いつも通る道に、いつもたたずんでいるご老人がいらっしゃる。
何度も通る時は、度々立ち位置を変えながら一日中そのあたりに立っておられる。
もしかしたら度々目にするイメージが強いだけで、そんなに長時間おられるわけではないのかもしれないが。
おそらく御年90前後ではないかと思われるその方が、何を思ってそこにたたずんでおられるのだろうなぁと考える。
あるいは認知症などでもはや自覚なくそういう行動をしている可能性もあるとしたら、それにはどういった意味があるのだろうとか。
色々と頭を巡ったが、結論としては、他人の人生の意味を考える事ほど意味のないことはないというものだ(笑)
一般的な尺度で、どれだけ幸せに見えても本人がそう思っていなかったらそれは不幸であるし、逆に悲惨な境遇にあると思われても幸福を感じて生きるならそれは幸せなのだ。
全ては自分が決めることで、そこに他者が介入する余地はない。
他人の人生のぱっと見でわかる部分だけを見て憐れんだり妬んだり羨んだり蔑んだり、という比較の世界に生きるのは自分がしんどいだけだ。
また、すべてのことは人間的発想で考えつくことなどでは計り知れない、この世界の素晴らしい流れの中にあるので、局所を切り取ってマイナスの意味づけをするのはとてももったいないことである。
一見不幸に思えることも、回り回って大切な意味を持つことはそう珍しいことではない。
なのでそのご老人を含めて他者に対しては、あなたに幸多からんことを、と祈るだけでいい。
それが全てだろう。
どんな行動や境遇や思想に対しても、それを評価せず、幸せのうちに感じられるようにと祈る以外に、他者に出来ることなどないのだ。
そう考えると、とても潔いカタチだなぁ
知れば知るほど、この世界は美しいところだと思わされる