「近代の論理~社会科学のエッセンス~④」(2)「近代資本主義」は「市場の法則」を持つ

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①「近代法」「近代民主主義」「近代資本主義」は「三位一体」の関係にある

「人権」という概念は「近代民主主義」の誕生によって初めて生まれた~「議会」も「憲法」も「近代民主主義」より先に誕生していましたが、「人権」と「近代民主主義」はワン・セットです。「近代民主主義」が出て来るまでは「人権」という概念はありませんでした。また、「少年の人権」というものはなく、「少年の特権」なら存在します。

「さて、民主主義の誕生を語るためには、まず「民主主義とは何か」を明確にしておく必要があります。民主主義の定義が曖昧では、議論も曖昧になるというものです。
 そこでまず、大切になってくるのが「人権」に対する理解です。人権という概念は、近代民主主義の誕生によって、初めて生まれたもの。
 民主主義よりも議会や憲法は先に生まれていたわけですが、人権は違います。人権と民主主義はワンセットであり、切っても切れない関係にある。だから、人権が理解できていなければ、民主主義も理解できていないことになる。
 ところが、困ったことに日本人は、この人権という言葉を実に理解していない。
 その最たる例が、「少年の人権」などという言い方です。
 つい先日も少年法改正をめぐる問題で、大新聞がさかんに「少年の人権を守れ」などと言った論説を掲げていました。未成年者の起こした事件を大人と同じように法廷で裁くのは、少年の人権という観点から考えると問題であるから、少年法を軽々しく改正すべきではないといった趣旨のキャンペーンが行なわれました。
 しかし私に言わせれば、「少年の人権」など笑止千万、バカもいい加減にしなさいと言いたい。
――いいんですか、そんなこと言って。
 本当にことを言って、どこが悪い!
 今の大新聞の記者は偏差値の高い大学を出た連中が多いはずだが、民主主義の「み」の字も知らないと見える。こんなことだから、日本のジャーナリズムは世界で評価されないのです。
 日本のマスコミは何かにつけて、「人権、人権」と騒ぎ立てるのに、人権とは何かという基礎知識すら持っていない。
 そもそも人権というのは、万人に平等に与えられるもの。人間でありさえすれば、誰にでも無条件で与えられるというのが人権の概念です。
 しかるに、「少年の人権」とは誤用もはなはだしい。子どもだけに認められ、大人には認められない権利があるとしたら、それは子どもの「人権」とは言えません。それは、子どもの「特権」です。
 だから、少年法の問題にしても、「少年に特権を与えよ」という論説を書くべきなのです。
――たしかに殺人事件を起こしても刑事裁判にかけられないというのは、大人にはない特権ですよね。
 しかし、「少年に特権を与えよ」というのでは大衆の支持が得られないと思ったのか、新聞社は「少年の人権」なる用語を濫発した。だが、それでは議論のすり替えと言われてもしかたがありません。
 少年法をめぐる議論はあくまでも、子どもに特権を与えるべきか否かの問題です。それなのにマスコミみずからが議論のミスリードをするとは、嘆かわしいにもほどがある。しかし、これが今のマスコミのレベルなのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

ヨーロッパの知識人にとって「民主主義=衆愚政治」は常識だった~古代ギリシアのアテネにおいて民主政の黄金時代があったわけですが、ペロポネソス戦争で民主政のアテネは王政のスパルタに敗北し、さらに師であるソクラテスが死に追いやられるに至って、プラトンは「民主政治とは要するに貧乏人の政治である」と決めつけました。プラトンの弟子アリストテレスもギリシアの様々な政治形態を分析して、やはり「民主政治とは貧乏人の政治だ」と断言しています。この2人の思想は中世キリスト教社会に多大な影響を及ぼし、ルネサンス以後も読み継がれていたので、「民主主義とはしょせん衆愚政治だ」ということはヨーロッパの教養人なら誰でも知っていたのです。

「プラトンが民主政治に敵意を抱くようになった、もう1つのきっかけはソクラテスの死です。
 プラトンは若いころからソクラテスの教えをうけ、ソクラテスから大変な影響を受けています。プラトンにとって、彼は父以上の存在だったと言えるでしょう。
 ところが、そのソクラテスは、ペロポネソス戦争の混乱の中、アテネの市民たちによって裁判にかけられ、死刑の宣告を受けます。そして、ソクラテスは毒杯を仰いで自殺した。
 この成り行きを見て、プラトンは衝撃を受けました。
 そもそもプラトンから見れば、ソクラテスの罪状は単なる言いがかりにすぎません。ソクラテス先生の偉さが分からぬ庶民連中が、彼をねたんで告訴したにすぎないのです。
 この無実の罪を晴らすべく、ソクラテスは、かの有名な「ソクラテスの弁明」を行なうわけですが、その裁判で陪審を務めたのも、また庶民たちでした。彼らは大哲学者の弁明に耳を貸さず、ソクラテスに死刑判決を与えたのでした。
 つまり、プラトンから見れば、ソクラテスはアテネ民主政治に殺されたようなものだった。そこで彼は民主政治をなお一層、憎むようになったというわけです。
 この思想はプラトンの弟子である、アリストテレスにも受け継がれました。アリストテレスはさまざまな政治形態を分析して、やはり「民主政治とは貧乏人の政治だ」と断言しています。
 前にも述べたように、ヨーロッパの知識人にとってプラトン、アリストテレスと言えば、古典中の古典です。中世のキリスト教会では、この2人の著作を基礎にして壮大な「スコラ哲学」が作られましたし、ルネサンス以後もプラトンやアリストテレスは読み継がれました。だから、「民主主義とは、しょせん衆愚政治だ」ということは、教養人なら誰でも知っていたわけなのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

「民主主義」とは「独裁者」の温床である~プラトンやアリストテレスの言う「貧乏人の政治」を利用し、貧しいローマの平民たちの圧倒的な支持を受けて、共和政ローマを乗っ取ったのがカエサルでした。さらにカエサルの故事を徹底的に研究して、いかにすれば大衆の人気を集めて権力を握るかを考え、「第2のカエサル」として登場したのがナポレオン・ポナパルトであり、その後のフランスでは政治が乱れるたびに独裁者が現われようとしますが、これを「ポナパルティズム」と言います。
 「独裁政治」がよくないのは往々にして、「宗教戦争」の経験に基づいて確立された概念である「内面の自由」に踏み込むためです。ここから一時的な熱狂によってカエサル、ナポレオン、ヒトラーが登場してきたことをふまえ、熱狂が起こりにくいようにするため、「教育なき所にデモクラシーは生まれない」という結論が導かれ、「教育こそ民主主義の防波堤である」となるわけです。例えば、非常に強い権力を持つアメリカ大統領を選ぶ選挙は非常に複雑で、長い期間をかけて候補者の資質を見極めるようになっているのは、大統領を決して大衆の歓呼によって決めないようにするためで、建国者たちの知恵のたまものだということです。

「古代ギリシャにとって代わって、地中海世界の覇者となったのは古代ローマでした。ローマはギリシャ文化の影響を受けて、共和制の国となりました。
 アテネのように徹底した民主政治は行なわれなかったものの、古代ローマでは平民たちの代表によって構成される「民会」が力を持っていました。古代ローマが世界最強の陸軍国になれたのも、こうした平民たちのおかげです。有事の際に、平民がこぞって武器を取って戦うという習慣があったからこそ、ローマは覇権を唱えることができたのです。
 ところが、そのローマの輝かしき共和制は1人の男によって、あえなく「殺されて」しまいます。
 その男とは、ガイウス・ユリウス・カエサル。紀元前44年、カエサルはディクタトル、すなわち終身独裁官に就任し、ローマの軍事・政治のすべての権力を握ります。このときを以てローマの共和制は死に、帝国への道を歩むことになる。カエサルの甥であったオクタウィアヌスが初代ローマ皇帝になったのは、紀元前27年のことでした。
 さて、「共和国殺し」のカエサルは、いかにして独裁権力を握ったか。
 その答えは、プラトンやアリストテレスの言う「貧乏人の政治」にありました。すなわち、カエサルは貧しいローマの平民たちの圧倒的支持によって、共和国を乗っ取ったのです。言い換えれば、平民たちはみずから共和制をカエサルに差し出したのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)
「プラトンやアリストテレスの説、そして古代ローマのカエサルの故事、この2つが揃えば、誰だって「大衆が政治に参加すれば、ロクでもないことになる」と考えるというものでしょう。…
 民主主義ぐらい危ない政治はないということは近代史が余すことなく証明しています。プラトンやアリストテレスが生きていたら、「そら見たことか」と大笑いしたことでありましょう。
 すでに述べたとおり、18世紀になって民主主義は花開くわけですが、民主主義のもろさは、たちまち露わになりました。
 というのも、民主主義を求めたはずのフランス革命が独裁者を生み出したからです。
 ナポレオンこそ、彼らの恐れてやまなかった「第2のカエサル」」です。民主主義はやはりカエサルを作った!
 コルシカに生まれたナポレオン・ポナパルトは最初、一介の軍人にすぎなかったのですが、イタリア遠征、パリで起きた暴動の鎮圧、そしてエジプト遠征という軍功と、大衆からの支持を背景に、パリで軍事クーデターを起こすことに成功し、フランス共和国の禅権力を手中に収めた。
――カエサルと怖いくらいに似ていますね。
 いや、ナポレオンはカエサルですらできなかったことをなしとげた。
 1804年、彼は元老院から皇帝の位を授けられることになりました。「共和国(レパブリック)の皇帝」の誕生です。このとき、彼はカエサルを超えたと言ってもいいでしょう。時にナポレオンは35歳。カエサルが独裁官になったのは50歳を過ぎてですから、ここでもナポレオンはカエサル以上だった。
 ナポレオンは天才であると同時に、たいへんな勉強家でもありました。彼はカエサルの故事を徹底的に研究することで、いかにすれば大衆の人気を集めて、権力を握ることができるかを考えた。
 ですから、ナポレオンの出世は、けっして偶然に支えられたものではない。彼は最初から、民主主義の弱点を知っていた。だからこそ、皇帝になれたと見るべきでしょう。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

「近代民主主義」は「法の前の平等」を何よりも重んずる~フランス革命において身分制をフランスから完全に追放することを目指し、「金持ちから財産を奪って貧乏人に配る」ことを目的としたロベスピエールは自分が行おうとしている政治を「民主主義」だと考えていたのですが、その「恐怖政治」は共産主義とほとんど同義であり、ロベスピエールはわずか数か月の独裁政治の中で「民主主義の敵」を数万人も粛清しています。フランス革命当時においては、民主主義者とは過激派、革命家と同義語であったのであり、マルクスとエンゲルスも『共産党宣言』で「労働者の革命の第1歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘い取ることである。」と高らかに宣言しています。
 実は民主主義をさらに推し進める制度として共産主義が生まれたのですが、近代民主主義の総本山アメリカにおける「平等」とは「機会の平等」であるのに対して、ロベスピエールやマルクスの「経済的平等」は「結果の平等」であることに注意しなければなりません。その結果、「貧困の平等」に行き着いたことは、「平等の実現」であるとはいえ、幸福とはほど遠い状況になったことは言うまでもありません。

「近代民主主義では「法の前の平等」を何よりも尊重します。つまり、1人1人の人間はたしかに財産の有無、権力の有無、いろんな違いがあるけれども、少なくとも法の前においては平等に扱う。それが民主主義の始まりです。
 この思想の元になったのは、今さら読者には説明するまでもないことですが、キリスト教の予定説です。
 カルヴァンは神を絶対にして万能の存在だと考え、神を究極の高みに置いた。その神様の前には、国王も農奴も関係ない。みんな似たようなものである。
 すなわち「無限大の目には、いかなる数値も意味がない」(福田歓一『近代民主主義とその展望』岩波新書)というわけです。
 近代民主主義の平等の考えは元来、キリスト教の考えから生まれたものですから、現実の人間を経済的に平等にしてしまうとまでは言いません。
 たとえ神様から見て平等であっても、実際には王様もいれば、貧乏人もいる。
 しかし、神様はそれについては何もなさらない。みんなを平等にしようとはしないわけです。
 それと同じように、民主主義も、金持ちと貧乏人がこの世の中にいることまで変えようとは思わない。あくまでも、法の前に平等に扱うということだけです。
 その考え方はロックの社会契約説でも基本的には同じです。
 彼は確かに「自然人は平等である」とは考えましたが、それはあくまでもスタート・ラインの話であって、その後の働き方によって私有財産の違いが出るのは当然だと考えた。
 しかし、たとえ財産に違いがあったとしても、その人間たちが対等に社会契約を結ぶことによって国家を作った。その意味では、人民はみな平等なのだというわけです。
 アメリカの民主主義でも、この思想は受け継がれています。
 よく言われることですが、アメリカにおける平等とは「機会の平等」です。
 誰もが同じアメリカ人として、チャンスをつかむ権利を持っている。白人でも黒人でも、男でも女でも、あるいは健常者でも身体障害者でも、等しくチャンスを与えられる。しかし、そこから先はアメリカ民主主義も面倒は見てくれない。
 ところが、それで我慢できないのがロベスピエールであり、マルクスです。彼らにとっては、あくまでも経済的な平等こそが大切なのです。別の言葉で言うならば、「結果の平等」が必要である。
 たとえ法の前の平等が成立しても貧乏人は貧乏なまま。はたして、これでいいのだろうかと考えるのは、ある意味で当たり前です。
 そこで、民主主義をさらに推し進める制度として、共産主義が生まれた。こう言うことができます。
 しかし、あらためて言うまでもなく、この共産主義の壮大な実験は失敗に終わりました。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

「近代民主主義」と「近代資本主義」は同じ母から生まれた双生児である~「近代民主主義」「近代資本主義」は「共同体」(ゲマインデ)を解体する所に生成され、発達します。
 共同体は「二重規範」(double normダブル・ノルム)を特徴とし、さらに「敬虔」(pietyパイアティ)が支配的感情であり、「社会財の二重配分機構」を持つという要素があります。資本主義はこうした諸共同体が解消し、「普遍的規範」(universal normユニバーサル・ノルム)が成立することによって完成します。逆に資本主義が完成すれば、「普遍規範」は他の全ての規範よりも優先され、「普遍規範」以外の規範(二重規範)などは消滅し、諸共同体は解消されるのです。例えば、経済的取引においては、「民法」「商法」「商慣習」などの「普遍的規範」が経済主体(消費者・企業など)内のルールや経済主体間(カルテル、個人の結合など)のルールよりも優先するのです。

参考文献:
『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社インターナショナル)
『近代民主主義とその展望』(福田歓一、岩波新書)
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー、岩波文庫)
『社会科学における人間』(大塚久雄、岩波新書)
『社会科学の方法』(大塚久雄、岩波新書)
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