長年の疑問とそこからヒントを得て手離せた話

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男性によくある、物などに対する興味・執着。
自分が見てきた例で言えば、車やバイクに対して中高生の時にあこがれ、大人になってからも〇〇社のなんたらが!みたいな話を熱く語る人。
音楽関係においても、楽器問わずどこそこのメーカーのあれが!という話はめちゃくちゃ聞く。
サーフィン友達も、暗号のようなボードやフィンなどの話を楽しそうにしている。
あとは野球やサッカーなどについても、誰それがこのチームにいたらどうのみたいな話を真剣にしていた。
女性でもあるのかもしれないが、自分が目の当たりにしたのはそういう話をしているのは大抵男性だった。

で、それらの事柄に対して、少なくとも物心ついて以降、ほんっっっとうに興味が持てないのだ。
車やバイクはいざ知らず、楽器やサーフボードなんかは大いに真剣に取り組んでいる事柄なので興味があってもおかしくないはずなんだが、そもそも知ろうというアクションが出てこない。
そういった特性がなんであるか、ずっとわからずそのままにしてきた。

そしてこないだ姉とそういった話をしていた時に、自分にも他人に対して熱く語る事柄があることに気付いた。
それは自分の知識であるとか、素晴らしいと感じたこと、新たな発見について…と、あれ?それは前述の共感出来ない人達にとっても同じじゃないか?
うーん、言い方が違うな
具体例を挙げるなら、こないだ読んだダンテの神曲にまつわる宗教理解について、とか、今読み進めているトマス・アクィナスの神学大全の解説書の記述について、とか、各地の神話や伝承とそれらの背景についての考察、とか
あとはドラムやサーフィンについてだったら、技術的な部分に関してならたくさん語れる。
この曲のここが素晴らしい…!とかも語れる。
それこそこころ研究家関連ならとっても語れる。
自分がやってみて良かったこととかについても語れる。
ていうかここに色々書いてるって事が既に熱く語ってたわと今思ったw
これらを並べていて思ったのは、自分が興味がある・関心を持つことは、物質的なものより、精神的・感覚的なものなのであろうと感じた。
なのでただのジャンルの違いなんだなと納得したのだった。

しかし、その中でひとつ、あやしい気配を感じたのだ。
小難しい知識にまつわる話を展開する時に、いわゆる「得意になってる」のを感じたのだ。
それはつまり、優越感だと思われる。
優越感を感じるということは、他者より優れているという、比較の世界での話になってくる。
思い返してみると、昔からわけわからん地名とか人名とか、他者が知らなさそうなことを知って「得意になって」いた。
それはつまりその知識たちと自分の価値を直結させる=知識があること・頭が良いということに執着していたということだ。
うん、その考えでいくと、過去の自分の行動に説明がつくものがいっぱいある。
少し前の記事で、自分が頭が良いのを認めてあげようと言った気がするが、それどころかそれを握りしめて離さなかったのだった。

そのことが明らかになったので、さっき自分に、
頭が良いとか知識があるとか、それらはあってもなくてもどっちでも良くて、自分が自分であるだけで完璧だから、もうそこは手離して大丈夫だよーと伝えた。
右胸の上半分にあったものがスッキリ片付いて、余白が出来たなぁという感覚で、お祝いの花火があがっていた。
うまく手離せてよかった✨
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