ここ数日、記事を書く気が起きなかった。
自分がこれからやろうとしていること達についても、どんどん進む!のターンでなく、悶々としていた。
エネルギーが枯渇していたのだと思う。
原因はわからないのだけど、どうでもいいゲームアプリを落としてきて脳死でやるくらいにはエネルギーが湧かなかった。
そして昨晩、やっと回復してきたのか、書きたい欲が出てきてやっと記事を一つ出せた。
よく考えたら単に予定を詰めすぎていた部分もあるけど、前回の記事を書いたあたりで、長めの記事を書こうとして途中まで書くが書き上がらないというのが数回あった。
それらの記事は長いだけでなく、いつもの思ったことを垂れ流して書くというより、ひとつのテーマに対して詳細に突き詰めて考えていく形だった。
やはりそういったものは、集中できる=自分と向き合える時間と空間が必要なのであろう。
そう考えると、本でも曲でもなんでも、作品を生み出すということは、文字通り身を削って生み出されるものなのだと感じた。
おや…?これはまるで…
他者に愛を伝えていくのに、自分が満たされて溢れたものを分け与えていく、というものにとても似ている。
ということは、種々の作品もまた、愛なのか。
だから自分から溢れ出すものを形にするのであれば自分自身は削られないのだが、自分以外の理由から無理矢理作品を生み出そうとすると、これはもう本当に自分を削ることになる。
作品を生み出す苦しみの話はよく聞くものだが、それが自分自身との対話によって本質に向き合うことの苦しみなのか、それ以外の理由に駆り立てられて生み出さなければならない苦しみなのかで、作品自体にも、生み出す当人にも、全く違う影響を与えるものになるだろう。
そういうわけで、自分の創作活動や、新たに進めていこうとするものなどにおいては、まず自分を満たす。愛が溢れて分け与えたくなるまで満たす。
それが前提としてなければ本質的なものは生み出せないと感じた。
…ここまで書いておきながら、今ハッと閃いてしまったんだが、ここしばらくの創作意欲の低下は、サーフィンが忙しかったからもあったわ(笑)
ちょっと次のレベルに到達出来そうなヒントを得て、こないだやった時に、それが出来そう!あとちょっと!ぐぎー!!!って、今までサーフィンやってて一番悔しかったんですw
そこにまじで生命を燃やして、疲れてたんだな、わははは(笑)