「近代の論理~社会科学のエッセンス~⑫」 (4)近代ヨーロッパが世界の「覇者」となった秘密

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③「帝国主義」が「世界大戦」を生み出した

ヨーロッパの論争技術「国際法」~ドイツ三十年戦争(1618~1648年)後のウェストファリア条約によって、主権国家の概念や国際秩序が初めて形成されますが、こうした中で自然法とローマ法の伝統の中から国際法が発達していきます。この理論を体系化したのは、『戦争と平和の法』を著したオランダのグロティウス(1583~1645年)です。
 「国際法」の中心は「戦時国際法」であり、戦争の惨禍を少しでも軽減することを目的として発達し、各主権国家は国際法を手段として相手国の戦争行為を批判するようになります。すなわち、国際法は国家間の国際的論争の方法として盛んに用いられるようになるのです。
 古代ギリシャのアテネではデモクラシーと裁判が発達したため、「論争の技術」として討論が普及し、論理が完成されて「形式論理学」に至りましたが、ヨーロッパでは「近代国際法」がこれを受け継いで、論争の技術をさらに発達させていくのです。

「そもそも近代国際社会においては、すべての国は「主権国家」として同格であるというのが大原則です。つまり国家は平等である。
 もちろん、いくら国際社会が平等だからといって、そこにはおのずから限界はあります。やはり小さな国は大きな国の顔色が気になるでしょうし、また国家同士で結んだ条約は守らなければなりません。しかし、基本的には国家はみな対等であるというのがヨーロッパ国際法の建前なのです。
 といっても、以上の話はすべて20世紀後半、第2次世界大戦が終わってからの「常識」です。
 それ以前の国際社会においては、すべての国が平等であるなどという考えはどこにも実現されていなかった。
 そもそも国際法という概念はヨーロッパ大陸で生まれたルールです。したがって、当初の国際法は、ヨーロッパとアメリカ大陸の白人国家以外には適用されなかった。
 つまり、白人たちが「野蛮」だと認めた地域では、国際法のルールはまったく関係なかった。だから住民を皆殺しにするのも、彼らの財産を略奪するのも合法、住民を奴隷として売り飛ばすのも合法。何をやっても合法であると考えられていたわけです。
 こうして白人たちは地球上のありとあらゆる場所を略奪し、植民地にしていったわけですが、やがて彼らは中国などの、文明国家と接触するようになります。さて、こうした異種の文明国と出会ったときに、ヨーロッパ人も困った。
 というのは、さすがにヨーロッパ人から見て中国の王朝を「野蛮国」とまでは断定できない。ヨーロッパより中国のほうが優れている点はいくつもある。さりとて、対等の主権国家と見なすのも癪である。
 そこで彼らが考えたのが「半主権国家」「半独立国」などという、いかがわしい概念です。…
 彼らの論理によれば、中国のように、いかに文明の程度が高かろうと主権国家とは認められない。問題は資本主義の発達であるというのです。
 資本主義がひとかけらもなければ、どんな文明国でも主権国家ではない。いや、国家ですらないと考えた。したがって、そういう「無主権」の国に対しては、住民を虐殺するのも奴隷にして売り飛ばすのも勝手である。また、もし、その国の資本主義が中途半端なものであれば、その国は半独立国、半主権国家と考えたのです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)        

「近代国際法」は「主権国家」を前提として作られた~慣習法である国際法では「事情変更の原則」が適用されます。これに対して、国際法以外の法律は廃止になるまで有効です。例えば、日独伊三国軍事同盟は成文化された条約なので、明確な国際法として各国を当然法的に拘束するわけですが、廃棄手続きを一切取っていません。しかし、これが戦後も有効だと考えている人は一人もいないでしょう。国際法は慣習法であり、「条文に書いてあるからといって有効とは限らない」ということの証左です。その法的精神(リーガル・マインド)が国民の間に浸透し、定着していないと、条文に書いてあっても現実的には意味がないわけです。ちなみに「憲法」も「国際法」同様、「慣習法」なので、条文が事実上空文になることがあります。日本国憲法第9条が良い例でしょう。

「憲法は公式に廃止を宣言されなくても死んでしまうことがあるのです。
 その最たる例は、ドイツのワイマール憲法でしょう。
 ご承知のとおり、第1次大戦でドイツは敗れるのですが、このときドイツ革命がおきて、皇帝ウィルヘルム2世は亡命してしまいます。この結果、ドイツにはワイマール共和国が誕生します。このときの話をすればキリがありませんが、そこでできたのがワイマール憲法です。
 このワイマール憲法は当時、「世界で最も進んだ憲法」と言われていました。たしかに、その条文は時代の先端を行くものでした。国民主権が導入され、大統領は直接選挙で選ぶことになりましたし、また基本的人権についても、労働者の「社会権」が保障されるなど、ひじょうに先進的な内容だと評価が高かった。「ドイツの憲法こそが、20世紀の憲法の手本だ」などと言われたものです。
 ところが、そのワイマール憲法はあっさり死んでしまいます。
 その下手人というか、主人公になったのは、言うまでもありません、ヒトラーです。
 といっても、ヒトラーはワイマール憲法にはいっさい手を触れていません。廃止していないのです。
 そもそもヒトラー率いるナチスは、政権を取るまでワイマール憲法に従って行動しています。ナチスは憲法に従って国会選挙で勝利を収めて、1932年、第一党になります。ヒトラーが1933年1月30日、首相に就任したのも憲法規定に基づいた、合法的なことでした。つまり、このときはまだワイマール憲法は生きていたと言えるでしょう。
 では、ワイマール憲法はいつ死んだのか。
 それは1933年3月23日のことである、というのが多くの憲法学者の意見です。この日、ドイツの議会ではひじょうに重要な法案が可決されました。それが「全権委任法」(授権法、翌日公布・施行)です。
 この法は、法律を制定する権利、つまり立法権を政府にすべて与えるというものでした。本来、法律の制定権は立法府である議会のものであって、行政府のものではありません。これは議会政治の基本中の基本と言うべきこと。どの憲法もその趣旨で作られています。
 ところが、この全権委任法によって議会は立法権をヒトラーに譲り渡してしまった。この結果、彼は自分の望むとおりに法律を作り、それを執行することができるようになりました。この全権委任法の後ろ盾があるから、彼は「合法的」にドイツの独裁者になれたというわけです。
 さて、こうした状況に対して、憲法学者はどう考えるか。ここが大切なところです。
 憲法学者は「全権委任法はワイマール憲法違反だから、無効である」とは考えない。実際のところ、違憲だろうが何だろうが、現実にこの法律によってヒトラーはドイツの独裁者になっているのですから、そんな議論は無意味です。
 ですから憲法の専門家は「1933年3月23日をもって、ワイマール憲法は死んだ」と考える。ヒトラーはワイマール憲法を1度も廃止していないけれども、この日、ワイマール憲法は実質上、廃止されたと見るのです。
 このワイマール憲法の例が示唆しているのは、とても大事なことです。
それは堅い言い方をすれば、「憲法は成文法ではなく、本質的には慣習法である」という事実です。
みなさんはおそらく学校の社会科の授業で、「イギリスの憲法は慣習法であり、日本やアメリカの憲法は成文法だ」と習ったことでしょう。
 たしかに、イギリスには日本のような「大英帝国憲法」などというまとまった条文はどこにもありません。イギリスの長い歴史から生まれた、さまざまな慣習や法律、あるいは歴史的文書が渾然一体となって「イギリスの憲法」を作っています。
 これに対して、日本やアメリカの場合、国の最高法として定められた成文の憲法があります。
 しかし、たとえ「憲法」と題された法律があったとしても、憲法は本質的に慣習法なのです。大事なのは法の文面ではなく、慣習にあるのです。
 つまり、たとえ憲法が廃止されなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失った、つまり「死んでいる」と見るのが憲法学の考え方なのです。
 だからヒトラーが政権を取って、全権委任法が制定されたら、そこで憲法は死んだと考える。憲法の精神が行なわれなくなった時点で、その憲法は無効になったというわけです。」(小室直樹『日本人のための憲法原論』)

近代の政治・経済のターニング・ポイントは「市民革命」と「産業革命」~近代において、今日の民主主義社会を産み出した「市民革命」と資本主義社会を大きく前進させた「産業革命」は決定的な転換点と言えます。近代における国家観としては、国家は軍事・外交など最小限の機能に限定されるべきで、特に国民の経済生活に干渉すべきではないという「夜警国家論」が主流となります。これは古典派経済学の「自由放任」(レッセ・フェール)に対応するものです。ところが、この自由放任の政治・経済は必然的に弱肉強食の世界観となるため、「帝国主義」を産み出して「世界大戦」を引き起こし、いつまで経っても最適解に移行しない「世界恐慌」に行き着いたのです。

現代の政治・経済のターニング・ポイントは「世界大戦」と「世界恐慌」~現代においては、戦争のあり方や国際システムから時代精神に至るまで、全てを塗り替えたと言っても過言ではない「世界大戦」と、従来の古典派経済学をミクロ経済学として、新たにマクロ経済学を産み出して、国家による経済政策の重要性を理論化したケインズ経済学の契機となった「世界恐慌」が決定的な転換点と言えます。

帝国主義~19世紀末以降に顕著になった、資本主義列強による植民地や勢力圏拡大を目指す膨張政策を言います。これは資本主義の展開過程で形成された独占資本が国家権力と結びついて国家独占資本主義が形成され、原料・資源、商品の市場、資本の投下先を国家的規模で拡張するため植民地獲得競争が激化したことが第一の要因と考えられます。かくして「世界政策」を掲げる列強間の抗争が激化し、軍備が増強され、1914年に第一次世界大戦が勃発しました。ちなみに1917年に始まるロシア革命を主導し、資本主義を打ち倒して社会主義・共産主義を実現しようとしたレーニンは『帝国主義論』(1916年)で帝国主義を分析し、その特徴として次の5つを挙げています。
①生産と資本の集中・集積による独占の形成
②産業資本と銀行資本の融合による金融資本の成立
③商品輸出に代わって資本輸出の増大
④国際カルテルによる世界市場の分割
⑤帝国主義列強による植民地分割の完了

世界大戦~帝国主義国家がドイツ・オーストリアを中心とした「三国同盟」「3B政策」(ベルリン、ビザンティウム、バグダード)「パン=ゲルマン主義」の陣営とイギリス・フランス・ロシアを中心とした「三国協商」「3C政策」(カイロ、ケープタウン、カルカッタ)「パン=スラヴ主義」の陣営に分かれ、人類最初の世界戦争である第一次世界大戦が起きました。従来の戦争と違って軍事力の優劣にとどまらず、経済・技術・国民などが総動員される総力戦となり、飛行機・潜水艦・毒ガスなどの新しい武器も出現し、戦争の形態を一変させました。この大戦によってドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・ロシア帝国・オスマン帝国などは消滅し、従来の「勢力均衡」に代わる新たな国際政治の枠組としての「集団安全保障」が採用され、「国際連盟」が発足しました。

「ティリーは、千年の国家形成の歴史をたどり、国家形態が「資本化強制」型国家あるいは主権国家、さらには国民国家へと収斂していった要因は、戦争であったことを明らかにした。戦争が国家を生み、国家が戦争を生むのである。
 国家とは、一定の軌道をもった大規模な集団行動、すなわち「ゴーイング・コンサーン」であるが、その軌道の大幅な変更はもっぱら国際環境の圧力によってなされる。とりわけ戦争という実存的危機を伴う国際的圧力は、国家という集団行動の形態にきわめて大きな影響を及ぼす。
 言い換えれば、国家は、戦争を勝ち抜くために、国内の資源を大規模かつ効率的に動員しようとする。そして、その資源動員を可能とすべく、新たな国家体制を構築していくのである。「資本化強制」型国家、主権国家、とりわけ国民国家は、戦争のための資源動員に最も適した国家体制として発明されたものであり、地政学的な闘争が繰り返されていく中で、他の諸国家によってモデルとして模倣されていった。こうして統治形態は、国民国家へと収斂していったのである。
 戦争による大規模な資源動員からは、国家体制だけでなく、さまざまな技術や制度が産み落とされた。
 大量生産方式、鉄道、航空機、ロケット、人工衛星、原子力エネルギー、コンピューター、インターネットといった技術、国民通貨、中央銀行、累進課税、福祉国家、「大きな政府」、財政出動、公式統計、国民経済計算といった制度は、いずれも戦争あるいは戦争準備を起源としている。今日、我々の生活を支えている技術や制度の起源は、どれも血塗られている。我々の経済的繁栄は、先人の流した大量の血で贖われているのである。
 技術や制度のみならず、思想もまた、地政学的対立によって形成されている。
 たとえば、一七~一八世紀のヨーロッパにおける地政学的緊張から重商主義という思想が生まれたが、重商主義は経済学の起源である。あるいはイギリスの立憲主義や自由主義は、島国という地政学的環境に守られ、育まれた。二〇世紀に進んだ平等化や民主化は、二度にわたる世界大戦による総動員が契機となっている。ナショナリズムと戦争の縁の深さについては、言うまでもないであろう。
 戦争や戦争準備を起源とし、戦争目的の資源動員の中で生み出された技術や制度あるいは思想は、戦争終結後も*経路依存性に従って持続し、「民政化」あるいは「スピン・オフ」されて、平時における資源動員に活用されることとなる。
 「民政化」という現象の技術における典型例は、原子力エネルギーである。原子力エネルギーは、元来、核兵器として開発されたものであるから、原子力発電は「原子力の平和利用」と称されるのである。ならば、大量生産方式、鉄道、航空機、人工衛星、コンピューター、インターネットもまた、軍事技術の「平和利用」なのであろう。
 あるいは福祉国家は、強壮な兵士の育成という戦時中の政策が、戦後に民政化されたものであった。福祉国家とは、国家総動員体制の「平和利用」なのである。
 経済政策というのもまた、戦争目的の資源動員の民政化あるいは平和利用であると言える。とりわけケインズ主義的なマクロ経済政策とは、二つの世界大戦における国家による大規模な資源の総動員が、物価水準に影響を与え、失業を劇的に解消したという経験を経て誕生したものであった。」(中野剛志『富国と強兵 地政経済学序説』)
*経路依存性…キーボードの配列、鉄道の線路の幅などのような既存の環境が、後代の社会に影響を与えること。

参考文献:
『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社インターナショナル)
『富国と強兵 地政経済学序説』(中野剛志、東洋経済新報社)
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