「近代の論理~社会科学のエッセンス~⑤」(2)「近代資本主義」は「市場の法則」を持つ

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②思想的淵源としての「プロテスタンティズム」と理論的根拠を確立したロック思想

「プロテスタンティズムの三原理」~ドイツの宗教改革の指導者ルターは、教会を通じてこそ信仰が成り立ち、救済がなされるという従来のキリスト教のあり方を批判し、教会の権威や教義に縛られることなく、聖書を通じて一人一人が直接神と向き合う信仰によって罪から解放されると説きました。ルター時代にはサン・ピエトロ大聖堂の建設資金を集めるために贖宥状が販売され、「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と盛んに宣伝されていたのです。これに反発したルターの主張は、①聖書中心主義(聖書のみ、sola scripturaソラ・スクリプトゥーラ)、②信仰義認論(信仰のみ、sola fideソラ・フィデ)、③万人司祭主義、の3つに集約され、これをプロテスタンティズムの三原理と言います。かくしてヴィッテンベルク教会に「95か条の論題(意見書)」を提出し、贖宥状(免罪符)批判を展開します。贖宥状はルター時代よりも200年前に始まったものですが、「贖宥状を買えば魂が救済される」として教会の資金集めに使われ、特に強力な王権のないドイツは教会から搾取され、「ローマの牝牛」と言われていました。
 「信仰のみ」とは信仰によってのみ救われるという信仰義認であり、ローマ=カトリックの善行も救いにあずかるとする行為義認に対抗する原理です。いわゆる贖宥状(免罪符)は善行の1つであり、カトリックは信仰義認+行為義認という二重性に立っていたのですが、ルターはパウロの原点に立ち返って信仰義認の立場を徹底化し、純化するのです。
 「聖書のみ」とは聖書中心主義であり、カトリックの伝承にも権威があるとする伝承主義に対抗する原理です。カトリックは聖書+伝承という二重性に立っていたのですが、ルターはパウロの『ローマ人への手紙』に立ち返って宗教改革の原点を定めていったように、聖書のみを権威とする立場を徹底化し、純化していくのです。
 「万人司祭主義」は神の前に1人1人が立つことができ、イエス・キリストを通して関係を持つことができるとするもので、信仰生活は教会を介さないといけないとするカトリックの教会中心主義に対抗する原理です。この立場を徹底させると無教会派となりますが、ルターはそこまで主張したわけではなく、ヴォルムス国会で自説の撤回を求められた時に「我ここに立つ。神よ、我を救いたまえ!」と叫んだごとく、「神と我との関係」を重視したと言えるでしょう。神の前の平等という観点で近代民主主義の思想的淵源となり、さらにここから全ての職業は神によって与えられた召命(天職、ドイツ語Beruf、英語calling)という職業召命観が生まれ、それまで卑しいとされてきた世俗の職業に励むことが奨励されるようになりました。こうした職業召命観・天職思想はカルヴァンによって予定説と連結され、近代資本主義の淵源となります。

「カルヴァンが現われて、予定説を普及させていったことで、ヨーロッパのプロテスタントはまさに人が変わったようになった。信仰の無限サイクルに入って、昼も夜も片時も信仰が頭から離れることはない。
 こんな人間は、それまでのヨーロッパにはいなかったタイプです。何しろ、それまでのキリスト教は聖書さえ読むことがなかったわけですから。
――なるほど、この「新人類」の出現が、絶対王権をひっくり返すことになるわけですね。
 いや、それだけではありません。
 こうしたプロテスタントの登場こそが、近代への扉を開いたのです。
 予定説は単に王権を覆しただけではありません。近代民主主義も近代資本主義も、予定説がなければ生まれなかった。だからこそ、カルヴァンは歴史を変えた大天才なのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

「天職」思想、「召命」観~中世までは「聖職のみ貴し」でしたが、プロテスタントの登場によって、世俗内の職業を通して「神の栄光」を現わすことが理論づけられました。ここから「労働」することが「救済」につながるという「行動的禁欲」が出て来ます。これはパウロに始まり、「祈り、かつ働け」という戒律を持つ修道院内のみに存在していたのですが、プロテスタントにより「世俗内禁欲」として世に広まることとなります。

「予定説においては、すべての人間の人生はあらかじめ神が定めたもうたこと。ならば、自分の職業もまた神が選んでくださったものに違いないという考えが生まれたのです。
 これをプロテスタントでは「天職」(Beruf ドイツ語、calling 英語)もしくは「召命」と言います。
 天職という考えは、プロテスタント以前にはヨーロッパには存在しなかったと、ウェーバーは言っています。
 自分の仕事が天職であるならば、怠けているわけにはいきません。働いて働いて働くことこそが、神様の御心に沿う方法。
 したがって、プロテスタントの人は安息日以外はずっと働いている。稼ぐ必要はないから、あとは楽に暮らそうという発想はありません。
――それでカネを使わなければ、貯まるでしょうね。
 予定説にかぎらず、もともとキリスト教には「労働こそ救済の手段である」という思想がありました。
 「働かざる者、食うべからず」という言葉を、たいていの人はレーニンの発明だろうと思っていますが、そうではありません。もともとはキリスト教の修道院の戒律です。
 キリスト教の修道院では、修道僧たちがワインを作ったり、バターを作ったりするわけですが、これは何も自給自足のためではありません。「祈り、かつ働け」というのがキリスト教の教えで、働くことがそのまま救済につながるとされていたのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

ロックの思想がヨーロッパの近代の基礎を作った~ルターとカルヴァンが近代民主主義と近代資本主義の思想的淵源ですが、これらを思想的に確立したのがロックです。ロックは「政治学の父」にして「経済学の祖父」(「経済学の父」はアダム・スミスなので)と呼ばれます。ロック思想の特徴は以下の通りです。

(1)「科学的思想」~ロックは人間や社会を抽象化して「国家」とは何かと考え、「自然人」「自然状態」を想定しました。これは社会科学における「モデル・ビルディング」であり、そのアプローチを最も引き継いでいるのが経済学です。「需要と供給の法則」「完全競争」などは現実の経済を観察して導かれた概念ではなく、一種の思考実験、シミュレーションなのです。

(2)「社会契約説」~ロックは、国家権力は必ず肥大化して暴走するので、それを食い止めるのが「憲法」であり、「民主主義」であると考え、ここでヨーロッパ人は初めて「民主主義の哲学」を手に入れたとされます。ちなみに、ヨーロッパの議会は税金問題を解決するために作られたのであり、税金をかける際には必ず納税者代表の意見を聞くという伝統があり、ことにイギリスではマグナ・カルタ以来、この原則が何度も王と議会の間で確認され、「代表なくして課税なし」という成句が生まれたわけですが、この大原則を理論化したのもロックです。さらに、国家権力が暴走した際には1人1人の人間はそれに抵抗することが出来、それでもなお横暴を続けるのであれば、革命を起こしてもいいと考え、「抵抗権」から「革命権」に至る「革命の哲学」も作り上げました。ただし、これは「革命の勧め」ではなく、イギリスでもマグナ・カルタ以来、「抵抗権」が実際に行使されたのはピューリタン革命と名誉革命ぐらいでした。かくして革命は初めて理論的根拠を得て、イギリス革命は正当化され、さらに「代表なくして課税なし」という原則と「革命権」が結びついてアメリカ独立革命が起こり、世界最初の社会契約説に基づく人造国家が誕生し、世界最初の成文憲法である合衆国憲法を生み、そして激烈なフランス革命に至ります。

(3)「労働価値説」~中世社会の認識では「富」の量は有限であって、増えたりしないと思われていました。中世は言わば「土地フェティシズム」の時代であり、ここではホッブズが言うような「闘争状態」が続いていました。ところが、資本主義が芽生え出す中で、土地にこだわって農業にしがみついていなくても、商売やモノ作りで利潤をあげていけばいいという考えが生まれてきて、こうした時代背景の中でロックは史上初めて「富は有限ではない」「労働が富を作り出す」と考えたのです。これは人間が知恵を使って働けば地球上の資源を増やすことにつながるため、働くことは社会全体のためになるということになり、働くことは社会全体への貢献だとして、金儲けに対する罪悪感を払拭し、近代資本主義に理論的根拠を与えることとなりました。

(4)「私有財産」の正当化~ロックは、私有財産は「労働」の結果、新たに生み出された資源であり、政治権力が作られる前から存在しているため、「国家権力」といえども個人の「私有財産」に干渉してはいけないと考えました。権力の都合で税金を勝手に取ることができないのもこのためで、この思想からアメリカ独立戦争も生まれました。これは「所有権の絶対性」につながる考え方であり、「近代資本主義」に理論的根拠を与えたとされます。
(5)「公共善」を追求する国家観~ロックの考える政治システムとはトラブルの仲裁機関・調整役にして、その目的は人民の生命と私有財産を守ることでした。国家権力は人民が作ったものであり、人民に奉仕するためのものであるから、人民の代表を議会に送って、政府の運営を監視しなければならないという主張は、まさに「民主主義の根本精神」であり、「人民の、人民による、人民のための政府」(リンカーン)に通じるものです。

(6)「経済は国家とは関係なく発展する」~ロックは、自然状態では人間はそれぞれ自由に経済活動を行っており、利潤追求をしていたとして、国家権力は国民の経済活動には口出しする必要はないと考えました。これはアダム・スミスが『国富論』で打ち出した「(神の)見えざる手」「自由放任」(レッセ・フェ-ル)の考えに他ならず、「古典派経済学」から「最大多数の最大幸福」を追求する功利主義、国家は最小限の機能にとどまるべしとする「夜警国家」論、さらには現代のグローバリズムにも通じる考え方と言えます。

「ロックの思想は脈々と民主主義の中に生きています。社会契約のアイデアは、今でも死んでいないのです。
 何よりの証拠に、日本国憲法前文を読んでごらんなさい。そこには、社会契約の思想が記されているではありませんか。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
――なんと、これはロックそのものですね。
 国民の信託とは、要するに国民同士が契約を結んで、自分の持っている権利を国家に預けたということです。日本の憲法にも、ロックは生きているのです!」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

「ロックの時代には事実としての私有財産はもちろん普通のことであったが、財産正当化の根拠を人間が労働を加えたことに求めたのは画期的なことであった。」(福田歓一『政治学史』)

参考文献:
『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社インターナショナル)
『経済学をめぐる巨匠たち』(小室直樹、ダイヤモンド社)
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー、岩波文庫)
『社会科学における人間』(大塚久雄、岩波新書)
『社会科学の方法』(大塚久雄、岩波新書)
『政治学史』(福田歓一、東京大学出版会)
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