教養としての日本思想・文化③:古代日本人の宗教観・基層文化

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自然崇拝:儒教や仏教が伝来する以前の古代日本の宗教は、自然崇拝中心の多神教で、自然の中に神を見出して崇拝したり(アニミズム)、自然と調和して生きようとする態度が生まれました。例えば、太陽や霊山は古来、称賛と崇敬の対象となっており、あるいは四季折々の山紫水明の美を詩歌に歌ったり、庭園に再現したりして親しんできました。

アニミズム:自然界における様々な霊的存在への信仰のこと。アニマはラテン語で「霊魂」の意味。

八百万(やおよろず)の神:江戸期の国学者本居宣長は、古代日本人にとっての神は「世にもすぐれて畏(おそ)るべきもの」と述べています。神は自然現象や太陽・動物など不可思議で威力あるものであり、人々に恩恵と同時に災厄をもたらす存在でもありました。すなわち、日本的神は時に祟り神となって現れ、自然災害・疫病といった災いや不幸をもたらしますが、このエネルギーを和らげるのが祭祀です。

太占(ふとまに):古代の占いの一種。鹿の肩甲骨を桜の樹皮で焼き、骨のひび割れの形によって吉凶を判断するもの。

盟神探湯(くかたち):古代日本で行われていた神明裁判。正邪を判断する場合、神に誓って熱湯の中に手を入れさせ、正の手はただれないが、邪の手はただれるとしました。

祈年祭:その年の豊穣を祈願する2月の祭り。国家の祭祀としては7世紀に始まり、現在でも宮中や各地の迅社で行われています。

新嘗祭(にいなめさい):その年の収穫を感謝し、神々に新穀を供えて、天皇自らも食す11月の祭り。宮中祭祀の中で最重要視され、各地の神社でも行われています。11月23日の勤労感謝の日の由来。

常民:共同体に生きる無名の人々。柳田国男は文字に残されない生活様式や祭り、伝承、あるいは祖霊信仰の中から彼らの思想を掘り起こそうとする民俗学を確立し、日本民族固有の文化を解明しようとしました。

祖霊信仰:人は死後に遠い彼方の世界に行くのではなく、身近な山などに留まって、子孫を見守る神となり、定期的に子孫のもとを訪れ、豊穣をもたらすという考え方。柳田国男が『先祖の話』で述べました。

まれびと:共同体の外部から訪れる来訪神。折口信夫(おりぐちしのぶ)が指摘しました。

産土神(うぶすながみ):生まれた土地を守護する神のこと。

蕃神(あだしくにのかみ):外国神、外来神。仏教伝来の際、以前から神を信仰してきた日本人は仏を蕃神と呼び、外国から来た神として認識しました。
神仏習合:神に対する信仰が仏に対する信仰と融合すること。奈良時代に始まり、神社に寺が建立され(神宮寺)たり、仏教で行われていた読経(どきょう)が神前で行われる(神前読経)といった形で見られました。

本地垂迹説:仏は根源であり、神はその現れと考える思想。神仏習合が進む中で平安時代に現れました。

権現(ごんげん)思想:仏・菩薩が権(かり)に神の姿を取って、この世に現れたと考える立場。平安~鎌倉時代にかけて、神仏習合が理論化される過程で説かれるようになりました。

御霊(ごりょう)信仰:怨霊の祟りを恐れ、これを鎮めて平穏をもたらそうとする信仰のこと。天変地異は全て御霊の所業と考えられ、御霊による祟りを防ぐための鎮魂儀礼を御霊会(ごりょうえ)、御霊祭と言います。

天神(てんじん)信仰:藤原氏の陰謀で左遷され、失意のうちに没したとされる菅原道真の霊を鎮め、学問の神として祭る信仰。御霊信仰の影響を受け、京都・北野天満宮を発祥とします。

(1)伊勢神道:度会(わたらい)神道、外宮(げくう)神道。鎌倉時代に伊勢神宮の外宮の神主度会氏が、神道五部書を基として儒仏の説を取り入れ、本地垂迹説とは逆の神主仏従の立場を打ち出した神道。以後の諸神道説の先駆をなしました。後に南朝と結びつくことで勢力を失っていたため、吉田神道が反本地垂迹説を受け継ぐこととなりました。

(2)吉田神道:唯一神道、卜部(うらべ)神道。室町時代後期に京都の吉田神社の神官吉田兼俱(かねとも)が興した、仏教・儒教・道教・陰陽道などの思想を取り入れた総合的な神道。本地垂迹)説に基づく両部神道や山王神道に対して、反本地垂迹説(神本仏迹説)を唱え、本地で唯一なるものを神として森羅万象を体系づけ、仏教を「花実」、儒教を「枝葉」、神道を「根」と位置づけて、汎神教的世界観を構築しました。江戸時代には、諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)で神道本所として全国の神社・神職をその支配下に置くこととなり、長期的に影響力を及ぼしました。

(3)垂加(すいか)神道:山崎闇斎(あんさい)が伊勢神道や吉田神道を継承した吉川神道を学び、陰陽道、易学なども取り入れて、朱子学で総合整理した朱子学的神道。闇斎は儒教の説く「王道」は万世一系の皇室を持つ日本だけだという「大発見」をして、神儒の合一を主張し、尊王思想の思想的バックボーンを形成しました。そして、彼の後を継ぐ崎門(きもん)学派が尊王思想を理論的に進化させ、日本が神国であるとして、水戸学や幕末の志士達に大きな影響を与えました。

(4)復古神道:儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神である「惟神(かんながら)の道」に立ち返ろうという独自の神道。国学者達によってより学問的な立場で突き詰められていき、平田篤胤(あつたね)が体系化しました。都市部の町人のみならず、庄屋・地主層を通じて農民にも支持され、幕末の志士達にも大きな影響を与え、尊王攘夷運動のイデオロギーに取り入れられることとなりました。

儒学:江戸時代になると、宗教としての儒教ではなく、倫理としての儒学が人々の間に定着しました。
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