「死にたい」という言葉の意味

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コラム
私はヘタレなので、よく「死にたい」と思う


これは本当に死ぬ気はないのだが

・この場からいなくなりたい
・消えてなくなりたい
・この世からおさらばしたい
・お先に失礼したい

などなど

自分を現実から逃避させるために使う言葉みたいなもの


目の前に何らかのプレッシャーになるものがあると
ついつい安易にそんな風に思ってしまう


だが、先ほども述べたようにさほど大きな意味はなく
目の前の問題が消えてなくなれば
この感情も消えてしまう


このまま生きていれば
イヤでもいつか死ぬのだし

今も刻一刻と「死」に向かっているのだから
わざわざ自ら死ぬまでのことはないと
自分でよくわかっている


では
本当に死にたい人はどうなのか?
きっと
「死にたい」と言葉にすることができないほど
追い詰められている


言ってしまえば
それは行動へと移す引き金になる


触れたらすぐに爆発しそうな緊張感の中で生きている
「一触即発」状態なのだろう


人が「死にたい」ともらすのは普通のことらしい


・月曜日の朝は死にたくなる
・子どもが不登校で死にたい
・生活が苦しくて死にたい
・大きなプレゼンがプレッシャーで死んでしまいたい
・失恋して死んだ方がいい

これらは、時間が経てば消えたり
一つの問題が解決すれば楽になり
違う気持ちに変えることができる


危ないのは

・愚痴も漏らさずに一人で抱え込む人
・朝から晩まで死ぬことを考えている
・死ぬ方法を調べたり道具を購入している

ここまでくると
本当に死ぬ確率が高くなる


私の弟が自殺を図ったとき
(何度も失敗して現在は元気でいる)


彼は周りに「死にたい」とは言わなかった
だが、SOSのサインはどこかに必ず
現れている

時々この世に意識がないような感じがした
どこか遠い遠いところを見ているような…


その人の命だから
死ぬことを選ぶのは仕方ないけれど

自死は
やっぱり寂しくて、辛くて、悲しくて、やりきれない


だから
あなたにできること


隣にいる人の話を
とことん聞いてあげて欲しい

支離滅裂でもどんなに重くて
クソつまんなくても
解決の糸口が見つからないような話でも


人生の中で問題に背を向けて全速力で逃げることも
決して悪いことじゃない

外野の声は無視していい
人は一人で生まれて、一人で死んでいくのだから


そして
あなたの日常に潜む「死にたい」は
何を解決すれば消えてなくなるのか
考えてみてほしい

黒い点が大きくならないうちに


「人間、一度しか死ぬことはできない。命は神さまからの借りものだ」
ウィリアム・シェイクスピア
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