを最優先に考えようとすると歪みが生じます。問題の全てにおいて誰か一人が主体になるわけではないからです。
決定する必要がある場面ごとに、主体(最終結果を引き受ける人)は誰か、を考え、その人が本当に望む状況を目指すとしたら何がいいのか、という方向性で考えると、「いつも夫の好きにしている」「妻の我儘ばかり聞いている」という不平等感も少なくなっていくのではないでしょうか。
「うつ病の夫が『病院に行きたくない』と言い出した」場合を考えてみました。
夫:明日通院日だけど、行きたくない
妻:どうして?
夫:いつも同じこと聞かれるだけだし、何言っても同じ対応しかしてくれないし
妻:でも行かないと薬無くなっちゃうじゃない?
夫:それでもいい。薬も効かないから飲みたくない
さて、この問題を以下のように細分化してみました。
通院しなくなって、まず第一に困る事態になるのは、症状で苦しむ夫本人です。しかしそれを承知の上で行きたくない、と言っているのでしょう。
次に困るのは、うつ病を悪化させた夫の看病をすることになる妻です。何が困るのか?精神的ストレス、不安、仕事をしていても夫が心配で手につかない⇒ミスにつながる、リフレッシュ目的の外出もしづらい、などが考えられます。
更に暫くしてからやはりまた病院へ行きたくなった場合、当事者は患者である夫本人です。同じ病院へ行くのか、別の病院を探すのか。どちらにしても前回通院を中断した理由は聞かれます。説明の手間と、別の病院を探す手間もあります。妻は手伝うことは出来ても決定することは出来ません。
以上を検討した上で、明日の病院へ行くべきか、行かなくてもいいのか、を相談することが出来ます。
少し番外編になりますが、
・延期する
・妻が同行して、夫の状態を伝える
・転院ではなくセカンドオピニオンを検討する
等も考えられます。
しかし
最終的にどうするか、は、
大元の当事者である夫が「将来的にどうなりたいか」をベースとして考えることが重要です。
事例は「うつ病の夫」が当事者でしたが、これをうつ病の家族(事例の妻)が当事者になったケースも考えてみるといいかもしれません。