ギリシア・フリーク②:「ギリシア哲学」と「ギリシア科学(数学)」は西洋学問の原泉

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●「ギリシア哲学」は人類の精神的発達史における「自我の目覚め」です。
「ギリシア人であるとは知ること、すなわち物質の原初の実体を知ること、数の意味を知ること、一つの合理的全体としての世界を知ることであった。」(カント)

「アルケー(根元)」論~「ギリシア哲学」はイオニア自然学におけるから始まりました。「万物の根元」は水、火、四元素、数、原子などと考えたわけですが、これは子供が自然の事物に疑問を持ち、その背景や仕組みを追求しようとする営みと似ています。こうした行為が「哲学」(知を愛すること、philosophy)と呼ばれるに至りました。

「弁論術」~「賢者」「教養ある人」という意味で、初めての職業的教師とされる「ソフィスト」達によって、議会や法廷で勝つための弁論術・修辞学が専門的に教えられました。この時代は「人間が万物の尺度である」(プロタゴロス)と言われるように、「価値相対主義」「相対的自己認識」を特徴としており、「思春期」において「人間」「人間関係」に関心が強まり、人との関係で自己を把握する(このため、自意識過剰になったり、優越感や劣等感が生じたりするわけです)のと似ています。こうした「弁論」によって大衆の支持を得ることはローマにおいても受け継がれ(例えば、シーザーに見られるような「喝采によるカリスマ」)、今日のロンドンのハイド・パークでも市民が自由に演説(ただし、イギリス王室への批判とイギリス政府の転覆という2つは許されません)をしていて、その伝統が受け継がれていることが窺えます。

「アレテー(徳)」論~ソクラテスはデルフォイ神殿に掲げられた「汝自身を知れ」という格言を踏まえ、ついに「無知の知」(知るべきことを知っていないが、それを知らないということだけは知っている)の自覚に至りました。多くの人は知るべきことを知らないにもかかわらず、それを知っていないことすら知らない「無知の無知」状態であり、ここから「無知の知」を経て、知るべきことを知った「真知(エピステーメ)」の状態に至るというわけです。この「知るべきこと」が人間の本質「アレテー」であり、それは知って終わりではなく、その如く生きてこそ意味を持つものなので、「知徳合一」「知行合一」という立場になります。したがって、これは孔子なら「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」と言う所ですが、「これを知ったら死んでもよい」と言えるような「実存的知」と言ってもよいでしょう。人は「思春期」に至って「人生の意味や目的」を考えるようになりますが、ソクラテスの出現は人類がそのようなレベルに達したことの証左でもあります。また、「無知」を自覚させるための「問答法」「産婆術」と呼ばれる議論は「古代の素朴な弁証法」「ソクラテスの弁証法」と言ってよく、これも西洋における「議論」の伝統を作ったと思われます。
「ギリシア人は如何なる民族にもまして談話なくしては精神の発展を考え得ず、したがって彼らの思考の場所はアゴラ(公共広場)とシュンポシオン(饗宴)であった。」(ブルクハルト)

「イデア」論~プラトンは目に見えない「本質界」「実在界」(今日的に言えば「霊界」ですが、数学的に言えば「虚数空間」となるでしょう)に普遍的真理たる「イデア」を見出し、その実現を理想としました。その後の哲学が「真理」を発見しようとするのも、科学が「法則」を発見しようとするのも、この「イデア」の追求に他なりません。そのため、ホワイトヘッドは「西洋哲学史2000年はプラトン哲学に対する注釈に過ぎない」とまで言ってのけています。逆にプラトンに批判的なポパーは「プラトンの呪縛」と言っています。

「形相(エイドス)と質料(フューレ)」論~プラトンは「イデア」を「現象界」「現実界」に置かず、「二元論」の立場を取りましたが、これはキリスト教に取り入れられ、「聖俗二元論」が発達しました。「現世蔑視」「来世志向」もこれによって強化されたのです。これに対して、アリストテレスは「イデア」を個々の事物の中に見出し、これを「形相(エイドス)」と呼びました。アリストテレスはこのように「総合」「統合」の名手であり、あらゆる学問を体系的に整理して「万学の祖」と称えられ、「アリストテレスの呪縛」と言えるほど中世ヨーロッパの学問を支配したのです。

●ギリシア数学は「証明」を人類にもたらし、ギリシア科学は卓絶した段階に到達していました。
「ギリシア人は異国の民(バルバロイ)から受け取ったものを、皆最後にいっそう美しく完成する。」(プラトン)
「数学が成長して諸科学の根本になれたのは、ギリシャの形式論理学と結合したからである。・・・論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。・・・一貫した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学が諸科学の王となり、これらを制御し、その下に発展させた理由である。」(小室直樹)

「証明」~「公理主義」「公理的論証数学」と言ってもいいですが、「証明」とは個人が独断的に思考することではなく、公共的承認を要求するものであるので、承認を得たものは「公共財産」となります。「数学」はこうした先人の営みの上に立って発達し、ニュートンはこれを「巨人の肩の上に立って遠くを見る」と表現しましたが、それはこのギリシア数学に淵源しているのです。今日もてはやされている「論理的思考力」なるものも、こうした「証明」の発想に基づくものです。

「形式論理学」~近代数学の論理は形式論理学であり、アリストテレスが完成させました。これは次の3つの基本原則からなります。
①「同一律」~AはAである。これを正しく使うためには「定義」を「一義的」に下しておかなければなりません。
②「矛盾律」~AはBである、AはBであるという2つの命題がある時、両方とも真あるいは偽であることはない。この矛盾絶対禁止の大原則が数学に「背理法」という絶大な威力を持つ研究法を与えました。ちなみに「完全理論」と呼ばれた「ユークリッド幾何学」の第五公理「直線外の任意の一点を通って、これと平行な直線がただ一つ引ける」に対し、ロバチェフスキーが「背理法」を用いて、「一直線外の一点を通ってその直線に平行な直線は一本とは限らない」という仮説を置いたら、「矛盾」が生じなかったのです。「非ユークリッド幾何学」の誕生です。かくして、「ユークリッド幾何学」の誕生以来、自明な真理とされてきた公理は仮定に過ぎなくなり、数学者・科学者は真理発見者ではなく、模型構築者(モデル・ビルダー)に変わってしまったことはよく知られています(「数学革命」「科学革命」)。
③「拝中律」~AはBである、AはBであるという2つの命題がある時、両者の中間はなく、これら以外にない。

「帰納法」~「特称命題」(ある特定のものについての判断)から「全称命題」(全てのものについての判断)の帰結を得る推論です。ちなみに自然科学の実験は法則が常に成り立つことを証明するものではなく、成り立ち得ることを証明するに過ぎない「不完全帰納法」です。これに対して、ある命題がn=1の時成り立ち、n=kの時に成り立つとすればn=k+1にも成り立つことを証明すれば、全ての自然数の時に成り立つことが証明されるように、「全ての自然数について成り立つ」命題を証明する数学的帰納法のみが「完全帰納法」であるとされます。

「ギリシア科学」の到達水準~ピタゴラスは「三平方の定理」を発見すると共に「無理数」の存在に気づき、プラトンはアカデメイアに「幾何学を学ばざる者、この門を入るべからず」と記して幾何学を必須の学問とし、アリストテレスは「形式論理学」を完成させると共に諸学問を整備・確立して「万学の祖」と呼ばれました。また、ユークリッド(エウクレイデス)は「完全理論」と称えられた「ユークリッド幾何学」を構築し、アルキメデスは「浮力」を発見し、たくさんの鏡で太陽光を集めて敵船を焼いたり、「我に支点を与えよ。そうすれば地球でも動かして見せよう」と言ったり、エラトステネスは地球の円周を算出していました。そもそも古代ギリシア人は遠方からの船の現われ方で、「世界」が「球形」であること、すなわち「地球」であることを理解していたのです。
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