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「愛してる」と言いたい相手、いますか?

こんにちは、紫月リコです。 初めて投稿した記事(DVされまくり女がタロット占い師になった理由)の目次から「現在」をお読みいただけるとわかるのですが、私には自殺を引き留めてくれた大切な男性がいます。彼との出会い 私はXで趣味で絵や小説を投稿しているのですが、彼がそれにいいねを付けてくれました。そこから相互フォローになり、同じゲームをしていることから一緒に遊ぶようになりました。 ゲームの話以外にもたくさん気が合う部分があり、好きな食べ物や飲み物、好きなスニーカー、誕生日は1週間違いで星座も同じ、数秘術でも同じ11というマスターナンバー、果てには使っているボディソープまで同じだったりと、「そんなことある!?w」と驚くことが多々あります。 彼の性格 とにかく優しい。とにかく知的。私の自殺を引き留めてくれたことはもちろんですが、彼の特徴として『性善説を信じている』というところがあり、偏見なく誰にでも手を差し伸べられる人なのです。だからこそ、私を単なるメンヘラ女扱いせず、本気で「生きていてほしい」と言ってくれたのだと思っています。 私が落ち込んでいれば笑える面白動画を送り、私が悲しんでいれば駅から見える綺麗な朝の景色の写真を送り、私が寝込んでいるとバズっているポストを「これもう見た?」と言うように無言で送ってくる。大体きっかり6時間置きで、これは生存確認をしてくれているのです。 ここまで優しさを誇示せずに他者に優しくできる人を私は知りません。仲良くなってから現在で8ヶ月間、毎日連絡を取り合っています。 私と彼の関係 友人です。ずっこけるかもしれませんが、友人です。会って映画を観たり、食事を
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自己否定、自己批判、自己嫌悪は希望や生きる力を奪う猛毒。敵は、自分自身かもしれない。

前回、自分自身を思いやる、セルフ・コンパッション実践中、という記事を書きました。自分自身を悩ませる、厳しい自己批判を生み出す問題について、批判する人、批判される人、慈悲深い傍観者、それぞれの立場に立って考えてみる、というロールプレイングを行った感想を書いたのですが。この本がきっかけとなり、脳内で自分にかけている言葉を、これまでより意識・観察するようになりました。すると、ちょっと背筋が凍る思いがし始めたので、そのことについて書いてみようかと。上記の記事では、人に対しては絶対言わないような酷い言葉で、日々自分を罵り続けていることに気づいて驚いた、と書きましたが。 私以外にも、例えばこんな言葉で、自分自身を執拗に追い詰めている人がいるんじゃないでしょうか。 ・あなたは〇〇として失格だね。救いようがない。 ・みんなは、こんなことでいちいち悩んでいないよ? ・いつもあなたは詰めが甘いよね。 ・あなたには、決定的に〇〇が足りないから無理よ。 ・またそんな夢みたいなこと考えて。あなたは甘い。 ・すぐにそうやって逃げ出す。 ・あなたにそんなことできる訳ない。 これらの言葉を、自分が自分にかけることの、継続的な影響について思うようになったんですが、自己不信、自己嫌悪、自己否定の言葉って、実は猛毒かもしれない。一挙手一投足監視され批判されるという、他人からされても心折れることを、自分のことを世界中の誰よりも知っている人からされ続けるわけですから。 自分自身を一秒余さず知っている人から、あなたはダメだ、あなたにはできない、と否定されることって、何よりも信憑性がありませんか?それが脳内で、静かに繰り返
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「死にたい」という言葉の意味

私はヘタレなので、よく「死にたい」と思う これは本当に死ぬ気はないのだが ・この場からいなくなりたい ・消えてなくなりたい ・この世からおさらばしたい ・お先に失礼したい などなど 自分を現実から逃避させるために使う言葉みたいなもの目の前に何らかのプレッシャーになるものがあると ついつい安易にそんな風に思ってしまう だが、先ほども述べたようにさほど大きな意味はなく 目の前の問題が消えてなくなれば この感情も消えてしまう このまま生きていれば イヤでもいつか死ぬのだし 今も刻一刻と「死」に向かっているのだから わざわざ自ら死ぬまでのことはないと 自分でよくわかっている では 本当に死にたい人はどうなのか? きっと 「死にたい」と言葉にすることができないほど 追い詰められている 言ってしまえば それは行動へと移す引き金になる 触れたらすぐに爆発しそうな緊張感の中で生きている 「一触即発」状態なのだろう 人が「死にたい」ともらすのは普通のことらしい ・月曜日の朝は死にたくなる ・子どもが不登校で死にたい ・生活が苦しくて死にたい ・大きなプレゼンがプレッシャーで死んでしまいたい ・失恋して死んだ方がいい これらは、時間が経てば消えたり 一つの問題が解決すれば楽になり 違う気持ちに変えることができる 危ないのは ・愚痴も漏らさずに一人で抱え込む人 ・朝から晩まで死ぬことを考えている ・死ぬ方法を調べたり道具を購入している ここまでくると 本当に死ぬ確率が高くなる 私の弟が自殺を図ったとき (何度も失敗して現在は元気でいる) 彼は周りに「死にたい」とは言わなかった だが、SOSのサインは
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お久しぶりです。運命って奴について…

皆様、お久しぶりです。5月以来、姿を現さなかったOMEGAです。誰お前?という方も大勢いらっしゃいますね。まあココナラ自体は開いてはいましたが笑色々作業はしていました。本題の前に少し雑談も含めたお話を。この記事のサムネの画像の背景はアニメの画像で著作権回避でぼかしてますが久しぶりの画像に使うには良いかなと思った画像です。ちなみによーく見るとそのアニメのファンの人は何の画像か分かるかも。7月に入り、夏本番となる暑さにもなって来たと思われ、皆様も体調にお気を付けて今後も過ごして行ける事を祈っております。私は冬の方が好きです。よくこんな暑さで去年まで外仕事してたな俺…()地域によっては38℃や39℃の暑さに見舞われた所もあるようで…。本当に怖いですね…。35年前にとある帝国が人類滅亡に38℃の暑さを出した計画を立てたがまたその帝国の仕業でしょうか?35年前同様、光の戦士が光の杖でその帝国を倒してほしいですね。冗談話をしてしまいましたが、本当に怖い温度なので皆様はこまめの水分をお取りくださいね…。私は天気とか季節の影響を受けるのは弱いと思っておりましたが、先月は体調を崩した日が多く、今月も上旬はまだ沈んでいました。先週ぐらいから戻っては来ましたが、天気や季節の影響も受けやすいのかな自分…?ただ頑張り過ぎるとそれもメンタルが落ちるものですが、頑張りの加減が未だ掴めず頑張り過ぎるレベルまで行ってしまい、それで病んでしまう事も…。ココナラに姿を現さなかった間、色々世の中に向き合う機械や考える機会が多かったですが、その中の1つの話をこの記事の本題に。最後にお知らせもありますので最後までお読み頂
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僕が、僕の本音を見つけるまで。さいごに。

「人生は何があるかわからない。」ありがたい事に、この1年で、昔からは想像もできない経験をたくさんしてきた。いいことも悪いことも含め、自分を回復させる材料となってくれた。不思議だが、終わってから思い返すと、辛かった記憶も、すべてが意味のあったことのように思える。思い返せば、最初の1歩はなかなか出なかった。脱サラした頃だ。ぼんやりと宮古島に行きたいと思っても、怖くて行動できなかった。全く知らない土地で、知り合いもいない環境で、自分1人で生きていける気がしなかった。あの時は、カウンセラーが何度も何度も、手を変え、品を変えて、説得を試みてくれたおかげで、1歩目を踏み出せた。その節は、本当に感謝しかない。僕は、中学生頃から、自分の生きずらさを発端に心理学を学んでいた。日に日に、知識は増えて行ったのだが、自分の変化はほとんど起きなかった。その度に、原因を考えて、試行錯誤しては、新しい方法を試し、結局、失敗していた。いつも「またか。」と落ち込んだ。しかし、少し時間が経つと、また新たな知識を見つけてきて、「これなら変われるかもしれない」と淡い期待を抱き、ぶつかっていった。そして、その度に返り討ちにあっていた。行動しただけ良しと思いたいが、手元には「絶望」だけが残り、いつもマイナスな気分だった。そして、「自分の理解者はいない」と思い込み、誰にも相談できず、一人孤独になっていった。心理学にも、世の中にも裏切られた気分になっていて、この時はもうどうしようもなかった。当時の自分に言いたいのだが、人の変化の本質は、心理学の小手先のテクニックや、自己啓発本の中にはない。。いくら知識を学んでも、そもそもの人
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編②

スキー場に来てからは、平和な毎日が続いた。仕事のストレスも少なく気楽だった。思えば、1ヶ月で契約満了の予定だったが、いつの間にか、3ヶ月も延長していた。僕にとってこれは、本当に珍しい事だった。何度か住み込みのバイトを経験したが、1ヶ月経つと例外なく辛くなっていた。それは、仕事内容への飽きや、人間関係の我慢、住んでいる町への閉塞感などから生じていた。だから毎回、残りの期間は、空元気で乗り切っていた。非常にしんどかった。だから僕は、そうなることを見越して、スキー場の契約も1ヶ月からにしていた。しかし今回は、いい意味でその予想を裏切られた。仕事内容は単調であったものの、それを忘れさせてくれるほどの、人間関係の楽しさがあった。スタッフみんな、スローライフマインド(?)的なものをもっていたし、小学生ぶりくらいに、居心地が良い友達とも出会えた。久しく忘れていた、心から楽しむ感覚を思い出せた。この環境ではなかったら、僕は確実に延長していなかった。本当にかけがえのない日々だった。だからこそ、帰宅の日は寂しかった。今まで、学校の卒業式ですら、寂しさを感じたことがなかった僕だが、この時に、人間の本来の温かさを取り戻せた気がした。改めて、いい時間を過ごせた。その子たちとは、今も連絡を取り合う仲だが、いつも僕の孤独を忘れさせてくれる。しかし、1年前の僕では、この出会いは生まれなかったと思う。自分の心を優先し、外側の変化を繰り返しながら、そこで関わる人間関係の相互作用で、内的な変化が生じた結果だと思っている。自分で言うのはおこがましいが、昔の自分から比べると、考え方も感じ方もまるで変わった本当に別人にな
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編⑤

僕は、シェアハウスのオーナーにと一緒に、近所のスキー場に向かった。そこは、特別、大きいゲレンデではなかったが、地元に根ざした暖かい場所だった。僕は、オーナーに教わりながら必死に練習した。何度も転んでは立ち上がり挑んだ。半日っても成長幅が小さく感じ、「やはり難しいな」と思った。しかし、根気よく丸一日滑っていると、だんだんと成果が出てきた。そして、帰る頃にはターンができるようになった。その日はそこで終了したが、早くまた行きたいと思った。数年ぶりに苦手を克服できた気分になって、嬉しかった。その後も僕は、ゲレンデに通い詰めた。とにかく楽しかった。楽しくてしょうがなかった。値段など気にしなかった。毎回、8000円強かかったが、楽しさを優先したい気持ちが勝った。しかし、当然ではあるが、貯金はあっという間に底をつきた。少しは焦ったのだが、この時は、不思議と、そこまで不安にはならなかった。お金がなくなる恐怖より、スノボを続けたいという気持ちの方が強かったからだ。やっとここから、次の仕事を決めるモチベーションが生まれた。自分でも、スキー場の仕事なら続けらそうな気がした。山奥シェアハウスに来て約3ヶ月、終わりのないトンネルにいた気分だったが、ようやく光が見えてきた。僕は、志賀高原のスキー場に応募した。担当の方と電話で話し、すぐに採用が決まった。「やっと次へ進める。」僕は、荷物も揃わず、髪も伸び切ったまま、次の目的地に向かった。続く
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編④

次の行き先が決まらない僕は、悶々と生きていた。何かをしようにも手がつかず、ただ、自分の状況を恨めしく思っていた。そんな時、偶然にもオーナーから、「スノーボードに行かないか」と誘われた。僕は、とても迷った。なぜなら、スノボにあまりいい思い出がなかったからだ。以前、高校生の頃に1度だけいったのだが、その時は全く滑れなかった。当時はスノボの知識が無かったということもあったが、大きな原因は、初心者のくせにいきなり上級コースに向かったことだった。当時は、なぜか自分を過信しており、軽い気持ちで頂上に向かってしまったのだ。しかし実際に山頂に着くと、想像していた数倍は傾斜がきつく、思わず足がすくんでしまった。下から見上げるのと上から見下ろすのとでは、まるで景色が違く、恐ろしかった。なんとか転げ回りながら、やっとの思いで下山した。本当に恐ろしかった。そういった経緯があり、二つ返事で「行きます」とは言えなかった。一旦、考える時間が欲しかった。普段から、同じような生活に飽きていたのは事実だ。だからこそ、スノボで変化を生み出したいとも思った。しかし、どうしても過去のトラウマに足を引っ張られる。どうすればいいのか。。。僕は、1日葛藤した。そしてふと、「もし僕が、スノボに対する恐怖がなかったらどんなイメージを持っていただろうか」という問いが浮かんだ。それに対し、「楽しそう」「気持ちよさそう」「スピードが出て、爽快さを感じられそう」というポジティブな言葉が浮かんできた。その時に僕が、「スノボ自体には興味がある」ことを理解した。僕は、すぐオーナーにLINEを送った。「やっぱり連れて行ってほしいです」と。オーナ
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編③

山奥シェアハウスに来て2ヶ月が経った頃、僕は悶々としていた。何故なら、ゆっくり過ごすことに飽きてきていたからだ。最初は、疲れ切った自分を癒すために古民家シェアハウスに来たのだが、スローペースな生活の中で段々と体力が回復してきていた。僕は、そろそろ動き出したくてうずうずしていた。とは言っても、他の場所に移り住むとかいう訳ではなく、何らかの住み込みの仕事をするつもりだった。それに、貯金も尽きかけていたので、働くしかなかった。当時の預金残高は15万円程だった。進む先が決まらない焦りに加えて、お金がなくなる恐怖がのし掛かってきた。毎日、indeedの画面を開いては、「あーでもない、こーでもない」とスクロールしていた。時間をかけた割に、あまりピンとくるものは見つからなかった。何度か、無理やり仕事を決めようとしてみたが、途端に無気力が体の中を駆け巡り、それ以上進めることができなかった。僕の心は、前より自分に対して正直になっており、嫌なことに力を出せなくなっていた。前進したい気持ちと、進めない苦しさがぶつかり合って、鬱々としていた。「何なんだよ俺の人生って…」何もしないで過ぎる時間に、虚しさを感じた。この時期は、いつも目覚めが悪かった。よく嫌な夢を見ていた。全部、後味の悪い夢だった。YouTubeや音楽を聴くこともしんどかった。ファッションにもこだわりがなくなっていった。何かをしたいのに、何をしていても楽しくなかった。出口のないトンネルを、永遠と歩いているような気分だった。いつになったら光が見えるのだろう。そもそも光なんてあるのか。ここまで来たのに、なぜ停滞しているのか。本当に苦しかった。も
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死にたいと願う「希死念慮」

こんにちは♬ はじめましての方は はじめまして(*´ェ`*) なつみです♬.*゚今日も私は明るく元気いっぱいです(´˘`*) 皆さんはいかがですか? 良い週末を過ごされましたか?? *** それではブログの本題に(*ˊ˘ˋ*) 今日はいつもの明るさも元気も封印して 真面目にお話します。 今回は、避けたい話題・タブーな話題と 思う人が多い「死」について。 「希死念慮」 「自殺念慮」についてお話します。 ※死についての話題です。 ネガティブな感情や話題が苦手な方は ここでブラウザバックしてくださいね! *** 「死」に対してどのようなイメージをお持ちですか? 心が健康な状態で、明るい日々を過ごしていると死は「怖い」「暗い」「考えたくない」などの ネガティブなイメージを持ちます。 しかし、 ・鬱や統合失調症などの心の病気 ・落ち込むことがあった ・大きな失敗をした ・お酒、薬物、ギャンブルなどを好んでいる ・人生の転機を迎えた   →受験、結婚、出産、引越し、就職、   転勤、退職、病気、介護、借金など ・別れの経験   →人間関係のトラブル、失恋、離婚、死別、絶縁など などが1つの原因となり「死」を望んでしまう、 願ってしまうことがあります。 希死念慮は「死にたい」と願ったり思うこと。 誰もが1度は希死念慮を持った経験が あるのではないでしょうか? 希死念慮が進むと「自殺念慮」に変わってしまいます。 自殺念慮は「死」を本格的に意識し、 自殺をしようという意志を持って 具体的な計画までしてしまうことです。 自殺念慮が進むと… 自傷行為や自殺未遂、 そして最後は自死を選んでしまいます。
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【うつサポ体験談⑦】家族に「死にたい」と言われた

※内容は個人の経験談です。とてもデリケートなテーマですので、一事例として読んでいただけると幸いです。うつ病の人と切り離すことが出来ないのが「希死念慮」です。うつ病などの精神疾患だけが原因で死ぬ人はいませんが、うつ病は「死にたくなる」「生きていたくなくなる」と思わせる病気です。……ということを知識として知っていても、いざ家族から直接希死念慮を表明されるのは大きなショックです。悲しいし怖いし驚くし、怒りも感じます。1.うつ病初期は繰り返し言われた私の場合、夫から『俺は要らないんだよね』ということを繰り返し言われました。目の前で実行に移されたことはありませんが、後になって『何度も包丁で手首切ろうとしたし、線路に飛び込んだら楽かな、とか思った』と言われたこともあります。ビックリです。眠れない、食欲無い、会社行けない、どころの話ではありません。こちらもショックのあまり取り乱しました。まだちゃんと生きているのに、死んでしまったところを想像して大泣きしました。『俺は要らない』発言されるたびに、です。意識して泣いてたわけじゃありませんが、毎回同じ反応を返していました。2.自分は仕事で日中不在夫が仕事に行けないので、当然私が日中働いています。夫婦二人の生活ですからその間夫は家に一人です。多分そういう時に包丁取り出したりしてたのでしょう。仕事が終わったら真っ先に夫に『帰るコール』してました。すぐ出てくれることがほとんどでしたが、たまに繋がらない(トイレとか?)時は心の中はパニックです。繋がるまで何度もかけたり、メールしたり大忙しでした。3.辛さを何度も伝え続けたどうやらそれが、学習効果というか、『
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あなたが社会に適合できない理由

社会は、生産的に生きることができない私を必要としていない。誰の役にも立つこともできない。 だから、生きていても仕方がない。 いつ死のうか、どうやって死のうか、いやもう一日だけ生きてみようか。 なぜ自分は他のみんなと同じように、普通に働くことができないのだろうか。 今の社会に適応できない自分は何て無能な存在なのだろう。 これは、私がうつ病だった時に考えていたことです。 社会からドロップアウトし、精神病や各種依存性で社会生活が立ち行かなくなった方のお気持ちはとてもよく分かります。 既存社会や資本主義経済の行く末に希望が持てない。 世の中には本質的な価値のないものばかりが溢れかえっている。 人間が活動するほどに地球が壊れていく。 だから社会活動に参加したくない。 いくらお金を積まれても環境破壊活動には参加したくないし、家族だろうが会社だろうが、いくらお金を積まれても愛せないものは愛せない。 既存社会や資本主義経済システムを愛せない。美しいと思えない。愛せないものに、自分の命やエネルギーを注ぐことは自傷行為です。 しかしまだあなたは、お金を全く使わずに生きることもできないし、全く社会の世話にならずに生きることもできません。だから、見捨てられないように既存社会を愛そう、資本主義経済を愛そうとします。 既存社会や資本主義経済に再度適合して幸せに生きられるかもしれないという思いが手放せないのです。 自分が愛せないものを愛そうとする矛盾が、あなたの病を引き起こしています。病はあなたが、愛せないものを愛さなくて済むように、ブレーキをかけてくれています。 家族・友人・会社・既存社会・資本主義経済を
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抗うつ薬の体験談【エビリファイ】

20代後半の男です。2010年に社会人として、初めて働き始めました。 自分の夢に近い仕事であったため、非常に意欲的でした。 上司や同僚たちも、そんな私を見て「素晴らしい!君にならどんどん仕事を任せよう。どんどん経験を重ねて、どんどん出世してくれ!」と良い評価をもらいました。 これが所謂「ワーカーホリック」の始まりでした。 仕事で良い評価をもらえることでのみ、自己肯定感を得ていたのです。 取憑かれたように朝7時と夜7時の会議に出席して話に食らいつきました。 ですが、私はまだまだ新人。分からないことや失敗、ケアレスミスなども経験として重ねていくのは当たり前のはずです。 当時の私は(これじゃ会社のお荷物だ。なんで給料をもらっているのかわからない。これじゃだめだ。もっと貢献しなくちゃ。)と焦り、空回りだけを始めていたのです。 「自分で成果をあげたい」という思いから、だんだんと報連相もおろそかになり、自己判断によるミスや失敗が多くなるばかり。そしてまた(これじゃ会社のお荷物だ。なんで~)という悪循環に陥っていくのです。 もう、死神は私の首に鎌を掛けていたのです。自己肯定感は失われていく一方で、あっという間に希死念慮に支配されました。 2013年10月ごろ、実際に自殺企画までいき、一歩手前でした。 その後、すぐに上司に報告して精神科で受診することを勧められました。 最初はエビリファイのみから始まりましたが、服薬による症状改善がなかなか見られず、現在はトリプタノールやフィコンパなど計7種類の薬を、朝、昼、晩、寝る前に服用しています。 2019年1月頃、障害者手帳を取得して、就労移行支援事業所
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抗うつ薬の体験談【リーゼ・デパス・リフレックス・ジプレキサ】

私は職場環境からうつ状態になりました。 希死念慮もありましたが、一番周囲からわかりやすく変化が見られたのは体重減少です。 もともと成人女性としてはごくごく平均的な体重だったのですが2ヶ月で10キロ程痩せてしまったのです。 冬場だったので着込んでいることが多かったにも関わらず、顔回りまでげっそりしてしまったので、頻繁に会う知人からも心配されました。 結局1日に食べるものはクラッカー1枚程度になり、体力が落ちているのでほとんどの時間を横になって過ごしているようになってしまいました。 そこで初めて精神科にかかった時から飲んでいたリーゼとデパスだけでは足りず、転院と同時に別の抗うつ薬を試すことになりました。 当時、不眠症にも悩まされていたので、弱めの睡眠導入剤も飲み始めましたがほとんど効き目はなく、それならばと、睡眠導入剤と併用すると効果が期待できるということでリフレックスを処方してもらいました。 体に馴染むまで数日かかると言われましたがしっかりと睡眠を取れることを期待して2日間試しましたが、私には合わず、睡眠こそ取れはするものの、効きすぎるのか逆に起きられなくなりました。 かろうじて意識は浮上するもののとても体を起こせるような状態ではありませんでした。 さらに睡眠といっても熟睡や安眠とは程遠く、常にリアルな悪夢が続きました。 夢なのか現実なのかわからない眠りが延々と続き、病院に相談して薬の量を半分に減らして試しましたがそれも全く意味はなく、結局3日目にリフレックスは打ち切りました。 結局睡眠導入剤の種類を強めのものに変えたことで当面の睡眠は確保されたのですが、調べてみてもリフレック
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うつ病の体験談【産後うつの体験談】

私は躁うつ病でしたが、妊娠途中から出産後まで薬を抜いていました。なるべく健康な子を産みたくて、できれば母乳もあげたかったからです。母乳はあまり出ませんでしたが、あげていた半年間は疲れていましたが安定していました。 赤ちゃんが卒乳してしまってから、私はガクッと調子を崩しました。すでに仕事には復帰していましたが、授乳はないのに夜中は眠れず、睡眠不足になっていました。 体がだるくなり、それに伴い情緒不安定になってしまいました。何かあるたび、いえ、何もないのに突然泣き出してしまうこともあり、死にたくなることもありました。 産後うつという言葉は知っていたので、これは産後うつかなと思い、病院に行きました。案の定、産後うつと言われ、薬を再開することになりました。 しかし、今回のうつはなかなか良くならず、死にたくなって台所で包丁を持ったまま座り込んで泣く、という有り様でした。 主治医に相談したら、慣れない育児で疲れ切っているのでしょう、少し育児から離れて入院しましょうと言われました。 この時は、入院しないと本当に自分が死んでしまうか、子どもを殺してしまいそうなくらい危ないと思ったので、素直にそれに従い、子どもは実家に預け、入院しました。 最初の数日は、病棟内の誰にも会いたくないくらい落ち込んでいましたが、薬もだんだん合ってきて、周りの人たちとも何となく打ち解けてきて、元気になってきました。 だんだん病棟にいるのが暇になり、昼は毎日何らかのレクリエーションに参加していました。自分の寝床では本を読んだり、文章を書いたりすることもできるようになりました。 それでも主治医は、今までのような生活をすると
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うつ病の体験談【うつの時、自分ができること】

最初にうつとはっきり診断されたのは23歳のころでした。高校生の頃から軽度のうつの症状があらわれており、朝学校へ行くとなると体が重くてまったく動けなくなっていました。 就職先でのトラブルがきっかけで食事や入浴、睡眠も困難になっていたため病院を受診したのです。 受診したといっても自分の考えではありません。家族の勧めでした。そもそもうつ状態のときにそんな判断力はありません。あったのは希死欲求と自罰願望、閉塞感で、右と左どちらがいいかという簡単な選択さえできていなかったのです。 病院ではデパスとルボックスが処方されました。量が多いと副作用がつらいし自分ではまったく効いていないような気がしましたが、家族は「薬を飲むと調子がよさそうだ」といっていました。だから、きっとこれでも調子が良いのだろうと思って薬を飲み続けることにしました。 薬を飲んでも仕事で外に出るとき以外、日常生活はおくれていませんでした。何も考えられないので何をするかを決めることができない。ベッドで寝ているのもしんどくて、ましてやそこから腕の一本を動かすこともできませんでした。 息を吸って胸を膨らまし、気道から息を吐く。 これだけの作業にも負荷を感じ、呼吸を放棄したいと考える毎日でした。 幸い私には面倒を見てくれる家族がいました。ですが、家族に頼りきりになると彼らが不在の時にまたきつくなります。深夜、急に全身の力が抜け呼吸がつらくなり、助けて!とひぃひぃ過呼吸になりながら一人で叫びました。 発作的に自分の首を絞め泡を吹いて叫んでいたところを救助されたこともあります。外出すれば人間という情報過多に精神が削られ、急遽カフェへ逃げ込
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【ゴーマンかますな、カウンセラー】

 今し方、カウンセラー養成学校の講座で  事例検討会に参加してきたところである。  私以外の諸氏は専門用語を用いて、解釈、  見立て、果ては療法までも考えていたが、  私には、まだクライエントと向き合って  いない段階では、それは早計だと思える。  理屈のオンパレードで不快な時間だった。  おまけに、こういう場合はこうすべしと  いうカウンセリングの答えはないのか?  とは愚か極まりない。カウンセリングに  答えなどある筈がない。答えがなければ  カウンセリングできないカウンセラーに  カウンセリングの資格などありはしない。  人生、何事にも答えなどない。何が正解  かは人によって違う。心理カウンセラー  の役目は、その人それぞれの答えを探す  手伝いをすることにあるのだと私は思う。 ────────────────────  私も含めて、カウンセラーの姿勢として、  「クライエントの悩みを自分が解決して  あげなければならない」という気持ちで  カウンセリングするカウンセラーがもし  いるとしたら、それは傲慢な人だと思う。 ────────────────────  過日、自殺防止支援センター電話相談員  の最終面接でも述べたが、クライエント  (希死念慮・自殺念慮)を持つ人の人生  を決めるのはその人自身であり、自分が  解決できる、何とかしよう、というのは  思い上がった考え方だと私は思っている。  カウンセラーにできるのは、「思い」を  変える手伝いだけ。だから、こうあって  くれれば、という気持ちがもしあったと  しても、そこに誘導するようなことなど  は許されない。
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【久しぶりの替え歌~ネガティブハート~】

 今、3月12日の訪れが怖くて仕方ない。  当日11時から自殺対策支援センターの  電話相談員の二次実技審査があるからだ。 ────────────────────  ただでさえ電話カウンセリングの経験が  ない(心理カウンセラー養成学校で練習  したのみ)のに電話の相手は希死念慮か  自殺念慮を抱えている。傾聴も見立ても  普段通りにはいかない。何よりも、私は、  失敗ができないと思うと実力を出せない  タイプである。当日、ガチガチになって  大失敗に終わるという悪夢が見えている。  一次審査は、それでも相談者の気持ちに  寄り添う姿勢が評価されて通過できたが、  今度はそうはいかないだろう。万一また  今回も「死の問い」ができなければその  時点で終わったと思わなければならない。  この求人を紹介してくれた協会の方など、  「いつものあなたで十分と思います」と  言ってくれるが、普段は大阪と神奈川で  離れて活動をしており、相まみえるのは  年に一度あるかないか。それでいつもの  私をどう理解できているというのだろう。  そう考えると、今の私の中に二次審査を  通過できる要素は何処にも見当たらない。 ────────────────────  審査前から既にこの自信のなさはどうだ。  これは、「破局視」、他の可能性、特に、  現実的にありそうな可能性を考慮せずに、  未来を否定的に予言する。という昨日の  話に該当する。「一次審査で死の問いが  できなかったから、今度もダメだろう」、  「俺は二次審査を通過できない。俺には  通過できる要素がないんだ」等。現実的  に考えれ
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【ロールプレイで大失敗! 認知の歪み①】

 メンタルヘルス不調の人が悪循環に陥る  ネガティブな思考の癖にアプローチする  認知再構成法とは、過度にネガティブな  気分・感情や不適応的行動と結びついた  認知(自動的な思考やイメージ)を同定  して様々な視点からその認知を検討する  ことによって代わりとなる新たな認知を  自分で再構成するための技法なのである。  認知の構造としては、ある特定の場面に  おいて、瞬間的にオートマチックに頭に  浮かぶ考えやイメージ(自動思考)には、  妥当なものと「妥当でないもの、或いは、  部分的にしか妥当ではないもの(否定的  自動思考=認知の歪み)」があるもので、  この「認知の歪み」について話をしたい。  第1回目の今日は、「全か無か思考」を。 ────────────────────  「全か無か思考」とは、状況を連続対で  なく、たった2つの極端なカテゴリーで  捉えることである。これはストレス状態  に陥り易い固定化した考え方で、物事を  「白か黒か」の両極端で見てしまう思考  パターンだ。勉強や仕事に例えて言えば、  「完全にできた」「完全に失敗した」の  二つの見方しかない、ということになる。  お恥ずかしい話、今の私が正にその状態。 ────────────────────  過日、私は、自殺防止支援電話相談員の  一次試験(ロールプレイ)に参加をした。  審査対象となるポイントの一つに「適切  な箇所で『死の問い』をしたか」という  項目がある。「死の問い」とは、会話の  中の相談者の言葉から希死念慮を察知し、  「死にたいという気持ちがありますか?」  等とストレ
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カウンセリングについて (うつ病)

公開募集をしている方に、悩みに合わせて一言メッセージを送る時があります。 それをまとめた物です。全て別人に対するアドバイスです。①病院に行っても同じ事を言われると思いますが、心の病気にカウンセリングは即効性はありません。 気分の安定した状態でストレスをためないように、自分と向かい会うためカウンセリングを行います。 完全に病んでしまった場合は、薬と併用されて行う方法です。 だから今カウンセリングをしても口に出す事によって、心から辛さを吐き出すだけになってしまうかもしれません。 もちろん、それですっきりできるのなら問題はありませんが、希死念慮もあるようなので、とりあえず病院に行き安定剤など服薬される事をお勧めいたします。(衝動的に自殺を図ってしまう場合があるので) 安定剤でしたら攻撃的になってしまうことはありませんが、抗精神薬だと薬が合わない方が攻撃的になってしまう事はよくある事です。 薬が合わないと思ったら、すぐに医師に相談し、聞き入れてもらえない場合は、転院されたほうが良いと思います。 またスピリチュアル系のカウンセリングの方も良く見かけますが、現実の見えない方向けのカウンセリングなので、おやめになったほうが良いと思います。(占いとか風水とか信じるのであればお止めしませんが・・・) うつ病の方へのアドバイスを掲載しました。(購入者ではありません)②以前うつ病は ①器質性(持って生まれた脳の構造) ②心因性 と別れていましたが、現在はこの分類は無くなりました。 ③認知の凹凸(発達障害までいかなくても、誰でもこれはあるものです)  更に最近は③も、うつ病の素因とも考
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実体験済み。鬱病酷い時、やると余計辛くなる。やってはいけない3選

こんばんわ!夜分遅く、失礼致します★鬱病なると、きついですよね・・・今まで好きなに対して、消極的になり出来なくなるしんどくなる傾向あるので。。少しでも、受け入れるだけでも出来る人・理解者が増えますように(*´ω`)。鬱病の時、やってはいけない3選(特に酷い時)①.「よくなろう」焦って頑張ろうとすること②.新しいことすること③.自分にとって合わない環境に、顔を出すこと(オンラインなど・・)何故良くないか?①⇒・焦る余り、思ったようにいかなかった時に自傷行為や自己嫌悪に走ってしまうこともあるからです。又、症状が余計悪くなることもあります。自傷行為は致しませんでしたが、自己嫌悪や症状が、悪くなることはありました。焦らず、ゆったりやっていくことが 近道ではあります。②⇒・頭を使ってしまうからです。チャレンジすることは、良いことです。まず、良くしていくためには 何も考えず生きること。が鍵だったりします。良い方向に好転している・よくなりそうだったらチャレンジされても良いと思います。そして、思ったようにいかなかった時 劣等感との戦いになってしまいます。(★それでも、新しいことやられる時は、優しいプロの方とゆっくりやられることをオススメ致します。)③⇒・単純にストレスになるからです。・劣等感を感じ、「自分なんて・・」と希死念慮に陥ることがあるからです。(または、自己嫌悪・自傷行為など)ようするに、合わない環境に 少しでも身を置くことになります。今考えると、合わなかった環境のオンラインコミュニティにある日、参加したことがありました。ですが、終わった後 希死念慮に陥りました。鬱病 希死念慮ある。。
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生きよう

自分の人生を必死に生きていたら生きることは当たり前になるかもしれないですが、今日も新鮮な空気が吸えて生きていける温度の中で生活出来ること自体奇跡ですよね。 地球に生きていることこそが天国だと思いますが、忘れてしまうものですかね。 高みを目指せるのは当たり前と呼ぶ恩恵があるからです。
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