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「サムライ・鈴木宗男、ロシアを取り戻せ!」

やっぱね~、宗男ちゃんが「ロシア」に行くと思っていたけど、ま、彼しか「日本」には「ロシアと対等に交渉できる人間」はイナイ。「猪木」は死んじゃったし、「エガちゃん」では「物足りない?」し、北朝鮮でもナイし。ただ「スタンドプレー?」だとか「たった一人がロシアに行って何ができる?」とか「政党の規則を破った?」だの「ロシアが勝つ!なんてどういうことじゃ?!」とかね~、ま、宗男ちゃんは、「政党には数日、届け出が遅れた」というのが「真相」みたいじゃけど、じゃ~「維新に届け出をしたからって、OKになっていたのかい?」ま、おそらく「ダメ」ってなったと思うけどね。まさか、宗男ちゃんもそれがわかっていて「ちょい強引に?強行突破?!」したのかも知れんね。ま、彼らし~ね。^^だけど、ボクからしたら「いつまで北方領土の”墓参り”とか”漁師の仕事の開始”とか”海難事故の調査開始?”とか、まあ、北海道関係だから色々の問題は「ウクライナ戦争」でちょいと止まっている感じじゃね。もちろん、「天然ガス」関係の問題も止まって、解消?となるかもしれんしね。(^^;それと、じゃ、ダレがロシアと交渉できるのか?ということじゃ。「岸田」はもう「ロシアの敵」となっているぜよ。「安倍」ちゃんならおそらくこんな「ヘマ?」はやってなかったかも。^^;「ロシア」なんてもう「不要」では?ってか??・・・ロシアは広いぜよ・・・ロシアは日本に一番近い「他国」じゃ・・・韓国よりも超近い・・・しかも天然資源や穀物等の食料は豊富・・とにかく「敵に回してはイケナイ国家」じゃ・・「ロシア」は自給率がハンパナイよ。いくら貧乏でも「自宅の他に”自給自足の
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色々ある意見の中で

多くの大人が良かれと思い、色んな意見を出し行動に移していく。違う意見の大人からすると、最悪の選択であり、行動と映る。民主主義? 多数決?民主主義に於いて、多数決で物事を決める場合は≪必ず議論を行う≫ことが条件となります。多数決=民主主義と思っている大人は、注意が必要です。物事は、多角的に見ることが出来ますので、解釈が違うのは当然です。反対意見の行動や活動を批判するのではなく、その行動や活動により還元を受けている人が居るのも事実ということを知る必要がります。何が正しくて、何が間違っているのか?判断が難しくなっていると思います。人を騙す。ボランティアと言いながら、特定にお金が流れる仕組み。当然と思っていても、平気で行う大人もいるので、悲しい気持ちになってしまいます。
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民主主義

この国は民主主義を標榜して実は違う。天皇が象徴にあって、その下で暗躍する、内閣の宰相と議員たちが天皇の権威をかさに着て利権を思うが儘に吸っているつまり議員を応援しているブルジョワは利益を最大限むさぼり、もし戦争になったり、外国の脅威にさらされたら、その責任は全部天皇に押し付けて自分たちは財産を隠してさっさと引退する気持ちでいる。これが1901年からずうっと続いてきた。米中同時金融恐慌と日本の震災で、日本は中国に貸した金を変えいてくれと迫るが、彼等は責任の所在を不明確にするために国を4分割する。それぞれの国が世界中から借りている約1京円のカネを互いになすり合って知らぬ存ぜぬを決める。英米仏はミサイル駆逐艦を東シナ海に派遣し、軍事演習をして約束を取り付けるが、日本はばかにされる。お前らそのうち中国の族国になるとまで言われる。腹を据えかねた日本の国民は政府に戦争やむなしを告げ政府は国会決議で戦争できる国になる。この時現天皇は平和憲法の守護神で父から平和の尊さを口を酸っぱく教わったので、国事行為をしなくなる。書類はたまり憲法の発布ができないので、伊勢神宮に流されるそうして次男坊と次男坊の長男が次期天皇ということになる。こうして2050年ごろ戦争が終結し、人民中國が消滅し、日本も責任をとることになって、その責が次男坊親子に行くことになるのだ。我々は民主国家の住民として洗脳されているが、やっていることは明治時代と変わらない。家族がいないだけ。その家族はブルジョワジーと言って株価資本主義の先鋭部隊みたいな感じだ。こうして天皇を担ぐことで自分の政治責任がうやむやとなって財産は隠れ国がどうなろう
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参政党という回答

(投票日が迫ってきたので急いで書きます)いよいよ参議院選挙。今の政府に任せていいのかそれとも野党か。いやいや我々の国を運営する体制を決める国政選挙だ。既存政党は懲り懲り。任せられない。というより誰のための政治をやっているのか。そうだ、自分たちで国を運営しよう。いつもCGSというYouTubeのチャンネルで勉強させていもらっていた神谷宗幣さんが作った政党。というより政党プラットフォームだ。参政党のことはここでは詳しく書かない(ググってくれ)が、理念が自分と一致する。子供の教育、食と健康、国まもりの三本柱を我々が議論し政策を決める。本来の民主主義の形だ。20代の頃からむしゃくしゃしてきたことが形になった感触。これだ。自分たちで国を運営できそうな思いになってきた。ここからだ。今まで政治家に政治を任せようと自分の思いが伝わりそうな人に投票してきたが、そうではなかったのだ。自分たちでやらなければ何も変わらない。一般庶民が馬鹿を見る世の中が続いていたのだ。私はある自民党議員に思いを託し支持してきたが、6年もの歳月が流れ、次の6年も同じことの繰り返しになることを危惧していた。もう限界だ。参政党の登場で20代の頃の思いが蘇ってきた。これからは自分たちで考え、自分たちが行動する。自分たちの代表者を国会に送り出し、本来の民主主義に戻そう。(7/10 8:00追記)投票完了。NHKの出口調査も聞かれたのでしっかり答えてきました。国民の手に主導権を取り戻し、我々が働いて稼いだGDPがグローバル勢力に流出するのを止めよう。old既成政党にはもう任せられない。日本が乗っ取られる前にみんな、意識を改め危機感
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「近代の論理~社会科学のエッセンス~⑪」 (4)近代ヨーロッパが世界の「覇者」となった秘密

②「契約思想」「革命思想」「選民思想」がもたらしたもの「近代民主主義」の大前提は「契約」を守ること~ヨーロッパだけに「契約とは言葉である」という概念が生れてきました。「契約」の特徴は「成文化されていること」「文章で書かれていること」にあり、「契約を守る」とは「契約を文面通りに守ること」を意味します。すなわち、契約を守ったか、破ったかが「一義的に確定」し、「二分法的に判定」し得るものでなければならないので、これは「集合論」の思想と言ってよいでしょう。もちろん、英国憲法のように成文化されていない、慣習法上の契約もあり得ますが、内容は一義的でなければならないのです。 「資本主義にしても、民主主義にしても、その根っこを掘っていけば、かならずキリスト教に突き当たる。  キリスト教の「神」があって初めて、人間は平等だという観念が生まれたのだし、また労働こそが救済になるという考えがなければ、資本主義は生まれてこなかった。  それだけでも日本人にとって、いろいろと考えさせられるわけですが、実はこれ以外にも大きな問題があるのです。  それは契約という概念です。この単語は、民主主義にとっても資本主義にとっても欠かすことのできないものなのですが、これもまた聖書から生まれた考えなのです。  はたして日本人は民主主義、資本主義を理解し、体得しているのか。そのゆゆしい問題を考えるうえで、契約は避けて通ることができない問題です。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』) ユダヤ教・キリスト教は「契約の宗教」である~神と人との「タテの契約」を人間同士の「ヨコの契約」に応用したことから、「契約の絶対性」という概念
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「近代の論理~社会科学のエッセンス~⑤」(2)「近代資本主義」は「市場の法則」を持つ

②思想的淵源としての「プロテスタンティズム」と理論的根拠を確立したロック思想 「プロテスタンティズムの三原理」~ドイツの宗教改革の指導者ルターは、教会を通じてこそ信仰が成り立ち、救済がなされるという従来のキリスト教のあり方を批判し、教会の権威や教義に縛られることなく、聖書を通じて一人一人が直接神と向き合う信仰によって罪から解放されると説きました。ルター時代にはサン・ピエトロ大聖堂の建設資金を集めるために贖宥状が販売され、「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と盛んに宣伝されていたのです。これに反発したルターの主張は、①聖書中心主義(聖書のみ、sola scripturaソラ・スクリプトゥーラ)、②信仰義認論(信仰のみ、sola fideソラ・フィデ)、③万人司祭主義、の3つに集約され、これをプロテスタンティズムの三原理と言います。かくしてヴィッテンベルク教会に「95か条の論題(意見書)」を提出し、贖宥状(免罪符)批判を展開します。贖宥状はルター時代よりも200年前に始まったものですが、「贖宥状を買えば魂が救済される」として教会の資金集めに使われ、特に強力な王権のないドイツは教会から搾取され、「ローマの牝牛」と言われていました。  「信仰のみ」とは信仰によってのみ救われるという信仰義認であり、ローマ=カトリックの善行も救いにあずかるとする行為義認に対抗する原理です。いわゆる贖宥状(免罪符)は善行の1つであり、カトリックは信仰義認+行為義認という二重性に立っていたのですが、ルターはパウロの原点に立ち返って信仰義認の立場を徹底化し、純化するのです。  「聖書のみ」とは聖
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「近代の論理~社会科学のエッセンス~④」(2)「近代資本主義」は「市場の法則」を持つ

①「近代法」「近代民主主義」「近代資本主義」は「三位一体」の関係にある 「人権」という概念は「近代民主主義」の誕生によって初めて生まれた~「議会」も「憲法」も「近代民主主義」より先に誕生していましたが、「人権」と「近代民主主義」はワン・セットです。「近代民主主義」が出て来るまでは「人権」という概念はありませんでした。また、「少年の人権」というものはなく、「少年の特権」なら存在します。 「さて、民主主義の誕生を語るためには、まず「民主主義とは何か」を明確にしておく必要があります。民主主義の定義が曖昧では、議論も曖昧になるというものです。  そこでまず、大切になってくるのが「人権」に対する理解です。人権という概念は、近代民主主義の誕生によって、初めて生まれたもの。  民主主義よりも議会や憲法は先に生まれていたわけですが、人権は違います。人権と民主主義はワンセットであり、切っても切れない関係にある。だから、人権が理解できていなければ、民主主義も理解できていないことになる。  ところが、困ったことに日本人は、この人権という言葉を実に理解していない。  その最たる例が、「少年の人権」などという言い方です。  つい先日も少年法改正をめぐる問題で、大新聞がさかんに「少年の人権を守れ」などと言った論説を掲げていました。未成年者の起こした事件を大人と同じように法廷で裁くのは、少年の人権という観点から考えると問題であるから、少年法を軽々しく改正すべきではないといった趣旨のキャンペーンが行なわれました。  しかし私に言わせれば、「少年の人権」など笑止千万、バカもいい加減にしなさいと言いたい。 ――い
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ギリシア・フリーク③:「古代民主主義」と「近代民主主義」は何が違うのか

●「古代民主主義」は「市民」の政治参加に意義がありました。 「アテネの民主政」~東方的専制支配に対するポリス的自由の勝利とされるペルシア戦争の勝利、デロス同盟の軍資金の流用、ペリクレスという卓越した指導者の存在などによって、アテネは「古代民主主義の黄金時代」を現出しました。ちなみに「民主主義」とは本来「思想」(~イズム)ではなく、「政体」(~クラシー)を指すため、正確には「民主政」ということになります。これはギリシア語で「デモクラティア」と言い、「民衆の支配」を意味します。アテネでは18歳以上の男子市民は全員民会に参加できましたが、女性・在留外国人・奴隷は除外されていました。これは「市民権」の平等主義であり、ローマ帝国においても相続されましたが、シェークスピアの「ベニスの商人」に見られるような「法の前の平等」、ルターに始まるプロテスタンティズムにおける「神の前の平等」にもつながってきます。 ●「近代民主主義」は「人権」の擁護に最眼目があります。 「人権」~「人間」が普遍的に持つとされる「諸権利の束」(human rights)です。中世「等族国家」(身分制国家)の「特権」(privilege)→近世「絶対主義国家」の「王権」(王の大権、prerogative)→近代国家の「主権」(sovereignty)と近代市民社会の「人権」という三段階で出現してきました。ちなみに少年法改正論議で「少年の人権」ということが盛んに叫ばれましたが、これは人間全般に適用されない、少年のみに許されたものであるので、実は「少年の特権」の誤解です。「人権」は普遍的ですが、「特権」は時代や社会の要請によっ
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自治会をアップデートする座談会vol12のアイキャッチ作りました。

行政区のなかの最小単位の組織が自治会だと思いますが、形骸化されたPTAの取り組みも自治会に同じような性質を持っているのではないでしょうか?今回の座談会のゲストは政治家でPTA会長を3年お勤めになられ「政治学者、PTA会長になる」の著者、岡田憲治さんをゲストにお迎えして「半径十メートルのミンシュシュギ」について参加者のみなさんと一緒に考えます。
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