①「近代」は人類歴史における「アイス・ブレーク」期
「人口」「科学技術」「生産力」「文化」といった多分野において、「近代」は一大変革期であった~「現代」社会は「近代」社会の直系です。近代は「ナショナリズム」を生み出し、「理性」に基づく個人主義を根本に持ちます。現代は「グローバリズム」を生み出し、「共感」に基づく共生主義への可能性を持っています。こうした「近代」の特性から「現代」への変遷は、大学入試における最頻出重要分野の1つでもあります。
【早稲田大学商学部2018年度出題】
「西暦一〇〇〇年頃から千年の歴史の中で、封建領主、教会、都市国家、帝国など、さまざまな統治形態が登場したが、一七世紀頃から「主権国家」が最も有力な統治形態として優位を占めるようになり、その主権国家は一九世紀頃から「国民国家」へと収斂していくようになった。
この国家の形成の歴史は、チャールズ・ティリーの言う「強制集約」型と「資本集約」型(あるいはウィリアム・マクニールの用語に従えば「指令志向」型と「市場志向」型)という二種類の社会関係の様式が、「資本化強制」型へと総合し、収斂していく過程として解釈することができる。
「強制集約」型国家は、もっぱら強制力を伴う指令によって資源を動員する。「資本集約」型国家は、もっぱら市場を通じて資源を動員する。これに対して、「資本化強制」型国家は、国家の強制的な指令が市場を介した経済活動に影響を及ぼすことで資源を動員する。これにより、「資本化強制」型国家は、「強制集約」型国家や「資本集約」型国家よりも効率的かつ大規模に資源を動員することができるようになった。その結果、国家の資源動員の能力が強化されたのみならず、市場経済も著しく発達することになり、「資本化強制」型国家はますます強力になり、国家間の闘争を勝ち抜いていったのである。
この「資本化強制」型国家こそが「主権国家」なのであり、そのより発達した形態としての「国民国家」なのである。統治形態が国民国家へと収斂していったのは、それが資源動員において最も高い能力を有していたからなのである。そして、国家の指令が市場に及ぼす「資本化強制」型国家の資源動員とは、今日、「経済政策」として理解されているものにほかならない。
「資本化強制」型国家の権力が強大であるのは、それが「インフラストラクチャー的権力」であることによる。一方的な指令によって人民を動員する「強制集約」型国家の「専制的権力」とは異なり、「インフラストラクチャー的権力」は、制度を通じて市民社会と交流・調整しつつ、資源を動員する。その制度には、共通の言語、宗教、通貨、法制度、あるいはシティズンシップが含まれる。「資本化強制」型国家は、こうした制度を介して市民社会や市場と有機的な相互依存関係を形成することで、専制的権力よりも大規模かつ効率的な資源動員を可能とするのである。
インフラストラクチャー的権力は、制度を一元的に管理できる中央集権的な公的権力の存在を必要とするが、領域国家は、領土内において公的権力の一元化・中央集権化を可能とするものである。それゆえ、インフラストラクチャー的権力を行使する「資本化強制」型国家は、領域国家の形態をとる。近代国家の基本的な法的・政治的制度や経済制度が領土の制約を受けるのは、そのためである。
また「資本化強制」型国家のインフラストラクチャー的権力は、「強制」と「資本」、あるいは「指令志向型」と「市場志向型」のハイブリッドであり、国家と市場の相互浸透という構造を有しているが、このハイブリッドの構造の相似形は、今日の資本主義経済におけるさまざまな制度の中にも見出すことができる。
たとえば、国民通貨は、国定信用貨幣論が明らかにするように、民間の信用取引から貨幣が供給されるという内生的貨幣供給論と、貨幣は国家の産物であるという外生的な表券主義のハイブリッドである。あるいは、中央銀行という組織は半官半民であり、民間の信用貨幣による支払い決済システムに国家が参入したものである。国債もまた、国家財政が民間金融市場に参入し、浸透したものと解することができる。
国民通貨、中央銀行、国債といった制度は、国家のマクロ経済運営にとって不可欠な政策手段であるが、いずれも国家と市場のハイブリッドの構造を有している。国家の経済における強力なインフラストラクチャー的権力は、これらの制度のハイブリッドな構造から生じているのである。
こうして国家は、財政金融政策によって、資本主義の不安定な動態を制御できるようになった。特に第二次世界大戦後になると、ケインズ主義的なマクロ経済運営によって安定化した資本主義は、飛躍的な発達を遂げることになった。
資本主義の発展は、理論的に言っても、あるいは歴史的に見ても、国民通貨、中央銀行、国債といった制度がなければあり得なかった。クナップが言ったように、資本主義は国家が育てたものである。」(中野剛志『富国と強兵 地政経済学序説』)
【早稲田大学社会科学部2018年度出題】
「二一世紀の世界は、カントやヘーゲルが生きた時代の世界と大きく異なった構造をしている。むかしもいまもともに国民国家を基礎とし、国家が集まって国際社会をつくっているが、その集まりかたやつくりかたはまったく異なっている。国家について考えることが政治について考えることに等しいとは、もはや言えない。現代世界では、国家を介さない政治、もはや国家には管理できない政治の領域が巨視的にも微視的にも広がっている。だからぼくたちは新しい政治思想を必要としている。
まずは国家のイメージについて考えてみよう。そもそも国家とは何か。ヘーゲルは国家を市民社会の自己意識だと捉えた。
ある土地にたくさんの個人が住み、たがいの生産物を交換し、ともに生きる。それが市民社会だが、それだけでは国家は生まれない。なぜならば、彼らは、自分たちがなにをしているかを自覚せず、ただ目のまえの必要性に駆動されて交換しているだけだからである。彼らがその現実について反省し、自分たちがなぜこの他者たちと関わりをもっているのか、その理由を探りアイデンティティの意識が加わることではじめて国家は生まれる。それがヘーゲルの哲学の要である。
国家とは市民社会の自己意識である。この単純な定義はいまでも大きな示唆を与えてくれるが、もうひとつ同じように注目すべき定義がある。
カントは『永遠平和のために』で、「国家をもった民族」はひとつの人格をもつものと見なしてさしつかえないと記している。
その想定は、たんなる思いつきにとどまらず、カントの議論の要になっていると考えられる。というのも、彼は、複数の国家が国際社会を構成することと複数の人間が市民社会を構成することを類比的に並べ、そこから国際体制論を始めているのだが、そのような類比はそもそも国家を人間と等値しないと成立しないからである。それゆえ、同じ等値は『永遠平和のために』のほかの箇所でも顔を出している。たとえばカントは、永遠平和を目指す国家連合の設立のためには、構成国それぞれがまず共和国にならねばならないと主張する。この規定の意味についてはさまざまな研究があるが、とりあえずここで重要なのは、国家が共和国にならないと国家連合に入れてもらえないというその話は、構造的には、人間が大人にならないと市民社会に入れてもらえないという、ごくありふれた「おまえも大人になれ」的な話と完全に同じかたちをしているということである。カントは、人間が成熟すれば市民社会をつくるように、国家もまた成熟すれば永遠平和をつくると考えた哲学者だった。
カントは国家を人格だと考えた。ヘーゲルは、国家を市民社会の自己意識だと考えた。このふたつの定義を組み合わせると、つぎのイメージが導かれる。人間に身体と精神があるように、*国民国家(ネーション)には市民社会と国家があるというイメージである。ネーションというひとつの「実体」の身体的な側面と精神的な側面、あるいは経済的な側面と政治的な側面、それぞれが市民社会と国家に相当する。
このイメージは、ナショナリズムの時代の世界観をきれいに表現している。ナショナリズムがいつ始まったのか、その規定は研究者により異なるが、大澤真幸『ナショナリズムの由来』によれば、ナショナリズムは、起源こそ絶対王政期に遡るが、本格的に始動したのは、一八世紀末から一九世紀にかけて、まさにカントとヘーゲルが活躍した時代のことである。その時代には、ネーションの単位で政治制度が整備されるとともに、それまでなかば自然に生まれていた徴税や経済の範囲が、「国民経済」という言葉であらたに捉え返されるようにもなった。言語や生活様式を共有する人々が住み、同じ法や警察に支配され、統一の意志のもとで交通網が整備された一定の地理的領域が、政治の単位だけではなく、経済の独立した単位としても認識されるようになったのである。そしてそれは、のちに文化の単位とも見なされるようになった。
カントとヘーゲルはナショナリズムの出発点に立ち会った。それゆえ彼らの国家観は、来るべきナショナリズムの時代における世界観のひな形となった。そこでは、個人でも家族でも部族でもなく、あらたに現れた「ネーション」なる単位こそが、政治と経済と文化の共通の基体と見なされたのだ。
しかしながら、ぼくたちはもはや、以上のような素朴なナショナリズムの時代には生きていない。
ぼくたちはいま、食べるもの、着るもの、見るもの、聴くもの、ほぼすべての商品が、国境を越えて、つまりネーションなど存在しないかのように流通している時代に生きている。ぼくたちは、東京でもニューヨークでもパリでも北京でもドバイでも、どこでも変わらずマクドナルドでハンバーガーを食べ、GAPで服を買い、ショッピングモールでハリウッド映画を観ることができる。あるていど豊かで安全な都市を歩いているかぎり、人々の服装や街頭の広告はほとんど変わらず、ネーションのちがいを意識する必要はほとんどない。言い換えれば、人類社会は、消費という点ではほとんどひとつの社会になりつつある。冷戦後のこの四半世紀でその変化は劇的に進んだ。これからもその変化はますます進むことだろう。ネーションはいまや経済と文化の基体になっているのだ。
にもかかわらず、ここで問題なのは、そんな現代でも、いまだ国境は存在し、ネーションもナショナリズムも存在していることである。それどころか、それらの存在感は逆に増し始めている。去る二〇一六年は、世界各国でグローバリズムへの反発が顕わになった年だった。イギリスはEUからの離脱を決め、アメリカはトランプ大統領を選出した。ヨーロッパの世論は難民の排除に大きく傾いている。日本でも近年は公然と排外主義が語られている。
かつて、ナショナリズムの時代は終わり、これからはグローバリズムの時代が来ると楽観的に語られたことがあった。いまでも情報社会論ではそのような楽観主義が見られる。しかしその「移行」は、かりに未来では実現するとしても、そう簡単に進むものではなさそうである。現実にはこの四半世紀、グローバリズムが高まるとともに、ナショナリズムもまたその反動として力を強めている。そしていまや両者の衝突こそが政治問題となっている。つまりは、世界はいま、一方でますますつながり境界を消しつつあるのに、他方ではますます離れ境界を再構築しようとしているように見える。ぼくたちが生きているのは、カントが夢見た国家連合の時代(ナショナリズムの時代)でもなければ、SF作家やIT起業家が夢見る世界国家の時代(グローバリズムの時代)でもなく、そのふたつの理想ので特徴づけられる時代である。
この分裂はなぜ生じたのだろうか。
ナショナリズムの時代の世界像の意味を、あらためて考えてみよう。そこで、国家と市民社会は、ひとつの実体(ネーション)の精神と身体になぞらえられていた。
ここで精神と身体の対比を、フロイト的な意味での「意識」と「無意識」の対比に、あるいはさらに低俗に、「上半身」と「下半身」の対比に重ねてみる。上半身は思考の場所、下半身は欲望の場所である。だとすれば、国民にとって、国家=政治は思考の場所、市民社会=経済は欲望の場所だと言うことができる。実際、国民は政治の場では政策について理性をもって熟議するし、経済の場では必要と欲望にしたがい自由にモノを購買するものだと見なされている。
国民はふだん、政治の合理的な思考に基づき行動している。少なくともそのつもりになっている。そして他国に見せるのは、カントが言うように国家という顔=人格だけである。けれども、現実にはつねに、市民社会に渦巻く非合理的な欲望に悩まされている。排外主義やヘイトスピーチを想像してみてほしい。したがって、その欲望の管理は、健全な国際秩序を設立するうえで致命的に重要になる。
国民国家(ネーション)は、国家と市民社会、政治と経済、上半身と下半身、意識と無意識のふたつの半身からなっている。カントとヘーゲルは、この前提のうえで、国家が市民社会のうえに立ち、政治の意識が経済の無意識を抑えこんで国際秩序を形成するのが、人倫のあるべきすがただと考えた。
ナショナリズムの時代においては、国家と市民社会、政治と経済、公と私のふたつの半身が合わさり、ひとつの実体=ネーションが構成されていた。だからこそネーションがすべての秩序の基礎となりえた。けれども、二一世紀の世界ではまさにその前提こそが壊れているのである。そしてここで重要なのは、けっしてネーションそのものが壊れたのではなく、ただネーションの統合性が壊れただけだと理解することである。
いまもネーションは生き残っている。政治はいまだにネーションを単位に動いている。政治家は国民から信任を集め、国民のために働いている。そこには厳然とネーションの感覚がある。けれども経済はネーションを単位としていない。商人は世界中の消費者に商品を売り、世界中の消費者から貨幣を集めている。大企業だけでなく、驚くほど小さな企業や個人さえ、いまや国境を越えて商売をしている。そこにネーションの感覚はない。政治の議論はネーション単位で分かれているが、市民の欲望は国境を越えてつながりあっている。それが二一世紀の現実である。
言い換えれば、ぼくたちが生きるこの二一世紀の世界においては、国家と市民社会、政治と経済、思考と欲望は、ナショナリズムとグローバリズムというふたつの原理に導かれ、統合されることなく、それぞれ異なった秩序をつくりがえてしまっているのだ。グローバリズムはナショナリズムを破壊したのではない。それを乗り越えたのでもない。ましてその内部でナショナリズムを生みだしたのでもない。それは、単純に、既存のナショナリズムの体制を温存したまま、それに覆いかぶせるように、まったく異質な別の秩序を張りめぐらせてしまったのである。」(東浩紀『観光客の哲学』)
*国民国家(ネーション)…一つの国に所属しているという意識をもつ人々(=国民)によって構成され、法や行政などの諸制度(=国家)によって統合された、政治的・経済的・文化的な共同体をいう。
【東京大学2021年度出題】
「「近代化」は、それがどの範囲の人びとを包摂するかによって異なる様相を示す。「第一の近代」と呼ばれる*1フェーズでは、市民権をもつのは一定以上の財産をもつ人にかぎられている。それは、個人の基盤が私的所有におかれており、財の所有者であってはじめて自己自身を所有するという意味での自由を有し、ゆえに市民権を行使することができるとみなされたからである。この制限は徐々に取り払われ、成人男子全員や女性に市民権が拡張されていく。市民権の拡張とともに今度は、社会的所有という考えにもとづき財を再分配する社会保障制度によって、「第一の近代」では排除されていた人びとが包摂され、市民としての権利を享受できるようになる。これがいわゆる福祉国家であり、人びとはそこで健康や安全などの生の基盤を国家によって保障されることになったのである。それでも、理念的には国民全体を包摂するはずの福祉国家の対象から排除される人びとはつねに存在する。
人類学者が調査してきたなかには、国家を知らない未開社会の人びとだけではなく、すでに国民国家という枠組みに包摂されたなかで生きる人たちもいる。ただそこには、なんらかの理由で国家の論理とは別の仕方で生きている人たちがいて、国家に抗したり、その制度を利用したりしながら生きており、そうした人たちから人類学は大きなインスピレーションを得てきた。ここでは、国家のなかにありながら福祉国家の対象から排除されてきた人びとが形づくる生にまつわる事例を二つ紹介しておこう。
第一の例は、*2田辺繁治が調査したタイのHIV感染者とエイズを発症した患者による自助グループに関するものである。タイでは一九八〇年代末から九〇年代初頭にかけてHIVの爆発的な感染が起こった。そのなかでタイ国家がとった対策は、感染していない国民の感染予防であり、その結果すでに感染していた者たちは逆に医療機関から排除され、さらには家族や地域社会からも差別され排除されることになった。孤立した感染者・患者たちは互いに見知らぬ間柄であったにもかかわらず、生き延びるために、エイズとはどんなものでそれをいかに治療するか、この病気をもちながらいかに自分の生を保持するかなどをめぐって情報を交換し、徐々に自助グループを形成していった。
HIVをめぐるさまざまな苦しみや生活上の問題に耳を傾けたり、マッサージをしたりといった相互的なケアのなかで、感染者たちは自身の健康を保つことができたのだ。それは「新たな命の友」と呼ばれ、医学や疫学の知識とは異なる独自の知や実践を生み出していく。そこには非感染者も参加するようになり、ケアを必要とする者とされる者という一元的な関係とも家族とも異なったかたちでの、ケアをとおした親密性にもとづく「ケアのコミュニティ」が形づくられていった。「近代医療全体は人間を徹底的に個人化することによって成立するものであるが、そこに出現したのはその対極としての生のもつ社会性」(田辺)だったのである。
こうした社会性は、福祉国家における公的医療のまっただなかにも出現しうる。たとえば筆者が調査したイタリアでは、精神障害者は二〇世紀後半にいたるまで精神病院に隔離され、市民権を剥奪され、実質的に福祉国家のに置かれていた。なぜなら精神障碍者は社会的に危険であるとみなされていて、彼らから市民や社会を防衛しなければならないと考えられていたからである。精神病院は治療の場というより、社会を守るための隔離と収容の場であった。
しかしこうした状況は、精神科医をはじめとする医療スタッフと精神障害をもつ人びとによる改革によって変わっていく。一九六〇年代に始まった反精神病院の動きは一九七八年には精神病院を廃止する法律の制定へと展開し、最終的にイタリア全土の精神病院が閉鎖されるまでに至る。病院での精神医療に取って代わったのは地域での精神保健サービスだった。これは医療の名のもとで病院に収容する代わりに、苦しみを抱える人びとが地域で生きることを集合的に支えようとするものであり、「社会」を中心におく論理から「人間」を中心におく論理への転換であった。精神医療から精神保健へのこうした転換は公的サービスのなかで起こったことであり、それは公的サービスのなかに国家の論理、とりわけ医療を介した管理と統治の論理とは異なる論理が出現したことを意味している。
その論理は、私的自由の論理というより共同的で公共的な論理であった。たとえば、病院に代わって地域に設けられた精神保健センターで働く医師や看護師らスタッフは、患者のほうがセンターにやってくるのを待つのではなく、自分たちの方から出かけて行く。たとえば、地域に住む若者がひきこもっているような場合、個人の自由の論理にしたがうことで状況を放置すると、結局その若者自身と家族は自分たちではどうすることもできないところまで追い込まれてしまうことになる。そのような事態を回避し、地域における集合的な精神保健の責任をスタッフは負うのである。そこにはたしかに予防的に介入してリスクを管理するという側面がともないはするが、そうした統治の論理を最小化しつつ、苦しむ人びとの傍らに寄り添い彼らの生の道程を共に歩むというケアの論理を最大化しようとするのである。
二つの人類学的研究から見えてくるのは、個人を基盤にしたものと社会全体を基盤におくものとも異なる共同性の論理である。この論理を、明確に取り出したのが*3アネマリー・モルである。モルはオランダのある街の大学病院の糖尿病の外来診察室でフィールドワークを行い、それにもとづいて実践誌を書いた。そのなかで彼女は、糖尿病をもつ人びとと医師や看護師の協働実践に見られる論理の特徴を「ケアの論理」として、「選択の論理」と対比して取り出してみせた。
選択の論理は個人主義にもとづくものであるが、その具体的な存在のかたちは市民であり顧客である。この論理の下では患者は顧客となる。医療に従属させられるのではなく、顧客はみずからの欲望にしたがって商品やサービスを主体的に選択する。医師など専門職の役割は適切な情報を提供するだけである。選択はあなたの希望や欲望にしたがってご自由に、というわけだ。これはよい考え方のように見える。ただこの選択の論理の下では、顧客は一人の個人であり、孤独に、しかも自分だけの責任で選択することを強いられる。*4インフォームド・コンセントはその典型的な例である。しかも選択するには自分が何を欲しているかあらかじめ知っている必要があるが、それは本人にとってもそれほど自明ではない。
対してケアの論理の出発点は、人が何を欲しているかではなく、何を必要としているかだる。それを知るには、当人がどういう状況で誰と生活していて、何に困っているか、どのような人的、技術的*5リソースが使えるのか、それを使うことで以前の生活から何を諦めなければならないのかなどを理解しなければならない。重要なのは、選択することではなく、状況を適切に判断することである。
そのためには感覚や情動が大切で、痛み苦しむ身体の声を無視してたとえば薬によっておさえこもうとするのではなく、身体に深くみこむことが不可欠である。であり予測不可能で苦しみのもとになる身体は、同時に生を享受するための基体でもある。この薬を使うとたとえ痛みが軽減するとしても不快だが、別のやり方だと痛みがあっても気にならず心地よいといった感覚が、ケアの方向性を決める羅針盤になりうる。それゆえケアの論理では、身体を管理するのではなく、身体の世話をしえることに主眼がおかれる。そこではさらに、身体の養生にかかわる道具や機械、他の人との関係性など、かかわるすべてのものについて絶え間なく調整しつづけることも必要となる。つまりケアとは、「ケアをする人」と「ケアをされる人」の二者間での行為なのではなく、家族、関係のある人びと、同じ病気をもつ人、薬、食べ物、道具、機械、場所、環境などのすべてから成る共同的で協働的な作業なのである。それは、人間だけを行為主体と見る世界像ではなく、関係するあらゆるものに行為の力能を見出す生きた世界像につながっている。」(松崎健「ケアと共同性――個人主義を超えて」)
*1 フェーズ…物事の局面・段階。位相。
*2 田辺繁治…一九四三年~。文化人類学者。
*3 アネマリー・モル…一九五八年~。文化人類学者・哲学者。
*4 インフォームド・コンセント…医師が患者に治療方法を説明して同意を得ること。
*5 リソース…資源。資産。
参考文献:
『富国と強兵 地政経済学序説』(中野剛志、東洋経済新報社)
『観光客の哲学』(東浩紀、ゲンロン叢書)
『文化人類学の思考法』(松村圭一郎・中川理・石井美保編、世界思想社)