【必要ない心配を求めない】

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日常的スピリチュアル、安田です。

より大きな目的を
意識することは
必要なのですが
必要ない心配は
してはいけないのです。
必要ない心配というのは
コントロールができないこと
どうすることもできないことをいいます。
心配というのは
心理的に窮屈になり
視野が狭くなってしまい
目の前のことが
大きくなってしまい
何もできる気が
しなくなってしまうのです。
私たちの無意識は
必要ない心配を
求めてしまうのです。
無意識に心配を求めて
無意識に背負ってしまい
身動きが取れなくなっています。
無意識というのは
自覚がないことをいい
自覚がないので
繰り返し求め続けてしまうのです。
必要ない心配を求めることで
目の前のことに集中できなくなり
投入することができなくなります。
無意識に心配を
求めてしまうのは
心配したいから
求めてしまうのです。
他の人、周りの人
環境というのは
影響を与えることができても
コントロールはできません。
影響を与えることができても
コントロールをしようとしては
いけないのです。
全ての人に自己責任があるので
その自己責任に対しては
干渉してはいけないのです。
とくに混沌としている時期は
切りが無く心配することができ
心配ばかりをすることで
身動きが取れなくなります。
心配することを
手放すことができなくても
最善を尽くしていれば
何の問題もないのですが
心配することで
何もできなくなると
心配のドツボに
嵌ってしまうのです。
無意識に心配してしまう人は
最善を尽くす歩みができているかを
チェックしてください。
完全完璧ではなくても
自分ができることが
できているのであれば
何の問題もありません。
湧き上がってくる
思いというのは
どうにもできないので
どう歩んでいるのかを
チェックしていけばいいのです。
葛藤しながらでも
やるべきことができていれば
いいということです。
私たちができることは
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動だけなのです。
どんなに心配しても
時間、空間の制限からは
逃れることはできないので
基本的なことしかできません。
葛藤しながらでも
歩んでいれば
必要ない心配を
していることに
気づくことができます。
そして、必要ない心配を
無意識に求めていることを
悟ることができるのです。
私たちの歩みを
最も妨げるのは
外的な環境、状況ではなく
湧き上がってくる思いなのです。
いくら努力ができる
環境、状況が整っていても
湧き上がってくる思いによって
努力ができなくなるのです。
環境、状況も
コントロールはできないので
自分で工夫をしながら
整えていくしかないのです。
自分軸を確立することで
自分のペースで歩むことができ
できることに最善を尽くせるのです。
最善を尽くしていれば
何も心配する必要はないのです。
集中し、投入する歩みができていれば
宇宙の法則の通りに歩んでいるので
心配する必要がなくなるのです。
心配症の人は
自分の軸が弱いのです。
自分の軸は
基本的な努力を続けることで
確立することができます。
自分軸を確立し
強化していくことで
集中、投入する歩みができ
最善が尽くしやすくなります。
今の時代は歩みやすくする
工夫ができる環境が
整っています。
集中、投入することだけを
意識していくことで
最善を尽くすことができ
より大きな目的を目指しながら
歩み続けることができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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