【大ざっぱ教育の弊害】

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学び


日常的スピリチュアル、安田です。

教育というのは
効率よくしてはいけないのです。
教育のマニュアルは
必要なのですが
ただマニュアルをこなすだけの
教育をしてしまうと
大ざっぱな教育になり
弊害になってしまうのです。
かといって
教えるプレッシャーを
感じる必要はないのですが
同じような教育であっても
常に投入する意識で歩むことで
効果的な教育ができます。
教育というのは
他の人にする教育と
自分自身の教育があり
どちらも手を抜くことなく
最善を尽くすことが
必要なのです。
自分教育は
学ぶことなのですが
惰性的に学んだり
儀式的に学ぶのではなく
最善を尽くす学びを
するということです。
学びというのは
積み重ねが必要であり
学び続けることで
転換することができ
悟りの境地に至れるのです。
自分教育に最善を尽くすことで
他の人の教育にも
最善を尽くすことができます。
とくに今の時代
これからの時代は
知識教育ではなく
悟り教育が求められるので
大ざっぱな教育では
通用しなくなります。
それこそ、個別に
丁寧に教育していくことで
効果的な教育ができるのです。
面倒に感じる面もありますが
教育は面倒をかければかけるほど
効果的な教育になるのです。
知っていることを
教えるだけの教育では
これからの時代には
通用しなくなります。
悟れるように導ける
教育が求められてくるので
霊的な指導力が必要なのです。
受け身で学ぶ人が多いのは
大ざっぱな教育が原因でもあるのです。
教育を受けても
受けた気がしないような
教育を受けてきたので
主体的に学ぶことができず
受け身体質になっています。
この受け身体質の人が多いことが
大きな弊害でもあるのです。
教育されたら
教育していくというのは
自然な流れなのですが
この自然な流れが
止まっているので
教育が拡大されて
いかないのです。
教育ができるように
教育していくことで
未来につなげることができ
時間的な観点からも
教育の拡大ができるのです。
悟れるように導く
教育をするためには
教育している人の
悟りが必要なのです。
悟りというのは
できなかったことが
できるようになることであり
現実的にできていることは
悟りの境地に至っています。
これからの教育は
自分ができていることを
教育していけばいいのです。
できていないことを
割り切って教育すると
だんだん苦しくなってしまい
大ざっぱな教育になってしまうのです。
どんな人でも
できることよりも
できないことの方が
圧倒的に多いのです。
現実的に時間
空間の制限があるので
できることには限度があります。
なので
専門的な教育が
できるのです。
悟っていること
できていることであれば
自然に教育することができ
マニュアルは必要ないのです。
教育の順番の確認のために
必要な場合がありますが
悟っていること
できていることは
体質になっているので
自然な教育ができます。
何も悟っていないように
感じる場合は
ごく小さなことでもいいので
教えられることを
考えてみてください。
誰でもできるようなことでも
できない人がいるのです。
ごく小さな
当たり前のことでも
教えられれば
教育ができるのです。
悟れるように
教育された人は
自然に教育を
拡大していきます。
霊的指導によって
教育を拡大させることができ
未来につなげることができ
希望と可能性を感じることができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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