「もう、何もかもうまくいかない…と思った日が、人生の曲がり角だったりする。」
あの日の私は、床に転がる洗濯物の山を見つめながら、「もうダメかもしれない」と本気で思っていた。仕事では大失敗、恋人とはケンカ中、通帳の残高はリアルに三桁。冷蔵庫の中身は、賞味期限切れの豆腐と謎のタレしかない。この世の終わり、とは言わないまでも、「自分、詰んでるな」と実感するには十分すぎる材料が揃っていた。でもね、不思議なの。そんな“全部終わってる日”のことを、後から振り返ると、そこが人生の分岐点だったりするのよ。「全部ダメだ」の日が、未来のきっかけになる何もかもが空回りする日は、自分の限界をまざまざと見せつけてくる。でも、そこで一度「もういいや」って力を抜けたとき、変な話だけど、視界がちょっとだけ開けるの。あれこれ気を張って、完璧にやろうとしていた自分に「ちょっと休め」と言えるタイミングって、結局こういうボロボロの日じゃない? 余裕がある時に立ち止まるのって、案外難しいもの。そして、人はボロボロになって初めて、「本当に必要なもの」や「誰がそばにいてくれるか」が見えるのよね。キラキラのSNS投稿じゃなく、深夜に届く友達の「今日どうだった?」の一言に泣けたりして。「曲がり角」は、だいたい泥だらけのT字路にある人生のターニングポイントって、キラキラした扉が開くんじゃなくて、むしろ道に迷った泥まみれのT字路にポツンと立たされる感覚に近い。選択肢が見えないまま、「とにかく進むしかない」と足を踏み出した先に、意外な風景が広がっていたりする。私も、何もかもがうまくいかない日に、偶然立ち寄った喫茶店で占いの師匠と出会ったの。あの日の私が、家で落ち込んだままだったら、「虹心(にこ)」は生まれてな
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