「近代の論理~社会科学のエッセンス~⑮」 (5)イスラーム圏と東洋の「近代化」の困難
③西洋的「絶対神」の排他的独善性と東洋的「人格神」の包括的多様性
「一神教」の絶対性は「集合論」的「二分法」の論理を持つ~有神論と無神論(反神論)、選民と異教徒、正統と異端といった二分法は共存できないものであり、「一神教」の絶対性から生じます。
正統と異端~「三位一体論」とは、父なる神・子なるイエス・聖霊は一体であるという考えです。アタナシウス派が唱え、325年のニカイア公会議で正統な教義と認められました。これに疑義を唱えたアリウス派は異端とされ、ローマ帝国周辺のゲルマン民族に布教していきました。 三位一体論には、イエス自身がゲッセマネの祈りで神に痛切祈祷を捧げているように、「神が自分自身に祈るのか」といった問題や、神が十字架につくという「天父受苦説」といった問題がありますが、これは「罪人を救えるのは全知全能である神のみ」という贖罪論的要請から生まれたもので、イエス自身の言説にあるものではありません。 ニカイア公会議で採択され、コンスタンティノポリス公会議で修正されたものを「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」と言います。これによってイエス=神という図式が確立され、さらにイエスにおいて神性と人性はどのように統合されているのかというキリスト論の問題が起こり、カルケドン公会議において、イエスにおいて神性と人性は一体不可分という「カルケドン信条」が採択されました。かくして、このニカイア・コンスタンティノポリス信条とカルケドン信条を受け入れるものが正統、疑義をさしはさむのが異端とされてきました。キリスト教における正統か異端かは、実はイエスの言説に合致するかどうかではなく、宗教会議で神
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