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こころの研究=サーフィン

こころ研究家の仕事をもっとやりたい それは誰かの役に立ちたいとか 困ってる人を救いたいとか それらがないわけじゃないけど、本質は別だ それはサーフィンと同じなんだ サーフィンで言うなら 波を見て分析して どのタイミングでどのアクションをするか その試行錯誤自体も楽しいし 海のパワーを身体で受ける例えようのない快感 それらを求めてやっている こころ研究家の方も同じで クライエントさんの内的構造を会話から分析して 言うこと言わないことを選択して それらのやりとりで理解が進むのも楽しいし クライエントさん自身で腑に落ちるまでいく姿を見るのはとても幸せなことだ セッション中の自分の人間から少し遠くなっている感じも面白い 誤解を恐れずに言えば どちらもフィールドを用意してもらって、楽しく遊ばせてもらっているって感覚だ。 また、クライエントさんに対する責任なんて考えもまた違うと思っている。 自分とご縁があってセッションするというのは素晴らしい流れであって、それがどのような結果であったとしても、双方に必要で意味のあるピースであるからだ。 もちろん自分に依頼してくれた人に対しては、全力をもって取り組むし、自分にしか提供できない価値を生み出せる自信がある。 そもそも楽しいからいくらでもやりたくなっちゃうけど、価値の交換が行われないとどちらも何も得られないばかりか疲弊してしまうので自重している。 まぁ何が言いたいかと言うともっと遊ばせてくれー!!! ってことだ しかしサーフィンで言えば遊ぶためにはまず海に行かないとだよな。 そして波が全然ない日はそもそもなんも出来ない。 こころ研究家も、クライエン
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3ばばあ

3ばばあって知ってる? 出自不明だけど、なんか深夜の3:33に時計見るとそのばばあが来る的なやつ 誰だよそのばばあwww 幼少期の自分はまぁまぁ怖がってた記憶がある 今その辺の時間でふと思い出したんだけど、ほんとに考え方次第だなーって思ったんだよね 同じものを見聞きしても、その人の受け取り方で良いものにも悪いものにもなる。 例えばうちの好きなエンジェルナンバーで言えば、333はとっても強力なサポートがついてくれてるよ、ってお知らせだって話だ。 あ、なんなら怖いと思ってた3ばばあがめっちゃいいやつで助けてくれるのかもしれない(笑) そういう風にプラスに考えた方が確実に自分が楽しいし幸せになれるから、わたくしはそっちが良いです。 おわり、ねる。
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自分は愛されてた

今日、道ゆく小さい男の子とお父さんを見て、いつもは息子の小さい頃を重ねてかわいいなぁって思ってた気がするんだけど、今日は自分の幼少期が重なった。 その男の子はお父さんに何かとても楽しげに全身で何か訴えかけていた。 そうやって無邪気に全力で感情を表現する、恐れや迷いのなさを見て、少なくとも父親からの愛を疑っていないのだなと思い、自分もそうやって父に訴えかけたことがあったと思う。 あぁ、愛されていたんだな、と思った。 今まで両親に対して様々な思いが入り乱れていて、プラス面よりマイナス面に着目することが多かった気がする。 だが色々な力が抜けて、自分で自分を愛する事を探求してきたことで、自分が両親から愛されて、大切にされてきた事を、受け入れられるようになったのかもしれない。 そう考えると、愛されることも、自分がそれを許してあげないと受け取れないんだな。 そんなことを書いていたら涙が出て来た。 愛を受け取れた喜びか、 愛されていた幸せか、 そんなことを書いていたら寝てた(笑) 寝ます(¦3ꇤ[▓▓]
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インスタントな評価

今朝目覚めて、自分の発想の最初に一昨日落としたスマホゲーが来てたので、えいやっと削除した。 年末からの心身の不調あたりから、自身と向き合うことから逃げるための様々なものをとっかえひっかえしていた。 スマホゲーもそうだし、いろんなコンテンツを消費しまくって、うわー向き合うことから逃げてますね〜と思いながら、どうにもその流れから抜け出せずにいた。 さらにその中で感じたのは、インスタントな評価を求めているな、ということだった。 ゲームで言えば明確に他者が設定した成功という基準を得られるし、求めれば話を聞いてくれそうな人に甘えたい気持ちも出て来ていたし、メンターさんにも褒めてもらいたい・正解をもらいたい気持ちがすごかった。 それは自身と向き合う事で到達出来る喜びとは比較にならないものだが、その向き合うためのパワーが出てこなかったため、それらに逃げようとしていたのだ。 なぜパワーが出てこなかったのかは不明だが、当然ながらものすごくやきもきしていた。 だが今朝スマホゲーを消してから色々と考えていたら、なんとなく自分の中で腑に落ちた感じで、スッキリした気持ちになった。 なんかその時いい感じに頭が回って、久々いい感じ方出来てるゥ〜ってなってたんだけど、朝忙しくてメモれず、今思い出してみてるもののよくわかんないw とはいえ、今回のこの2週間程度の苦悩の期間は、やはり大きな学びのための期間であったのだという実感があったのは確かだ。 感情が振れたり、上手く回らない感覚がある時はむしろチャンスだったんだよね。 なんかまとまらんのでいったんおわり
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はやとの神曲 ギター篇(笑)

おはようございます 今日もまた夢をみました めちゃくちゃギター練習しておりました(笑) でも目覚めて思い出すと弦の太さがベースだった気もするw さておきチョーキング的な技術が上手く出来てすげー!ってなってたり、なんか自転車置き場みたいなところでめっちゃ教わってたりしてた。 そういえば今日も誰かのガイドを受けてたなぁ、今日は誰かわからなかったけど。 神曲は続いていたのか。 神曲ギター篇?w さておき、今日これから友達とサーフィン行くんだが、待ち合わせのために余裕持って8時に起きるためアラームかけてたんだが、それらの夢が結構長篇だったため、終わってパッと目覚めた時に、昨日寝たのが3時過ぎてたのもあって、 「あ…これ寝過ごしたかも…」 と思ってちょいビビりつつ時計をみたら 7:59 やっぱ俺ってツいてるぅ〜😂✨ と思わざるを得なかったw 先日のメンターさんとのセッションで自分がいかにツいてるかを再確認させてもらいつつ、これからもっとそういう出来事が増えると言われてたので、わかりやすすぎるお知らせにちょっと笑ってしまった(笑) なんか昨日もあったんだよなぁわかりやすすぎるお知らせが… あ、なんか自分がちょっとイラッとした時に、雲の形が超変な顔で、これ絶対に笑わせにきてるやんwwwって思って、感謝なんだけど面白過ぎて笑わされたんだった。 面白過ぎてすぐ書きたくて10分経っちゃったw 準備しよ〜 あ、その夢の中でめちゃくちゃ大事な技術として、「ありがとう」って弾く時は、力をほとんど入れずに弾くんだよ、って教わったんだった。 ツいてるぅ〜、ありがと〜!って目覚めて思った時に、あ、この「!」は
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やる

つい「自分は一個の肉にすぎない」という観念に囚われる。 現実世界の尺度に合わせて自分を縮めて、その中であれこれと思索を巡らせて不安から心配事にまみれて生きている。 それもまた一つの生き方である。悪いことではない。 だが自分は無限の存在であり、高貴で何者にも侵されない価値を持っているという事を、自分は既に知っている。 最初に述べた観念を、生まれてこの方使ってきて、後者の真理を目の当たりにしたのはここ数年の話だ。 そして自分は肉体を持って物質としてこの世界に存在している。 だからどちらもあって良いのだ。 どちらかだけである必要はないのだ。 調子の良い悪いも、どちらにも善悪はない。 ただ自分は自分として在り、どういう状態にあっても、その自分が損なわれるものではない。 他者と比べる事にはなんの意味もない。 自分と同じ存在はないので、自分にしか提供できない価値があるのだ。 つまり 自分の本質がやりたいことをやらない理由がない 一般常識的にどうであるとか、他人から見てどうであるとか そんなことは全く歯牙にもかからないものだ ただやる、やる、やる。
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気付きとスプラとテンプレと

本日新たにどでかい気付きを頂きました。 自分がつかんでいる意識なくつかんでいたもの。 それはなんと こころ研究家としての活動だった(!!!!) 元々の仕事を離れてこころ研究家やるぞ!って意気込んでいたので、まさかそこをつかんでいるなんて想像もしていなかった。 知らぬまに自分の可能性を限定していた。 色々の活動を、こころ研究家に繋げて動かしていかなきゃ!になっていた。 動かしたい!じゃなくて動かしていかなきゃ!だ。 わくわくを原動力にしてる時はあれこれ心配したりしないのだが、これしなきゃあれしなきゃと必要に駆られて動いてる時は不安がつきまとう、というとってもよくある話をしっかり体現した。 その視点に立ってみてみると、ここしばらくこころ研究家の活動は停滞を感じていたが、それ以外の可能性めちゃくちゃ拡がってた。 具体的にはドラム教える・サーフィン教える・牧師だ。 それらをこころ研究家の入口として使えるくらいの認識でしかいなかったが、それぞれ独立したサービスでいいじゃないか。 それらを有機的に繋げて…とかもどうでもいいな、ただやりたい事をやりたいように、制限をかけずにやりまくっていればいい。 それこそが自分の求めた生き方だったわ。 うん、手離せたな 感謝でありまする❤ ついでにその後BGMとして流していたスプラトゥーンのティラミスさんという方の実況動画で、特定の行動に執着しないで試合に勝つための手段として考える的な話をされていた。 自分はトータル6000時間くらいスプラをやってたそれなりの廃人なわけだが、その中でもちろん同じような考え方にたくさん触れて実践してきていた。 その頃は全くそ
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ざわざわのつづき

やらなきゃ!なことに取り掛かってみた。 他の保留案件も片付けてみた。 全然ざわざわおさまらん。 ふと、あれ?そもそもおかしくない?と疑問がわいた。 なんでこの俺が焦らにゃならんの?と。 どんなデカい出来事だとしても、それをやらなきゃ!で焦るって構図が、もう自分の本質からズレてね? やりたいからやるはずなのに、やりたい(欲求)が先にあるはずなのに、いつのまにかやらなきゃ(必要)が先にたってた。 そんなのおかしいやん、やってられんわ、やーめた、ってしたら、ピタリとざわざわが止まった。 うーん、不安つかんでたね。 やらなきゃの元は、他人からどう思われるか、だね。 今回の自分の選択によって、少なからず影響を受ける人が何人かいるので、その人達にどう思われるか、昔の思考のクセっぽいやつで、何か嫌な事不都合な事を言われるんじゃないか、のところにエネルギーを注いでた。 そりゃざわざわするわー 実際それが起きたところで、その都度方策を考えていけばいいだけで大した問題にはならないのだが、「なんか良くないこと」というのは無限の可能性なので、いくら策を巡らしても解決しないのだ。 結局は自分がどこを見るかだけなんだよね。 それで思い出したけど今日海で3mくらい離れたとこで方向被ってたので避けた相手がえらい殺気立ってたけど、あれだけ素敵なスポーツをしながら、海や空の美しさより気に入らないサーファーにしか着目出来ないというのはとても悲しく苦しい事だなぁと思う。 あの方の心に平安がある事を祈る。 しかし突然つかんだこの不安は、確かに自分の中にあったのが表れてきたものだと思うので、その源泉はしっかり見たいところ
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「正義」というものについて

うーん、眠くない 最近夜更かし気味だからかなー そういえば今日書こうと思って書いてなかったやつを思い出したので書くか 某プロゲーマーの方が話してる動画を流していた その中で「正しいことをしている時が人間一番気持ちいい」というような事を話しておられた。 その言葉を聞いて、あるものが繋がった。 ジャン・ピエール・ポルナレフ ジョジョ3部の主人公チームの1人だ。 彼らがまさにDIOに邂逅しようとする時に各々モノローグが流れる中でのポルナレフのものが、 「「正しいことの白」の中におれはいるッ!」 という感じのものだった、確か。 これはポルナレフが一度敵陣営として登場して仲間になった経緯を持つため、善と悪の対比でそのようなセリフになったのだと思われる。 しかしここでさらに思うのは、ポルナレフの心の弱さだ。 「正しいことの白」の中にいるという大義名分がないと、自分を肯定出来ないとも言えるからだ。 おそらくは自身が心の隙を突かれてDIOに肉の芽を植え付けられた引け目や、アヴドゥルやイギーに命を賭して生かされた責任という重圧から、己を奮い立たせる拠り所として「正義」というものにすがる形になったのだと思われる。 まぁ漫画の事だし、善悪を明確にした方がわかりやすい前提なんだけど、ポルナレフというキャラクターの人間味は、こういう細かい描写によって表されていると考えると、荒木先生はやはりものすごい。 そしてこれらから思うところは、やはり「正義」というものはとても危ういものであるということだ。 自身を「悪」だと認識している人より「正義」だと認識している人の方が、はるかにヤバいことが出来る。 それは歴史が
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ナチュラルボーンこころ研究家

すげー気付いちゃった。 とあるところでご縁を頂いたかわいい女子から相談を打診された。 まだ内容は聞いてないんだけど、少なくとも相談をしようと思ってくれたその気持ちをとても嬉しく感じる。 その時に、嬉しさ高じてその子の抱えてるものに踏み込んじゃって、また自分のエゴを使ったエネルギー交換の成り立たないニセッション(いいなこれ使おうw)にならないように気をつけなきゃな~と思った。 そしてそれを思った時に、…もしかして!!!と繋がったのだ。 それは、自分の元嫁と出会う前の彼女の方々のことだ。 簡単に言えば、心になにかしらを抱えている方が多かった。 実際に病名がついている方や、見てわかるような症状の出ている方もいた。 その時の自分がどう思ったかはもはやわからないが、どうにかしてあげたいしそれが出来ると思ったのだと思う。 そのやり方はもう体当たりもいいところで、全てを犠牲にしてもいいレベルの行動をしていた。 当然早々に疲弊して、半年程度で狂熱は冷めていた。 今までその一連のものを、自分も心にたくさん抱えていたから、そこで共鳴して共依存の形になっていた、と考えていた。 その側面も大いにあるのだが、それだけではなかったと気付いたのだ。 それがまさに、超強化版ニセッションと言ったものだった。 自分と波長が合って求めてくれる人がいる その人が苦しんでるから力になりたい 全力投球 でもエゴで動いてるからズレが出てくる エネルギー交換が成り立たない 破綻 うーん、まさにニセッション。 そう考えると、その頃からナチュラルにこころの学びを得る動きをしていたのだなぁ…! 元嫁に出会うまでの人生において、恋愛
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愛を求めるための行動

今まで学んできた考え方の中で、願望を実現させるために、まず願望を明確にする、というものがある。 そこをぼんやりさせていると、自分が何を実現させたいのかが不明瞭、つまり目的地を定めずに旅に出るようなもので、そりゃたどり着かんわなというわけだ。当たり前だよね。 でもその当たり前のことを、ついつい忘れている。 目先の事に振り回されているうちに、自分の本質が求めるものから逸れてしまうのだ。 ※ここから自分語りパートなので飛ばしてもおけ ----- そういうわけで、定期的にそこを見返すイベントが起こるわけなんだが、先程その流れでお金について考えていた。 もしお金がいくらでも使えるとしたら、どういう生活をしているか、どこにいてどんな人と何をしているか。 以前はとりあえず3000万くらいくださいとか、借金分だけでいいから一旦降って来てとか言ってた気がする。 今考えた時に、今自分がお金を理由にやれていない事って、もしかしてほとんどないかも?と思った。 これが欲しいとか、どこに住みたいとか、あれ食べたいとか、あそこ行きたいとか、我慢した覚えが近年はない。 あ、一個だけあった、海外サーフィン遠征だ。 これはタイミングきたらすぐやらせてあげようと思う。 昔から自分の中を漂っている、あれがやれたらいいなぁ…系は、今感じてみたところ、あまり色がないというか、そういうことになっている、という程度のものなので、タイミングではないのかもしれない。 そう考えると、お金の面は実は満たされているとも言えるのか、と気づいた。 そうなると、やはり仕事だな。 以前記事にしたように、こころ研究家の活動のみに縛られる必要はな
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キンニク!!!!!!!!!

みなさん!筋トレしてますか!← 学生の頃の筋肉貯金があって、20代の間は太るとかほんとにあるんですか状態でいたのだが、いつぞやからむちむちになって、30代の間はデブを自虐ネタとして使っていた。 40歳の終わり頃にサーフィンをはじめた頃もまだむちむちで、既製品のウエットスーツだとサイズ厳しいねぇと言っていた。 今うちにある体重計がアプリと連携してデータとっといてくれてるやつで、2021/05/31からの記録が残っている。 記念すべき最初の数字は80.80kg。 身長168cmの体重としてはなかなかのものだろう。 それでも自虐ネタにしていた頃の中では少なめの数字だったと記憶している。 そしてサーフィンにハマって行きまくって、9/4に71.45kgになっている。 …で、どうやら飽きて体重も測っていなかったようで、 1年後の2022/08/24には81.35kgになっている。 そういうめちゃくちゃな体重推移は数回あって、 30代半ば頃に食事をめちゃくちゃ減らして最終的にレタスしか食べなかった時は1か月で13kg減った。日曜日におでかけから帰ってきた時に立てなくなって、こりゃやめようと思ってやめた。当然爆リバウンドした。 他には30代後半で暗闇ボクシングにハマって3ヵ月くらいで10kg程度落として、これも飽きて辞めたらしっかり元に戻っていた。 しかしここで革命が起きる。 2023年はじめ頃まではそのまま80kg前後を推移していて、その頃自炊の時、一回の炊飯で2合炊いて、1食で1合食べていた。 ある日おかずがシャケ1切れしかない時があって、うーん、これだとごはん1合は多いなぁ…と思い、半分
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景色

B'zの歌詞に頻出する「景色」という言葉。 昔から素敵な表現だなぁと思っていたが、先日のダンテの神曲の後に与えられた、言い尽くせない美しいビジョンを思うと、これが稲葉さんの言う「景色」なのかなぁと思った。 そして先日、それは前触れなく起きた。 バイクで街を走っていた時、住宅街で信号待ちをしていた時、壮年の男性が歩いてきて、その奥にも人がいて、電柱があって、冷たい風が吹いて来て、曇り空が白く光っていて…と、どれもありふれた日常の風景だった。 そのはずだったのだが、それらの調和というか、全体のバランスの中に、あのあまりに美しいビジョンと同じものが含まれているという感覚を覚えたのだ。 とても表現しづらいのだが、同じ気配を感じた、というようなものだ。 それを感じた時に、あれ…?もしかしてこの世界は、何か特別な事をしようとしなくても、元々とんでもなく美しいところで、それをただ受け取ればいいだけなのでは…?と気付いたのだ。 今までも、大きな気付きを得た時、ブロックが外れた時など、目で見えるものの見え方が一瞬でまるで変わるという体験は何度もしていた。 同じものを見ても、ものすごくキラキラして見えたり、遠くの方もはっきり見えたり、背が伸びたのか?って思うくらい高い位置から見ている感覚があったり、というものだ。 それらは自分以外の何も変わっておらず、ただ自分の中で何かが変わっただけだ。 でもそれで現実世界は、実際に変わる。 だから世界は自分でどうにでも作れると言うんだよね。 その世界のありのままの美しさを感じていられる状態になったら、もうそれは悟ったと言える気がする、かもしれない。
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作品を生み出すということ

ここ数日、記事を書く気が起きなかった。 自分がこれからやろうとしていること達についても、どんどん進む!のターンでなく、悶々としていた。 エネルギーが枯渇していたのだと思う。原因はわからないのだけど、どうでもいいゲームアプリを落としてきて脳死でやるくらいにはエネルギーが湧かなかった。 そして昨晩、やっと回復してきたのか、書きたい欲が出てきてやっと記事を一つ出せた。 よく考えたら単に予定を詰めすぎていた部分もあるけど、前回の記事を書いたあたりで、長めの記事を書こうとして途中まで書くが書き上がらないというのが数回あった。 それらの記事は長いだけでなく、いつもの思ったことを垂れ流して書くというより、ひとつのテーマに対して詳細に突き詰めて考えていく形だった。 やはりそういったものは、集中できる=自分と向き合える時間と空間が必要なのであろう。 そう考えると、本でも曲でもなんでも、作品を生み出すということは、文字通り身を削って生み出されるものなのだと感じた。 おや…?これはまるで… 他者に愛を伝えていくのに、自分が満たされて溢れたものを分け与えていく、というものにとても似ている。 ということは、種々の作品もまた、愛なのか。 だから自分から溢れ出すものを形にするのであれば自分自身は削られないのだが、自分以外の理由から無理矢理作品を生み出そうとすると、これはもう本当に自分を削ることになる。 作品を生み出す苦しみの話はよく聞くものだが、それが自分自身との対話によって本質に向き合うことの苦しみなのか、それ以外の理由に駆り立てられて生み出さなければならない苦しみなのかで、作品自体にも、生み出す当人にも
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長年の疑問とそこからヒントを得て手離せた話

男性によくある、物などに対する興味・執着。 自分が見てきた例で言えば、車やバイクに対して中高生の時にあこがれ、大人になってからも〇〇社のなんたらが!みたいな話を熱く語る人。 音楽関係においても、楽器問わずどこそこのメーカーのあれが!という話はめちゃくちゃ聞く。 サーフィン友達も、暗号のようなボードやフィンなどの話を楽しそうにしている。 あとは野球やサッカーなどについても、誰それがこのチームにいたらどうのみたいな話を真剣にしていた。 女性でもあるのかもしれないが、自分が目の当たりにしたのはそういう話をしているのは大抵男性だった。 で、それらの事柄に対して、少なくとも物心ついて以降、ほんっっっとうに興味が持てないのだ。 車やバイクはいざ知らず、楽器やサーフボードなんかは大いに真剣に取り組んでいる事柄なので興味があってもおかしくないはずなんだが、そもそも知ろうというアクションが出てこない。 そういった特性がなんであるか、ずっとわからずそのままにしてきた。 そしてこないだ姉とそういった話をしていた時に、自分にも他人に対して熱く語る事柄があることに気付いた。 それは自分の知識であるとか、素晴らしいと感じたこと、新たな発見について…と、あれ?それは前述の共感出来ない人達にとっても同じじゃないか? うーん、言い方が違うな 具体例を挙げるなら、こないだ読んだダンテの神曲にまつわる宗教理解について、とか、今読み進めているトマス・アクィナスの神学大全の解説書の記述について、とか、各地の神話や伝承とそれらの背景についての考察、とか あとはドラムやサーフィンについてだったら、技術的な部分に関してならた
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未練というもの

また夢をみた。 昨日一昨日の神曲の気配はなかったので普通の夢であったのと、目覚めてからメモをし忘れてしまったため、かなりうすぼんやりしてしまっているが、題するなら未練についてだったと思う。 仕事を辞めるにあたってあらゆる手をつかって引き留められる感じの内容だったはず。 現実ではそんな事は起きていないので、自分の中でそういう懸念という恐れをつかんでいるのが表出してきたのだと思われる。 実際思い当たる節はあるので、そこを手離して、高い視座に立っての行動を選んでいきたいと思う。 未練というと、恋愛など人に対する未練、自分の夢に対する未練、欲しい物などに対する未練などが思い当たる。 それらは概して、自分が幸せになる道筋を限定しているか、行動していないことによって起きるものであると感じる。 前者は、私にはこの人しかいない・この道しか自分にはないんだ・なにがなんでもあれが欲しい、などで、それが自分の本質にのっとったものであれば(自覚的な)苦労もなくスムーズに運ぶので未練とかにはならないから、その形になるということは執着である可能性が非常に高い。 そういう時は自分に「ほんとうに?」を丁寧に投げかけてあげるのがよい。 後者は、色々と理由をつけて行動せずにやりたいという気持ちだけをくすぶらせているパターンだ。 これに関しては本質につながる道である可能性も十分にあるのだが、自分に許可が出せていないのだ。 列挙する出来ない理由は、実際のところどうにでもなる事ばっかりだったりする。 でも許可が出せていない時は到底不可能な事に思えるので、出来るという事にすら気付けないものだ。 と、言ったものの、未練が悪
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はやとの神曲

昨日ダンテの神曲を読み終わった。 めちゃくちゃ難解な部分もあるから、電子書籍を読み上げ機能で聴いて気になったところを読み返すという読み方は、自分にはとても適していた。 そして昨晩夢をみた。 あまりに明晰で全身の感覚を伴っていて、普段みる夢とは明らかに違っていた。 内容はあまりにものすごいので克明には記さないが、ダンテの神曲よろしくガイドしてくれる存在によって様々な体験をするものだった。 その夢の主題は、「世界を感覚でみる」というものだった。 最初意味がわからなかったが、たくさんの経験をして、理解出来た瞬間、驚くほど美しい世界の姿を目の当たりにした。 ダンテのように気を失いはしなかったが、まるで神曲のような体験をした。 みるという言葉、今全部ひらがなで書いたわけだが、漢字によって意味合いが変わるのでそうした。 おそらく一般的には「見る」がほとんどで、「視る」まではあっても「観る」ことは少ないのではないだろうか。 もっとも、その漢字の表現に限らず、視覚以外を使って「みる」というのは、非常に豊かな体験をうむものであると感じる。 マインドフルネスの発想がそれだろう。 神曲の中で「魂が肉体から離れると見えなくなる目でしか物の見えないひと」という表現があって、それも同じことを言っていると感じる。 いつもやっている内観や、海から頂けるエネルギーなんかも、視覚に頼るものではない。 意識すれば、世界との関わり方を変えることが出来る。 そのためのツールは至る所にあるのだ。それをみようとすれば。 そしてそれをみる時には、高い視座に立つことだ。 ダンテのように疑問による質問を繰り返していくことでその視
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書いてたらものすごく勇気をもらった

ここ数日、途中まで書くけど書き終わらずそのまま、な記事が何個かあって、読み返すんだけど続きがいまいち浮かばず…を繰り返していた。 そもそも予定がなんだかたくさんで気忙しかったのもあるんだけど。 そんなのもあって、こころ研究家としての活動があまり進められてないなぁと、うっすらと焦りが滲んでいた。ふと時間が空いた時にざわっとするあの感じ。 しかし今日、バイクに乗っていて、ここしばらくバイクに乗る時に、優雅さや高貴さをイメージしていて、それを改めてイメージした時に、あれ?と気付いた。 そもそも高貴な自分が、何を焦る事があるのだろう?と。 自分には価値がじゅうぶんにあって、それは何がどうであろうと揺るがないものだったじゃないか。 であるなら上手くいくとかいかないとか、そもそも関係ない話だよなぁと思い至った。 その前日に友人と話していた時に高貴というワードが出てきていたのも繋がっていたのかもしれない。 で、そこに至った上で思うのは、やはり貴い自分として全てにおいて生きるのが自分に対する礼儀だよなと感じた。 それが自分という、この素晴らしい存在の人生の舵取りを担わせてもらっている、責任であり義務と言って差し支えないだろう。 そうか…そうだったな。書いててすごくまとまった。 ここしばらく、作った名刺を知り合いに配っていて、ここを知り合いに読まれる事を気にして書きづらくなってた部分もある。うん、あるな。 ただそこにどう思われるかとかを恐れているって事ほど滑稽なものはない。 ぼんやりあるうちは恐れの感情として現れていたけど、そこをつまびらかにしてしまえば、いやいやいやってツッコミを入れられるくら
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ざわざわ

今日は素敵な仲間達と遊んで、サーフィンもして、楽しい楽しい1日を過ごした…はずだった。 なんだか、なんだかサーフィンをしている最中から、謎のざわざわがきた。 昔元々の仕事に対して、何か言われるんじゃないか、よくない連絡が来るんじゃないか、という類の不安から来る焦燥感に近いような感覚だ。 楽しく記事を書こうと思ってもどうにも筆が進まない。 でも今見渡してみて、そういう事象はあるか?お腹が空いてるだけか?と帰り道ずっと考えてたが…あったわ、進めたいけど進めてないこと、早く進めなきゃ、すぐやらなきゃを掴んでいたわ。 しかし飛んでってる魂を今に戻そうとしても、どうにも上手くいかない。 こりゃやるしかないなぁ、進められてないことを。 バッチリ気が重いけど、いや重いからこそ、今やるべきだとわかっているから、これだけ浮き足立っているんだろう。 この感覚を得るために今日があったのか… ざわざわの中で、整えられた流れに感謝。ぐぬぬ。
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BGMとかについてのいろいろ

作業用BGMみたいな概念があるよね。 YouTubeにもそういうチャンネルたくさんあって、一時期よく使ってた。 でもなんか聴いちゃうなぁと思って、格ゲーの実況動画を流してた。 画面見なくても人が喋ってることでなんか安心感?みたいなのを得ていた気がする。 主に元々の仕事をやりながらそれをしていた。 で、ここで記事を書いている時に何度か音楽がかかってる状態で始めたことがあって、その度に「ちょっと邪魔だなぁ」と思ってすぐ消してた。 こないだそれをした時にはたと気付いて、あれ?これはもしかして…?と思ったのを今思い出して記事を書いてるんだが、自分の中身を楽しく表現するこの行動において、BGMっていらないんだなぁという気付きだった。 じゃぁ今まではなんだったんだ?と考えたら、そうやって気を逸らさないといけないくらいやりたくないことやってたんだなぁという、至極当然の結論に辿り着いたのだ。 人生においてそういうやりたくないけどやらなきゃなタイミングもあると思う。 ただその時に、それは自分にとってどういうものであるかを正確に認識しておくのはとても大事なことだ。 他人やコミュニティの都合を優先して動くのが向いてる人もいるだろうし、そういう学びの時期にあるならそれを味わうのもとても大事なことだ。 その中でもそれを知ってると知らないとでは、本質との距離に大きな違いが出る。 それも必要なことだから良し悪しはないんだけどね。 話を戻して、最近はなんとなく音楽を流したい時は、よく知らないクラシックをかけてる(笑) 自分の中でクラシック=高貴なものの構図があるようで、流してるだけでなんか優雅な気分になれるお
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やっぱさー

面白いのがいいわ なんかちょっとこころ研究家っぽくしようとしてたわ てかこころ研究家って言葉自体自分で作ったのに こころ研究家っぽくってなに?w 心理学とかカウンセリングの専門家っぽく、だな。 別に自分はなんか資格持ってるわけじゃないから、そんなもんに縛られる必要なかったわ ついつい自分をどっかに属させようとするもんだよねー、不安からくるものだな、そしてその不安は自信のなさからきてるな、さらにその自信のなさは字のごとく自分を信じてないからだな。 そろそろ信じたりましょうやー 割と頑張ってるよ彼? 誰が信じなくても君が信じてあげないと、そらすすまんよね〜 はーい つーわけで楽しいことだけやりまーす
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自分で自分の機嫌をとるLv.10000

この2週間ちょいの五里霧中・暗中模索・七転八倒の状態から、昨日メンターさんにセッションして頂き、今日はとてもフラットな状態でいられた。 その中で今日、ふと海のことを思った瞬間から、久々にくる超ルンルン状態で、まさに小躍りして歌い出す感じになった。 昨日から現実は1ミリも変わっていないのに、自分のこの在り方の変化たるや、どういうことやねん状態だった。 そしてその状態の時に、多分通常時だったら嫌な気持ちになりそうな出来事が起きたんだが、当然そんな状態だから全く影響を受けなかった。 その自分の姿を見ていて気付いてしまったのだが… たぶん、たぶんだよ たぶんなんだけど… 現実で起きることと、自分が気分が良いということは、実は関係ない ということだ。 何を言ってるかわからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった…という名台詞が出てくるくらい何言ってんだと思われるかもしれない。 いや、ここを読んでいる人だったら、自分と向き合ってきて、そういう経験を既にしている方もいるかもしれない。 ともあれ、昨日の夕方までの自分と、今日の夕方の自分で、現実の事象は何も変わっておらず、ただ自分の在り方が変わっただけなのだ。 それなのに、八方塞がりでうずくまっている人から、踊り出したくなるような人に変わったのだ。 つまり自分が気分が良いとか幸せだとか嬉しいとか、そういうものは自分さえその許可を出してあげられれば、現実で起こることには左右されないのだ。 もちろんこれは、究極の究極の状態だ。 タイトルにした「自分で自分の機嫌をとるLv.10000」と言えるものだから、これを常に完璧に出来てますとかだったらもう
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海欠乏症

なんかねー、調子悪いと思ったんだよね。 もちろんそれだけではなかったけど、昨日メンターさんと話している中で、海入ってないですねって言われて、そうなんですよぉぉぉぉぉとw 体調とか風とかで、なんと2週連続海入れてない。 明日でなんと3週間目、そりゃ干からびるわ。 明日は昼から予定あるが、万難を廃して海に入る。 入らないと違う意味で死ぬ。 元々小難しいことに向いてないタイプなのに、変に頭を使おうとしていたわ。 脊髄で生きます
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たのしい

記事書くのってさぁ~ まじで楽しいんだよね 元々の仕事で月初にやる作業が一番多いんだけど 内観によってどんどん自分の本質に近づいていくことで その作業がどんどん嫌になっていくのね(笑) ほんとびっくりするくらいやれないの あぁ~正直になってきたんですね~と思いながら ちょっとごめんこれだけやってもらっていいですかとやる もう辞める流れは進めているけど どちらにしろもう長くは出来ないなと感じる ほんでその嫌な作業をやる時には BGMとかお菓子とかコーヒーとか ありとあらゆる気を紛らわすものを駆使してやるw でも記事書く時には BGMすら邪魔 お風呂の中で書いてたら寒さで時間経過に気付く 今どんどん文章が溢れてくるタイミングみたいで 確か22時だか23時だかに最初の記事を書き始めたはずなんだけど あれ1時半じゃねっていうね こんだけわかりやすいと疑う余地ないよねー 天性だね 与えられた天分だわ 十二分に活かして遊ばせてもらおう はーたのし
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年末あたりから、なんだかよくわからん体調不良が続いていた。 こんなに体調不良が長引くのはいつぶりだか記憶にない。 今日はだいぶ良かったけど、なんとなく残りものの気配はしていた。 それに加えてこころの状態もかなり乱高下を繰り返していた。 これは体調に比べたら比較的新しい記憶はあるが、それでも久しぶりだなぁと思うような他責・他人軸の発想が現れては消えて、なんなら自分と向き合う事からも逃げている節が度々あった。 それらが今日、一段落した感覚がある。 乱高下の中で、自分の嫌いなところがクローズアップされたりとか、支えてくれる存在に不満を抱いたりとか、なんなら懐かしさすら感じるそれらの発想にびっくりして暴れたりもした。比喩じゃなくてほんとに暴れた。 そのくらいがっつり感情を自分の中で野放しで暴れさせて、感情ぐちゃぐちゃになったのが昨日。 そして自分を支えてくれるたくさんの存在が、そのぐちゃぐちゃを引き起こしたり、最終的に理解への道筋を作ってくれたりした。 結論は至ってシンプル。いつの時もそうだけどね。 自分を信じる。 それだけ。 自分軸で自分を愛する感覚が戻って、それらのぐちゃぐちゃはキレイさっぱり解決してしまった。 そしてそれをさらに補強してくれるかのように、今日母と姉と長めに話した中で、特にテーマを定めていたわけではなく、各々の現況や出来事を話していく事で自然とそういう話になったのだが、やはり自分の本質に従って生きていく事こそが、結果一番自分自身のためになるという確信を深めた。 また、姉に対して最近とても信頼を増していたが、母に対しても認識を刷新するきっかけになった。 先日自分が今や
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覚悟

こないだ2つ、ものすごく悔しいことがあった。 詳細は省くが、どちらもあとちょっとなのに!というタイプの悔しさだった。 久しくそういった悔しさを感じていなかったが、これはどういう心の動きだろうと模索してみた。 それは、目的を達成出来ないということを掴んでいる・その状態の自分であることを設定している、というものであると考えられた。 なぜなら、足りない現実をそのまま受け止めていたから、足りないことが悔しいのだ。 であるなら、目標が達成されると知っていたらどうだろう。 その時足りないのは一過性のものであって、すぐ達成されるのがわかっていたら、いちいちそこに着目などしないだろう。 目標が達成されるストーリーを知ってる漫画で、その直前の挫折を見ても、このあと達成出来るもんねがんばれとは思っても、なんでだよぉぉぉぉぉ!!!!とはならないだろう。 つまり自分が自分をどこに設定するか、それだけなのだ。 そして現状の現実と設定する自分に違いがある場合、その途中を受け入れる覚悟が必要だ。 目の前の現実はこれであるが、自分はこの先の結末を知っているので、過程に起こることは甘んじて受け入れる、というものだ。 注意点として、自分を設定するところは、自分の使命に沿ったものであること。 これは内観を進めていけば見えてくるものだ。 また、結末は知っていても、ストーリーは知らなくてよいということ。 与えられるプロセスには想像を超えたものがたくさんなので、どんな可能性も受け入れるスタンスが必要だ。 明確に目標=在りたい状態を設定して、覚悟を持って進めていきたい。 って書いてたら年明けたわ、ハッピーニューイヤーw
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幸せのカタチ

いつも通る道に、いつもたたずんでいるご老人がいらっしゃる。 何度も通る時は、度々立ち位置を変えながら一日中そのあたりに立っておられる。 もしかしたら度々目にするイメージが強いだけで、そんなに長時間おられるわけではないのかもしれないが。 おそらく御年90前後ではないかと思われるその方が、何を思ってそこにたたずんでおられるのだろうなぁと考える。 あるいは認知症などでもはや自覚なくそういう行動をしている可能性もあるとしたら、それにはどういった意味があるのだろうとか。 色々と頭を巡ったが、結論としては、他人の人生の意味を考える事ほど意味のないことはないというものだ(笑) 一般的な尺度で、どれだけ幸せに見えても本人がそう思っていなかったらそれは不幸であるし、逆に悲惨な境遇にあると思われても幸福を感じて生きるならそれは幸せなのだ。 全ては自分が決めることで、そこに他者が介入する余地はない。 他人の人生のぱっと見でわかる部分だけを見て憐れんだり妬んだり羨んだり蔑んだり、という比較の世界に生きるのは自分がしんどいだけだ。 また、すべてのことは人間的発想で考えつくことなどでは計り知れない、この世界の素晴らしい流れの中にあるので、局所を切り取ってマイナスの意味づけをするのはとてももったいないことである。 一見不幸に思えることも、回り回って大切な意味を持つことはそう珍しいことではない。 なのでそのご老人を含めて他者に対しては、あなたに幸多からんことを、と祈るだけでいい。 それが全てだろう。 どんな行動や境遇や思想に対しても、それを評価せず、幸せのうちに感じられるようにと祈る以外に、他者に出来ることな
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在り方

いつもメンターさんから、 「どう在りたいか」 を問われていた その度に、 お金がいっぱいあるとか、 仕事が上手くいってるとか、 やりたいことをやってるとか、 そういうことを思い浮かべていた。 でも今回、自分が使命と感じた仕事に、実は執着していたという気付きを頂いて、もしかしたらそういう表層の事ではないのかも?とじわじわしみてきていた。 で、さっきはっと思ったのは、 あれ、もしかして 自分が高貴な存在であるという事が「在り方」なのでは? と気付いた。 それぞれ起きる問題について、いちいち考える必要はなく、ただその高い視座に照らせば自ずと答えは出るから迷うこともない。 その高貴さの部分をより明確にすることでその精度も上がる。 その形、すごく良さそう。 やってみよ!
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仕事というもの

仕事っていうものは、自分を制限するものだとずっと思ってきた。 日々の糧を得るための、必要経費という認識で、それ以上でもそれ以下…いや、それ以下になることはあったな。 少なくとも、何かしらの犠牲を伴わないと成り立たないのが仕事であると考えてきた。 だがどうやら、そうでもないらしい。 もっとワクワクして、ただ楽しいだけのことを仕事にしても良いらしい。 こういうことは何度も言ってきた気がするが、やはり根底に前者の重たい考えが根ざしていた。 後者の考えを口にしたり文字にしたりする事で、自分に言い聞かせていた形だ。 それがとうとう身を結んで、 あれ…?ほんとによさそうだぞ…? というところまできたのだ。 自分が好きなことに熱中する時のエネルギーのヤバさは自分が一番よく知っている。 それを使えるなら何かを成し得ないことがあろうか。 改めて、好きなことだけやって生きると決めた。
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視点の話

我高台に独歩し 伏して万里の山河を見る みたいな詩を銅雀台の落成の際に曹操が詠んでた。光輝三国志の記憶。ちなみにその後急報を受けて筆を「ポトッ」と落としてた、確か。 さておきその時の曹操の位人臣を極めるという方向の高さとは違うが、このような視点は今自分にとても必要なものだ。 高い視座でものごとをみる。 自分の本質、高い高い、ハイヤーセルフの視点に立って遍く見渡す。 同じ地平からでなく、遥か上からその位置の存在として観測する。 この地上を生きる物質としての視座から離れて、俯瞰する。 そうすることで、低い視点からでは見えなかったものも明らかになるだろう。 うむ
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