「人生は自分の力で切り拓くもの」…たしかにその通り。けれども、いくら努力しても報われず、思い通りにいかないことが続くなら、あなたの背後にいる守護霊たちの《見解》を無視しすぎていないか、一度 立ち止まってみる価値はあるのかも。本記事があなたにとっての《突破口》となりますように。
「私に〝使命〟はあるのでしょうか…?」
こんな質問をされる方は少なくありませんし、実際問題、誰しもご両親ならびにご先祖さまがいる以上、何らかの因縁(*)を持っているものですし、もっと言うと『前世』で蒔いた種もあるわけですから、使命/宿命と呼んで差し支えないものはたしかに存在します。
*〝まっさらな状態〟で生まれてくる人間は存在しないという、広義の意味。
ですが、仮に〝使命〟を知ったとて、それをご本人が受け入れられるかどうかは別問題。
特に自分で人生の手綱を握ってきた経験が少ない相談者さまの場合、「これがあなたの使命ですよ」と言われることによって、かえってご自身の可能性を狭めてしまうケースもあるので注意が必要。
なので、前世からの因縁だとか、そういったものはよほど覚悟がない限り、知るべきではない、というのが一介の霊能者である私の見解です。
一方で、世の中には『何かとトントン拍子で進む人』と『何かにつけて苦難が立て続いて上手くいかない人』が存在する。
こういった〝不条理〟を指して、人々は「これはカルマなのでしょうか?」「因縁を取り除くことはできないのでしょうか?」と、こんなことをおっしゃるのですが、この辺りについて今日は〝一つの真実〟をお話しようかと。
早速ですが
『何かとトントン拍子で進む人』
『何かにつけて苦難が立て続いて上手くいかない人』
この二つを守護霊の観点から再解釈すると
『守護霊の〝指針に沿って〟道を切り拓いていく人』
『守護霊の〝指針とは真逆〟の道を逆走していく人』
このように言い換えることもできるのです。
もちろん、常に主体は相談者さまにあるべきですから、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、なんでもかんでも、守護霊の言いなりになる必要はありません。
ただ、肉体の親である両親が子供の幸福を願うのと同じように、いや、それ以上に、魂の親である守護霊は常に、あなたの幸せを誰よりも願っている。
これは紛れもない事実なのです。
つまり、あなたがどんな人間なのかを熟知しているからこそ
〝あなたにとって、もっとも幸福な道はこちらではないですか?〟
と、絶えず導こうとしている。
しかし往々にして、人は「自分のことは自分が一番よくわかっている」ような顔をしてしまうがために、守護霊団の見解とはまるで違う道を頑なに逆走しようとして、結果、必要以上の苦難や困難に立ち向かうことを〝自ら選んで〟しまう。
繰り返しますが、守護霊団の見解の真逆を行く生き方だってあっていいですし、真逆を行く選択をしてもなお、守護霊はあなたのことを見捨てたりはしません。
あなたが腹を括って〝獣道〟を進むというのであれば、それならそれで導こうと、目には見えないところでサポートをしようと、必要なタイミングで〝サイン〟を送るのですが、守護霊とのパイプ(つながり)が希薄な人の場合、このサインには気づけない…という落とし穴もある。
どちらにせよ、思い通りの人生を歩むことができないと感じている人ほど「現状こうである=現実」と「こうありたい=理想」との間には深い溝があって、この溝は守護霊団の見解の真逆を行けば行くほど、やはり深くなるので、誰よりも多くの努力と根気を求められる。
こういった観点から言うと、守護霊団の見解に沿って、成果が出やすい道を一生懸命、適切な努力を積み重ねながら突き進む人ほど、ある種〝ラク〟にスイスイと幸せな人生を切り拓いていくことができるわけです。
魚が鳥になろうと思えば、それは並大抵の努力ではどうこうなるものではありませんし、そもそも限界もある(その逆もまた然り)
何がいいたいかと言うと、結局、あなたにとって〝どんな在り方〟を『幸せな人生』と定義づけるのか?
ここなのです。
どんなに守護霊団の見解に反することであったとしても、それでも自分は諦めたくない、どんなに遠回りになろうとも、後悔しない選択をしたい。
成果よりも常に、自分の感情を優先したい。
こういった生き方を望むのであれば、それはそれで立派な決断ですから、腹を括って邁進なさるほかありません。
ですが、もっとフラットに、柔軟に、自分にとって〝楽しいと思える人生〟を追求したいのであれば、まるでスポンジのような素直な姿勢をもって
守護霊団からの見解をうかがい、なおかつ、波動修正を通して、守護霊団とのパイプ(つながり)を太くしていくことは、選択肢の一つなのかなと。
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