ごきげんな毒親育ちカウンセラーって?
はじめまして。田口もなかです♪毒親育ちカウンセラーと、ごきげん人生案内人としてお仕事をしております。「毒親育ちと、ごきげん人生…?真逆では?」と、思われる方もいらっしゃるでしょう。今回は、私が、この活動をするに至った経緯をお話しさせてくださいね。私、母と「決別」しました。私が、母との「決別」を決めたのは32歳のとき。娘が1歳になる直前のことでした。それまで、すべてが母のコントロール下にあり反論も反発も出来なかったんです。恋愛も進路も結婚も、そして妊娠も。でも、育児ノイローゼを機に、「このまま生きていくのは嫌だ」と思って。同居を解消し、物理的にも精神的にも母と距離をおくことにしました。その頃、同じく毒親育ちのカウンセラーさんに出会いそこから3年間に渡って自分自身と向き合いました。その時、「母は母、私は私でいい」と気づき母と絶縁するのではなく、私の意見をきちんともって生きようと決めたのです。それが、私の、母との「決別」です。今は、私と家族が無理しないことを最優先に母とはちょうどいい付き合いをしています。私がホンネで生きる理由。母と「決別」したあと、最初にやったこと。それは、濃いピンクのスカートを履くということでした。実は私、自分の「好き」が分からなくて。自分の好みを言うと母に馬鹿にされることがほとんどだったので封印して生きてきたんです。そして、母の好みを自分の好みと語っていました。母に批判されずに済みますからね。服の話に戻りますが私、黒い服が多かったんです。母と祖母から「黒にしなさい」と言われそれ以外の色を身に付けると「頭がおかしい」と笑われていた。だから、いつも黒ばかり選んでいた
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