「~ところがある」を使う心理 ~日本人は「あくまで全体の中の一部だ」と言明したがる?~
就職の面接試験で次のような質問と応対がなされる場面が考えられる。
(1) 面接官:あなたの短所を教えてください。
就活生:心配性なところがあります。細かい部分までつい気になり、 何度も確認しないと気がすみません。 このように性格を表現する際に日本語では「ところがある」という表現がよく使われるが、日本語を外国語として学ぶ学習者にとっては、なぜ「ところがある」を使わなければならないのか疑問に思われるようだ。自分の性格なのだから、「心配性です」と言い切ってもよさそうに思われるが、なぜ日本語母語話者は「ところがある」を使いたがるのか。
「ところがある」の大きな特徴として、「全体の中の一点であって全体ではない」という含みを持つ点が指摘されている(寺村1992:329)。「私は心配性なところがあります」は私の人格全体における一部であることを強調することで、悪い意味を軽減させる効果を狙ったものだろうか。たしかに、面接の場面で「私は短気です」「私は神経質です」と自分の短所を直接的に述べると、自信をもって言い切っているような違和感が生じる。
しかし、「ところがある」が常に悪い意味を表す際に使われるのかというとそうではない。実際には(2)(3)のように、良い意味を表す場合でも良くも悪くもない中立的な意味を表す場合でも使われる。
(2) 木村さんはああ見えて、実は優しいところがあります。
(3) 吉田さんと林さんは、似ているところがあります。
小竹(2022)では、「ところがある」の日本語母語話者と非母語話者の使用傾向について調査を行った。冒頭の例のように性格を表す「ところ
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