「近代の論理~社会科学のエッセンス~②」(1)「近代国家」には「憲法」が必要

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②「主権」を制御するために「憲法」が必要となった

ホッブズは近代国家を「リヴァイアサン」と呼んだ~「法」を超越し、「法」を創造する「絶対神」のイメージです。

「憲法違反」が出来るのは「国家」だけ~例えば、憲法が保障する「言論の自由」を侵害出来るのは「国家」だけです。親が子供の口を封じようと、上司が部下の発言を禁じようと、右翼が言論妨害しようと、憲法とは無関係なのです。

「憲法」も「議会」も「多数決」も本来「民主主義」(デモクラシー)とは無関係~後にこれらが「民主主義」に取り入れられ、代名詞のようになってしまいました。

「憲法」の始まりは「マグナ・カルタ」(大憲章、1215年)~慣習法を無視したジョン王に対して、貴族が63か条の「契約」を作って、「伝統」を守らせました。かくして、国王もまた「法の下にある」ことが確認され、王が慣習法を破った場合には反乱に訴えることが出来ると明記されたのです。一部の特権階級を指す「自由民」の言葉も後にはイギリス国民全部を指すようになり、国王の行為が法に基づくものであるかどうかをチェックする「裁判所」(パーラメント)が後にイギリス議会になっていきます。

「議会」の始まりは「身分制議会」「等族議会」~「王」の「徴税の効率化」と「貴族」の「利益(既得権益)と特権(慣習法)の確保」がそもそもの目的でした。
 やがて、ヘンリー8世がジェントリーの力を活用したことによって、「議会」の地位と重要性が確実なものとなりました。ヘンリー8世は絶対君主でありながら、重要な決定は全て議会を通したのです。ここに、議会の協賛なくして王はその絶対権力を振るうことができないという「議会の中の王」(King in Parliament)という原則が確立したのです。これを「チューダー統治革命」と言います。
 さらにヘンリー8世の頃の「従順議会」がエリザベス1世の時に「議会における言論の自由」を確立し、「名誉革命」においてイギリス議会の地位は確定したとされます。この時、議会が起草し、国王に承認させた「権利の宣言」では「法の支配が国王の支配に優先すること」「課税には議会の承認が必要であること」「議会内における言論の自由」などが明記されていました。

「多数決」の始まりは「コンクラーベ」(次期ローマ法王決定の場)~ゲルマン社会では「全員一致」が原則でした。中世ヨーロッパの相続においては、古代ゲルマンの慣習に由来する「サリカ法」が絶対の権威を有しており、サリカ法に定められた相続順位は国王ですら変えることができませんでした。
 こうした状況が変わったのが次期ローマ法王を決定する会議「コンクラーベ」においてで、全会一致の原則を適用していたら、いつまで経っても決まらないため、ローマ教会で12世紀に「多数決」が導入されたのです。ここで重要なことは、「多数決で認められたことは全体の総意と見なす」という原則は、元々「民の声は神の声」「神意は民意に現れる」と考えられていたことに由来するということです。
 やがて、多数決の原理が議会に導入されていき、本来の宗教的意味合いが薄れていって、アメリカの南北戦争で「多数決」が「民主主義」において定着したとされます。南部11州が連邦政府に対して反旗をひるがえしたのは、11州の少数意見が多数決の下に無視されているという主張だったのですが、時のリンカーン大統領は断固とした態度で、「たとえ南部11州が不満であろうと、勝手に連邦を離脱するのは非合法である」としたのです。

「現代では「多数が賛成したから正しいとはいえない」という議論がある。新聞などにもしばしば現れる議論で、*1前記の「合点状」でも、四十一対二十三だから四十一の方が正しい決定とは、必ずしもいえないだろう。ではなぜそれが、反対二十三を含めて全員の決定とされるのか。実をいうと「多数が賛成したから正しいとはいえない」という前記の言葉は、多数決原理発生の原因を忘れてしまった議論なのである。
 この原理を採用した多くの民族において、それは「神慮」や「神意」を問う方式だった。面白いことにこの点では日本もヨーロッパも変わらない。古代の人びとは、将来に対してどういう決定を行なってよいかわからぬ重大な時には、その集団の全員が神に祈って神意を問うた。そして評決をする。すると多数決に神意が現れると信じたのである。これは宗教的信仰だから合理的説明はできないが、「神意」が現われたら、それが全員を拘束するのは当然である。これがルール化され、多数決以外で神意を問うてはならない、となる。
 そしてこれはあくまでも神意を問うのだから、「親が…、親類が…、師匠が…」といったようなこの世の縁に動かされてはならない。それをすれば「親の意向…、親類の意向…、師匠の意向…」を問うことになってしまうから、神意は現われてくれない。もちろん賄賂などで動かされれば、これは赦すべからざる神聖冒瀆となる。これらは日本でも厳しく禁じられている。そして、*2延暦寺の異形・異声とか、高野山の「合点」とかは、こういう考え方の現われである。おそらく、異形・異声になったとき、別人格となったのであろう。このような信仰に基づけば、多数決に現われたのは「神慮」「神意」だから当然に全員を拘束し、これに違反することは許されない。
 多くの国での多数決原理の発生は、以上のような宗教性に基づくものであって、「多くの人が賛成したから正しい」という「数の論理」ではない。コンクラーベという教皇の選挙は、今では多くの人に知られている。だがこれは決して枢機卿(カーディナル)が教皇を選出するのではなく、祈りつつ行われる投票の結果に神意が現われるのだという。従って教皇は神の意志で教皇になったので、「当選御礼」などを枢機卿にする必要はない。」(山本七平『日本人とは何か。(上巻)』)
*1 前記の合点状…高野山違犯衆起請文(1384年)。年貢を滞納した荘官罷免に関する評定で、「荘官罷免」に四十一票、「罷免せず年貢取り立て」に二十三票が入った。「合点」は元来は少人数の表決の結果すなわち「点の合計」を意味する言葉であった。
*2延暦寺の異形・異声…『平家物語』に詳しく記されているところによると、延暦寺には「多語毘尼」(たごにび)と呼ばれる原始仏教以来の議決方法があり、「満寺集会」という宗徒全員が参加する会で「大衆僉議」(だいしゅせんぎ)と呼ばれる評決を行なっていたが、参加者は異形・異声で誰が誰だか分からないようにした上で参加しなければならなかった。

参考文献:
『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社インターナショナル)
『近代の政治思想』(福田歓一、岩波新書)
『近代民主主義とその展望』(福田歓一、岩波新書)
『日本人とは何か。(上巻)』(山本七平、PHP文庫)
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