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人生を楽しむために、深刻になるのはやめる!【アラフィフ心理カウンセラー「うさぴょん」のココナラ電話相談】

人生は短く、貴重な時間を大切に過ごすことが求められています。しかし、多くの人が日常の中でストレスやプレッシャーに苦しんでいることも事実です。そこで、人生を楽しむためには、深刻になることをやめ、ポジティブな視点で物事を捉えることが重要です。 まず、何事も深刻に受け止めることのデメリットを考えてみましょう。過度なストレスは健康を損ない、人間関係にも悪影響を及ぼします。仕事やプライベートな問題に過度にこだわり、一つのことに執着しすぎることは、全体を見失いがちです。そうした状況では、人生を楽しむ余裕が生まれません。 では、どうすれば人生を楽しむことができるのでしょうか?まず、軽い気持ちで物事を受け入れ、柔軟な考え方を身につけることが大切です。困難な状況に直面したときに、冷静になり、ポジティブな解決策を見つける努力をすることで、ストレスを軽減できます。 また、毎日の小さな幸せに気づくことも大切です。朝のおいしいコーヒー、友達との楽しい会話、自然の美しさなど、些細なことに感謝することで、人生の質が向上します。深刻になりがちな瞬間でも、一呼吸おいてポジティブな要素を見つけることで、心の余裕が生まれます。 最後に、笑いを忘れずに。笑いは最良のストレス解消法であり、人生の楽しさを再認識させてくれます。友達との楽しい時間や、おかしな出来事には心から笑ってみましょう。 人生は短く、深刻になりすぎることなく、軽やかな気持ちで楽しむことが大切です。小さなことに感謝し、ポジティブな視点で物事を見つめ、笑顔を忘れずに、人生を充実させましょう。
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最善

おはようございます*^^*最善という勘違いこの私もそういうことがありました。私たちは目の前だけしか見えていないことが多いですよね。”私という主観”を通して常に見ることが起き続けている。それがフィルターですね。うまくいったうまくいかなかった素敵だ素敵ではないそれは正解それは間違い・・・それは”目の前だけ”を見て”私の主観”を通してみている世界です。それが起きてきているのも生地が織り重なり紡がれているように”ここだけ””目の前だけ”が分離して起きていることではないのですね・・・すべての織り目全体のひとつひとつの動きがそう起きてこの目の前もそれらとの繋がりの中で影響し合う中で一つの部分として、目の前に現れてきています。最善とよく言われるのも自分の都合から見ての最善ではなく自分に都合悪くてもすべての繋がり合いの中でそれは最善が織り成されているということ。自分がどう判断してもそれが最善。私たちの目前には常に最善が現れ続けています。目も耳も感覚は文句は言っていません。文句を言っているのは何か・・・・そこが緩み、溶かされていく・・・徐々にフィルターがなくなり判断も無くなり生きやすくなるということも自然に起きてくるのですね^^
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下準備こそ大切に

どうも、MSD代表Webデザイナーの萬太です。下準備って大事。料理を作る際、下処理をするべきところを 面倒くさがって省いてしまうと、 臭みや苦みが残ってしまうことがある。     後になって、 「やっとけば良かった…。」って 何度も後悔したことも。     1. ここが重要僕が、ホームページを製作する上で 重要視しているところは、 製作に取り掛かる前の段階。     SEO対策を考慮した ライティングを構築していく 必要があるから この部分だけは妥協できない     ホームページ製作自体は 実はツールが進歩したお掛けで 凄く簡単になってきているんだけど     重要なのは見た目よりも ホームページとしての機能。     どんなに綺麗で流行的なデザインでも 人の目について集客出来なければ 意味がないから。     2. これだけは押さえておくことだから、製作をする前に 最低限これはやった方がいいかな。   ・キーワードの選定と最適化 ・サイトの目的を言語化 ・スモールキーワードを狙う ・ユーザーが使うキーワードの選定 ・サディストキーワードのチェック ・共起語のチェック ・競合サイトの調査分析 ・軸となるキーワードの付随ワードを考える ・悩みの言語化と分類 ・ターゲットの明確化   なんでもそうだけど、 下準備が大事だからと言って 完璧を求めるのではなくて     あくまでも、最善を目指す。     完璧を求めてスピード感が なくなってもいけないし、 最善最速で常に行動することが 大切だよね。 ホームページのご依頼はこちらSEO対策のみもやっております。あなたの悩みは何ですか?
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何のワクチンかなぁ⁉️ドキドキのお買物時代は加速中🤣

ご親切に、知らせてくれるだけでも良心的ですょネッ😇🤙問い合わせてみたところ動物の伝染病予防の為に 投与を義務付けられているもの との回答でしたどの様なワクチンかについては農林水産省の、動物用ワクチンの基礎知識で閲覧出来るとの事です早速見てみたょ😁🎶おゃおゃ😳恐ろしぃ遺伝子組み換えって書いてある〜🤣※遺伝子組み換え爆チンが、純輝鶏に投与されているか迄は不明です   興味がある方は、農林水産省へお電話してみて下さぃ知人が昔、シックハウス症候群を目の当たりにした事から病気の原因を探るべく、食に関する調査を初めた時のお話🤫日本全国の乳牛舎を回り🐄水質検査を行なった際目にしたモノそれは…乳牛への ステロイド投与 乳牛界の常識⁉️それ以来その知人は、牛乳を飲んでいないと言っていました今日は素敵な事象をshearさせて下さぃ🤗💖張り詰めた空気を身にまとぃ、cameraを前に投げ掛ける彼女凛とした美しさを感じました😌💖彼女がこの雇用主の元を去る事になったのは必然 であり 自然 な流れだなぁ〜と思いましたやはり、これだけ周波数が違えばこれからもご一緒に、なんていきませんょネッ❓この先きっと、この素敵な彼女を相応しい環境 が待っているんだろぅナッ🥰以前、この動画の翻訳者であるLihsiaさんにお目にかかった際シェディングについて尋ねると💉波動の話をしてくれました心配ゃ恐怖するでは無く自分自身がhappyでいる事がとても大切💘といった内容だったかとやはり自分の周波数に合った事象を引き寄せるんですょネッ酸化グラフェンが磁石を引き寄せる様に😝私は、起こる出来事は 最善 だと心得ていてそれに対し、あらゆる
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どんなときも最善の選択だからだいじょうぶ

後悔してしまう。失敗しておちこんでしまう。そんなふうに感じたり思うことは誰でもある。みんなある。こうすればよかった、と思うけれどきっと、後悔しても失敗してもその時の最善の選択を私たちはしている。あの方法にすればよかった、と思うならその出来事の後悔にひっぱられるのではなくこれからそうしよう、と思えばいい。落ち込んでいても、過去(結果)は何も変わらない。だったら、次に落ち込まないように受け止め方の角度を変えてみたり失敗しないように、やさしさをチョイスしてみたらいい。選ばなかったほうは、絶対に経験できない。同じときに、別のことを選ぶことは出来ない。だったら「そうか、つらくとも今自分がいる場所 自分が感じていることは、間違ってなかったんだ!」そうやって、少しずつ自分に「オッケー」をだして気持ちをあげていこう。見上げる空は、どこまでも蒼くてちゃんとそこにいてくれるから涙がでそうになったときは目線をかえて、見る角度をかえて蒼空をさがそう。曇り空でも、雨だったとしても。こころを探していこう。きっと変わらない景色がそこにある。2021.4.23 #111  ゾロメ✨
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起きた出来事が最善

「保健室まるみ」(保健師)です。普段はココナラ電話相談をしているのですが、2020年11月9日~11月16日の1週間、都合により電話相談をお休みさせて頂きます。11月17日火曜日からはまた張り切って電話相談を再開しますので、どうぞ宜しくお願いします。ただこのブログは毎日更新しますので、こちらは毎日見て下さると嬉しいです♥はい、では、今日の話題に入ります。大学生になった息子が現在アルバイトを探しております。息子はまず、一番やりたかった塾講師のバイトをゲットしました。(実は最初に受けた塾の試験は落ちて、ここは2社目です)しかしそこは、毎日仕事が有る訳では無いので、もう1つバイトがしたいそうです。(コロナの影響で暇らしいです)息子のアルバイト選びの条件は、1,自分の興味のある分野であること2,働く日時の都合が合うこと3,食事が安く手に入ることらしいです。しかしこれが意外と決まらない現状です。(エントリーするが落とされる)まず花屋さん。なんと!私も知りませんでしたが、息子は花が好きだったらしい。そこは花の小売では無く、イベント用に大量の花を納入する花屋さんの、裏方の仕事だったらしいのですが、書類選考で落ちました。次は大手外食チェーン店。ここでバイトをすると、メニューを半額で食べられるらしく、毎日自炊で節約しながら生活している息子には、魅力的だったようです。が、ここも落ちました。この辺で、本人も私も夫も、「えっ?バイトってそんなに受からないもの?」と思いました。それで息子が「くそーあの店、俺を落として、また募集広告出してやがる!もう二度とあの店には行かないぞ!」なんて冗談めかしてラインを
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【いつの時代でも厳しさがある】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代が進んでいる方向は 良くなる方向に進んでいますが どんな時代になったとしても 厳しさがあります。 なぜなら 厳しい環境でなければ 成長ができないからです。 今の時代は 環境が成熟していますが 成熟した環境の中での 厳しさがあります、 過去の時代よりも 良くなっているのですが より厳しさを感じるのです。 成熟しているがゆえに 厳しさを感じるのですが より高い基準が求められているので 厳しさを感じるのです。 過去の時代の方が 良かったと錯覚する人がいますが 今の時代の厳しさに 耐えられないので 過去の時代に未練を もってしまうのです。 今の成熟時代の厳しさを 悟ることによって 今の時代に求められる基準を 悟ることができます。 成熟を目指していた時代の厳しさと 成熟した環境での厳しさは違います。 マイナスをゼロにすることを 目指していた時代から ゼロからプラスを積み上げる 時代になったということです。 ゼロからプラスを 積み上げる時代なので 希望を感じることができるのですが これ以上、何を積み上げていけば いいのかが分からないことに 厳しさを感じるようになります。 ある意味、現実に満足しているので その現実を維持したくなるのですが 時代の流れは常に変化するので 維持することができなくなります。 安心安定、現状維持 無変化というのは 宇宙の法則、原理原則に 反することなのです。 変化を嫌う人が多いのですが ありとあらゆることは 変化し続けているので 変化することを避けることは 絶対にできないのです。 今の時代の厳しさは 加速的に変化していることであ
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【未来を今の感覚で見てはいけない】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは未来に向かって 歩んでいるのですが 今の感覚で見てはいけないのです。 今の感覚で未来を見てしまうと 悲観的に見えるのです。 これからより 加速的に変化していくので 今までの感覚では 歩めない時代になっていきます。 今まで当たり前に できていたことが できなくなるので 新しい感覚での歩みが 求められてきます。 いくら時代の恩恵が 大きくなったとしても 時代の恩恵に 合わせることができないと 恩恵が仇に 感じてしまうのです。 未来は今よりも 良くなっているのですが その良くなる基準というのは 私たちの感覚が基準ではありません。 本来の基準に 近づいていくので 良くなっていくのです。 時代の転換と共に 私たちも転換できるように なっていくのですが 転換ができるようになる努力は 自己責任なのです。 環境が転換させてくれるのではなく 努力することで転換ができるのです。 時代の恩恵というのは 環境が整うことであり 環境を活かすことで 成長することができ 転換することができます。 時代が進むことで より自由を求めるようになりますが 自由を感じるには 自己責任の全うが必要になります。 自己責任の全うといっても 今できることに 最善を尽くすことしか できないのですが 今の歩みが 未来に連結されていきます。 未来を今の感覚で 見てしまうのは 努力をしていないからです。 努力を積み重ねる 歩みをしていれば 未来を今の感覚では 見れなくなり 長期、超長期視点に なればなるほど 希望と可能性を 感じることができます。 自由に歩むしかない 時代になっていくので 自
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【自己責任を悟った境地】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人にも 自己責任があり 自己責任からは 逃れることはできません。 努力をするというのは 自己責任を全うすることであり 自己責任を全うすることで 成長欲求を満たすことができます。 ただ、自己責任を悟れないと 重荷に感じてしまうのです。 自分の努力は 自分でするしかないのですが 自己責任が重荷に感じてしまうと 身動きが取れなくなります。 自己責任を悟ることで 全うしようとする努力ができ 成長欲求が満たされるのです。 私たちの本心基準で 求めているのは 成長欲求なのです。 本質の時代になることで 本心基準で求めていることが 明確になっていき 本心基準の願いの通りに 歩めないと 空しさを感じてしまうのです。 環境的にも成熟しているので 内的に満たされることを 求めていくようになります。 努力をしなければ 自己責任を全うできないし 成長欲求が満たせません。 このことを悟れないと 努力することが できないのです。 自己責任の全うというのは 自分の努力をするだけなので 重荷でも何でもないのです。 ごく当たり前のことを 当たり前にすることなのですが 努力ができない したくない人が多いのです。 今までの時代の環境は 頑張る環境であって 努力ができる環境ではなかったのです。 頑張りと努力は 似たようなニュアンスなのですが 分けて考えることが必要なのです。 頑張りというのは その場その場の歩みになり 積み重ねることができないのです。 歩み自体の技能は 身につけられても 技能に上限があり ある程度までいくと それ以上は伸ばせなくなります。 大抵は時間を基準にして
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【成長と自己責任】

日常的スピリチュアル、安田です。 自分で自分を 成長させるのは 自己責任なのです。 なぜなら、成長は 自分で努力をしなければ できないからです。 他の人から 学ぶことはできても 自分で努力をしなければ 成長はできません。 自己責任というと 重荷に感じる人がいますが 全ての人に自己責任があり 自己責任からは 逃れることはできないのです。 自己責任の全うというのは 自己を成長させることであり 自己を成長させることで より大きな目的に 貢献できるようになるのです。 自分の努力は 自分でやるしかないのです。 他の人が代わりに 努力してくれることはないし 代わりにすることはできません。 自己責任を悟れないと 自分の努力ができなくなり 成長につながる歩みが できなくなります。 このことは 誰でも知っていることなのですが 自己責任がぼやかされてしまうと 自分の努力ができなくなってしまうのです。 自由な時代、環境になればなるほど より自己責任が問われてきます。 管理される時代でなく 自己管理をしていく時代になり 何もしなくても 誰も何も文句を言うことはありません。 自分で悟って 主体的に歩むことで 自己責任を全うし 成長ができるのです。 この世の生の目的は 成長することなのです。 成長するには 努力が必要なのですが 努力というのは 強制されることではありません。 自分で悟って 努力をしていくことで 精神的な成長ができるのです。 自己責任で 成長ができるということを 明確に悟らないと 努力することが できなくなります。 どんな環境であったとしても 努力することはできます。 不利な環境であったとし
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【目指すことが無いと歩めない時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 過去の時代は 目指すことがなくても 何となく歩めたのです。 漠然とでも成熟を目指していたので 良くなる方向に向かおうと 頑張ってきたのです。 成熟するためには 必要な時代であったのですが 成熟した今の時代では 次の段階を目指していかないと 歩めなくなるのです。 外的な環境が成熟したので 内的な成熟を求めるようになり 何を感じているのかを 基準にして歩む時代になっています。 今の時代には 明確な方向性が必要であり 目標設定が必要なのです。 その目標設定は 自分次元の目標ではなく より大きな目的を目指す 目標が必要なのです。 なぜなら、自分次元の目標では 歩む、努力する原動力が 弱くなるからなのです。 原動力というのは より大きなことを 目指していくことで 強化されていくのです。 漠然とでも 大きなことを目指すことで 原動力が強化されて 基準高く歩めるようになります。 成熟を目指す時代から 成熟した時代になったので 目指す方向を変えていかないと 歩めなくなるのです。 今の時代に 精神的に病む人が多いのは 過去の時代の延長線上で 歩んでいるからなのです。 何も目指すことがなく ただ黙々と同じことを 繰り返しているのです。 私たちには 自我があるので ただロボットのように 同じことだけを 繰り返しているだけでは 満たされないのです。 精神的に病むというのは 満たされていないからであり 本心基準で何かを 求めているからなのです。 内的に満たされていれば 自然に基準高く歩むことができ 良い影響を与えることができます。 内的に満たされるためには 努力が必要な
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【大ざっぱ教育の弊害】

日常的スピリチュアル、安田です。 教育というのは 効率よくしてはいけないのです。 教育のマニュアルは 必要なのですが ただマニュアルをこなすだけの 教育をしてしまうと 大ざっぱな教育になり 弊害になってしまうのです。 かといって 教えるプレッシャーを 感じる必要はないのですが 同じような教育であっても 常に投入する意識で歩むことで 効果的な教育ができます。 教育というのは 他の人にする教育と 自分自身の教育があり どちらも手を抜くことなく 最善を尽くすことが 必要なのです。 自分教育は 学ぶことなのですが 惰性的に学んだり 儀式的に学ぶのではなく 最善を尽くす学びを するということです。 学びというのは 積み重ねが必要であり 学び続けることで 転換することができ 悟りの境地に至れるのです。 自分教育に最善を尽くすことで 他の人の教育にも 最善を尽くすことができます。 とくに今の時代 これからの時代は 知識教育ではなく 悟り教育が求められるので 大ざっぱな教育では 通用しなくなります。 それこそ、個別に 丁寧に教育していくことで 効果的な教育ができるのです。 面倒に感じる面もありますが 教育は面倒をかければかけるほど 効果的な教育になるのです。 知っていることを 教えるだけの教育では これからの時代には 通用しなくなります。 悟れるように導ける 教育が求められてくるので 霊的な指導力が必要なのです。 受け身で学ぶ人が多いのは 大ざっぱな教育が原因でもあるのです。 教育を受けても 受けた気がしないような 教育を受けてきたので 主体的に学ぶことができず 受け身体質になっています。 こ
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【主体的に歩むことで、霊的突破ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の転換期は 混沌とするので 霊的に突破する 感覚が必要なのです。 混沌とする時期は 環境の影響を受けやすく 向かうべき方向や 目指す方向を 見失いやすくなります。 混沌とする原因は 霊的世界からの 影響でもあるのです。 混沌とする時期によって 生みの苦しみを感じるのですが その苦しみの先に 新しい何かが生まれます。 なので 霊的突破の感覚が 必要なのです。 混沌としている時期だからこそ 主体力の発揮ができるのです。 主体的に歩むことで 霊的に突破していることを 感じることができます。 霊的突破といっても 霊的に何かが見える 聞こえる、感じる必要はなく 霊的に鈍感でも 主体的に歩めれば 突破することができます。 自分から主体的に歩むことで 勢い的に歩むことができ 突破感覚で歩めるのです。 主体的に歩むことは 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動をするということです。 努力というのは 受け身で待っていては できないのです。 自分からやらなければ 努力することはできません。 努力というのは 勝手に決めて 勝手にやることなのです。 他の誰かから 許可をもらう必要はないのです。 同じ目的に向かって 一致団結するには ピラミッド型の組織が 必要なのですが 今の時代は調和された 組織が求められています。 ピラミッド型と円型が 調和されていくことで 理想的な組織ができるのです。 理想的な組織をつくるには 調和された一人一人が必要なのです。 調和された個人は 主体的に歩み、努力をして 成長欲求が満たされた 状態のことをいいます。 主体的に歩
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【努力ができないことが最大のネック】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんなことをするにしても 何をするにしても 努力が必要なのです。 努力をしないで、続けないで 出来たことは何もありません。 私たちにとっての 最大のネックになっているのは 何かを知らない 何かができないことではなく 努力ができない 続けられないことが ネックになっています。 ネックというと 難しく感じる人もいますが 目の前に、足元に ネックがあるのです。 あまりにも近すぎて ネックが見えなくなり 分からなくなることがあります。 私たちは 当たり前のことは 知っているのです。 知っているのですが 悟っていないので 当たり前のことが できなくなってしまうのです。 悟りの境地というと 神秘的なことで 膨大なことのようなのですが 目の前の当たり前のことを 悟ることなのです。 実際、神秘的な体験をしても 現実に活かせなければ意味がないし 膨大なことを悟っても 現実の歩みと関係なければ 意味がないのです。 現実を悟ることで ネックを悟ることができ 悟った通りの歩みが できるようになります。 ただ、現実を悟ることが 最も厳しいのです。 悟ったが故に 後戻りができなくなり 前に進むことしかできなくなり 基準高く歩むことしか できなくなってしまうのです。 現実の環境の基準との ギャップに苦しくなり より葛藤するのです。 悟りの境地というと 穏やかな境地のような 印象がありますが 悟ったが故に苦しくなり より葛藤するようになります。 それでも、悟りの境地を 求めないといけないのは 悟らないと使命を全うする ことができないからです。 使命というのは 理屈だけで知って
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【日常の中で成長ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 日常の歩みの積み重ねによって 成長ができるのですが 日常の環境は流されやすいのです。 成長には積み重ねが必要であり 何かを一気にやっても 一気に成長はできないのです。 どんな人の環境でも 流されやすい環境であり いくらでも妥協できるし 妥協しても 誰も何も文句を言いません。 努力の積み重ねは 日常の中でしか できないのです。 そして、努力は 一人一人の自己責任であり その自己責任には誰も 干渉することはありません。 日常の中で成長するには 感情を流さない意識が必要なのです。 感情を流してしまうと 気が抜けたような感覚になり 集中できなくなり 投入できなくなります。 一人で歩んでいれば 感情を流しようがないのですが 他の誰かといたり 歩んだりしていると 感情を流しやすくなります。 感情が流されている感覚は 誰でも分かる感覚なのですが 流されている自覚がないと どこまでも流されてしまうのです。 常に気を張る歩みはできないのですが 感情を流すのであれば やるべきことをやってから 流していけばいいのです。 心理的なバランスも必要なので 常に気を張らないことも必要です。 私たちの歩みを妨げるのは 環境ではなく、感情なのです。 環境の制限があったとしても 与えられた環境の中で 最善を尽くせばいいのですが 感情の不安定さによって 努力ができなくなるのです。 できること やるべきことが できなくなるのは 感情の問題なのです。 感情の不安定さは どうにもできないのですが どんな感情であっても やるべきことが できていればいいのです。 常にヤル気があって モチベー
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【悟ったことを活かせる時期】

日常的スピリチュアル、安田です。 悟ったことを活かせる時期は 人それぞれで違います。 すぐに活かせる人もいれば 活かせる時期が来るのに 時間がかかることもあります。 場合によっては 活かせないまま この世の生涯を 終える人もいます。 となると 悟ったことが 無駄になるようですが 無駄にはなりません。 悟ったことを、自分の代で 活かせるか、活かせないかは どちらでもいいことなのです。 悟ったことを 活かせる時期が来るまでは ひたすら準備していけばいいのです。 今の時代は 悟ったことを活かせなくても 残すことができます。 そして、情報発信では 活かすことができているのです。 今の時代は悟ったことが 価値視されるのです。 学んだことを そのまま教えるのではなく 悟ったことを教えることで 悟りの価値を 拡大させることができます。 悟りの価値を拡大させる 好循環ができれば 本来の基準、究極の理想にまで 到達することができるのです。 悟ったことを 活かすことよりも 悟ったことを 教育することを 意識してください。 情報発信をすることで 教育ができる時代なので 教育を拡大させることができます。 現代人が求めているのは マニュアル的な教育ではなく 「悟り教育」なのです。 学んだことを 覚える教育ではなく 学びを通して 悟りたいのです。 なぜなら 答えがない時代なので 自分で悟って 答えを見い出す しかないからです。 良い意味で、誰にも頼れないので 自分で悟るしかないのです。 悟ったことというのは 実行ができるのです。 活かすことができなくても 実行することができるのです。 知っていても 実行が
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【葛藤の基準を上げる】

日常的スピリチュアル、安田です。 成長して心霊基準が上がることで より葛藤するようになります。 成長することで 葛藤の基準が上がり さらに成長ができるように 導かれていくのです。 葛藤の基準を 上げるというのは 努力をするか しないかの基準ではなく 歩む基準の低さに葛藤する ということです。 努力をするのは 当たり前のことであり 努力をしながら 歩める基準の低さに 葛藤することで 基準高く歩むことを 目指すことができるのです。 成長欲求が満たされると 基準高く歩みたくなるのですが 現実の環境の中で 基準高く歩むこと 歩み続けることは 簡単ではないのです。 なぜなら 現実の環境は 流されやすいし ありとあらゆる方面からの 誘惑が多いからです。 基準高く歩まなくても 誰も何も文句を言わないし むしろ、基準高く歩んでいると 「そこまでしなくてもいいのでは・・・」 という、妥協の誘惑もあるのです。 私たちの歩みの土台は 日常の歩みが土台になります。 日常の歩みの積み重ねが 土台になっていくのです。 その土台ができていない状態で 表面的に何かをやろうとしても 限界があるのです。 今の時代に必要なのは 「あり方の土台」なのです。 あり方の土台は 一朝一夕でつくれるのではなく 毎日の積み重ねの努力によって つくられていくのです。 どんな人でも 地道な努力の 積み重ねによってでしか あり方の土台を つくることはできません。 基準高く歩むといっても 少しずつ基準を上げていかないと 挫折してしまうのです。 どんなことでも 3週間続けることで 習慣にすることができ 3ヶ月続けることで 体質にすること
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【結果に左右されないで投入し続ける】

日常的スピリチュアル、安田です。 結果というのは コントロールができないので 結果に左右されてはいけないのです。 誰でも努力をしたのであれば 結果を出したいのですが 結果には結果の都合があり 良くも悪くも 予想通りにはいかないのです。 私たちにできることは 結果が出ても、出なくても 変わらないで投入し続ける ことなのです。 結果を出してしまうと 安心してしまい 投入することが できなくなって しまう人がいますが 自分次元の結果に 満足をしてはいけないのです。 ある意味 結果が出ていないときは 必死になることができるのですが 結果が出てしまうと 気が抜けてしまい 投入することが できなくなってしまうのです。 私たちは、常に高い基準を 目指していくべきなのです。 自分次元では満足ができる 結果を出せたとしても より大きなことを目指し 続けていくべきなのです。 なので、目標設定は 大きくした方がいいのです。 より大きなことを 目指していくことで 自分次元では満足できる結果を 出すことができても さらに高い基準を 目指すことができるのです。 結果というのは いつ、どのように 実るのかは分からないのです。 分からないことは 考えなくてもいいのです。 現実的には 今できることに最善を尽くし 投入していくことしか できないのです。 現実的にできることというのは 導かれて出来るようになっています。 自分で勝手に 意図的に決めたことでも 導かれなければできないのです。 いくらやりたいことでも 導かれなければできないし やりたくないことでも 導かれてやらざるを得ない こともあるのです。 導きによっ
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【時間をかけて転換する】

日常的スピリチュアル、安田です。 時間をかけたことというのは 根強くすることができるので ブレなくなるのです。 転換には時間がかかり 時間をかけて転換しないと 同じようなことを 繰り返してしまうのです。 転換することに対しての 時間の投資は 惜しまないでください。 一気に転換しようとしないで 時間をかけることに 焦らないでください。 転換に時間がかかるのは 私たちは先祖代々の内容 歴史的な内容を 背負っているからなのです。 自分の思いのようで 自分の思いではないので 我知らず湧き上がってくる 思いがあるのです。 私たちの転換というのは 単に一個人次元の転換ではなく 歴史をかけた転換であるので 簡単ではないのです。 一気に転換されたフリをしても 一気に戻ってしまいます。 転換されたフリをしても 疲れるだけであるので 転換されていないことを 受け入れてください。 転換するためには 基本的な努力に 最善を尽くすことが 必要なのです。 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動をルーティンにして とにかく続けることで 転換されてくるのです。 転換は徐々になされて 気がついたら 転換されている場合と ある一点から 一気に転換される こともあります。 直感、啓示的に 転換されることもあるので 全く転換されていないように 感じたとしても 焦らなくていいのです。 そして、他の人 周りの人とは 比べないでください。 同じように歩んでいても 基準高く歩んでいても 背負っている背景が違うので 人それぞれで転換の時期は 異なっているのです。 どう異なっているのかは 分かりようがないので 考えなくていいのです。
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【何もしない真空時間をつくる】

日常的スピリチュアル、安田です。 真空をつくれば 自然に埋まるようになります。 真空をつくるには 投入する歩みをするか 何もしないことで 真空ができるのです。 投入するときは 全ての力を出し切り 何もしないときは 瞑想をして 何もできない状態に するということです。 この極端な歩みをすることで 真空状態をつくることができ 自然に埋まるようになります。 現代人は投入する歩みはできても 何もしないことができない人が 多いのです。 常に何かに追われていて 何かをしていないと 落ち着かないのです。 新しい創造をする 歩みをするには 何もしない真空時間を 意図的につくることが必要なのです。 瞑想というのは 表面的に見たら 何も生み出さないのですが 瞑想をすることは 努力なのです。 瞑想の時間によって 真空をつくることができ 無目的の散歩をすることで 真空をつくることができます。 私たちの歩みは 真空をつくることだけを 意識していけばいいのです。 真空がいつ、どのように 埋まるのかは分からないのですが 常に真空をつくることだけを 意識していけばいいのです。 そして、真空をつくることで 霊力を強化させることができ 霊性教育にもなるのです。 霊力を強化させることで 環境、状況に振り回されないで 自分の軸で歩むことができます。 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動というのは 霊力強化の努力でもあるのです。 霊力が弱い人が多いので 霊的に振り回されてしまい 自分軸で歩めなくなってしまうのです。 これからより 霊力強化が必要になります。 環境が大きく変化するので その変化に振り回さ
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【必要ない心配を求めない】

日常的スピリチュアル、安田です。 より大きな目的を 意識することは 必要なのですが 必要ない心配は してはいけないのです。 必要ない心配というのは コントロールができないこと どうすることもできないことをいいます。 心配というのは 心理的に窮屈になり 視野が狭くなってしまい 目の前のことが 大きくなってしまい 何もできる気が しなくなってしまうのです。 私たちの無意識は 必要ない心配を 求めてしまうのです。 無意識に心配を求めて 無意識に背負ってしまい 身動きが取れなくなっています。 無意識というのは 自覚がないことをいい 自覚がないので 繰り返し求め続けてしまうのです。 必要ない心配を求めることで 目の前のことに集中できなくなり 投入することができなくなります。 無意識に心配を 求めてしまうのは 心配したいから 求めてしまうのです。 他の人、周りの人 環境というのは 影響を与えることができても コントロールはできません。 影響を与えることができても コントロールをしようとしては いけないのです。 全ての人に自己責任があるので その自己責任に対しては 干渉してはいけないのです。 とくに混沌としている時期は 切りが無く心配することができ 心配ばかりをすることで 身動きが取れなくなります。 心配することを 手放すことができなくても 最善を尽くしていれば 何の問題もないのですが 心配することで 何もできなくなると 心配のドツボに 嵌ってしまうのです。 無意識に心配してしまう人は 最善を尽くす歩みができているかを チェックしてください。 完全完璧ではなくても 自分ができることが できて
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【運勢の時を待つ姿勢】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢というのは 時が満ちることで 変化したり 導かれていきます。 時というのは コントロールができないので 最善を尽くしながら 待つしかないのです。 時は色々な観点から 一致していくことで 変化したり 導かれていくのです。 時が満ちていても 努力をしてこなかったら その時を活かすことは できないのです。 逆に、どんなに最善を尽くしても 時が満ちていなければ 導かれていかないのです。 私たちにできることは いつ時が来てもいいように 準備をしておくことなのです。 常に努力をして 最善を尽くしているのであれば 準備だけはできているので あとは時を待てばいいのです。 結果が実らないと 努力を続けることができないというのは 運勢の時を理解していないからです。 どんなに最善を尽くしても 時が満ちなければ 導かれていかないのです。 表面的なことだけを 基準にしてしまうと 努力が無意味に感じてしまい 続けることができなくなります。 他の人の評価というのは 表面的なことを基準にするのですが 自己評価というのは 努力を続けていることを 基準にすることができます。 努力というのは 他の人にアピールすることではなく 誰にも知られないようにすることなのです。 誰にも知られないことで 自分しか分からない体験が できるのです。 最善を尽くしているかどうかは 自分で分かることなのです。 人それぞれで 限界基準が違うので 何が最善かというのは 自分で悟るしかないのです。 いくら他の人よりも 基準高く歩んでいても 余裕で歩んでいれば 限界ではないということです。 なので 最善を尽
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【小さなことをおろそかにしない】

日常的スピリチュアル、安田です。 小さなことだと 軽んじてしまい おろそかになりやすいのです。 大きなこと 難しく感じることは 真剣になることが できるのですが 小さなことだと 気が抜けてしまい 真剣になれなく なってしまうのです。 小さいことだからこそ 真剣にやる意識が必要なのです。 小さなことに投入することで 大きなことに連結されていくのです。 実際、私たちの歩みというのは 膨大な宇宙の観点から見たら ほんのごく小さなことしか できていないのです。 どんなに最善を尽くして 投入したとしても ほんのわずかなことしか できていないのです。 時間、空間の制限があるので 小さなことしかできないのですが その小さなことが 全てに連結されているのです。 全てに連結されているので どんな小さな歩みでも 軽んじてはいけないのです。 小さな歩みに投入することで より濃く、深く投入することができ 次の段階に進むことができるのです。 全ての環境は 与えられている環境であり その環境の中で 最善を尽くすことが 使命の全うになるのです。 使命というのは どこか遠くにあるのではなく 今の環境の目の前にあります。 今の使命を全うしていくことで 次の使命が与えられるのです。 今の使命を軽んじている人には 次の使命を任せることは できないのです。 使命は、生涯 変わらないこともありますが 時と場合によって変わることもあります。 人によって 与えられる使命が違うので 自分で悟るしかないのです。 一つのことだけを 生涯続ける使命がある人もいれば 多くの経験、体験をして 多くのことを全うする 使命がある人もいます
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【地道に歩むことを決める軸】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんなことを学んで 知っていることが 増えたとしても 結論的には 地道に歩むしかないのです。 今できることに 最善を尽くすことが 地道に歩むことであり 地道に歩み続けることでしか 道は開かれていかないのです。 地道に歩み続けるには 地道に歩むことを 決めることが必要なのです。 地道に歩んでいると ありとあらゆる方向から 誘惑があります。 「楽に、簡単に、すぐに」という 誘惑ばかりが目に付くようになり 地道に歩めないようにズラしてくるのです。 地道に歩み続けるためには 地道に歩むことを決める 軸が必要なのです。 その軸が 「自分軸」なのです。 自分の軸を確立することで どんな誘惑が来ても 「自分には関係ない」と 断ち切ることができるのです。 そして、地道に歩むことが 最も近道であることを 悟ることができるのです。 私たちは 効率的に歩むことは できるのですが 「楽に、簡単に、すぐに」という 法則、原則に合わない歩みは できないのです。 最小の努力で 最大の結果を得るというのは 原理原則ではないのです。 地道な歩みを続けていくことが 最も原則的な歩みであり 建設的な歩みなのです。 どんなに時代が進んでも 人の努力は必要なのです。 テクノロジーによって 効率的に歩めるようになりますが 効率的に歩めるが故に より努力が必要なのです。 なぜなら より高度なことが 求められてくるからです。 高度なことが 求められてくるので 高い基準での努力が 求められてきます。 どんな人にも 手を抜きたい 楽をしたい サボりたいという 怠け心があります。 そして 面倒に感
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【運勢のバイオリズムに振り回されない】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人でも 運勢のバイオリズムがあります。 運勢が上がる時期もあれば 下がる時期もあるのです。 上がったら下がるというのは 宇宙の法則でもあるので 避けることができないのです。 例えば、山に登ったのであれば 必ず下山しないといけないのです。 登ったままでは 遭難してしまうので 下山しないといけないのです。 運勢も上がりっぱなしというのは 逆に良くないのです。 上がったら下りてこないと 運勢の遭難をしてしまうのです。 誰でも良い状態だけを 願ってしまうのですが 良くない状態になる時期は 誰にでもあるのです。 「運が悪い」となると 落ち込むように 捉えてしまうので 良くない状態 充電時期と捉えることで 運勢のバイオリズムに合わせる歩みが できるようになります。 バイオリズムに合わせるというのは 良い時期は徹底的に伸ばしていき 良くない時期はおとなしく最善を 尽くすということです。 運勢のバイオリズムに 振り回されてしまうと 良い時期はよいのですが 良くない時期になると 必要以上に落ち込んだり ネガティブになってしまうのです。 運勢が良い時期は 誰でも歩みやすいのですが 運勢が良くない時期に どう歩むかなのです。 充電時期に しっかり充電をしておかないと 良くなった時期に 勢いよく歩めなくなってしまうのです。 運というのは 勢いでもあるので 良い時期は 勢いよく歩んで 飛躍できるところまで 徹底的に伸ばしていく 時期でもあるのです。 運勢が良い時期に 安心して手を抜いてしまうと 良い時期の使命を 全うすることが できなくなります。 自分の運勢を 自
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【使命と運勢の強さは正比例する】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命が大きい人は 運勢が強いのです。 運勢が強いので 大きな使命を 全うすることが できるのですが 大きな使命を全うするために 与えられる試練も大きいのです。 なので 使命と試練と運勢は 正比例しているのです。 運勢が強いが故に 試練も大きいし 使命も大きいのです。 「何でこんなことを  経験しないといけないんだ」と 納得がいかないことが 与えられるのは 運勢が強いからなのです。 世の中は 見えない導きの中で バランスが保たれているのです。 そのバランスの保ちは 私たちではどうすることも できないのです。 運勢の良し悪しも 私たちが選んだ覚えはないし そうなりたくて なったのではないのです。 私たちの歩みというのは 与えられた運勢の中で どう歩むかなのです。 運勢が強くても 努力をしなければ 何事も成すことは できないのです。 運勢が強いが故に 抑えられることがあり 自己責任の全うが 大変なときがありますが どんな環境であっても 最善を尽くしていくしかないのです。 運勢が良いから、強いから 努力をしなくてもいいという ことはないのです。 使命が大きいので より努力が必要なのです。 運勢の強さを感じている人は より大きな目的のために歩む 使命があります。 自分の運勢の強さを 自分次元に留めては いけないのです。 運勢の強さは 自慢することではなく より大きな目的に 貢献するために 与えられています。 何を基準にして 運勢が強いかどうかが 分かるというよりは 与えられた環境の中で 使命を悟ることで 運勢の強さが感じられるのです。 全てはバランスが
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【ハマることで自信が感じられる】

日常的スピリチュアル、安田です。 ハマることができることには 集中することができ 没頭することができます。 集中、没頭というのは 義務、強制ではなく 好きなこと、やりたいことに ハマることでもあるのです。 ハマることは 何でもいいのですが 一つのことにハマることで 自信が感じられるのです。 今の時代は やれることが 無数にあるので 一つのことに 絞るのが大変なのです。 やりたいことが多くある人は 絞り切れなくなってしまい どれも中途半端になりやすいのです。 やりたいことが分からない人は 何を選んだらいいのかが 分からなくて悩んでいるのです。 やりたいことが 分からない場合は ちょっとでも 興味関心があることを やってみるしかないのです。 やってみて 続けられそうもなければ やめればいいのです。 自分が何にハマれるのかは 実際にやってみなければ 分からないのです。 やってみることで ハマれるかどうかを 感じることができるのです。 どんなに多くの分野が できたとしても 一人の人がハマれることには 限度があるのです。 時代が進むことで 新しい分野が生まれてきますが 新しい分野にハマれる人もいれば 既存の分野にハマり続ける人もいます。 時代の変化に合わせることは 必要なのですが 新しい分野と既存の分野の 融合感覚が必要なのです。 簡単に言えば 「伝統とトレンドの調和」 ということです。 何にハマれるのかは 人それぞれで違うのです。 既存の分野にハマれる人もいれば 新しい分野にハマれる人もいます。 あるいは、ハマれる分野が まだ出てきていない場合もあるのです。 今の時代は ハマれることが
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【自分次元で運勢を決めない】

日常的スピリチュアル、安田です。 何が運が良いのか 悪いのかは 自分次元で 勝手に運勢を決めては いけないのです。 多くの人は 表面的なことだけで 運が良いか、悪いかを 判断してしまうのですが 表面的なことというのは 単なる出来事にすぎないのです。 出来事には 決着をつける 必要はないのです。 自分次元で 勝手に運勢を決めてしまうと 出来事の本質を見ることが できなくなってしまうのです。 どんなことにも プラス面とマイナス面があり メリットとデメリットがあります。 プラスだけ メリットだけを 得たいのですが それではバランスを 崩してしまうのです。 どんなに運勢が強そうな人でも プラスだけ、メリットだけを 得ることはできません。 運勢は全ての人に 平等に与えられています。 表面的には不平等に 見えるのですが トータル的には 平等なのです。 与えられている環境が 不利な人もいれば 有利な人もいます。 不利、有利というのは 表面的なことであって 環境を活かしていければ 不利を有利にすることができ 環境を活かせなければ 有利が不利になることもあります。 どんな環境であったとしても 活かすことができれば 有利にすることができ 活かす工夫ができることで 成長することができるのです。 成長の観点から見たら 厳しい環境ほど 恵まれているということです。 自分から厳しい環境に 追い込むことは簡単ではないので 与えられているということです。 基本的には 誰でも運勢が良いのです。 自分で勝手に 「自分は運が良い」と 思い込むことができれば 表面的な現象に 振り回されないで 歩むことができるのです。
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【流されない意識】

日常的スピリチュアル、安田です。 日常の歩みは 流されやすいのですが 流されない歩みをするには 流されない意識が必要なのです。 完全完璧の歩みは できないにしても 最善を尽くす歩みが できていればいいのです。 流されるというのは 惰性的になったり マンネリ化したり 感情が流されることで 気力が奪われることをいいます。 日常の歩みが 流されてしまうと 歯止めが利かなくなるのです。 どこまでも 流されてしまい 最善を尽くせないだけでなく 基準が下がってしまうのです。 私たちは 日常の歩みの中で 成長ができるのです。 一定期間の空間 一時的な環境の中では 成長はできません。 現実の環境の中で 最善を尽くすことで 成長ができるのです。 なので 日常の歩みが 流されるというのは 成長ができなくなるので 深刻なことでもあるのです。 「これが現実だから仕方がない」と 諦めてはいけないのです。 私たちの歩みは 成長するために必要なのです。 成長というのは どのような環境でもできます。 厳しい環境であっても 恵まれた環境であっても 成長はできるのです。 厳しい環境の中で 否応なしに 追い込まれることで 成長ができるし 恵まれた環境の中で 満たすだけ満たされることで 空しさを感じることで 自分で自分を追い込むことで 成長ができるのです。 環境というのは 与えられています。 自分で意図的に決めた 環境であっても 導かれなければ 今の環境はないのです。 今の環境は必要なので 与えられているのです。 納得がいかなくても 導かれて与えられています。 必要な環境というのは 成長に必要な環境ということです。
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【今できることを見失わない】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは 今できることしか できないのです。 今できることに 最善を尽くすことしか できません。 なので、今できることを 見失ってはいけないのです。 今できることというのは 今の瞬間にできることをいいます。 私たちは瞬間瞬間を 歩んでいるので 今の瞬間を見失っては いけないのです。 常に今の瞬間に 気を張る必要はありませんが 流されない意識は必要なのです。 今の瞬間が 流されてしまうと どこまでも流されてしまうので 流されていることを 止めていかないといけないのです。 今の瞬間を 意図的に意識して 今できることに 最善を尽くすことで 着実な歩みを 積み重ねることが できるようになります。 今の瞬間を 見失わないためには 批判情報に惑わされないで 必要ない情報を入れない意識が 必要になります。 どうでもいい情報ばかりを 入れてしまうと 情報に振り回されてしまい 今の瞬間を見失ってしまうのです。 今できることと 関係ない情報は できる限り避けてください。 とくに混沌としている時期は 情報に振り回されやすくなります。 現実の環境の中で 必要な情報だけを 入れるというのは ほぼ不可能なのですが 自分の軸を基準にして 良く感じられることを 信じるようにしてください。 私たちには 全ての情報を知ることは 絶対にできません。 情報は増え続けているので 知ることができるのは ほんのごく一部のことだけなのです。 今の時代に 多くのことを 知っていることには 何の価値もありません。 知っていることを 活かせていることに 価値があるのです。 知っていることを 活かし
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【混沌さによって、バランスが取れる】

日常的スピリチュアル、安田です。 混沌としている時期は 身動きが取れなかったり 息苦しさを感じるのですが 混沌さによって、調整されて バランスが取れているのです。 混沌さの規模が 大きければ大きいほど 影響を受けてしまい より混沌とするのですが その混沌さによって 生み変えられるのです。 混沌さというのは 生みの苦しみでもあるのです。 新しいものを 生み出すためには 古いものを壊すことが 必要なのです。 生み変えられるには 混沌さが必要なのです。 混沌さによって 感じたくない感情を 感じることもありますが 生み変えられるためには 必要なことなのです。 時代が転換する時期は 混沌とするのです。 混沌とする時期は 最善を尽くして じっと耐えるしかないのです。 じっと耐えることで 心理的なバランスが取れてきます。 誰でも感じたくない感情は 感じたくないのです。 ですが、現実的には 避けることはできません。 外からの刺激によって 感じることがあるし 内から湧き上がってくる 感情もあります。 感情の不安定さというのは 居心地が悪いのですが 同じ感情を 保っていくことは できないのです。 感情の不安定さに 悩んでいる人もいますが どんな人でも 感情は不安定なのです。 自分が感じていることしか 認識できないので 自分の感情だけが 不安定だと思いがちですが どんな人でも 感情は不安定なのです。 不安定さというのは 悪いことではありません。 悪い思いが 湧き上がってきたとしても 悪いと決めないでください。 かといって 良いと決めることはできないので 何も決めないということです。 外からの刺激で
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【唯一無二を守る】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人でも 唯一無二の存在なので 他の人と比べては いけないのです。 他の人と比べることは 宇宙の法則に反することなのです。 時代の恩恵によって 人権が守られ 貴重視されることで 唯一無二ということが 明確になっていきます。 個性というのは 唯一無二の個性を 持っているということなのです。 私たちは、他の誰かに なることはできないのです。 真似することは できたとしても 完全コピーは できないのです。 自分は自分にしか なれないことを 悟ることで 無駄に他の人と比べなくて 済むのです。 人のトータル的な 能力には大差がないので どんな人でも 可能性があるのです。 ただ、可能性はあるのですが 環境、状況の差があり 背負っている背景の違いがあるので どうしても不利 有利という差が できてしまうのです。 不利、有利という 基準はないので 捉え方、考え方によって 不利を有利にすることは できるのです。 私たちは 与えられた環境の中で 歩むしかないのです。 環境というのは 意図的に決めたことでも 導かれることで 与えられるのです。 私たちの個性が 唯一無二であるように 与えられている環境も 唯一無二なのです。 唯一無二の環境なので 他の人と比べても 意味がないのです。 現実的には 与えられた環境の中で 最善を尽くすことしか できないのですが 最善というのは 今できることに 投入するということです。 他の人と比べてしまうと 今できることを 見失ってしまうのです。 今できることを 見失ってしまうと 投入する歩みが できなくなってしまうのです。 唯一無二を守
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【体験から学び、活かしていく方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 体験ができたことは 活かすことができるのです。 体験を活かしていくには 体験から学ぶことが 必要なのですが 体験から学ぶというのは 体験を言語化して 体験をコンテンツにする ということです。 今の時代に必要なのは 活かす思考なのです。 自由な発想ができる時代なので 何でも活かすことで 創造力の発揮ができるのです。 今までの時代は 答えが一つしかないように 教育されてきたのですが 答えは無数にあり 答えを探すのではなく 見い出していく 時代になったのです。 答えが一つしかないとなると 非常に窮屈になります。 答えが無数にあれば いくらでも答えを見い出せる 可能性が広がっていくのです。 できた体験というのは 良くも悪くも導かれることで できたのです。 教訓的な体験もありますが そうならざるを得ない 体験もあるのです。 教訓的な体験というのは 責任を全うできないことで 体験したことであり そうならざるを得ない 体験というのは コントロールができない 体験のことをいいます。 いわば、必然的な体験として 与えられるのです。 どちらの体験でも 導かれることで 体験ができたということです。 教訓的な体験でも 一つの要素だけが 原因ではないのです。 責任を果たせないことで 体験する人もいれば 責任を果たさなくても 体験をしない人もいます。 なので、どんな体験でも 与えられているということです。 その与えられたことを 活かしていくには 与えられたことから 学ぶことが必要なのです。 学びというのは 言語化することであり 言語化することで 活かすことが できるのです
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【上手くいくことよりも使命を優先する】

日常的スピリチュアル、安田です。 物事が上手くいくこと 導かれることは 誰でも願っていることなのですが 上手くいくこと 導かれることよりも 使命を優先するべきなのです。 使命というのは 建設だけではありません。 穴埋めをする使命も あるということです。 穴埋めと言っても 現実的には分からないので ただ忍耐をしながら 努力を続けていくしかないのです。 努力をしても 最善を尽くしても 上手くいかない 導かれないことがあります。 霊的に敏感な人は 何かが邪魔をしていて 突破できない何かがあると 感じることができるのですが 現実的には 把握することは できないのです。 使命の観点から見たら 上手くいくかどうか 導かれるかどうか 願いが叶うかどうかは どうでもいいことなのです。 特に個人次元のことというのは 視野が非常に狭いので どうでもいいことなのです。 より大きな目的のために 歩んでいくのが 全体目的なのですが 全体目的を実現するために 穴埋めを担当する人もいます。 建設を担当したくても 否応なしに、穴埋めを 担当することもあるのです。 誰かが穴埋めをしなければ 建設する人の使命を 全うすることができなくなります。 私たちは 集合的無意識で つながっているので 全体目的を実現するために 使命を分担させられています。 穴埋めの使命が 与えられても 腐ってはいけないし 建設の使命が与えられても 傲慢になってはいけないのです。 穴埋めの使命が与えられても 建設していく意識で歩むことが 必要なのです。 建設であるか 穴埋めであるかは 結果でしか判断できないのです。 結果を出せば 認められるし
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【自分にしかできないことを見つける】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命というのは その人にしかできないことであり 使命を悟ることで 自分にしかできないことを 見つけることができます。 「自分にしかできないこと」というと 何であるのかが分からないのですが 人それぞれで 経験してきたこと 体験してきたことが違うので 自分にしかできないことは すでにやってきているのです。 すでにやってきたことを 土台にしていくことで 今の自分にできることを 見つけることができるのです。 使命というのは できることなのです。 あるいは これからできるように なることが使命なのです。 他の人ができて 自分にはできないことは 使命ではないし 逆に他の人にはできなくて 自分にできることは使命なのです。 「使命を悟る」というと 難しく考えてしまう人がいますが どんな人でも 使命は悟れるのです。 とくに今の転換時代は 使命の通りに歩むことが 求められているので 使命を悟れるようになっています。 今は多くの人が 何となく、訳もなく 空しさを感じていますが 使命が悟れていないのと 使命の通りに歩めていないので 空しさを感じるのです。 感じる境地で 教えてくれているのですが 感じる境地を 無視しているのです。 その無視も いずれ限界になり 無視することが できなくなり 使命を悟るしかない境地に 至ることができます。 気持ち的には 早く使命を悟って 迷うことなく 使命を全うするために 歩みたいのですが 悟れる時期は 人それぞれで違います。 悟るために 必要な体験、経験が 与えられるのです。 なので 使命を悟れないことに 焦らなくてもいいのです。 使命
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【与えられた環境の中で最善を尽くす】

日常的スピリチュアル、安田です。 環境というのは 良くも悪くも 与えられることなのです。 自分で意図的に 選んだ環境であっても 与えられた環境なので 選ぶことができたのです。 私たちができることは 与えられた環境の中で 最善を尽くすことしかできません。 つまり できことしか できないのです。 どんなにもがいても できないことはできないので 与えられた環境の中で 最善を尽くすことしか できないのです。 環境は与えられている という観点から見ることで 与えられた環境の中で 使命を悟ることができるのです。 使命というのは 長期視点での使命と 今の目の前の使命があります。 今の目の前の使命を 全うしていくことで 長期視点での使命に 連結されていくのです。 今与えられている環境での使命を 全うしていくことで 次の使命が 与えられるのです。 与えられる環境 使命というのは 成長段階によって 変化していきます。 環境が変わらないというのは 与えられた使命が全うできていないか 大きな使命を 全うするための 途中過程かの どちらかになりますが 最善を尽くせていれば 環境が変わらないことに 焦る必要はありません。 最善を尽くせているかどうかは 誰かが判断するのではなく 自分で判断するのです。 最善を尽くせていれば 完全完璧の歩みはできないにしても 何の負債もないのです。 ただ、霊的世界には バレてしまっています。 この世の人のように 文句を言うことは ありませんが どのような基準で 歩んでいるのかが バレているのです。 手を抜いているのか 楽をしているのか サボっているのかが バレているのです。
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【自信を求めない】

日常的スピリチュアル、安田です。 自信が無い 感じられない人は 無理に自信を 求めなくてもいいのです。 多くの人は 「自信を持たないといけない」と 自信に縛られているのです。 自信があるか 無いかが問題なのではなく やるべきことが できているかが問題なのです。 自信があっても 最善を尽くせていなければ 自信がある意味がないのです。 自信が無くても 最善を尽くしていれば 何の問題もありません。 自信に縛られてしまうと やるべきことを 見失ってしまうのです。 自信というのは 努力をしていくことで 自然に感じられるようになるので 努力することを 優先してください。 自信を感じてから 努力をするのではなく 努力することで 自信を感じることができるのです。 自信というのは、他の誰かに アピールすることではなく 勝手に感じることなのです。 自信が無さそうにしていると 勝手に励ましてくる人がいますが 自信が無いので 励ましてくるのです。 本当に自信を感じている人は 他の人の自信には 興味関心がないので 無駄に励ますことはしないのです。 自信が無い 感じられないのであれば 人一倍の努力が できるのです。 誰よりも学んで 誰よりも実行して 誰よりも瞑想 運動をすることで 人一倍の努力が できるようになるのです。 多くの人は 自信を持つこと、感じることに 過剰に評価しすぎています。 「自信があれば、何も失敗しない」と 思い込んでいる人もいますが 自信があっても 技能が無ければ 失敗するのです。 自信があれば 何でもできるようになると 錯覚しているのです。 なので、まず自信を 持とうとするのですが
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【高い霊的世界の基準に合わせる時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の恩恵によって 霊的世界が整理されています。 そして、霊的世界は この世よりも進んでいるのです。 その進んでいる 霊的世界に合わせることが できるようになれば 高い基準で歩むことが できるようになります。 高い基準というのは 模範を示すということです。 模範というのは 現実的な努力なのですが 相続できる努力を していくことをいいます。 人それぞれで 学ぶべきこと 実行するべきことが 違うので 何を学ぶのか 何を実行するのかよりも どう努力をしていくかを 相続することを意識してください。 霊的世界の基準に 合わせる時代というのは 魂を基準にする時代 ということです。 その魂の基準は 私たちの良心基準であるので 非常に高い基準なのです。 高い基準の歩みというのは 今の基準の中で 最善を尽くしていけばいいのです。 他の人、周りの人の 基準と比べるのではなく 今の自分の基準の中で 最善を尽くせていればいいのです。 霊的世界からの 協助というのは 今の自分の基準に合った 協助が成されていきます。 何となく高望みを していきたいのですが 霊的世界からは 私たちの基準が分かるので その基準に合った 霊人が協助してきます。 この世の私たちの 基準が低いと 基準が低い霊人が 引き寄せられて 足を引っ張るのです。 厄介なのは 基準が低い人に 基準が低い霊人が 引き寄せられて 基準高く歩もうとする人の 足を引っ張るのです。 基準が低い霊人たちの 足の引っ張りは 内的な誘惑をしてくるか 基準が低い人を通
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最悪は最善

弱みは強みを引き寄せる。あたかも肌の弱い人が良い化粧品を引き寄せるように。
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最速の朝

今日が最善 今日が最高 美しき朝を迎えましょう!!
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曇り空の末

太陽と雲この対極の天気にそのバランスで成り立つ地球気候地球全体で初めてバランスが取れる、宇宙全体でが正解。世の中に起きることは全て最善としり行動することが大切。
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