ギリシア・フリーク③:「古代民主主義」と「近代民主主義」は何が違うのか

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●「古代民主主義」は「市民」の政治参加に意義がありました。
「アテネの民主政」~東方的専制支配に対するポリス的自由の勝利とされるペルシア戦争の勝利、デロス同盟の軍資金の流用、ペリクレスという卓越した指導者の存在などによって、アテネは「古代民主主義の黄金時代」を現出しました。ちなみに「民主主義」とは本来「思想」(~イズム)ではなく、「政体」(~クラシー)を指すため、正確には「民主政」ということになります。これはギリシア語で「デモクラティア」と言い、「民衆の支配」を意味します。アテネでは18歳以上の男子市民は全員民会に参加できましたが、女性・在留外国人・奴隷は除外されていました。これは「市民権」の平等主義であり、ローマ帝国においても相続されましたが、シェークスピアの「ベニスの商人」に見られるような「法の前の平等」、ルターに始まるプロテスタンティズムにおける「神の前の平等」にもつながってきます。

●「近代民主主義」は「人権」の擁護に最眼目があります。
「人権」~「人間」が普遍的に持つとされる「諸権利の束」(human rights)です。中世「等族国家」(身分制国家)の「特権」(privilege)→近世「絶対主義国家」の「王権」(王の大権、prerogative)→近代国家の「主権」(sovereignty)と近代市民社会の「人権」という三段階で出現してきました。ちなみに少年法改正論議で「少年の人権」ということが盛んに叫ばれましたが、これは人間全般に適用されない、少年のみに許されたものであるので、実は「少年の特権」の誤解です。「人権」は普遍的ですが、「特権」は時代や社会の要請によっていくらでも変化するのです。また、「憲法」も元々は貴族が「特権」を守るために「王権」に制限を加えようとしたものでしたが(「大憲章」)、後に「民主主義」に取り入れられて主要な要素となりました。そして、「議会」も元々徴税の便を図ることを目的とした、特権階級の代表たる諸身分の会議でしたが(「等族議会」「三部会」)、後に「民主主義」に取り入れられて主要な要素となったのです。かくして、「人権」の平等主義が現実化しますが、これは「達成された静止状態」ではなく、「不断に生み出されるプロセス」にこそ真髄があることに注意しなければなりません。

「近代法」~絶対的な力を持つ「国家主権」をマキャヴェリは『聖書』の怪物「リヴァイアサン」の名で呼びましたが、これに対して「人権」を擁護するために発達したのが近代法です。近代法の典型は憲法で、よく小学生が「お前、それは憲法違反だろ!」などと言ったりしていますが、そもそも小学生に憲法違反をすることは不可能です。憲法違反をすることができるのは国家のみなのです。また、民法は古代から「ローマ法大全」などがありますが、人権思想を根底に持つ「近代民法」の到達点は「近代的所有権の確立」となります。同様に、刑法も古代から「ハンムラビ法典」などがありますが、人権思想をふまえた「近代刑法」では「罪刑法定主義」が中心テーマとなります。ちなみに「近代法」「近代民主主義」「近代資本主義」は「人権」思想を中核に三位一体の構造を持つということを理解すると、社会科学の核心的理解が可能になります。
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