③「近代法」を代表する「民法」と「刑法」の到達点
「人権」思想の原点は「水平派」の成文憲法案「人民協約」(1647年)~「水平派」はクロムウェルと協同して「ピューリタン革命」を行い、「万人は平等なのだから、選挙権も等しく与えられるべきだ」「思想信仰の自由の保障」といった主張を持っていました。このような誰もが生まれながらにして平等の権利「人権」を持っているという考えは、「アメリカ独立宣言」(1776年)に結実します。
「近代民主主義が出てくるまで、地球上のどこにも「人権」などという概念はなかった。
人権がまったく存在しなかった代わりに、それこそ腐るほどあったのは「特権」です。…
ところが、予定説を信じる人々が登場したことによって、そうした特権は「人権」へと変貌した。一部の人だけが特権を持つのではなく、誰もが同じ特権を持っている。それを人権と呼ぶようになったわけです。だから、「少年の人権」などという言葉を使うのは、歴史の歯車を反対に回す暴挙としか言いようがない。
人権とはあくまでも誰もが等しく持っているもの。一部の人しか持っていない人権は、中世の特権と何ら変わることがないのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)
「我々は自明の真理として、全ての人は平等に造られ、造物主によって一定の奪い難い天賦の権利を付与され、その中に生命、自由、及び幸福の追求の含まれることを信ずる・・・」(アメリカ独立宣言)
「近代(欧米)法」の中心にあるのは「民法」「市民法」(civil law⇔「教会法」)~「近代民法」の中心となるのは「近代的所有概念」です。これがあって初めて目的合理的生産計画、流通計画は可能となり、資本主義的市場は作動し得るのです。
「近代的所有」~
(1)所有者は所有物に対して絶対である。すなわち、神が被造物におけるが如く、何をしてもよい。例えば、利用・販売・処分が自由である。
(2)所有者と所有物の対応は一対一である。誰が何を所有しているかが、一義的に明確である。
(3)所有は抽象的である。すなわち、所有物を占有していなくても、「所有権」を主張することができる。
「ナポレオン法典」(民法)は「近代資本主義の基本法」~「近代資本主義」が成立するためには「契約の絶対性」「所有権の絶対性」が必要です。なぜなら、資本主義経済下の「私法」たる「民法」や「商法」では「法適用の安定」を特に重視しますが、これなくしては「目的合理的な経営」をなし得ないからです。ゆえに「事情変更の抗弁」を最も嫌うこととなります。
「ナポレオンが皇帝になると、それまで革命の混乱のためガタガタになっていたフランスの景気は急速によくなりました。ナポレオンの登場によって政治が安定したことに加えて、「ナポレオン法典」と呼ばれる民法を制定したことが大きかったのです。
このナポレオン法典は、一口で言うならば「近代資本主義の基本法」です。
近代資本主義が成り立つには、契約の絶対、そして所有権の絶対が必要です。契約がきちんと守られ、私有財産の所有権が明確に保障されないかぎり、資本主義は作動しないのです。契約が守られなければ、商品と資本の流通がスムーズにいきません。所有権が絶対でなければ、安心して投資は行なえませんし、目的合理的な経営もできません。
その2つの必要条件をナポレオンは法律によって保護しました。この結果、フランス経済は急速に資本主義化することができたのです。
この法律がいかに優れていたかは、今でもナポレオン法典がフランスで通用していること1つを見ても分かります。この間、フランスの憲法は何度も変わっていますが、ナポレオン法典の論理は本質的にそのまま続いているのです。
また、明治政府が日本に近代法体系を作ろうとしたとき、まず勉強したのがこのナポレオン法典です。旧民法の論理はナポレオン法典をコピーしたものと言ってもそれほど過言ではありません。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)
「刑法」(criminal law)における「罪刑法定主義」~事前に明示的に法定された行為のみが罪として刑されること。これは「権力から人民の権利を守る」ことをテーマとする「近代法」の終着点であり、目的合理的な法律の実現とされます。「千人の罪人を逃すとも一人の無辜(むこ)を刑するなかれ」という言葉によく言い表されています。
これに対して、「中国法」の中心にあるのは「刑法」であり、「法家思想」によって「立法」概念も発達していましたが、「罪刑法定主義」にはついに到達しませんでした。ちなみにヨーロッパでは中世まで「法律を作る」という概念はなく、「そこにあるものを発見する」という考え方でした。さらに唐律や明律は19世紀初めのヨーロッパの刑法と比較しても、ほとんど遜色がないとされます。
「デュー・プロセス(適法手続き)の原則」~「悪法といえども法である。」(ソクラテス)という言葉に代表されます。
「近代法の思想を一言で言うと、「1000人の罪人を逃すとも、1人の無辜(むこ、無実の人)を刑するなかれ」ということにあります。
権力の犠牲になって、無実の人が牢獄に送り込まれることだけは、何としてでも避けなければならない。権力の横暴を絶対に許してはならない。
みなさんもご承知の「疑わしきは罰せず」という原則も、ここから誕生したのです。
つまり、検察側が勝利を収めるためには、犯罪を完璧に立証しなければならない。そこに少しでも疑問の余地があってはいけないし、ましてやデュー・プロセスの原則を踏み外してもいけない。検察側はパーフェクト・ゲームが求められているわけです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)
参考文献:
『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社インターナショナル)
『小室直樹の中国原論』(小室直樹、徳間書店)
『近代の政治思想』(福田歓一、岩波新書)
『近代民主主義とその展望』(福田歓一、岩波新書)
『日本人の法意識』(川島武宜、岩波新書)