自己否定、自己批判、自己嫌悪は希望や生きる力を奪う猛毒。敵は、自分自身かもしれない。

記事
コラム
前回、自分自身を思いやる、セルフ・コンパッション実践中、という記事を書きました。
自分自身を悩ませる、厳しい自己批判を生み出す問題について、批判する人、批判される人、慈悲深い傍観者、それぞれの立場に立って考えてみる、というロールプレイングを行った感想を書いたのですが。

この本がきっかけとなり、脳内で自分にかけている言葉を、これまでより意識・観察するようになりました。

すると、ちょっと背筋が凍る思いがし始めたので、そのことについて書いてみようかと。

上記の記事では、人に対しては絶対言わないような酷い言葉で、日々自分を罵り続けていることに気づいて驚いた、と書きましたが。

私以外にも、例えばこんな言葉で、自分自身を執拗に追い詰めている人がいるんじゃないでしょうか。

・あなたは〇〇として失格だね。救いようがない。

・みんなは、こんなことでいちいち悩んでいないよ?

・いつもあなたは詰めが甘いよね。

・あなたには、決定的に〇〇が足りないから無理よ。

・またそんな夢みたいなこと考えて。あなたは甘い。

・すぐにそうやって逃げ出す。

・あなたにそんなことできる訳ない。

これらの言葉を、自分が自分にかけることの、継続的な影響について思うようになったんですが、自己不信、自己嫌悪、自己否定の言葉って、実は猛毒かもしれない。

一挙手一投足監視され批判されるという、他人からされても心折れることを、自分のことを世界中の誰よりも知っている人からされ続けるわけですから。

自分自身を一秒余さず知っている人から、あなたはダメだ、あなたにはできない、と否定されることって、何よりも信憑性がありませんか?

それが脳内で、静かに繰り返し行われることで、気付かないうちに毒が体内に染み込んでいく。

その言葉達をよくよく吟味すると、酷く偏った価値観や、理不尽なほどに不公平な評価であることに気づく。

厄介なのは、これまでの記憶から、極めて具体的なケースを持ち出して徹底的に糾弾されること。

あの時あなたはこうすべきだったのに、できなかった。あの人ならばきっとこんなふうに事態を収拾できた、みたいに、批判や否定の根拠を、都合よくいくらでも引っ張ってこられます。

あたかも、自分は劣っている、能力がない、間違っている、と思わせる、凄まじい説得力があるんですよね。

この猛毒って遅効性で、じわじわと効いてくる。今よりも寧ろ将来への影響が大きくて、先々の可能性まで否定されることで、将来への希望や生きる力を奪ってしまうことが、何より恐ろしい。

人生最後の瞬間まで一緒にいる、唯一無二の自分自身。私達は十分に敬い、愛情を持って接しているでしょうか?

脳内の声に、もっと耳を傾ける必要があるのでは、と思っています。
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