教養としての日本思想・文化②:記紀神話の世界

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『古事記』:天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が「誦習」していた『帝皇日継』(ていおうのひつぎ、帝紀、天皇の系譜)と『先代旧辞』(せんだいのくじ、旧辞、古い伝承)を太安万侶(おおのやすまろ)が書き記し、編纂したもの。世界は自然の力によって自ずから成ったものとする創世神話から始まり、推古天皇までの事績を書いています。

『日本書紀』:日本最初の正史で、六国史の第一に当たります。舎人親王(とねりしんのう)らの撰で、神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体にて記述されています。

高天原(たかまのはら、たかまがはら):『古事記』に出てくる、神々が住む世界。これに対して、人間の世界を葦原中国(あしはらなかつくに)、死者の世界を黄泉国(よみのくに)と言います。

イザナギ・イザナミ:「国生み神話」の中心となった男性神と女性神。夫であるイザナギは妻であるイザナミが亡くなった後、黄泉国に会いに行き、その醜さにおののいて逃げ出しました。イザナギがイザナミに会うため、黄泉の国を訪れる話は、ギリシア神話でアポロンの竪琴を伝授された吟遊詩人オルフェウス(オルペウス)が死んだ妻エウリュディケーに会うため、冥界を訪れる話と似ていますが、こちらはオルフェウスが地上に戻る目前で戒めを破って振り返ったために、エウリュディケーは冥界と逆戻りします。黄泉国から戻ったイザナギは穢れを川で清めて禊(みそぎ)を行い、左目からアマテラス(姉)、鼻からスサノヲ(弟)が誕生しました。

禊(みそぎ):川や海の清らかな水で罪や穢れを洗い清めること。不浄を取り除く行為である祓(はらい)の一種とされます。禊・祓に見られるような「水に流す」観念は、キリスト教の原罪思想や仏教の業思想のような深刻な罪意識に比べて楽天的であり、罪や穢れを外から付着したチリやホコリのように捉えていたと考えられます。

祓(はらい):天つ罪(あまつつみ)・国つ罪(くにつつみ)などの罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除くための神事・呪術。
(1)天つ罪:農耕や祭祀などを妨害する行為。アマテラスの稲田の畔(あぜ)を壊し、汚物を撒き散らして宮殿を汚すといったスサノヲの行為は、農耕を邪魔し、祭祀を妨げるという罪となります。
(2)国つ罪:社会秩序を破壊する行為や現象を指します。

アマテラス:天照大神、高天原で祭祀を行う存在。和辻哲郎は、アマテラスは人々から「祀られる神」であると同時に、他の神の祭祀を行う「祀る神」でもあると指摘しました(『日本倫理思想史』)。荒々しい性格のスサノヲがアマテラスに会いに来た時、アマテラスはスサノヲが「きたなき心」ではなく、「清明心」を持っていることを確認して高天原に入ることを許しましたが、スサノヲが乱暴を働いたため、怒って天の石屋戸に籠りました(岩戸隠れ)。この時、八百万(やおよろず)の神が新たに貴い神を迎えて喜ぶ様を演じることでアマテラスを誘い出し、天地に光が戻ったとされます。

スサノヲ:高天原を追放された後、出雲で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、その地の統治者となりました。

出雲大社:縁結びの神。旧暦10月に当たる神無月(かんなづき)には八百万の神が出雲に集まるとされ、出雲だけはこの月を神在月(かみありづき)と呼びます。綱(縄)による出雲国の拡大である「国引き神話」と併せて、縄文日本は出雲中心であったことが窺えますが、出雲のオオクニヌシ(大国主大神)がアマテラスに統治権を譲渡した「国譲り神話」と、アマテラスの孫であるニニギノミコトが「天孫降臨」したのが筑紫であることから、半島より青銅器・稲作が到来した弥生日本は筑紫中心になったことが分かります。

清き明き心(清明心):神に対して欺き、偽る心がない状態。古代人が重んじた心。同義語「赤心(せきしん)」⇔対義語「黒心(こくしん)」「濁心(きたなきこころ)」「邪心」「暗き心」「私心(わたくしごころ、利己心)」。

高く直き心:賀茂真淵が『万葉集』に見出した、素朴で大らかな心情。

真心:本居宣長が「よくもあしくも生まれたるままの心」と表現した、偽りのない、素直でやさしい心。

正直(せいちょく):偽りのない、素直な心。古代の清明心が中世以降、武士の徳とされ、正直と表現されるようになりました。
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